126 薔薇のアーチを潜った先は
「いらっしゃい。待ってたわよ」
ふわりと上品な笑みを浮かべて、アレクさんと僕を出迎えてくれたお婆さん。
「あの、こんにちは……」
オリビアさんやフローラさんたちとはまた違う雰囲気で、僕は少し緊張してしまう。
アレクさんの後ろから窺う様に挨拶をする僕を見て、その人はゆっくりとこちらに歩みを寄せた。
「貴方がユイトくんね? いらっしゃい」
どうやら僕の事を知っているみたい。
アレクさんから聞いたのかも……。
「外は暑かったでしょう? こちらへどうぞ」
「ほら、ユイト。行こう」
「あ、はい……」
外からは豪華な家だなと思っていたけど、一歩家の中に入ると、すごく落ち着いたまるでレコードが流れてくる様なレトロな喫茶店の雰囲気だ。
この場所、結構好きかも……。
席に案内されると、アレクさんが椅子を引いてくれる。
「あ、ありがとうございます」
「あぁ」
こういうのはスッとしてくれるんだ……。
僕もスマートに出来る様になりたいな。
「あの、看板は見当たらなかったんですけど……。ここはお店……、ですか?」
豪華な家に気を取られて、僕が見落としていたのかもしれないけど……。
あの薔薇のアーチは、オリビアさんも気に入ると思うなぁ。
「そうよ。今は一人だからおうちを改築したの。お客様は専ら近所のお友達なんだけれど」
笑顔でそう言うと、お婆さんは奥のキッチンへと向かってしまう。
「あの人、アレクさんのお知り合いなんですか?」
顔を近付けてこっそり訊ねると、頬杖をつきながらボーっとしていたアレクさんは慌てた様子で姿勢を正した。
「あぁ。この前、この村に来た時にな」
「この前? その割には親しそうな……」
あのお婆さんはグレースさんと言う名前で、グレースさんの買い物用の押し車が壊れて困っているところを、アレクさんが代わりに家まで持って行ってあげたらしい。
お礼に、と言われてこのマフィンを貰ったそうだ。
この村に来た時もお店の人たちに一瞬で囲まれてたし、アレクさんは結構人たらしなのかも……。
僕もまだ会って数日なのに、こうやって一緒に出掛けてるし……。
「はい、これどうぞ」
「うわぁ! 美味しそう……!」
そんな事を考えていると、戻ってきたグレースさんが僕とアレクさんの前に、コトリと美味しそうなマフィンとオレンジを絞ったジュースを出してくれた。
「ユイト、これ美味いから気に入ると思う!」
「はい……! 見た目からすでに美味しそうです……! いい匂いですね~! もしかして焼き立てですか?」
テーブルに置かれたマフィンからは、ほんのりと熱を感じられる。
「そうなの。今日はお客様が来ると思って、いっぱい焼いちゃったのよ。気に入ったらあとで包むわね」
「うわぁ! ホントですか!? 家族にも食べてもらいたいです……!」
「あら、ご家族に? 嬉しいわ!」
「このバナナが入ってるやつ、ハルトとユウマも好きだと思うぞ?」
「間違いないですね! あの、もう食べてもいいですか……?」
このバターの美味しそうな匂いの前に、僕は堪らずついつい催促してしまう。
僕がそんな事を言うと思わなかったのか、アレクさんもグレースさんも目を真ん丸にして驚いていた。
「ふふ、召し上がってちょうだい」
「わぁーい! いただきます!」
僕は我慢できずに大きく口を開けて、バナナのマフィンをパクリと一口頬張った。
んん~……!! ほんのりあったかくて、濃厚なバターの香りが口いっぱいに広がる~……!!
「グレースさん、このマフィン、すっごく好きです……!」
バナナのふんわり優しい甘味と、香ばしいナッツの食感がクセになる。
ハルトとユウマは絶対好きだ。この味はもう一つ食べたいな……。
「まぁまぁ……! 嬉しくなっちゃうわ! こっちも食べてみて? おうちの庭で採れたブルーベリーを使ってるの」
「おうちでブルーベリーを!? すごいですね! じゃあこれも、いただきます!」
んん~……!! これもブルーベリーの味が濃くて、甘酸っぱくて美味しい!
僕が夢中になって頬張っていると、何やら視線を感じる……。
口を動かすのを止めて前を見ると、アレクさんがまた頬杖をつきながら僕の事を眺めていた。
「……アレクさん、早く食べないと、僕が全部食べちゃいますよ?」
夢中になっていたのを見られていたと知り、少し恥ずかしい……。
「ん? 美味いならよかった! 遠慮せずに食ってくれ。オレはユイトが美味そうに食べてるから嬉しいよ」
「んっ!? ゲホッゲホッ……!」
「おいおい、大丈夫か? 慌てて食うなよ?」
「う……、ゲホッ……! すみません……」
いきなりそんな事を言うから咽てしまった……。
しかも食いしん坊みたいに思われている気がする……。
だけどグレースさんは、マフィンを頬張る僕を嬉しそうに見てるから今だけは食いしん坊でもいいかな。
美味しいマフィンを三つ食べ、僕のお腹は満足だ。
食いしん坊には程遠いな……。
お皿にあった残りのマフィンは、すでにアレクさんのお腹の中。
オランジュのジュースをコクリと飲むと、口の中がさっぱりとする。
お店の窓から外を眺めると、グレースさんが丹精込めて育てているローゼが一望出来て、思わず溜息が漏れてしまう。
「はぁ……。マフィンもすごく美味しいし、お店の雰囲気も過ごしやすいし、もっと近所にあれば通うのに……」
「そんなに気に入った?」
「アレクさんに連れてきてもらえてよかったです! こんなに素敵なお店があるなんて!」
「そっか。オレも気に入ってもらえてよかった」
照れ臭そうに微笑むアレクさんに釣られたのか、僕まで照れ臭くなってしまう。
こういう時はどうしたらいいのか、分からないんだよな……。
「アレクくん、もうそろそろ時間じゃないかしら? 出なくて大丈夫?」
「あ、ヤバい! ユイト、次に行こう!」
「え? 次?」
このお店で終わりじゃないの?
アレクさんは慌てた様子で僕の手を引く。
「ユイトくん、これ包んだから持って行ってね。こっちはアレクくんと。こっちのはご家族と一緒にどうぞ」
「わぁ! やったぁ~! ありがとうございます! 美味しいから遠慮せずに頂きます!」
ハルトとユウマは絶対気に入るハズだ。
オリビアさんも喜んで食べてくれると思う。
「うふふ、本当に可愛い事言ってくれるわね~! また遊びに来てちょうだいね」
「はい! 絶対来ます!」
「ばぁちゃん、ありがとう! じゃあ行ってくる!」
「いいえ、気を付けて行くのよ?」
「グレースさん! ごちそうさまでした!」
「こちらこそありがとう! またいらしてね!」
グレースさんに手を振り、僕はアレクさんに連れられ次の目的地へ。
……と言っても、ここから先はお店や民家は見当たらない……。
「アレクさん、次はどんなお店ですか?」
「ん? まだ秘密! 着いてからのお楽しみだ!」
アレクさんは振り向いてニカッと笑うと、また僕の手を引いてぐんぐんと緩やかな坂道を上っていく。
「えぇ~? 期待しますよ?」
「たぶん今日は大丈夫! ……なハズだ! 行こう!」
たぶん? ちょっと不安になるけど……。
アレクさんに手を引かれ、しばらく坂道を上ると、やっと丘の頂上に着いた。
「ハァ……、ハァ………」
「……ごめん、ユイト。休憩しながら来ればよかったな……」
僕は長い坂道を上ったせいか、肩で息をしている。
なのにアレクさんはケロッとした顔で、休憩すればよかったな、と僕の心配をしてくれている。
うぅ……、情けない……!
「ハァ……、いえ……。ハァ……、だいじょうぶ、です……! それより、ここ……、ですか……?」
そこには、大きな木とベンチ……。
以外は何もない、ただただ草花の生い茂る野原が広がっていた。




