375 ヒエラルキー
「一時の方向、“毒蜘蛛”数体接近中。要警戒」
「了解」
騎士団が戦闘態勢で先導する中、トーマスはアーノルドたちと共に戦馬に跨り、不気味な雲に覆われた王都の街を傷を癒す間もなく走り続ける。
オリビアとユラン、フレッドたちはサンプソンの牽く荷馬車に乗り込み、殿を務める形で追走していた。
一行が向かうのは、フェンネル王国、王都グリュックヘルツの西側に位置する共同墓地。その真横に建つ、元・宮廷魔導士の最高位ノーマン・オデルの屋敷だ。
だが、激走する馬車の周囲は未だに多くの魔物が溢れ、崩壊した建物の瓦礫が散乱している。進む方角には、わずかにだが人影が見えた。
逃げ遅れた住民かと思ったが、めいめい思い思いの武器を持ち、自分たちの街を守ろうと必死に戦っていた。
「サンプソン、左からも来るよ」
《 問題ない。しっかり摑まっていろ 》
そう言うや否や、サンプソンはその強靭な体躯で接近してきた魔物たちを圧倒的な力の差で蹴散らしていく。その衝撃などものともせず、荷馬車は立ち止まることなく走行する。
「みんな、先にあそこを片付けてきてくれる?」
ダレンが示した先に、先程見えた戦う住民たちの姿が。その横を走り抜けようとすると、黒い影たちが横切り、先にいた魔物たちを引き裂いていく。
呆気に取られる住民たちを尻目に、その黒い影はさも当然のように馬車に引き返し、周囲を守るように四方を取り囲んだ。
「みんな、ありがとう。あとは団長さんたちと一緒に、陛下の護衛にまわって」
ダレンが労いの言葉を掛けると、その黒い影たちは返事をするかのように一鳴きし、一斉に騎士団の方へと駆けて行く。
“魔物使い”であるダレンと、陛下を守るように騎士団と並走するダレンの従魔である魔狼たち。そして魔国産の戦闘馬であるサンプソンは、数年離れて過ごしていたブランクも感じさせない見事な連携で、ここに辿り着くまでにも次々と魔物たちをねじ伏せていた。
「ダレン。あの蜘蛛はどうしようか?」
「あぁ、それならこの子たちに任せて」
騎士団が警戒していたアラクネが、数体からいつの間にか大群となって群がっていた。それがこちらを獲物と見なし一斉に襲いかかってくるも、ヴィルヘルムとダレンは動揺すら見せない。
「みんな、お願いね」
そう言いながらダレンが己の後ろ髪を上げると、細長い筒が。そこから数匹の小さな蜜蜂が飛び出してきた。そして偵察するように小さな頭をくるりと回し周囲を見渡した後、カチカチと警戒音を鳴らしながら自分たちに襲いかかろうとしているアラクネたちに向かって飛んでいく。
ここに来るまでに遭遇した魔物たちとは違い、アラクネはたった数滴で獲物を死に追いやる程の猛毒を持つ、ダンジョン内に生息する筈の高ランクの大型の魔物。知能は低いが、獲物だと判断するや否やその肉に食らいつくまで執念深く追いかけてくる何とも厄介な相手だ。
騎士たちも警戒し、ジリジリとその距離を一定に保っている。
しかし、いくら待てどもこちらに攻撃する様子は一向に見られず、荷馬車とその距離がどんどん離れていく。それどころか、一体、また一体と、痙攣しながらブクブクと白い泡を吐き出し始めた。
誰もが仕留めたと一瞬気を緩めたその次の瞬間、状況は一変する。
「なっ……!?」
「陛下をお守りしろっ!!」
その後ろから、アラクネとは比にならない別の魔物が姿を現した。
黒毒紋大蜘蛛。この大型の蜘蛛の魔物は獲物の体内に卵を産み付け、孵化した子蜘蛛たちに生きたままその血肉を内蔵諸共食わせることで知られている。
生きながらにして体内から肉と内臓を食い破られるという想像を絶する激痛に藻掻き苦しみ、その後には骨すら残らないと言われるAランク指定の危険で獰猛な魔物だ。
「……!? 様子が……」
「あれは一体……!?」
バージル陛下を守る為に戦闘態勢に入っていた騎士団とアーノルドだったが、目の前で起きている不可解な状況に困惑している。自分たちを襲おうとしていたアラクネの大群が、一斉にフォニュートリア・ニグリヴェンターに飛び掛かったのだ。
己より小さいとはいえ、アラクネは猛毒を持つ魔物。それが多勢に無勢で襲いかかってくる。
アラクネが吐いた毒なのか、うごうごと蠢く塊のそこかしこからシューと白い煙が立ち上がるのが騎乗しながらでも目視出来た。そして次第にその蠢いていた塊は少なくなり、最終的には共食いを始め、全滅してしまった。
「みんな、助かったよ。ありがとう」
ダレンは戻ってきた蜜蜂たちを労わるように、優しくその頭を指先で撫でる。
“殺人蜂”と呼ばれるこの蜜蜂は、ふわふわとした毛を持つ可愛らしい容姿とは裏腹に、その小さな体には神経を麻痺させる猛毒が蓄えられている。
アラクネたちが一斉にフォニュートリア・ニグリヴェンターに襲いかかったのも、このキラービーの神経毒によるものだ。
蜂は蜘蛛を支配する。捕食寄生のヒエラルキーは変化するものだが、今回はキラービーの毒が上回っていたようだ。
「ダレンさん、凄いわね……!」
「あんな大きな魔物を……」
オリビアとユランはその一部始終を目撃し、感銘の溜息を吐く。
「すごいのは従魔たちですよ」
オリビアとユランの言葉に笑みを浮かべ、従魔であるキラービーを労うダレン。同じ荷馬車に同乗しているフレッドとイーサンも、彼の実力を認めているようだった。
だが、ダレンは御者席に座りながら辺りを見渡すと溜息を漏らした。
「……あぁ、他のがけっこう残ってますね。さすがに蜜蜂たちも毒は使い切っちゃったみたいです」
「小さい体で頑張っていたからなぁ」
騎士団たちが騎乗する戦馬とサンプソンの牽く荷馬車の左右から、先程よりも数は少ないが魔物が現れた。大方、こちらに気付き獲物だと認識したのだろう。
ダレンがヴィルヘルムと二人でそんな会話をしていると、その背後から声が掛かった。
「あれくらいなら、私でも何とかなるかしら」
荷馬車に同乗し、オリビアたちが揺れで外に飛ばされないようにレティと同じ闇属性の触手で固定していた彼女。
「セレス、抑え気味に」
「もちろん」
「軽く、ですよ?」
「ふふ」
オリビアたちが三人の会話を理解できないでいると、セレスがおもむろに立ち上がり、緩やかなウェーブがかかった銀色の髪をたゆたえながら、そっと荷馬車の後方に移動した。その行動に、四人はギョッと目を見開いた。
「皆さん“バフ”というスキルは御存じですか?」
激走する馬車の中、雑音だけを取り除いたかのように、不思議とセレスの澄んだ声が耳元で聞こえる。
「その逆で、“デバフ”というスキルもあるんです」
外の景色は激しく揺れながら次々と流れていくのに、その儚げな姿だけはハッキリと輪郭を保っている。
「念の為だけれど」
「お耳を塞いでおいて」
耳を抑える仕草をしながら、セレスがふわりと微笑んだ。そして我々が耳を塞いだのを確認すると、後ろに向かって大きく息を吸った。
『──────────────…………!!!』
あまりの衝撃に、時が止まる。
耳を塞いでも聞こえてくる、鼓膜を震わせる程の心地良い高音が響き渡った瞬間、後方に見える建物の窓ガラスが飛び散り、その範囲にいた魔物たちの耳から血が噴き出した。
「ふふ。すっきり」
“吟遊詩人”と呼ばれる彼女は、地に伏していく魔物の姿を見てうっそりと微笑んでいた。
たくさんの方に読んで頂けて、とても嬉しいです。
感想、小躍りしてしまいそうなくらいの気持ちで拝見しています……。
いつもありがとうございます。




