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 琴子が言うように他に恋人を作れば、ああいう未来が待っているのだろうか。

 美晴はそんなことを考えてみるが、未来は想像すらできない。


 子どもは嫌いではない。だが、自分が子どもを産んで育てるイメージは湧かない。琴子との未来ならいくらでも思い描けるが、琴子を他の人間で上書きしようとしてもその想像は闇に飲まれてしまう。黒い霧が美晴を覆い、自由も未来もない世界が広がる。


「おねーちゃーん、ボールとってくださーい」


 青空の下、黒雲にさらわれそうになっていた美晴を甲高い声が現実へと引き戻す。のろのろと足元を見れば、空色の大きなボールが転がっていた。

 立ち上がってボールを手に取ると、つやつやした球体は見た目よりも柔らかくて指先が埋まる。


 ここはボール遊び禁止だっけ。


 常識的な行動から外れて平日の散歩を楽しんでいながら、美晴は常識的なことを考える。だが、迷惑を被りそうな人間がいない空間で規則を口に出すほど野暮ではない。


「なげるよー!」


 大きな声をかけてから、ボールを子どもに向かって投げる。


 トン、コロコロ。


 大きな弧を描いたボールが地面に落ち、転がって子どもが拾う。すぐに「ありがとう」と元気な声が聞こえて、ぺこりと頭を下げる姿が見えた。


 明らかに大人とは違う頭身を持つ子どもたちを見ると、可愛いと思う。しかし、それは美晴だけが持つ感情で琴子にはないもののはずだ。


「琴ちゃん、子ども苦手なんだよなあ」


 美晴に起こる出来事は、なにもかもが琴子に繋がっていく。


 琴子は、美晴が小さな子どもだった頃は家に近寄らなかった。おかげで、美晴には今よりも若かった頃の琴子の記憶がほとんどない。数年に一回顔を合わせるくらいのものだったから、幼い美晴にとって琴子は叔母と言うよりも他人でしかなかった。


 登校拒否を理由に琴子と引き合わされたときも、久しぶりに見る叔母は見知らぬ人間に近く、相談するどころかなにを話せば良いのかさっぱりわからなかった。

 だが、印象はすぐに変わった。


 無理をして学校へ行くことはない。

 行きたくなったらいけばいい。


 将来のためだと学校の必要性を説くこともなく、高校生活の素晴らしさについて熱弁を振るうこともない琴子に美晴はすぐに懐いた。そして、随分と救われた。小言ばかりの母親とは違い、美晴の意思を尊重してくれる琴子の側は誰の側よりも居心地が良く、美晴は琴子から離れられなくなった。


 いつ琴子を好きになったのかわからないが、告白をした日はよく覚えている。


 冬になる前、映画を観た帰り。


 それは去年のことで、琴子の運転する車の中で告白をしてやんわりと断られた。それから、何度か告白をして、何度か断られて、それでも美晴は琴子を諦められず今に至る。


 簡単に言えば、優しい琴子は押しに弱かった。

 おかげで、恋人と言って差し支えのない存在として琴子が美晴の隣にいる。


 数年に一回しか会うことがなかったおかげで琴子は叔母と言うよりも年の離れた友だちのようで、血の繋がりを意識したことはほとんどない。


 琴子が子どもだった美晴にこまめに会いに来ていれば、こんなことにはならなかった。美晴は今でもそう思っている。おそらく琴子も同じように思っているだろう。


 太陽が頂点を目指して輝きを増している中、美晴は琴子にメッセージを送る。


 内容はくだらないものだ。

 何故なら、内容はあってもなくても関係がないからだ。琴子から返事をもらうためだけに送るメッセージに内容は関係がない。


 スマートフォンの時計は、高校生が授業を受けている時間を表示していてすぐには返事が来そうにない。


 美晴は、駆け回る子どもたちを見る。

 元気の塊のような子どもたちは休むことを知らない。

 母親らしき女性たちは、お喋りに飽きたのか子どもたちをじっと見ている。


 十分、十五分と過ぎて、でも、返事は来ない。琴子が休み時間に入ったであろう時間をスマートフォンが表示しても、美晴が待っている通知は届かなかった。だが、代わりに母親からメッセージが届いたことを知らせる着信音が鳴る。


 美晴は内容を確認して、スマートフォンをしまう。


 返事は送らない。

 何をしているのとか、元気なのとか。

 そういうメッセージに返事はいらない。既読がつけば、それで生きていることは伝わる。


 七月、七月、七月。

 もうすぐ夏休みがやってくる。


 子どもの頃、学校の先生には休みがたくさんあるように見えて羨ましかった。大きくなったら先生になって、夏休みはたくさん遊ぼうと思っていた。でも、それは幻想に過ぎず、夏休みの先生はそれなりに忙しい。去年の夏休み、琴子は思ったほど家にいなかった。


 美晴は、琴子のことを考えて頭の中から母親を追い出す。


 冷蔵庫に食材はあった。

 買い出しの必要はない。

 洗濯をしたいから、そろそろ帰らなければいけない。


 だが、足は琴子と住む家へは向かなかった。

 美晴はとぼとぼと公園を出て、大通りを歩く。


 時々、母親が疎ましい。

 毎日、血の繋がりが疎ましい。

 母親が母親でなければ、琴子は叔母ではなかった。しかし、叔母でなければ琴子と出会うことはなかったかもしれない。


 世界は平等に不平等だ。

 年の差は超えられなくてもなんとかなるが、血の繋がりは等しく誰もが超えられず、誰がなにをしてもどうにもならない。


 空は青くて、太陽が鬱陶しいほどに輝いている。

 それでも、考えは悪い方へしか向かない。


 頂点を過ぎた太陽の下、お腹が鳴るが美晴は当てもなく歩き続ける。家から遠ざかり、足が疲れてファーストフード店に寄る。ふらふらと店を出て気がつけば、消えてはいるがいかがわしいネオンが目につく街を歩いていた。


 夜になってはいないけれど、年相応の外見をした美晴が歩いていてはいけない中途半端な時間。美晴は唐突に自分を呼び止める声が聞こえて、足を止めかけた。


 なにしてるの?

 学校は?


 質問がいくつも聞こえてきて、しまった、と思う。

 声の主は世間的には正義の味方だが、美晴にとっては悪党よりもたちが悪い。


 立ち止まりたくない。

 駆け出して逃げたい。


 けれど、逃げたら、きっと、九十九パーセント、もしかしたら九十七パーセントくらい、いや九十五パーセントくらいの確率で普段怒らない琴子が怒る。

 だから、美晴は足を止めた。

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