第353話 勇者ではなく、聖女でもなく、救世主
目が覚めると、空は灰色の雲が広がり、雨が降っていた。
あの村に居ると毎日がほとんど晴天だったので、雨はとても珍しい。
その雨は冷たい風を吹き付け、窓を開いた私に雨を打ち付けてくる。
「寒い・・・。」
うどんさんがいない。
もう三日もいない。
太郎様の子供達もいない。
少し前にドラゴンがやってきて大騒ぎになったのに、今はとても静かだ。
「朝ごはん・・・つくら・・・。」
気が遠くなる。
この町に来てからも毎日料理を作っていたが、昨日は味付けを間違えてしまって、みんなに心配されてしまった。
そして今は・・・。
「元気でないと太郎殿が悲しむだろう。」
優しい声が聞こえ、背後から腕が伸びて窓を閉じる。
昨日から熱を出してしまった私は、今も体がほてっていて、起きているのも辛い気分だ。手を握られ、連れられるとそこには既に食事が置いてあるテーブルが有る。
「これは・・・お粥?」
「あの本に載っていた料理だ。」
「オリビア様が?」
「残念だが私じゃない。作ってあげたかったんだが、ちょっと忙しくてな。」
「まだ、手掛かりが見つからないのですか?」
悲しい表情が似合わない少女に、オリビアは優しい笑顔を向けた。
「逆だ。手掛かりを見付けてな、これから洞窟に突入するらしい。」
「ほ、ほんとですか・・・!」
「ああ、だから安心して、ゆっくりと休んで待つが良い。エカテリーナは働き過ぎだ。太郎殿が戻ってくるまでに元気を取り戻さなくてはな。」
エカテリーナは久しぶりに笑顔を見せたが、涙を流している。
その涙はいつもと少し違う輝きを見せて。
メイリーンは目では直接見えない、土の中に向かって魔力を放出する。吸い込まれるように魔力が流れ込むと、何かが開いたのだろう。
開いたのだと思う。
「壁のまま・・・?」
「この壁、見た目は土に見えるが、かなり硬質だぞ。」
そう言いながら壁をノックするように叩く。
「ちょっと、ばーちゃん本気でやるから。」
マチルダが異様な魔力を感じる。
「逃げなさいっ!」
その叫びにドラゴン以外が蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、マチルダ自身も慌てて退避する。メイリーンは徐々に身体を大きくしていき、完全なドラゴンに成るまでに一分を要したが、それは身体が洞窟よりも大きくならないようにする為の配慮であった。
「ほんものだー!」
なんでこの子達は元気に目を輝かせてるの?
やっぱりあの親にしてこの子達って事かしらね。
「ほら、もうちょっと離れて!」
そう言うと、ちゃんと素直に従って退がってくれる。
天使やエルフの方が遠くに逃げてるのは何か納得できないけど。
ドラゴンの姿になったメイリーンは、壁に向かって灼熱の炎を吐き出し、その高熱で壁が真っ赤に染まっていく。
「なんという炎だ・・・。」
同族のドラゴンも驚いている様子で、それ程の炎でも壁が少し凹んだ様に溶けた程度だ。そこに身体を張ったタックルで壁に激突すると、洞窟が揺れた。
周囲にどよめきが広がると、壁が崩れ、洞窟の一部も崩れた。
崩落によっての被害はなく、今度は素手で掘り始めた。
穴が開くまでの時間、固唾を飲むように見守っていたが、ピタリとその動きが止まる。人の姿に戻ると、青ざめた表情で言った。
「お父様の魔力を感じない・・・!」
それがどれだけ大変な事なのかは、ドラゴン達が慌てる様子で容易に想像できてしまう。後からやってきて事情が呑み込めない者の一人が質問してきた。
「純血のドラゴン達が・・・一体何が?」
太郎は続けて2個目の暗黒球を造ると、疲労でその場に座り込んだ。
「大変?」
「たいへんだよーっと!」
マリナの口調が染ってしまったが、気にする余裕もない。
目の前の人の形をしているだけの存在は、少しずつ形がはっきりとしてゆく。
休憩の為に袋から取り出すのも面倒なので、自分で生成した水を自分で飲む。
・・・?
「なんでそんなに見つめてくるの?」
「見つめているつもりはないけど、そう見えるのならそうなんじゃない?」
「面倒な言い方をするなあ。」
「姿なんて器と同じ、見た目の事だけじゃないの。」
「それはそうなんだけどね。」
愚痴を言っているのか、正直に言っているだけなのか、その考え方自体が誰かからの影響だと思う。負の魔素からでも情報を得る方法が有るのだろうか?
そもそも、負の感情の塊のような存在と言う程でもなく、好奇心に負けて話しかけてきた近所の子供のような感じでもある。
「その指美味しいの?」
「これ?」
自分の指を咥えて直接飲んでいるので、他人から見たら指をしゃぶっているように見えるだろう。咥えるのを止めて水を出しているのを見せる。
「それって・・・神様の魔法よね?」
「神気魔法といわれてるね。」
「ホントに神様じゃないの?」
「そうだよ。」
姿が固定されたのだろうか、男とも女とも言えない中世的な顔立ちで、髪の毛は長く全裸ではあるが子供が持つ人形のように、人として必要なものは一つもない。
「悔しいけど、あんたは神様にしか見えない。そして神様じゃないという。」
「うん?」
「それならあんたがここに来た意味ってなんだ?」
「簡潔に言うと、同じ悲劇を繰り返さない為かな。」
「同じ悲劇?」
「世界は滅亡するってね。」
「・・・。」
急に無言で見つめてくる。
「いろんな感情が入るのもそうなんだけど、その分いろんな知識も入るの。分る?知りたくも無い負の感情に支配される事を・・・。」
太郎ははっきりと答えた。
「分らんね。」
「そんなはっきり言われてもなあ。」
「でも分かってあげたい気持ちって、誰にでもあると思うんだよ。」
「そんなの有るワケないよ。」
「そうだね。」
ビックリした。
何が言いたいのか分からない。
「でもね、そう思いたいと思っているのはホント。」
「ただの希望じゃないの。」
「そうだよ。」
またビックリした。
なんか、すべてを受け止めてくれそうな感じ。
「助けて欲しいって気持ちだって、誰にだって一度くらいは現れるよ。それが多くても自我を保っていられるのなら、俺に敵対心は無いよね。」
「中途半端な奴が一番質が悪いのは確かかな。」
だめ。
なんか、不思議な気持ちになる。
なんで?
「どうしたの?」
こんなに頼れそうな人は初めて。
勇者とか聖女とは違う。
「・・・。」
この安心感は何?!
「・・・お願い・・・助けて・・・。」
自然と出てきた言葉を、受け止めてくれる。
「希望を無くしてないから自我を保っていられたのかな。」
なんで泣いているの。
なんで悲しさが溢れるの。
なんで・・・こいつは抱きしめて・・・。
「なんだ、甘えん坊さんかい?」
抱きしめられてたんじゃない。
自分から抱きついている。
もう離れたくない。
「これが負の感情なんだ。」
なんで、泣いてるの?
自分の為に泣いてるのか?
信じたくない。
信じられない。
信じて貰いたい。
「また負の魔素が湧いてきたね・・・。」
周囲のモヤが濃くなる。
暗闇が支配しているはずなのに、不思議と安心している。
安心して泣いている自分に気が付いて、嬉しくて泣いた。
太郎は力強く、そして優しく、無言で抱きしめた。




