第268話 追ってきた悪意
うどんに宥められて落ち着いている聖女は、まるで母親に抱かれているかのような安心した笑顔で寝ている。
先ほどは突然泣きじゃくった聖女に困惑をしていたが、みんなから「無条件で許してはダメだ。」と、強く念を押されてしまった。
圧力とも言う。
もちろん・・・・・・・・・許すつもりはないが。
「それもそうなんだけど、あの勇者たち邪魔過ぎる。」
「そうね。」
「雄殺しが何人か連れて行ったのじゃが・・・?」
「勇者だから死なないでしょ。」
「ふむ。それもそうじゃな。」
回復はしていないが、死んでもおらず、反抗もしないので、トヒラ達が監視しているだけで済んでいるが、いつ動き出すのか分からないという恐怖は確かにある。
そんな勇者達よりも、この戦いで一番凹んでいるのはポチで、一時的にとはいえ魅了されていた事が悔しいのだ。
マナと俺でたくさん撫でておく。
カラーやケルベロスたちは気が付いたらいなかった。
キラービーは良いんだ、いつも忙しそうだから。
「それにしても、あんなに泣くとはな。」
オリビアが呆れている。
「信じられませんね。」
「勝手な女だな。」
「・・・あなたはさっさと元のトコロに戻ってはどうです?」
トヒラから見ればただの厄介者で、正確に言わなくても敵国の兵士である。同じ場所に居たくはないのだが、ダンダイルや太郎の手前、我慢しているのだ。
グレッグは言われなくてもそうしたいのだが、二人の魔女は太郎達と話をしていて近づける雰囲気ではない。マギの方が気は楽で、遠慮するのを叱りつけたフレアリスが連行したのである。ジェームスとフレアリスに深々と頭を下げて謝罪するも、止められなかった事を逆に謝罪されていた。
「私が言う事ではないですけど、あの人からは悪意が感じられませんでした。」
「・・・どういうことだ?」
「悪い事をしているという自覚が無いという方が正しいかもしれないですけど、知らないはずもないですし。」
「目的を持って行動する根源には、善悪は関係ないという事もある。」
「そうね。」
「善悪が無い・・・?」
「多分、太郎君が悩んで決断できずにいるのも、それが理由じゃないかな。」
「タロウさんは、凄い人ですね。」
「そう・・・ね。」
これからの処理についてはトヒラに任せたい太郎だったが、聖女だけはダンダイルであっても処理できない。捕虜にするのも、処刑するのも、今は太郎の指一つで決められてしまうことに罪悪感を覚えている。
「流石に逃げられない事もありますよ。」
「わらわとて、あんなものを抱えたくはないしのう。」
トヒラとナナハルに断られて、相談相手としてはジェームスにも遠慮されている。もし、ダンダイルがいても「太郎君が決めればいい。」と言うだろうと、付けくわていた。
「ねえ、どんな感じ?」
「大人しいですよ。子供みたいです。」
聖女を腕の中に包んでいるうどんが母親の様に見える。
もう母親で良いんじゃないかな。
似た様な存在みたいだし。
「人なの?」
「どういう意味でしょう?」
「切っても血を出さないなんて人形みたいだしさ。」
「それは私だってそーよ。」
マナとうどんは人型ではあるが人ではない。
亜人でもなく、植物である。
ではこの聖女は一体・・・?
「身体の殆どが魔力で構成されていますがベースは人のようです。抱きしめていると分かりますが、とても穏やかでエッチな気分になります。」
にっこりと微笑むうどんを見て太郎は反応してしまう。
「なーにやってるんですかー!」べしっ
珍しくスーに叩かれた。
タスカル。
「もう少し説明しますと、人としては何か足りないような気がします。まるで分裂したように、人としての何かが薄いんです。」
薄いって何だ・・・足りないんじゃないのか?
「それを魔力で補強してるってことね。」
「そうなります。」
「じゃあシルバやウンダンヌとも違うってことか。」
「それと、私と同じように子供を産めます。」
「え?」
「・・・産めます。」
聞き逃したって意味じゃないんだけど。
決断出来ずに悩んでいると、俄かに周囲が騒がしくなってくる。
「旅人や冒険者がまた暴れ出しています。」
トヒラに報告する兵士は声が大きい。
「無理矢理追いやっただけだからな。オリビア殿、悪いが手伝ってもらえるか?」
「承知した。」
二人が走り出すと部下達が追っていく。監視用に数人だけ待機させ、近くからはあっという間に人がいなくなり、何故かうどんから悲鳴が聞こえた。
「あっびゃひぃぃぃぃ!!」
なんだこの悲鳴・・・?
「よしよし、どうしました?」
「あ、あれが来る・・・。私の魔力吸われちゃう!」
「アレよ!」
マナが指をさした空には、真っ白な雲を破壊しながら進む巨大な物体があった。
「デカいな・・・。」
「ああ、あんなに。」
「猊下、発射準備が整いました。」
「うむ、これから支配する者が誰なのか教えてやろう。」
眼下に見える小さな村の大きな木に、視線を向ける。
この男はずっと無能と言われていた事を知っていて、権力だけの男だと陰口を叩かれている事も知っていた。
だが、これからは違う。
凝視していると自分に向けられている視線に気が付く。
それは命令を待っていると言う意味しかない。
「よし・・・撃て!」
巨大な浮遊物体ゴリテアの全面部分から何かが放たれる。それは雷鳴の様な轟きと、強過ぎる輝きで多くの人が目撃する事となった。
一筋の煌めきは美しさに目を奪われ、目標に向かって一直線に伸びる。
「なにあれ?」
「にげよう!」
「にげれる?」
「むり!」
カラー達の悲鳴が聞こえるが、何も出来ずに怯えるだけだった。
それに抵抗したのは魔女の二人である。
「張れるだけの結界と、物理障壁を展開して!」
「はい!」
マリアとマチルダが、構築する障壁は二人であるにもかかわらず、ナナハルが感心するほどだった。
「たった二人で組手魔法に匹敵する・・・。やはり魔女は恐ろしいの。」
それは一瞬の事だった。
障壁は砕け、四散して、消え去った。
あとに残ったのは、一筋の光である。
「仕方ないわね!」
マナが目の前から消えると、世界樹が光り輝く。光と光が衝突した時、全てを白が包み込む。空も、村も、視界のすべてが白くなった。
太郎達が聖女と戦う少し前の時刻。
「聖女様が旅立たれたとは本当ですか?!」
人々が教会に詰めかけ、詰め寄り、問い詰める。
「聖女様はお休みになられいる。」
との回答を12回繰り返したのち、彼らは教会から姿を消した。そして格下の司祭が現れ、更に同じ事を繰り返した時、街から勇者達も消えている事に気が付いた。
「勇者達は何処へ?!」
「勇者達は我々が呼んだのではない。知りたければ勇者達に聞くと良い。」
街から完全に消えた後なので、聞く事など不可能である。
破壊された街の復興も、下級兵士達が居るだけで、作業は何も進んでいない。専門の大工などは、資材が無ければ何も出来ず、入国して来るのを待っているのだが、その手続きも遅延していた。
元々遅延していただけではなく、今は止まっているのである。
事態は悪化していた。
聖女が消えてから食事の供給も止まり、商人達は街の外で食糧を腐らせ、治してもらえると信じてやってきた病人や怪我人は、何の処置も施される事なく倒れている。
気力に溢れていた者達も次第に俯き始め、聖女が居なかった以前の街よりも活気が失われつつある。
それらの事態を高みの見物していた訳では無く、コルドーは自分自身の事で忙しかった。聖女がどこかへ行ってしまった事と、魔力の吸収が限界に近い事もあって、予てより一部の者にしか知らせていなかった計画を、より多くの者に教えたのである。
それでも一部に例えられる程度ではあったが。
「ゴリテアに住む者を天上人とし、我々がこの世界を統治し、巨悪に怯える事の無い平和な世界を築く。」
それは自分達が特別に選ばれたとして喜ぶ者と、理由も解らず家族を残してここに来た者とで対立が発生したが、疑問に思う者はすぐに堕とされた。
そして二度と戻ってこれない事を悟るのである。
「奴らはこれからの事を考えれば家族のなんて捨てればいいのにな。」
「ここに居れば俺達は無敵だ。誰も攻めてくる事なんて出来ない。」
「地上を這いつくばる蛆虫の、なんと惨めな事か。」
「コルドー猊下は天使のように美しい女性しか乗せなかったそうだぞ。」
「・・・期待して良いのかな?」
その女性の中には既婚者もいるが、当然の様に夫は堕とされている。
最初から計画を知っていた僅かな者達は、更に高待遇を約束された。
もはや何のためにココにいるのか目的を忘れそうなほどの甘い汁に、彼らはコルドーに心から頭を下げた。
なぜなら、コルドーには誰も近付く事が出来なかったからである。
ただし美女を除く。
彼の左右にはローブを着ているがはだけていて、大きな胸を隠すことなく、それでいて美しい女性が並んでいる。一人の笑顔もなく、そして強力な障壁で遮られていて、声は届いても手は届かない。
「ここに居るのは全て聖女である。聖女は君たちを心から癒すであろう。」
そこに聖なる力など必要なかった。
聖なる力だと勝手に思い込むように仕向ければいいだけで、あとは彼らが、部下が手足のように働くだろう。富と権力を独占し、その中から僅かに与えるだけで涙を流して喜ぶような馬鹿しかいない。
それを正しく誤認識させれば、頭脳明晰であろうとも、逆らえないモノはあると信じるだろう。コルドー自身の能力は低いが、人心掌握術には多少の心得があったのかもしれない。
こうして忠誠心と服従し奉仕する精神を上手に育てたのは、5世だけの功績ではなく、初代から続いている理由がそこに在る。
聖女も利用出来ればよかったのだが、勇者達が集まった事による魔力の急激な上昇で、十分に役に立ったとも言える。
あとは処理さえしてしまえば―――
「何が起こっているんだ?!」
膨大な事務処理と報告義務によって時間を忙殺されていたダンダイルだったが、この異変には他の者達でも気が付く程大規模だった。
窓の外は青空が白く染まり、その光が消えると、青過ぎる空が再び現れる。
「急に雲一つなくなるとは・・・。」
「こんな事をしている場合ではないのだが?」
「隣国に説明するのも大事な仕事ですよ。」
一応魔王様には報告済みだが、全ての件が了承済みという訳でもない。現在は会議が行われていて、ダンダイルは報告を文書にまとめて提出しただけで、出席していない。
他の将軍達から苦情を言われるのは解っているのに出席する必要も無いというのがその理由であるが、それなら、なおさら出席するべきとの声もある。
「魔王様の方も理解が追い付かないと嘆いておいでだ、辞められたり逃げられても困るから、しっかりと監視はしておけ。」
と言う裏の事情だけは将軍達に通達されている。こんな面倒な事態の時に魔王に成りたい者など現れるはずもないのだから、しっかりと支えているフリだけでもしなければならず、その事情だけは納得して協力している。
「今日はもう瞬間移動する魔力が・・・。」
トヒラを連れてきて一部に必要な事務処理だけをした後、再びトヒラを村に送っていて、その時は必要だと思っていたが、事態がココまで急変するとは思っていなかった。
流石に一度は双方が引いて落ち着く時間があると考えていたのだ。
「ゴルルー将軍とエクス将軍からの苦情はどう処理します?」
「エクスの方は放置しておいてかまわない。どうせ食糧事情が悪いと言いたいのだろう。しかも説明できない理由でリバウッドから食糧が送られてくる予定だ。」
「説明できない?」
部下の疑問にも説明しない。
何しろその理由もあの村が関わっている。
書簡の事もあり、魔王にだけは説明してあるのだが。
「今回は将軍達が何も出来ないから、不満が出ているにすぎん。」
「それはそうかもしれませんが、事情やら事態が急変しすぎではないですか?」
「変われば変わっただけ報告書が増えるからな。」
窓から見える中庭では妙に騒ぎが大きくなっている。兵士達が走り回っているが何も解決しないのは解っていた。
その時ドアがノックも無しに開かれる。
「おい、どうせお前は事情が分かってるんだろ!」
入って来たのはゴルルーで、会議の途中だが魔王の遣い走りでやって来たのだ。
挨拶なんてない。
「まあ落ち着け。」
「転移魔法が使えるのだろ、魔王様の許可は有るからさっさと行って来い。」
「瞬間、な。」
「どっちでもたいして変わらんわ。」
使えない者にとってはそうだろうが、超スピードで移動するのとワープするのでは全く違うという説明をする気にはなれない。
「許可は有り難いが魔力が足ら・・・用意が良いな?」
目の前には魔力を回復するポーションがコトンと置かれた。
「お前の村だろ。」
「違うが、もしかしてそういう認識になっているのか?」
「あの小僧が村長というには威厳が足りな過ぎる。だが、敵に回したくないのは確かだ。それでなくとも問題が起き続けているのもあの村だ。」
ダンダイルは否定が出来ない。
「訳の分からん古代兵器と聖女、隣国との関係をとりなし、食糧問題も解決させる。あの村はあの規模で国と対等なのだぞ。普通に考えておかしいだろ。」
ポーションを飲み干して一息ついてから応える。
「それが私の村だったら良い事は無いぞ、魔王国を敵に回すほどバカではないからな。だが・・・。」
「な、なんだ?」
「本当に敵に回ったら私では対処できない。それだけだ。それにしても良いポーションだな?」
「あの村で作ったものだ。」
「そうか、じゃなければ持っている筈もないか・・・。」
軽く手をあげて礼をするとダンダイルは退室し、数分後には飛び立った。瞬間移動はその後に使っている。
「あの魔法覚えたいぞ・・・。」
「閣下も教わればよかったではないですか?」
「魔女に頭を下げるなど出来るか?!」
「申し訳ありませんが事務処理仕事が増えたので、手伝っていただけないのでしたら退室していただけませんか?」
邪魔だと言われた事に不快感を示すより、この部署の事務処理が面倒な事を知っていて、そそくさと退室した。
「なんで副官の俺が代筆してるんだろう・・・。」
とても悲しそうな表情で眉間にしわを寄せていた。




