第58話 砦の大砲
砦が見えるという事は、向こうからもこちらが見えるという事だ。そんなことは分かりきっていたはずなのに、視認できるまで忘れていた事を思い出した。
「魔女は追ってきてない?」
「わたしにはちょっと分からないわ。」
マナが困った表情で言う。代わりに答えたのはグリフォンだ。今は人の姿に成っていて、風魔法で飛べば、砦まで5分と掛からない距離まで近づいている。
「魔女の気配は感じるぞ。かなり遠いからすぐに・・・というか、丸一日は掛かるんじゃないか。」
飛べば・・・という意味で、徒歩なら7倍以上は必要な距離だ。
「そんなに離れてるのに分かるんだ?」
「空を飛んでいる時に魔女がいないかチェックしておいたんだ。どうだ凄いだろう?」
小っちゃい世界樹なんかよりも役に立つアピールをしてくる。悔しそうにしているのはマナだけじゃなくスーもポチもなんとも言えない感じだ。
「砦の方は80~100人くらいかな・・・あんまり弱い奴は感じにくいから分からん。」
「それだけ分かれば十分だよ。てか、警備って言っても通過する人は少ないって話だし、殆ど監視目的なんだろうね。」
「その程度なら俺だけでも蹴散らせる。」
ポチが鼻を鳴らしながら言ったが、それは一般兵士レベルの話で、この過酷な環境の砦で警備しているのだから、そんなに弱いはずがない。
「グリフォンを吹き飛ばす大砲を破壊しないと俺達も吹き飛ばされるんじゃないの?」
「有効範囲は良く分からないが、どこで吹き飛ばされても同じぐらいの位置にいるんだ。」
「・・・どういう事?」
「今いる位置が吹き飛ばされた時に居る位置ぐらいだ。ここからどんなに砦に接近しても、吹き飛ばされるとここまで戻される。」
「ああ、なるほどね。連続で発射されたことはないの?」
「全力で接近したことは有るが・・・連続という感じはしなかったな。魔力を感じるような風ではないし。その辺りは良く分からん。」
「・・・。って、ことは単純に計算しても5分以内にはまた撃たれるって事だよね。」
「まぁ、そうなるな。」
「一回撃ってるところが確認できるといいなあ。何か分かるかもしれないし。」
砦の周囲は森が広がっていて、細い一本の道だけがハンハルトに繋がる事を証明している。その道は砦をくぐらないと進めず、森の中を無理やり抜けるにはちょっと険しすぎた。
「これだけ深い森ですと、霧が出たら怖くて進めないですねー。」
「それいいね。」
スーは発生するかもしれない危険を口にしただけだったが、太郎には一つの案が浮かんだ。ただし、完成させるにはもう一つの条件が必要になる。
「・・・できる?」
「そのくらいなら出来るが、すぐバレるのではないか?」
「バレでも良いよ、成功したらラッキー程度に考えてるし、試す価値はあると思う。」
「・・・わかった。やろう。」
歩いて少しずつ接近する。頑丈そうなレンガ造りの砦は確かに大きいとは思えないが、小さいと言っても昔通っていた小学校の体育館ほどある。この表現は的確ではないと思いつつも、観察を続け、砦に人がいるのが良く分かる距離まで近づくと、慌ただしく動いているのが分かる。一度は発見されたらしいが今は見失っていて、砦の一番高い物見櫓で二人の兵士が周囲を見渡していた。
「いつもならこんな事なかったのにな。」
「あんな図体のデカい奴が消えるなんて・・・。」
その二人に対して下から怒号が飛ぶ。
「おい、まだ見つからんのか?!」
「は、はい。全力で捜索しております。」
見渡した先は広大な森。その景色が少しずつ白く浸食されてゆく。1分、2分と経過すると、砦全体が霧に包まれた。物見櫓に立つ二人はお互いを見て、足元を見る。真っ白で下に居た筈の上司の姿は見えないが歩き回る音だけは聞こえる。
「この霧は久しぶりに酷いな。」
「あぁ、これじゃあグリフォンも空を飛べないだろ。」
少し安心したように言う。それは今まで濃い霧の中でグリフォンの襲撃にあった経験が無いからだ。自分達だってあまり動きたくはない。ホッとして息を抜いた時、目前に現れたのがグリフォンだった。
数メートル先を見ることが困難な状況で、目視できる距離にぼんやりとグリフォンの姿が見え隠れする。霧の濃度の違いによって身体の一部しか見えないが、見間違える筈もない。
「グリフォンだーー!」
当り前のことを大きな声で叫びつつ、警鐘を鳴らす。カンカンと響き渡る鐘の音が兵士達を動かした。方向や距離など確認する必要も無く、砦の約半数の兵士が目視したため、直ぐに砲台を動かし、狙いを定める。運が良かったのか、大砲のほぼ目の前に見えるグリフォンに向かって、発射準備が完了すると、怒号が響いた。
「撃て―!!」
その声は太郎達にも聞こえ、直ぐ真上には大砲がおぼろげに見える。直感的に気が付いた太郎が周りに言った。
「耳を塞いで。」
間に合ったか間に合わないか、ギリギリのタイミングだった。直後に甲高い音が一瞬響くと、身体が吸い込まれるような感覚と、周囲の霧が消え、大砲が放った後にはぽっかりと丸い穴が一本の筋を作り、霧を吹き飛ばしていた。
「アレだ。」
太郎達の目にはっきりと見えた大砲は直径だけで太郎の身長よりも大きく見える。距離にしてわずか数メートル。兵士達はまだ太郎に気が付いていない。なぜなら、放った後に残ったグリフォンの姿にも穴が開いていて、それが幻影であることに気が付くまでのわずかな間、目を奪われていたからだ。
「壊したらすぐ逃げるから、無理しないでね。」
ポチとスーは太郎の目を見ただけですぐに砦に向かってジャンプした。高さとしては3メートル程度なので、魔法に頼らなくても跳べる距離だ。マナをグリフォンに預け、太郎が目指すのは砲台の有る更に倍の高さで、こちらは風魔法が無ければ跳べない。元は普通の人間なのだから、3メートルだって跳べるはずも無いが。
「こんにちわー。侵入者ですよー。」
突然の女性の声に振り返ると、腹部を蹴られた兵士が軽くも無い鎧を身に付けているのに吹き飛ぶ。
「おい、どうした・・・?!」
倒れた兵士の傍に立っていた女性・・・ではなく、唸り声を上げるケルベロスの姿に恐怖心が急上昇した。
「モンスタァァアアガァッ!!」
叫びつつスーの強烈なキックで飛ばされた。壁に激突すると気を失う。
「ポチさんは前回ちゃんと活躍したじゃないですかー。わたしだって太郎さんの役に立ちたいんですよ?」
「鳥を倒しただろ。」
「あんなのは数に入らないんですよー。」
余裕のある会話をしていると、次々と兵士が殺到してくる。砦の外壁を一周するように作られた狭い通路なので、前と後ろしか逃げ道はない。
「お、おい・・・あれ、ケルベロスだぞ・・・。」
剣を抜いて跳びかかろうとした兵士の動きが止まった。
「あれれー、やめちゃうんですかー?」
「ぐっ、猫女の癖にイキがるな!」
そう言ったのは犬獣人の男だったが、ケルベロスを見て腰が引けている。その間にも狭い通路に兵士が殺到し、前も後もゴツイ男の顔でぎっしりだ。
「久しぶりに楽しめそうですねー。」
舌なめずりすると、スーが帯剣を抜いた。それはスズキタ一族の村で見つけた、ダマスカス製のレイピアで、僅かに鳥の血が付着している。肩から肘までをまっすぐに伸ばし、切っ先を兵士に向けると、160cmしかない身長なのだが、異様な威圧の所為でそれ以上の身長の兵士達がたじろぐ。
「誰から来ます?」
「何をやっている、あんな小娘に怯むな!」
「しかし、ケルベロスが・・・。」
「通路が狭いんだから同時に来るわけないだろうが、小娘だけを狙え!」
その説明に納得したかどうかは別として、行けと言われれば行かねばならず、突撃を開始する。後ろにポチが居るので安心して前を向いて戦えるスーは、相手の剣を突くように突き出し、翻弄して遊んでいた。
「殺さないように頼むよ。余計な恨みは買うべきじゃないから。」
それはこの作戦が開始される前に太郎が言った最も重要な事で、時として殺すことも必要なのは重々承知していても、今回に限るとこの発言は正しいし、ポチもスーも納得してくれた。
作戦の第一段階である注目を集めることに成功していて、今はチャンスを窺っている。兵士が3人並んで歩くには狭い通路で、大盾を持った兵士がじわじわと寄ってくるが、一定距離で止まった。最初、前後に盾の壁が作られるとポチの体当たりに押し込まれ、剣で攻撃するとスーが弾き返す。一進一退の攻防を演出しているのだが、ちょっと調子に乗り過ぎた。
「喰らえっ!」
盾の隙間から魔法が飛んでくる。同士討ちになる事を恐れているためにそれほど強力な魔法ではなかったが、数が多い。飛来する魔法は火球、石礫、カマイタチ等々、前後から来るために避けることは出来ず、魔法障壁を作って防いでいるが、これではすぐにマナが尽きてしまう。その光景は下から観察している太郎にも見え、派手な音と光は兵士達の注目を一番集めていただろう。
「砦の大砲を壊したらすぐに逃げるから追いかけてきてね。」
返事も待たずに太郎は直上の大砲に向かってジャンプした。風魔法をこれほど効率よく使えるだけでも太郎は既に優秀な魔法使いになっていた。もちろん、優秀などという遠い昔に捨ててきた感覚を自覚していないが。
スーとポチが戦っている通路よりもさらに高い場所へ一気に飛ぶと、既に袋から取り出している大きなハンマーを両手で握り、大砲の前に着地した。
突然現れた謎の男に反応した兵士は2名。しかし、兵士が叫ぶよりも早く太郎は目の前の大砲を打ち砕いた。
大砲の強度が不明だった太郎は、短時間で壊れないと困るので素直に神さまから貰った道具の一つを遠慮なく使った。しかし、その威力は太郎の予想をはるかに超えていて、一撃で大砲が砕けただけではなく、振り下ろした一撃が大砲の下の土台を突き破り、床を砕き、足元を崩落させ、自重に耐えられなくなった建物自体が崩壊した。
どれだけの月日をかけて造った物でも壊れる時は一瞬だ。
それは太郎が子供の頃にも聞いた事のある、ありふれた言葉だ。どんな歴史も、どんな文明も、どんな国も、一瞬にして。
「おい、世界樹。我につかまれ。」
太郎に頼まれたのだから、素直に従うグリフォンだが、世界樹に対しては命令の一部でしかない。ちょっと気に食わないがそんな事を言っている暇も無く、崩壊がポチとスーの傍まで来ると、轟音が響き始めた。
「派手にやりましたねー。」
「太郎らしくは無いが・・・たまにはいいな。」
兵士達が右往左往する中、流石というべきか風魔法で空を飛ぶのは太郎達だけではない。マナの消費が激しいとはいえ使える者はそれなりに存在していて、特に魔法に長けた者が多いこの国ではそれほど不思議ではない。
ポチとスーが崩れる寸前に宙へ飛ぶと、それを追って飛んでくる兵士が20名ほど。ただ、飛びながら攻撃魔法を使える者となるとかなり限られていて、怒号を飛ばす上官が唯一魔法を放った。
「なんだと?!」
その魔法を防いだのは大砲を砦ごと破壊した男で、部下からその事実を伝えられると表情が怒りに変わる。
「キサマは・・・こんなことしてただで済むとは思うな!」
相手の男は返事をせず、複雑な表情を浮かべたことに意外さを覚えながら、ただの犯罪者やテロリストとは違う事を肌で感じた。それだけに不安と恐怖が浮かぶ。
崩落した砦を眼下に、空中で睨み合いが続くかと思われた瞬間、太郎達は一目散に逃げだした。慌てて追うがあまりにもスピードが速い。追う事の出来ない部下達が諦めて落下していくと、上官で砦の責任者であろう男は悔しさに歯ぎしりしながら徐々に減速し、遠ざかって行く太郎達を見えなくなるまで睨んでいた。