第84話 災害レベル
町を出るのも国外へ行くのも自由だ。ただし、入国にはそれなりに検査がある。俺がいた世界と比べればガバガバ過ぎるザル加減だが、一部の流通に関しては厳しい事も有る。それは武具や関連製品等を輸送する商人たちなのだが、やっぱり抜け穴があって、わざと戦争をしている国を経由したり、検閲用の隠れ蓑を用意したり、賄賂を贈ったり・・・と、何でもアリだった。
その中で冒険者は優遇されていて、ギルドで冒険者カードを登録していれば特に問題なく通過できる。むろん指名手配されている者や凶悪な魔物を連れている者は入れない。ケルベロスは飼い馴らす者もそれなりに存在して、近付かれるとビビる者も多いが、一部に愛好家もいる。
元から入国を厳しく制限していない国も有り、ハンハルトは特に緩かった。理由としては出入りが激しいからで、特に大きな荷物でもない限り、ギルドでの管理に一任している部分も有るからだ。大きい荷物の殆ど港だからそちらでは管理が厳しく行われている。
―――災害は突然やってくる、予兆なんてないのだ―――
今、その国の上空は巨大な怪物が飛んでいる。体当たりで城の頂点箇所を崩壊させ、逃げ惑う人々を見て笑っている。
幸いな事に国王は港にある城塞に居て怪我は無かった。各ギルドへの緊急事態宣言と、兵士達へ防御を堅める様に指示したが、一見してドラゴンだと判る容姿に多くの兵士が動揺し、恐怖してしまい、国王の命令はなかなか浸透しなかった。国王軍の将軍は混血の普人が6人と獣人が6人。緊急招集に応じて国王の下に集まったが、兵士がなかなか集まらない。手を出さないようにと指示は出しているが、ドラゴンの怖さを知らない冒険者の一部が、手柄を立てようと町の外に集結しつつあるとの報告を受けた時に、半ば諦め加減に呟いた。
「ドラゴン退治に報酬も名誉も与えない。と、強くギルドに伝えよ。」
どうせ勝てない・・・とは言わなかった。将軍達は直ぐに理解して使者をとばす。その後に将軍達と今後の方針を考える。あのドラゴンの目的は何だ?―――
ほぼ同時刻、悲鳴と怒号が響き渡る商店街はパニックになっていた。マギは彼氏とのデートの約束をしたばかりで、今日の午後には港での祭りを楽しむ予定だったが、両親への不安が増加し、逃げ惑う人の波をかき分けながら港へ向かおうとしていた。港で労働に従事しているのは知っていたし、完成した船に乗り込んで漁に出発する準備をしている筈だからだ。だが、思う通りには進めず、気が付けばフレアリスに腕を掴まれていた。
「こっちにきなさい。」
腕力で無理やり引っ張り、すぐ傍の建物に逃げ込む。そこはフレアリスの働いている店だった。客だけではなく、逃げ込んできた町の人々も詰めていて、狭い店内は人がぎっしりだった。
「あれは・・・ドラゴン・・・よね?」
確認するように呟く。普段は不敵な表情を浮かべるフレアリスも、ドラゴンの強さは知っているからこそ運よく見つけたマギを捕まえて小窓から空を凝視している。
乱れた呼吸を整える余裕もないマギは叫んだ。
「両親が港に居るんです!」
「ここに居るよりよっぽど安全じゃない?国の重要人物の殆どが港に居るんだから。」
「えっ・・・あ、そ、そうかもしれないけどっ・・・で、でもっ!」
商店街を歩く人があっという間にいなくなる。逃げ遅れたと思われる人は少なく、ドラゴンは悠々と上空を旋回していた。まさか逃げ惑う人々を眺めて愉しんでいるとは思わない。次に何をするのか・・・恐怖と不安を混ぜた瞳で見つめていた。
一般人に紛れて太郎達を狙おうとしていた暗殺者達も、突然の出来事に驚いていた。雇い主であるキンダースは知っていたが、部下に教えていない。教えていたら街から逃げたかもしれないからだ。雇い主を裏切る事になったとしても自分の命の方が大事だと考えるのは不思議な事ではない。キンダースの雇い主はあのマリアなのだから、信用を失うような事だけは絶対にしたくないのだ。
ドラゴンよりも恐ろしい人なのだと、キンダースは思っている。そして、それは間違いではないのだと、確信もしている。
太郎達がドラゴンの存在に気が付いた時には、城が崩れる寸前だった。轟音が鼓膜を叩くまで時間差が有ったが、建物と建物の間から見える城の頂点部分が吹き飛んでいるのだ。それにしても誰も気が付かなかったとは・・・。
「あのドラゴンは子供ね。」
マナがそう言うのだから子供なのだろうけど、そうだとしてもあんなにデカいのか。スーとポチは身体の震えこそなかったが吃驚した表情でドラゴンを眺めている。上空をぐるぐると旋回し、なにかを待っているようにも見える。
「あれって・・・マナ様を捜しているんですかね?」
「流石に今の状態で直接狙われたら・・・無理ね。」
「とりあえず隠れよう。」
顔を合わせて確認する事もなく、太郎の言葉に従って近くの建物に避難する。そこには既に他の避難者もいて、早く扉を閉めろと怒鳴られた。ケルベロスが入ってきても、ドラゴンの方が恐ろしいので気にならないようだ。
「せっかく港が復活して商売もこれからって時になんて事だ・・・。」
この家の家主だろうか、頭を抱えてブツブツと言っている。身体は小刻みに震えていて、テーブルの上にあった料理は中断されたままの様だ。他にも冒険者のような者、子連れの夫婦、この国の兵士っぽい服装の者もいて、当然の様に文句を言われていた。
「貴様兵士だろ?!」
「そんなこと言われてもな、俺は下っ端だぞ!」
犬獣人の冒険者と狼獣人の兵士との会話だ。見た目だけなら俺より強そうに見えるんだけどな。
太郎は戦闘をするつもりが無かったから、きちんとした防具を装備しておらず、一見はただの旅人だ。それにしても普人ってあんまり見ないな。
「パパー、買い物に行かないのー?」
パパと呼ばれた男は息子と妻を同時に抱きしめている。返事はせず、息子の頭を撫でただけで、視線は窓の外のドラゴンだ。その妻は外を見ることなく震えている。
太郎達は部屋の隅に集まってガラスの無い枠だけの窓から上空を見上げると、ドラゴンが炎の塊を吐き出した。城や貴族の家に激突すると建物を突き破り、数秒後に建物が崩壊し始めたと同時に、大きく空いた穴から炎が飛び出す。その光景に声も出せず見ている者、悲鳴を上げる者、目を塞いで震える者、部屋を意味もなく走り回る者、家を飛び出してどこかへ逃げようとする者、再びパニックになった。
パニックになったのだが・・・。
「なんか・・・あのドラゴン変じゃない?」
意外にも冷静でいられる太郎の疑問だ。エカテリーナは太郎にぴったりくっついて怖がっているから、マナもくっついて来ると思ったら、そうでもなかった。真剣な表情でドラゴンを見ている。
「ドラゴンがこんなに接近してきたのに気が付かなかったなんて・・・。」
悔しそうに呟くマナ。太郎の疑問にはスーが反応した。
「おかしいってどういうことですか?」
「破壊と殺戮を目的としているのならもっと暴れるんじゃないかな?力を誇示しているのはそうなんだろうけど・・・城の周辺ばかり攻撃してないか?」
「言われてみれば・・・港の方やこちらの住宅街や商店街には一つも飛んできませんねー。」
そう言った後に一発だけ炎の塊が町の外へ向かった。あのスラム街の近くの・・・違ったもう少し離れた場所だ。実はそこにはドラゴンと戦おうとする者達が集まり始めていて、数百人規模の団体が居たのだが、たった一発で壊滅していた。地面をえぐるほどの高温によって数百人が一瞬にして死んだのだ。集まろうとしていて遅れた者達は、目の前で燃え上がる炎に腰を抜かして動けなくなった。
太郎達の場所からはその光景が直接見える筈もなく、何故その方向に炎を放ったのか、理由は分からない。
「ギルドの連中が何かしていたのかもしれませんねー。ドラゴンを退治したら英雄とか言うレベルじゃないほど有名になりますしねー。まぁ・・・勇者以外でまともに戦える人がいるとは思えませんけど。」
「・・・やっぱり私を捜してるのかな?」
マナが周囲の者達に聞こえないように小さな声で言った。
「遂にドラゴンが出て来たってわけか。」
「・・・魔女とドラゴンって・・・どっちが強いの?」
「純粋な力で言えばドラゴンが最強なのは変わらないけど・・・あのバカ女は狡賢いからね。」
爆発音と崩壊する音が重なる。地響きがするたびに小さな悲鳴があちこちから聞こえてくる。一般人からすれば火山が噴火する傍に居るような災害レベルだ。ただ、主な被害が城や貴族の区域に集中している。
「あのドラゴンは理解っててやっているのかもしれないな。」
国王と将軍達は、対応に追われた。貴族の屋敷が主人と運命を共にしていくのを黙って見ているわけにはいかず、報告と命令が錯綜し、兵士の出入りが激しくなっている。命令を与えても建物自体が無くなってしまい、救出すべき存在自体が消えてしまっている。
元々は港の有る数少ない国として貿易で財を成していたのだが、その港を失い、船を失い、奴隷商と特産品で何とか持ちこたえていたのだ。港が再開するとして、商人に借金を作ってもすぐに取り返せるとかなりの額を借り入れていた。
「あのドラゴンは嫌がらせで我が国を襲っているのか!」
苛立ちで声にも態度にも怒りが混じる。
「また上空を旋回しています。」
「早く防御の魔法陣を作るのだ・・・これ以上被害を受けては港の再開どころではなくなる。」
「理由は分かりませんが、港や商店街は被害を受けていません。」
「だからこそ急ぐのだ。」
「はっ!」
敬礼して、国王の前から急いで現場へ向かう。むろん指示は出してあるのだから、直接出向く必要は無い。だが、この場に居ても国王の怒鳴り声を聞くだけで耳と頭が痛い。
城までの直通の地下通路が作られていて、普通に走れば数分で到着するところを地面スレスレを飛ぶように移動して、1分足らずで到着した。
「将軍!」
「まだ発動せんのか?」
「訓練でも成功するのに時間が掛かったんです、そんなに直ぐにやれと言われましても。」
「訓練だけして役に立たなかったらもっと意味がないだろうが。」
「こんなものを物の数分でやり遂げたって言うスズキタ一族がおかしいんですよ。」
彼らは魔導兵士で、魔導士達が集まっていたのはスズキタ一族の使っていたと言われる魔法だ。魔力のコントロールが難しく、なかなか均一にならないのだ。それでも苦労の末に組み上げた。その魔法は多くの人の目に留まり、城を覆うように大きな防御魔法が展開された。
それは太郎達からも見えていて、マナが珍しく驚いた。
「あれ・・・組手魔法じゃない。何でスズキタ一族以外が使ってるのかしら?」
「そう言えば図書館に昔の記録があるって言ってたから、逃げ延びた誰かが書き残したんじゃないか?」
「うん。でも、ちょっとバランスが悪いわね。ほら、あそこが弱くなっている。」
マナが言いながら指で示すが、俺には良く分からない。ドラゴンが吐いた炎を見事に防ぎ、あちこちから歓声が上がった。
「・・・今のうちに移動しよう。」
太郎は冷静に行動を開始した。