河原で漂着人魚の王子様を拾いました
台風一過の爽やかな日曜日の朝、河原を散歩していると、漂着した人魚を見つけました。
正確には、草むらの向こうからビチッビチッビチッという奇妙な音が聞こえたので、気になって近寄ってみるとそこに彼がいたのです。どうやら尻尾を地面に何度も叩きつけながら、川に戻ろうとしていたようでした。
「おお! 何て最高のタイミングだろう! 海神による巡りあわせに感謝します! そこの君! 僕を助けてくれないか? ……おい!! 待つんだ!! どこへ行く!?」
私は、一歩、二歩と後ずさりしながら彼から距離を取りました。ごく普通の反応だと思います。だって、人魚なんて実在するわけがないでしょう? きっと、珍しいタイプのコスプレ露出魔に違いありません。近づいたら半魚人から全裸男に変身して襲ってくるつもりかも……
「待ってくれ!! ……お願いだ! ……このままでは……干からびてしまう……」
横柄な態度は影を潜め、弱々しくなっていく彼の声に思わず罪悪感が刺激されます。
もし、万が一、本物の人魚だったら……私は、彼を見殺しにしたことになるのでしょうか……
取りあえずスマホのロックを解除して、何かあればいつでも通報できるような準備を整えつつ、彼のもとへと戻りました。近くで顔を見ると、まるで芸能人かモデルのような絶世の美男子です。しかし、上半身に何も身に付けず横たわり、大きな魚のような下半身をジタバタと動かしている様子は、たとえどんなにイケメンであったとしてもドン引きです。継ぎ目のようなものは全くありませんし、俄かには信じられませんが本物の人魚なのでしょう。
「はぁ……戻ってきてくれてありがとう……どうか、僕の身体を川まで引っ張ってほしいんだ」
「……その……どこを持てば?」
「特に上半身はデリケートだから、腕を持って引っ張ってくれると助かるな」
選択肢としてはマシな方かもしれません。どうも私は小さい頃から生魚が苦手なのです。あのヌルヌルとした触感や、突然ビチビチッと飛び跳ねる動きを生理的に受け付けないみたいで……人魚と鮮魚を同一視するのは失礼なのかもしれませんが。彼の腕をとり、渾身の力を込めて少しずつ川へ向かって引き摺って行きます。
距離としては5メートルほどだったのですが、辿り着く頃にはすっかり全身汗だくになっていました。途中、「あいたっ!」だとか「もう少し優しく!」などと文句を言うのでよっぽどその場に放り出してやろうかと思いました。
「ふぅ……ああ、生き返ったような心地だ……自己紹介が遅れてすまない。僕はパシフィカーナ海底王国の第三王子アラン・クリストフ・フリードリッヒだ!」
尻尾を川の流れに浸して元気を取り戻したのか、胸を張って自己紹介するアラン。なるほど、一国の王子であれば、助けてもらう立場にありながら、やたらと偉そうな態度も頷けます。ただ、今更へりくだるのも何だか癪に障るので、特に反応しませんでした。本来名乗り返すべきなのでしょうが、それも躊躇われました。一応露出狂である疑いは晴れましたが、未だ不審な人魚王子であることには変わりはありませんでしたから。
「実は、先日無性に新鮮な川魚が食べたくなってね。この辺りまで魚狩りに出掛けていたんだが、川が増水した勢いでそのまま陸に打ち上げられてしまったんだ」
確かに、数日前の台風による大雨でこの川も氾濫していたはずです。わざわざそのタイミングに河川に近づかなくても良さそうなものですが、人間の世界でも人魚の世界でも、一定数の変わり者はいるようです。
「さてと……自己紹介に事情の説明も終わったし……それでは、僕の着る服を買ってきてくれないかい? 勿論下着も一緒にね。王子という立場に相応しい、上品なものをよろしく頼む!」
「……は?」
あまりにも厚顔無恥な頼み事に、顔をしかめて不機嫌な返事をしてしまいました。
「そうか、君は知らないのかな? 我々人魚は人間のような姿になることもできるのだよ。だが、抜かりない僕は安易に変身したりしなかったのさ! ……なぜなら、人間界では全裸で歩いているだけで捕まるという世にも不思議な法律があることを把握していたからね!!」
自慢げにニヤニヤと笑みを浮かべるアランのドヤ顔を見て、さらにイラっとします。
「……だから、何で私があなたの洋服を買いに行かなければならないんですか!? というより、このままもう海に戻ればいいじゃないですか!」
「そういえば君の名前を聞いていなかったね! 何て言うんだい?」
「……海原帆波です」
言葉が通じていないのではないかと心配になりましたが、どうやら名乗らなければ話が進みそうにないので、不承不承名前を教えました。
「ほう! 何て素晴らしい名前なんだ! 今日君と僕がここで出会ったのも、ポセイドンの導きによる運命だろう! では帆波、君は浦島太郎の物語を知っているかい?」
「……ええ、まあ……」
唐突な名前の呼び捨てにも、最早そういうものだと諦めるしかないことを悟り、力なく彼の問いに答えます。
「ただの亀を助けただけでも浦島太郎は竜宮城であんな豪華な接待を受けたのだよ? それが海底王国の王子であれば、一体どんなに素晴らしい報酬が待っているんだろうね?」
「……」
正直、かなり心が揺れ動きました。私は早くに両親を亡くして高卒で働き始めました。不景気な世の中、就職先を選ぶ余裕もなく、限りなくブラックな企業に勤め、薄給のために身も心もすり減らす毎日。もしも、昔話のようにお礼として金銀財宝を貰うことができれば……。
「……分かりました。ちょっと待っていてください」
「理解が早くて助かるよ! それじゃあよろしくね!!」
ぶんぶんと笑顔で手を振る彼を背に、重い足取りで近所の格安衣料品店へと向かいました。シャツやジーンズならまだしも、男性物の下着を買うなんて……自意識過剰とは思いながらも、心なしかレジのおばさんがニヤついていたような気がして羞恥心で顔から火が出そうでした。
先程の現場に近づくと、何やら子供達の騒ぎ声が聞こえました。嫌な予感がして駆け出した私の目に、予想のはるか斜め上の光景が飛び込んできました。なんと、あのバカ王子が逃げ惑う子供達に向かって全力で石を投げつけているではありませんか。
「こらぁぁ!! 何してるんですかぁぁ!!」
子供達は、そのまま蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。
「ふぅ……全く、最近の子供達は教育がなってないな! 僕に向かって『コスプレ変態露出野郎!』なんて暴言を吐いてきたんだ。信じられるかい、帆波?」
「信じられないのは、あなたの堪え性のなさですよ!! もし怪我でもさせたらどう責任を取るつもりですか!! ほら、早く変身して着替えて下さい!! 警察でも呼ばれていたら大変です!!」
ポンコツ人魚に背を向け着替えを急かしている間も、パトカーのサイレンの音が聞こえてくるのではないかと冷や冷やしていました。
「おお! さすが、帆波のセンスは光るものがあるね! さぞかし高級なブティックで調達してくれたのだろう! この礼はきっとするからね!」
「いいですから、早く逃げますよ!!」
振り返ると5千円札一枚で揃えた白シャツ、デニム、サンダルをまるでファッションモデルのように見事に着こなしているアランが二本足で立っていました。ほんの一瞬、その姿に見蕩れてしまった私は、自分の他愛なさに腹を立て、彼を引っ張ってその場を去りました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うーん、何とも殺風景な部屋だなあ……人間の女性の部屋というのは、大体こういうものなのかな?」
あああ……私は何故会ったばかりの男性を部屋にあげてしまったのでしょう。まさか人生で初めて我が家に招き入れるのが人魚の王子だなんて、子どもの頃ですら夢にも思いませんでした。河原から離れてしばらくすると、案の定サイレンの音が遠くから聞こえ始めました。面倒ごとに巻き込まれたくなかった私は、動転してそのままここへ……
「とにかく、しばらくしたら出て行ってくださいね! 必ずカギを閉めてポストに入れておいてください! ああ、急がないと遅刻する!!」
「休日も仕事とは、人間というのは難儀だなあ……行ってらっしゃい!」
「……行ってきます」
バタバタと玄関を飛び出す私に掛けられた、久々に聞くその言葉をむずがゆく、少しだけ心地よく感じながら、何となく別れの挨拶に相応しくない言葉を口にしていました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……それで……なぜ、まだいるんですか?」
「あ、おかえり! いやあ、何もお礼をせずに帰るのは忍びないと思ってね。とりあえず部屋の掃除と冷蔵庫にあるもので夕食を作ってみたんだ! これでも料理の腕にはそれなりに自信を持っていてね。パシフィカーナのグルメ王子と呼ばれていたんだよ!!」
仕事で疲れてぐったりしていた私は、反論する気力もなく椅子に座り、テーブルに並べられた料理に口を付けました。
「……おいしい……」
「はははっ!! そうだろう、そうだろう!! ほら、こちらも食べてみてごらん!」
目を輝かせて喜ぶアランに勧められるがまま箸を伸ばし、結局綺麗に完食してしまいました。
「……ごちそうさまでした……あの……今日は、もう遅いので、明日になったらちゃんと帰って下さいね! あと、もし変なことをしたら絶対に許しませんから!!!」
「見損なわないでくれ! 一国の王子がそんな紳士らしからぬ行為をするわけないだろう?」
何だか完全に彼のペースに乗せられている気もしましたが、久々に食べた美味しい手料理や、非日常的な出会いに大分感覚が麻痺していたのだと思います。意外にもリビングのソファーで寝るという条件にも素直に従ってくれました。
翌朝、いい香りがして目が覚めると既に朝食が用意されていました。普段はコンビニの菓子パンかゼリー飲料で済ませていたので、遠慮なくいただきました。昨日と同様のやり取りをして、会社に向かう私。そして、帰宅すると当然のように夕食を作って待っているアラン。なし崩し的に時は過ぎていき……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……さすがに、そろそろ帰るべきじゃないですか? ご両親も心配なさっているでしょうし。というか王子の失踪って王国の一大事じゃありません?」
「まあ、それもそうなんだけど……あっ! そういえば、牛乳が切れてたんだ! ちょっと買ってくるね!!」
既に一ヶ月、実質同棲している私が言うのもどうかと思いましたが、やはりどこかでケジメを付けなければならないと思いアランに尋ねました。結局いつものように誤魔化して逃げられてしまいましたけれど。数分後ノックの音がしたので、忘れ物でもしたのかと思い扉を開けると、そこには大柄な男女の姿がありました。私は二人の正体を直感しました。
「ひょっとして、アラン王子のご両親ですか?」
「ええ、その通りです。よく分かりましたね。お邪魔してもよろしいかしら?」
「……はい……」
私は内心怯えていました。よく考えれば、彼らにとって私は王子を誘拐監禁した犯罪者として扱われてもおかしくないのです。取りあえず気になっていたことを尋ねました。
「……どうしてこの場所がお分かりになったのですか?」
「あの問題児がこれ以上トラブルを起こさないよう、人間界でいう発信機のようなものを付けていたのですよ。ですから、ずっと前からこちらのお宅にアランがお邪魔していることは存じておりました」
問題児? 発信機? ここにいることは知っていた? 頭の中でクエスチョンマークが飛び交って混乱している私に、止めを刺すような一言が二人の口から飛び出しました。
「「アランをよろしくお願いします!!」」
「……はい?」
「……もしかして、アランから追放や変身についてのことを聞いていないのですか?」
驚きで目を丸くした二人の問いかけにかぶりを振りました。それと同時ドアが開き、暢気な声が響きます。
「ただいま~! あれっ! 父上に母上!! 一体どうしたのですか!?」
「「どうしたじゃないだろう、この大馬鹿者!!」」
正座して父親である国王からアランが説教を受けている間に、私は王妃から事情を説明されました。
彼は、ある日のこと人間達の大好物であるマグロを食べてみたいと思い立ったそうです。人魚には不思議な力が備わっていて、彼らの歌には魚を眠らせる効果があるのだとか。そこで、アランはマグロの群れを見つけ、熱唱したのですが……泳ぎを止めると窒息してしまう彼らが眠って無事で済む訳がありません。
結果、300匹のマグロの命を無駄にしないよう、王国全土に届けられることになり、国民達は大喜びしたそうですが、生態系に影響を及ぼしかねない騒動を引き起こしたアランは王位継承権を剥奪され、追放されることになったそうです。
「そして、もう一つ。こちらがより重要な話なのですが……この話をする前に、一つだけ確認をしなければならないことがあります……あなたは、アランのことを愛していますか? これから彼と共に暮らしていくお気持ちがありますか?」
「………………はい」
本人に告白するより先に、彼の母親に想いを打ち明けることになるとは思いませんでしたが、彼女の真剣な問いをはぐらかすことは出来ず、正直に答えました。私の返事を聞いた王妃は、ほっと安堵の表情を浮かべました。
「そうですか……ありがとうございます…………帆波さんは、『人魚姫』の物語をご存知ですか?」
「……ええ、まあ……」
深刻な顔をした王妃につられて、何だか緊張して返事をしました。
「あの話には一部、我々人魚の真実が語られているのです。私達は人間に変身した後、一日以内に元に戻らなければ、そのまま人魚の姿に戻れなくなるのです」
「えっ……そんな……」
思わず眩暈がしてしまいました。気が付くと国王もアランも私のことをじっと見つめています。
「帆波……黙っていて本当にごめん……」
「馬鹿アラン!! 何でそんな大事なことをもっと早く打ち明けてくれなかったのよ!!」
気付けば彼に向かって、私はぼろぼろと涙を流しながら叫んでいました。
「ごめん……僕は君に会った瞬間、すっかり心を奪われてしまったんだ。だから人魚に戻れなくなることなんて一切気にならなかった。だけど、それを君に伝えることは君を縛り付けることに他ならない。だから、どうにかして僕のことを好きになってもらえればと思って……どうしても無理なら、その時は潔く諦めるつもりで……」
「とっぐに好ぎになっでだわよ、ばがぁ!! ちぎん!! ごんじょうなじ!!」
「……良かった……本当に……嬉しいな……」
嗚咽しながらアランの肩に頭を乗せ、彼の腕を叩きながら、あの日買ったシャツが涙と鼻水でぐしゃぐしゃになるまで泣きじゃくりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで~!?」
「それからママとパパは結婚して、可愛い娘にも恵まれ、幸せに仲良く暮らしましたとさ」
そう言って、私は膝の上でキャッキャと笑う静流の頭を撫でました。
実は、驚くべきことに、あれからアランは人魚に戻れるようになったのです。『人魚姫』の物語で、彼女が元に戻るための唯一の方法は、思いを寄せる王子を短剣で貫き、返り血を浴びることだと伝えられていました。彼女は結局それを諦めて短剣を海に捨て、泡に姿を変えてしまいます。
まさか、その記述が、二人が結ばれることを指し示しているだなんて思いませんでした……
アランは人間との友好を築く架け橋の役目を果たした功績に免じて追放を取り消してもらい、今では時々王国に顔を見せに戻っています。私も何度か潜水服を着てお邪魔しました。最近、義父母である国王夫妻は一刻も早く孫の顔が見たくて堪らないようです。
私も人魚と人類の間に産まれた愛しい我が子が、この先どんな物語を紡いでいくのか楽しみでなりません。