25.
カンナはメンバーとの会話はチャットのみで、出社時も退社時も挨拶しない。
本の壁から出るときは、いつも顔を見られるのが恥ずかしそうにうつむいて足早に去って行く。
そんな彼女だが、壁の裏側に入ってしまうと一変する。チャットに書き込んでくる言葉がまるで別人だ。
彼女の右隣にいる社員は、気になって一度本の壁の向こうを覗いてみたら、モニターを睨むようにして一心不乱にキーを打ち込む姿が、近寄るなオーラを発していたらしい。
そのキーボードを叩く速さは、筆舌に尽くしがたいものだった。残像が重なって指が二十本に見えたと言う者もいる。
キーを叩く音が鳴り止まぬ唸りに聞こえるので、周りの社員は耳栓をしていた。
設計とコーディングと試験項目抽出まで一人でこなすカンナは、とても人間業とは思えない。しかも、プログラムは1万行から8万行に増え、それをたった一人でやりきったのだ。
それで、誰もが思った。
――彼女の手は、神の手だと。
3ヶ月後、無事に納品を終えた翌日、宅配便の業者が回収できるように荷物をまとめるとすぐ、カンナはうつむきながら挨拶もせず足早に立ち去った。
まさに、風のように。