第70話 商店街
朝。残念な事に雨が降っていた。マナがどんよりとした黒い雲を眺めていて、港では雨にもかかわらず多くの人が見える。壊れていた船にも多くの人が乗り込んでいて、何を修理しているか分からないが、木材が積み込まれてゆく。他にも、小さいが建造中の船も有るようだ。
雨はそれほど強くはないが止む様子はなく、これでは出掛けるのも中止しようかと思ったが、朝食を運んできた宿屋の従業員の話によると、「雨でも商店街は問題ないですよ。」という事だった。
なるほど、ね。
朝食を終えて商店街に向かうまでの通路に屋根が有り、アーケードのようになっている。屋根に使われている布が降り注ぐ雨水をはじいてボツボツと音が鳴る。傘という道具はこの世界にも有るが、使っている人は少ない。どちらかというと合羽の方が主流だ。
雨でもそれなりの人通りが有るのはアーケードだからだろう。通り過ぎる人たちがこちらを見て避けてゆく。
「なんかこういう反応は久しぶりだね。」
「まぁ、気にする必要もないんじゃないですか。」
ポチの頭を撫でてから店が建ち並ぶ通りへ入る。魔王国よりも幅の広いアーケード商店街は、並木も有り、ベンチも有り、噴水も有る。この噴水はどうやって水を吹き出させているのだろう?綺麗な石畳に石造りの建物、窓にはちゃんとガラス窓もある。ガラスって貴重品だったのでは・・・。
朝食を食べ終えたばかりのはずだったが、なにかを調理している匂いが嗅覚を突くと、視線が自然とそちらへ向いてしまう。足も動いていて、気が付くと店の前で何が作られているか眺めていた。
「甘くて良い匂いですねー。」
「パンケーキみたいな匂いだね。」
「ちょっと食べてみたいですねー。」
店の看板には"パンと蜂蜜の店"とかいてある。そう言えば蜂蜜が特産品だったな。値段を見るとそれほど高いと感じない。やはり現地なのでその分安いのだろうか、以前に蜂蜜を買った時は凄く高かったような記憶が有る。
店の人は若くて綺麗な牛獣人だ。なんという爆乳・・・イテテ、なんでスーに抓られたんだろう。
まさかパンを作るのに自分の母乳を使っているのか気になったが流石に訊けない。訊いたら今夜俺が絞られる気がする。うーん。ごめんッテ。
スーとマナの分を買って渡す。ポチは興味を示さなかったので俺も止めておいた。近くのベンチに座って二人がニコニコしながら食べているのを見ると何となく落ち着く。やっぱり平和は良いよね。
そんな時、犬耳をぴくぴくさせながら子供が近づいてきた。ポチに興味津々の様だが、なかなか近づけない。ポチが視線を向けると怖がって逃げてしまった。どこかに母親でもいるのかもしれない。
「こんな時じゃなかったらきっとここは人に溢れてるんだろうね。」
「ですねー。私もハンハルトに来るのは初めてですが、港が有る町は色々と珍しいモノも有るって言いますし。ただ、まだ貿易船が動くまでに何日もかかりそうですけどねー。」
「珍しいモノかぁ・・・。」
周囲を見渡すと、冒険者らしき人も確認できる。武器屋も道具屋も有るし、フーリンさんの店の様な雑貨屋も有る。布屋?なんてものも有った。食料品を売る店は多く、まるで観光地の様にも感じる。鮮魚を売る店は・・・閉店してるようだ。そのアーケードの商店街の中でポチが興味を示したのは、やはりというべきか焼鳥屋だった。店の中からは焼いている匂いがしているし、すでに中で食事をしている人もいるようだ。居酒屋かもしれないな。朝から呑んでるのか昨日からの客なのかは謎だが。
「あ、入っちゃった・・・。」
店内から悲鳴が聞こえてくる。
「あーあ・・・怒られちゃいますかねー?」
「朝飯少なかったし腹減ってたんだろうけど・・・まぁ、仕方ないから入るか。」
店に入ると同時に悲鳴は収まった。
「・・・あれ?」
悲鳴だと思ったのは悲鳴ではなかった。いや、ある意味悲鳴で間違いはないかもしれないのだが、ポチに驚いているのではなく、ポチに抱き付いている女性がいる。
「わー、かわいい!」
「た、太郎、助けてくれ!」
ポチが助けを求めるのって初めてではないけど、とても珍しいので思わず眺めてしまった。
「この子の飼い主なの?」
こちらを向いた女性の頭部には角が有った。つの?ケルベロスを知らないはずもないだろうに、ニコニコとした笑顔で頭を撫でている。ポチ?大人しいというか身体が震えてるぞ。
「ちゃんと人語を喋るなんて躾も行き届いているのね。」
「とりあえず、放してもらえますか?」
女性がこちらを見ただけで周りの空気が変わった気がした。客もいるし、店員もいるようだが、みんなが一斉に見ないフリをしたようにも感じた。
続いて入ってきたスーが俺の腕にいきなりしがみ付いてくると、隣のマナが彼女に指を差した。
「珍しい、鬼人族じゃないの。」
「あー、そういう意味の角なんだ?」
「うん。町にいるだけでケルベロス並みに厄介がられている筈なんだけど、この町じゃフツーに居るのかしら?」
「シードラゴンの所為で帰れなくなったから町外れで大人しくしてたんだけど・・・なにこの子供は?」
マナに人をいきなり指さすのは失礼だと説明してやめさせると、鬼人族の女性はポチを開放して立ち上がった・・・デカい。胸もデカいが身長もデカい。俺より20センチぐらいは高いぞ。
「この子の持ち主でしょ?」
「ペットではなく、仲間です。」
「は?」
「そんな顔されても・・・。」
「ケルベロスを首輪も無しに連れてるって事はあなたそれなりに強いんでしょう?」
「・・・強くは・・・どうなのかな。」
周りを見ると俺とマナ以外は身体が小刻みに震えている。嫌な予感しかしない。
「鬼人族って解ってるんなら話は早いわね。この子頂戴。」
「へ?」
いきなりの事なので戸惑うと、スーが説明してくれた。
「鬼人族はこの大陸ではかなり珍しくて、本来は他の大陸に住んでいるんです。その強さは素手で岩を砕くと言われるほどで・・・ひぃっ。」
スーが途中で喋れなくなったのは彼女からの凄い威圧を感じたからで、しがみ付く力が強くなった。ポチも身体を震わせながら俺の後ろに隠れた。
「・・・あなた、私が怖くないの?」
「そんな怖い顔をされても・・・。」
俺の隣にいる子供も平然としている事に驚きを隠せないようだ。
「へー、この町じゃ勇者が来た時くらいしかまともな相手はいなかったけど、久しぶりに楽しめそうな男ね。あこがれの人を探すつもりで来たけど、何処に居るのか全く分からないし、帰れなくなるし、散々だったけど今日は楽しい日になりそうだわ。」
「嫌な予感しかしない。」
「そう?」
女性はニコニコと笑っているが、明らかに好戦的な雰囲気がプンプンと匂う。勘弁してほしい。
「そうね、ちゃんとお金を払うからこの子を売ってと言ってもダメでしょ?」
「当然ですね。」
「じゃあ勝負しましょう。」
凄く嬉しそうな笑顔だ。
「遠慮します。」
「あー、そうよね。雨降ってるし・・・私も濡れるのは嫌だわ。」
そういう理由じゃないんだけどな。と、思っていたらマナが面倒そうに言った。
「バカ力の鬼人族って勝手に話をすすめるのはなんなの?」
明らかに威圧は俺に向いた。恐いけど震えるほどじゃない。
「おにーさんは子供の躾はしっかりしていないみたいね。」
「誰が子供よ!」
「あんたに決まってるでしょ!舐めた事を言ってると・・・え・・・いや・・・嘘でしょ?」
マナが珍しく怖い顔をしている。元が可愛いんだからそんな顔すんなって。
「なんで・・・こんな子供が。」
マナの頭に手を乗せてやめさせる。不満だだ洩れの表情で俺を睨んだ。怒ってても可愛いのはずるい。
「何やったか知らないけど、変な事すんなよ。」
「頭悪そうだからちょっと脅しただけよ。」
「あんまり目立つのも面倒な事が増えるだろ。」
「わかったわよ、太郎が言うからやめたげる。」
女性は力が抜けたように近くの椅子に腰を掛けた。それでもマナより高い。
「あんたたち何者なのよ。」
「ただの旅人です。」
「そんなはずないでしょ・・・。」
先ほどまでの元気は失っていて、少し疲れた表情をしている。
「鬼人族の威圧に怯まなかったのは勇者ぐらいよ。」
「なに言ってるの、ドラゴンに勝てると思ってるの?」
「いちいちむかつく子供ね。」
その返答を無視してポチの頭を撫でている。やっと落ち着きを取り戻したが、ソワソワしているのは変わらない。
「どうした?」
「恐がられるよりは良いと思ったが、流石にここは居づらいから他の店に行かないか?」
「ポチさんの意見に賛成しますー。」
俺にしがみ付いているスーも震えは止まったが腕からは離れない。
「店の人には悪いけどそうしよっか。ほら、マナも行こう。」
スーも激しく頷いて、マナを連れ出そうとするのだが、そのマナが動かない。
「なんか凄く良い匂いがする。」
カウンターの上にあるコップに飛び付いて中身を見る。
「なにこれ?」
「子供が呑むもんじゃないよ。」
カウンターの近くで様子を見ていただけの男がそう言った。ちゃんと答えてくれたのは鬼人族の女性だったが、やはり面倒そうに言う。
「蜂蜜酒よ。」
「へー蜂蜜、この匂いに覚えが有るわ。確か前に太郎が買ってくれた奴と同じよね?」
「そー言えばそんな事も有ったな。蜂蜜が名産品だったはずだから、他の店でもあるでしょ。」
名残惜しそうにするマナを無理やり引っ張って店の外に出ると、鬼人族の女性が付いてきた。まだ何かあるのかと思うでげんなりする。
「ねぇ、ケルベロスがそんな大人しくに付き従うなんて、やっぱりあんた普通じゃないわよね?」
外は雨音が激しくなっているが、アーケードなので音がうるさい程度で済む。しかし、人の数はさらに減っていて、買い物客など殆どいない。
「わたしはね、強くなって憧れている人に会うつもり。500年前にたった一人で数多のドラゴンと戦ったあの人に。生きているかは分からないんだけど。」
「そんな事俺に言われても。」
「その子供がドラゴンと言ったでしょ。ドラゴンなんてそう簡単に言葉にするようなもんじゃないし、なにかと比べるのにドラゴンを比較にするのもおかしい。」
「何が言いたいのよ。」
「あんた達ドラゴンと知り合いじゃないの?」
彼女は少しずつ寄ってくると、背を縮めてポチの頭を触った。撫でているだけなのにポチの身体が一度だけ痙攣したように動く。
「強い犬って良いよね。私も飼いたかったんだけど怯えちゃってね、ケルベロスぐらい強い犬なら良いと思ったんだけど・・・このケルベロスもまだ小さい方でしょ。」
「犬が好きなんだ?」
「特に強い犬がね。」
良く見ると本当にただの犬好きのようにも見える。ポチが何も抵抗しない事のを良い事に頬擦りまでしているからだ。彼女がポチを見詰めている時の目は妙に優しくなる。
知り合いだと言ったら諦めてくれるのだろうか?
余計な面倒事を抱えるような気がしないでもないが、気になる言葉も有る。
「生きているか分からないドラゴンに会いたいなんて探すのも大変じゃないの?」
「ギルドで調べたから名前はわかるのよ。ずっと探してて、もう500年くらい。たまにすごく強い人がいるって噂を聞くけど、ドラゴンがそんな事に関わる筈もないし、空を飛べるから他の大陸に行っているかもしれないし、あんたみたいな変わり者なら何か知ってるんじゃないかと思ってね。」
俺って変わり者だったのか。そんな風にみられるのか。ちょっとショックを受けたが、知っていると言われれば知っている。あの人がドラゴンなのは秘密だったようなことも言っていたから軽々しく口に出すわけにもいかない。
しかしこのままだと・・・ポチが連れ去られそうだ。
「うーん・・・。」
やっぱり嫌な予感しかしない。




