373 やさしいあお
「おじぃちゃんの、おにぃさん……、ですか?」
「……そうだよ。これは、信じてはもらえない、かな……?」
きょとんとした表情を浮かべるハルトに、クラウトと名乗った男性は困ったように眉尻を下げる。そしてそっと目線を下げ、石を持ったその指先を意味もなく閉じたり開いたりと緊張している様にも窺えた。
トーマスの兄にしても、その姿は年下にしか見えない。線も細く、弟と言ったほうがまだ信憑性はあるだろう。リュカは二人のその様子を、ただ黙って見守っている。
「……ん~ん。ぼく、しんじます」
「え」
暫しの沈黙の後。自身にかけられた思いがけない言葉に、クラウトはそっと顔を上げる。そして目が合うと、ハルトはにっこりと微笑んだ。
「おにぃさんの、おめめ、おじぃちゃんと、おんなじです!」
「同じ……?」
「はい! とっても、やさしくって、きれいなあおいろ! わらうと、もっと、おんなじです!」
自身でも気付かぬうちに緊張していたのだろう。ハルトの嘘偽りのない無邪気な笑顔でそう言われ、クラウトは安堵した様に肩の力を抜いた。トーマスと同じと言われたその瞳は、深くて優しい青色をしている。
「……でも、どうしてぼく、ここに、いるんですか?」
きょろりと部屋を見渡し、車椅子に座ったクラウトの顔を見つめる。先程までいたのは王宮の庭。そして魔法陣から黒い靄が溢れ出して、白髪の少年が……。
「――っ! ぼく、いかなきゃ……!」
「待って」
思い出した様に慌てて外に出ようとするハルトの手を、クラウトが右手で掴んだ。何かするのかとリュカが一瞬身構えたが、ハルトの両手を広げさせ、その掌に持っていた石をそっと握らせた。突然の事に首を傾げるハルトだったが、クラウトは石を握らせた両手を自身の両手で優しく包み込んだ。
「これは、アルフォード家が代々引き継ぐ魔石だよ」
そう言いながらも、ハルトの目を真剣に見据える。その言葉に、ハルトとリュカは黙ってその石を包んでいる自身の両手をジッと見つめた。
「この魔石の名は〝聖灯石〟。フェンネル王国の始まりに、初代国王とアルフォード家の当主、そして〝賢者〟と言われた人物が一つの魔石を分け、〝友の証〟として持つ事にしたんだ」
「せいとう、せき……。おともだちの、あかし……」
《 すごくたいせつな、ませきなんだね…… 》
クラウトはその言葉にこくりと頷いた。そしてハルトの手を一撫でする。
「本当はね、トーマスにも見せてあげたかった」
「おじぃちゃんに?」
「……あぁ。でも、もう出来そうになくてね」
そう悲しそうに語るクラウトを見て、ハルトとリュカは顔を見合わせる。
「……それでね。これを、この石を。……ハルトくん、君に委ねたい」
「ぼくに、ですか……?」
そして静かにハルトを引き寄せ、その額にこつりと自身の額を合わせる。
「すごく勝手な事だとは分かってる。……でも、私はもうここから動けない。君にしか、頼めないんだ」
合わせた額から、優しく感じる温もり。そして、不思議と掌からもじんわりと温もりが体に広がっていくのをハルトは感じていた。
「この屋敷の外がどうなっているか、もう知っているね?」
「……はい」
「それでも、皆を助けに行くのかい?」
「……はい!」
ハルトはその問いかけに、一際大きく返事をした。その言葉を聞き、クラウトは優し気な眼差しで頷く。そして小さく何かを唱えると、石を包んでいた指の隙間から、溢れんばかりの光が漏れだした。その眩しさに思わず目を瞑るハルトと、それとは対照的にその光を凝視するリュカ。その眩い光の向こう側で、クラウトと目が合った様な気がした。
……暫くすると徐々に光が治まる気配を感じ、ハルトはそっと目を開ける。
「うわぁ……!」
すると、そこには先程までとは違うキラキラと力強く光を放つ聖灯石が。
「これは伯祖父からの贈り物だよ」
「おおおじ……?」
「え~と……、おじいちゃんのお兄さん、という意味だよ。私からしたら、ハルトくんは可愛い弟の、可愛くて大切な孫だからね」
その言葉に、ハルトはまたにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、ございます! くらうと、おおおじさん!」
「――!」
突然の事に、クラウトは面食らった様に目を見開く。そして、くしゃりと顔を歪め、顔を両手で覆い俯いてしまった。その様子を見ていたハルトとリュカは、オロオロと心配そうに俯いたクラウトを覗き込む。
「……あはは! 嬉しくても、涙って出るんだね……!」
今まで知らなかったよ、と言いながら漸く顔を上げたクラウトの瞳からは、未だにポロポロと涙が溢れ頬を伝っている。それに驚いたハルトは、ポケットから取り出したハンカチでクラウトの頬を伝う涙をそっと優しく拭っていく。
「……はぁ。ありがとう」
「もう、だいじょうぶ、ですか?」
《 おはなも、まっかだよ~? 》
「はは。恥ずかしいところを見せてしまったね」
真っ赤になった鼻を啜りながら、クラウトは髪を結っていたリボンをしゅるりと解いた。金色の柔らかく絹糸の様な髪が、ハラハラとその肩に落ちていく。
「これはお呪いだよ。君たちが無事に家族と会える、お呪い」
ハルトが着ていた給仕服のネクタイを解き、代わりに結んだのは己が解いた青いリボン。それを蝶々結びにし、満足そうにうんと一つ頷く。
「とっても素敵だ。……最後に君たちに会えて、本当に良かった」
「くら……」
そう言って微笑んだクラウトの姿を見たのを最後に、ほんの少し瞬きをした次の瞬間、ハルトとリュカは大きな屋敷の前に立っていた。
人の気配がない、大きな大きなお屋敷。門扉の外側では、硝煙が上がり、建物が崩れる音がする。まるで透明な壁を一枚隔てたかの様に、全く違う世界が広がっていた。
《 はると…… 》
「……うん」
ハルトはぎゅっと力強く、手渡された石を握り締めた。深く深呼吸を一つ、二つ。頭が冴え、不思議と心が落ち着いている。
そして屋敷を振り返り、一際大きく声を上げて叫んだ。
「くらうと、おおおじさんっ! また、あいに、きます!」
「こんどは、おじぃちゃんと、みんなと、いっしょにっ!」
そう言うと、屋敷に向かって頭を下げた。そして意を決した様に門扉へと駆け出して行く。
その小さな後ろ姿を、屋敷の窓から見守る影。その手には、先程解いた小さなネクタイが大切そうに握られていた。
『……ごめんね。私の力では、石の欠片を持つ君を引き寄せる事しか出来なかった……』
『トーマスを……。どうか、私の可愛い弟たちを……』
そうしてその日。誰にも気付かれず、密やかに密やかに、三大公爵家の一つが歴史の幕を下ろした。
――どうか君たちに、光の加護を……。