第40話 目論見
その日の夜は、ダンダイルと食事をしている。軍から提供されているのでお金はかからないし宿まで用意してくれた。
その席でのダンダイルの発言は太郎を悩ませた。
「俺がですか?」
「そうだ。私の傍に居てくれるだけでもいい。それと、確認だが・・・。」
食事はどれも美味しいが、手は止まっている。
「人は殺したかね?」
「えっ?!」
「咎めているわけでも犯罪者としたいわけでもない。冒険をすれば誰かと対立する事も有るし、命を狙われる事も有る。だが、同じ人同士での殺し合いを経験していないのなら確かにこのような戦場は辛いかもしれんが、経験としては必ず必要になる。」
今まで何回も言われてきたことだが、改めて言われると悩んでしまう。しかし、その実情の一部でも知っている者達は、太郎の存在を世界樹を託せられる唯一の存在だと、誰に言われたわけでもなくそう思っているのだ。
世界樹様がマナと呼ばれて、しかも普人に嫌われることを恐れ、愛情すら感じ、叱られたら素直に従い、一般的な少女に成ろうと努力しているような感じもする。元々から心は広いし、誰にでも優しいが、言いたいことはズバズバ言うし、我儘を言い始めたらキリも際限もなく、時には他人を困らせる事を楽しんでいるかのような時もあったが、これは太郎だけの影響力なのか、異世界にいた期間が長かったせいなのか、スズキタ一族の成果なのか、解らない事は多い。
「そうなんだけどねー。太郎がどんなに強くなっても勇者のように人を殺しまくるって、想像が出来ないのよね。」
「世界・・・マナ様もそう思うのでしたら教えて上げればよろしいのでは?」
マナとポチはこの状況でも太々しく食事を続けている。どんな時でも変わらないマナを見るとホッとする太郎は、食事を再開した。お腹が減るのは健康な証拠だと思う。
「太郎はね、それでいいの。諦めたって言うよりそれが太郎だって思ったから。強くなると自分の力を誇示したくなる輩っているじゃない。そんな連中とは違うのよ。うちの太郎は。」
何か俺の方が子供扱いされているが、俺から見たマナは時に母性も感じるし、恋人のようにも愛するし、妹のようにも接する。妹はいないので想像に過ぎないが、こんな妹ならいても良いなって思うのは、妹を持った事の無い男の妄想だと分かっているつもりだ。
「でも太郎を連れて行こうとするぐらいだから何か考えが有るんでしょ?」
「太郎君がこの世界の不合理を体感するのに丁度良いと思っただけですよ。理不尽な戦いに身を投じて理不尽に死ぬ。私には守るべきモノが有りますけど、兵士全員が同じモノを守っているわけではないですからね。」
「ダンダイルさんは平和が好きなんですね。」
「はははっ、太郎君は心を映す鏡でも持っているのかな。当然の事だが、平和は良い事だし大切だと思っている。だがすべての人が平和な世界というのはそれこそ人のいない世界になってしまう。そこまで過激な平和主義者ではないが、時には交渉で、必要なら人も殺して。私の存在自体が争いの原因となった時は困ったがね。」
魔女、獣人、魔人、この世界ではみな同じ人だ。魔物と呼称されていても、魔王となっても、人に分類され、その人の中から現れる謎の勇者は、平和のために戦っていた筈だった。それが誰にとっての平和なのか、誰かが誰かの平和を得るために魔王を倒す時代であれば、ダンダイルは生きていないという事だ。そして、僅かな平和をかき乱す者達の代表が魔女であり、不穏分子の代表が勇者たち。勇者の目的が不明確で、魔女達に操られているというのが、証拠のない事実として多くの人に伝わっている。
「あ、魔王を引退した理由ってそういう事だったんですね。」
「そう。正確に言えばそれだけではないが、面倒な事が多すぎたからな。」
ダンダイルは苦みを味わうように笑っている。そして今更ながら思い出したように言った。
「そういえばスーはどうしました?」
「スーなら魔女が現れたって噂を聞いて慌ててフーリンのところへ向かったわ。遅くてもあの子なら明日の夕方には到着してるんじゃないかしら。」
「フーリン様が来る前に決着を付けないと町が焼け野原になってしまいますな。」
「それはそうかも。でも本当に魔女がいたらフーリンが来る前に焼け野原になっちゃわない?」
「魔女がいない事を祈りますか。」
食欲の減退した夕食を終わらせ、指示された宿屋に向かう。本来なら冒険者達で溢れているだろう酒場には誰もいない。夜道で擦れ違うのは兵士ぐらいで、夜襲に備えて武装したままあちこちを歩いている。いつ攻め込まれるのか分からない恐怖と緊張がピリピリと伝わってくる。
何事もなく夜明けを迎えて、再びダンダイルのところへ向かおうとしたとき、轟音と振動が同時に来た。町の人達の姿を見る事もなく、どこから現れたのか魔王軍の兵士たちが一斉に轟音の鳴り響く方向へ向かっている。最前線は戦闘が始まるまで数分もない状態で、敵味方合計で5000人以上が集結していた。この時に限っては増援の有った魔王軍の方が僅かに数で優っているが、緊急呼集で集まった周辺を警備する兵士と、ギルドの公認依頼で集まった統制のとれない冒険者の集まりで、数だけは1000人前後を戦闘に参加させる事が出来たので魔王軍の総勢は3000人近い。
この冒険者集団に指示を与えるのは魔王軍の代理指揮官だが、命令としては攻めるか守るか二つしかない。あまり細かく指示をしても意味が無いのは最初から分かっていて、それでも数的優位を確保したいという積極性の強い消極的な戦略だった。
そんな冒険者達でも活躍する事は有るので、全く期待していない訳でもなく、時には戦闘後に兵士にスカウトする場合もある。
ダンダイルは既に前線に向かっていて、太郎は昨日の約束には間に合わなかったが、これについては仕方がない事だった。ダンダイルの傍に行く前に戦闘は始まっていて、近づく事が出来なかったからだ。
前日に続いて、勇者を中心に突撃してくるのだが、その先頭集団が異様な状態だった。
「あの先頭にいるのモンスターじゃないか?!」
「どうしてモンスターが俺達の戦いに?」
「雇われたか取引したか・・・あのオーガの群れと正面から戦うのはきついぞ。」
投石と砲撃を接近する前から行っているが、魔法障壁によって防がれていて、ほとんど効果が無い。同じ攻撃が何度も通用するとは思っていないが、それにしても効果が薄すぎる。あれは優秀な魔法使いがいると思われるのだが。
「オーガを一人で相手にするな!必ず二人以上で進撃を阻むのだ。」
ダンダイルの指示によってオーガとの肉弾戦が開始された。兵士は集団戦と対人戦の訓練は積んでいるが、モンスターを相手にする戦いは兵士よりも冒険者の方が慣れていて、この時ばかりは冒険者集団に期待する事となってしまった。
混戦と乱戦。最前線はいつの間にか冒険者たちが支えていて、兵士は零れ落ちたモンスターと敵兵を逃がさないようにするぐらいしか役に立っていない。オーガだけで500人以上が確認され、冒険者たちは最初の勢いを保つことは出来なかった。勝てないと思えば命の方が大事だと、すぐに逃げてしまうので、空いた穴は兵士が埋めてゆく。30分、1時間と時間が過ぎると、殆どの冒険者が負傷して戦線を離脱していた。だがこれだけでも期待値以上の働きをしてくれたので十分だった。持続力が無いとはいえ勢いは凄かったので、短時間で半数以上のオーガを戦闘不能にしていたのだから。
「しかし、奴らが魔物を連れてくるとなると次も魔物が来るかもしれんな。敵の正規兵はオーガを先頭にして奥に控えているし、このまま終わるとは思えん。しかし、あれだけのオーガがなぜガーデンブルクの味方をしたのだ?」
ダンダイルがつぶやくように言うと、すぐに別のモンスターが現れた。それも空から。羽虫のような翼だが、身体は昆虫だったり爬虫類だったりと、一致しない。
「合成魔物だと?!ガーデンブルクはそんなものにまで手を出していたのか。」
オーガと戦っていた兵士たちが空から襲い掛かってくる魔物に気付き、一瞬にして混乱した。劣勢になりつつあったオーガの群れが、攻撃が止んで浮足立っているのを見て、好機を逃さず突撃してくる。
「空のモンスターは大砲と石弓を向けろ!」
指示は間違っていなかったが、空からの急襲に対処しきれず、砲兵隊が放った砲弾は僅かだった。兵士を直接狙われては撃つことも出来ず、戦線が崩壊していく。崩れる味方を見てダンダイルは歯ぎしりしつつも、自身の魔法で巨大な火炎を空に放った。
合成魔物の群れは降下することも出来ずに空中で燃え尽きたが、すでに地上の兵士を襲っている大半の魔物には放つ事が出来ない。逃げ遅れた味方ごと燃え尽きてしまう。
「専門の魔法部隊が必要になるとは思わなかったぞ、ガーデンブルクとドーゴルの戦いに魔物が入ってくるとは・・・畜生!」
全軍に後退の指示を与えて、逃げて来る味方を助けつつ、どうにかして反撃する方法を考えたが、魔物の出現が多くの可能性を消滅させていた。そのダンダイルが直接前線に出ようとしたときに、太郎達はそこへ辿り着いた。
「来ない方が良かった感じだな。」
ポチが見たままの感想を言う。まったくもってその通りだと感じたが、マナが前線に突撃しようとするダンダイルの襟首を、伸ばした草で掴んで引き戻した。
「マナ様?!」
「太郎が地上にいる魔物をみんな流すから、空中の変なのをどうにかしてくれる?」
「は?!え、どういう・・・。」
説明を求めたかったが、流すという言葉に気が付いて、指示に従った。周囲にいる兵士を集めて、とにかく魔法を空の敵に撃つように行動で示した。ダンダイルの行動に倣って兵士たちが集まり始め、沢山の火球と岩石の魔法が空に向かって放たれた。それでもすべての兵士が気が付いたわけではなく、大半は逃げ惑い、散り散りに後退してゆく。
マナは地上に生えている僅かな雑草を急成長させて、魔物の進行を一時的に足止めした。逃げ遅れた者達は急に伸びる植物に新たな敵かと絶望しかけたが、敵の進行を止めていると分かれば全力で逃げだした。大砲、石弓、投石器は放置されてしまったが仕方がない。空中の合成魔物の群れは単体なら雑魚同然で、簡単に撃ち落せる。ダンダイルが多少の余裕を感じたので、後ろにいるはずの世界樹の姿を確認しようと振り返ると、そこには驚くほどの巨大な水玉が浮かんでいた。