2.
「先輩。あのお怒りのお客様、怖くないんですか?」
お茶がこぼれなかったことに安堵してゆっくり振り返ったマリアを見て、目は笑ったままのタケルが口を一文字にする。
なんか余計な一言を言われそうだなぁと思ったマリアは、目線をちょっと下げた。
「あんた、まだ経験浅いからわかんないかも知れないけど、顧客の怒号なんか微風よ。エンドユーザの憤怨と比べればね」
「先輩、それ……」
「何よ? 憤怨って噴火した火山の煙じゃないわよ」
「いえ、ネクタイ――曲がってます」
「あら、やだー。直してくれるぅ? 私、この体勢じゃ、無理」
「私もです」
彼女がゆっくりとお盆を持ち上げると、またお茶がユラユラと揺れた。
「じゃあ、持ってくれる?」
「無理です」
「あら、ウエイトレスの経験ないの?」
「ありません」
「ごめんなさーい。両手で8つのビールジョッキ持っていたから出来ると思ったの」
「それ、マリア先輩です。8つは持てるって盛っているという噂ですが」
「居酒屋でバイトとかしてなかった?」
「ですから、それ、マリア先輩です」
「あら、残念」
「期待外れですみません」
「で、どうすんの、これ?」
「お盆ですか?」
「ネクタイ」
「……戻りましょうか? 先輩のが遅れるとおかしいので、私も戻ります」
「悪いわねー。直してくれるの?」
「ご自分でどうぞ」