第265話 消失と来訪者
自分の身体を確かめるように準備運動をするマギをファリスが見守っている。女性剣士というのは珍しい訳では無いが、少なくとも勇者と呼ばれるほど強い人に出会った事がない。
「あ、あの・・・。迷惑でなければお相手願えませんか?」
突然の申し出に吃驚はしたが、身体を動かしたい気分だったので、丁度良かったかもしれない。何故か太郎とマナが二人を見守る事となり、魔女とうどんとこの国のトレントが、残りの勇者をベッドに寝かせていた。
マギとファリスの練習試合は、可哀想なくらい非力のファリスに、手加減をしながら自分を指導してくれたジェームスを思い出す事になって、少しの辛さと優しさを噛みしめている。
マチルダは、文様について調べた事は有っても、今回のような事が無ければ発見できなかっただろう。なにしろ、勇者の中には勇者である事を止めたいというモノも少なくなく、これが成功であるのなら、勇者を減らすことができるかもしれない。ただし、完全に無抵抗という、同意を得られないとほぼ不可能な条件になる。
マチルダは頬を撫で、首筋に指を走らせ、服の襟を掴んだ。
そこで動作が止まる。
「脱がさないの?」
顔が赤い。
「無理に脱がさなくてもそのままできるのでは?」
先ほどの処置を見て、服を脱がさなければならないと思い込んでいた所為で、更に顔を赤くした。
グレッグの文様はおでこに有り、今は眠っているような状態だが、目を覚ますと面倒かもしれない。
「処置が終わるまで起こさないようにできる?」
「可能です。」
「それじゃあ・・・お願いするわ~。」
グレッグが目を覚ました時、死んでいるような気分と、失われなかった記憶が、覗き込む顔に対して目を向ける事が出来ない。
「大丈夫よ、怒ってないから。」
ほぼ同時に戻って来たマギは、軽い運動をして、すこし汗をかいていた。
「目が覚めたみたいですね。」
声で分かる。
本当なら初対面なのだが、二人は聖女の力によって意思を持つ事が出来なかった時に、色々と知り合っていた所為もあって、暫く無言が続いた。
「マリア様、済みませんがこの女と二人にしてくれませんか?」
マギと名前で呼ばなかった事が、二人の気まずさを更に高める。
マチルダがおでこをベチンと音が鳴るように叩くと、凄い不満顔で部屋を出ていく。他の者達も一緒に出て行き、小さな部屋にはグレッグとマギの二人になった。
「事情を・・・。」
あまりにも小さい声だったので、聞き逃してしまう。
「はい?」
「・・・事情を説明してもらえるか?」
マギは自分を取り戻してから知った事をすべて話した。
そして、記憶が残っているのも確認して、二人はまた無言になった。
暫くして絞り出すように言う。
「あの事は言ってないよな?」
「恥ずかしくて言えません。」
グレッグは笑った。声を出さずに自重するように笑った。
そして、泣いた。
悲しさと、悔しさが、全身を駆け巡っている。
これで勇者の力が無ければ、捨てられる。
と、そう思ったからだ。
ゆっくりと起き上がり、ボロボロの服を脱ぎ捨てて、用意されていた衣服に着替える。いきなり着替え始めたので、マギは驚いて後ろを向くと、少しだけ開いた扉の先から凄い視線を感じる。
着替えが終わるのを待った方が良いと思って、少し時間を置いてからその視線の人物に応じる。
「・・・入ってもいいですよ?」
凄い勢いで入ってくると、グレッグの両肩を鷲掴みにして、顔を接近させる。
「死のうなんて思わないで。」
マナが後ろからそーっと押そうとしているのを太郎が止めている事すら気が付かない。その真剣な目に応えられず、涙で視界がぼやける。
「今の俺は死んでいるのと同じです。もう、何の役にも立てません。」
声は震えているが言葉はハッキリとしていて、上司と部下という関係性が、報告という形で伝えられているような感じだった。
うどんがそっと二人を抱きしめると、二人は声を出して泣いた。
大声で、泣いた。
二人は、うどんによって感情を爆発させた後、目を合わせられない程の、初々しいカップルに見える。興味はあっても経験の少ないファリスは目を輝かせていて、そのファリスから師匠と呼ばれるようになったマギは、頬を染めていた。
「勇者の力が無くなったのか、試す事が出来ないのは面倒だよなあ。」
「文様はそのまま残ってるからね。」
「それにしても直接触るとか、私達には真似ができないわ~。」
「できるよ!ほら、太郎!」
マナの両手が細かい毛のような根になって、太郎の身体を包み込んだ。
「なんかワサワサしてくすぐったい。」
「トレントの親玉みたいな存在よね~。」
「そんな、世界樹様の方が凄いに決まってるじゃないですか!」
同じ姿をしているが、明らかに腰が低いのでマナじゃないのはすぐ判る。でも、黙って俺にくっ付くのやめてくれないかな。なんで服の中に手を突っ込んでくるの?
毛が消えたと思ったらマナもくっ付いた。
軽いから気にならないし暑苦しくもない。
「お前を見てると少し元気が出るな。」
「この状況で言われても嬉しくないぞ。」
まともな会話がこれが最初で、様子を見る為に今日はここに一泊する事になった。ファリスは彼らを歓待するための席を用意する為に人を呼び集めに行ったのだが、ここでの食事は村と比べられないほど不味い。
彼らを満足させられる程のモノはない。
「鶏を頂いたばかりなのになあ・・・。」
「ゆで卵大好きです!」
「太郎殿ならいつも食べてるだろう。」
実は家畜で一番育てやすいという事で鶏を10羽貰っている。卵も産むので、今は貴重な食材だ。育てる用の卵は別にしてあって、これはファリスが太郎の子供達からしっかりと教わっている。貴重な紙に記してあるので宝物というか、財宝に近い扱いで宝箱にしまってある。
「しかし、それだと我々は太郎殿に助けられてばかりという事に。」
「服も沢山もらってしまったしなあ・・・。」
「差し出すしか・・・。」
太郎は風呂の時に使った布の他にもエルフ達が作った服をたくさん渡しており、トレントに至っては太郎から魔力を貰っていて環境がガラッと変わっている。
そのトレントは今も太郎にぴったりとしていて、マナも対抗してくっ付いているので、いくら軽いと言っても歩きにくい。
「何を差し出すつもりなんですかねー?」
ファリス達が相談している後ろに現れたのはスーで、頭の上にカラーを10匹乗せている。そのカラー達はピーチクパーチクと喋っている。
「ちょっと臭いねー。」
「この葉っぱ食べて良いのー?」
「トレントの実が食べれると聞いて!」
頭の上で喋られるのでうるさい。スーが頭を振って追い出すと、今度は肩に乗った。デュラハーン達は驚いたがファリスは知っている。最近知り合った「小鳥さん」達だからだ。鳥が喋っている事に違和感がないのは、鳥を本でしか見た事が無かったからで、デュラハーン達には好意的に受け入れられた。
「来てくれたんですね。」
「虫がいっぱいいるんですよね?」
どこから湧いたのか不明だが虫は沢山いる。その虫を食べてくれるのなら我が家にも欲しいと、カラーを見詰めている。
「いますよ!」
ファリスが答えると、カラー達は勝手に飛んで行き、近くのトレントの枝にとまって楽しそうに虫を探しはじめた。直ぐに見付けられたらしく、ついばんでいるのを見て会話を戻す。
「食べ物はこちらで用意するので皆さんは気にしないで下さい。」
顔はニコニコしているがどこか怖い。
「何も言わないで出かけて行ったと思ったらこんなところにいるんですからねー。」
置いていかれた事を拗ねている、ジト目のスーだった。
広い場所が城しかなく、雨が降る心配も殆ど無いので、太郎の持つキャンプセットと使っていない木材を並べて椅子とテーブルを作る。
その後は太郎達だけではなく、ちゃんとマチルダとグレッグの分の食事も作り、村でのエカテリーナと比べると質は落ちるが、ファリス達が普段食べるものと比べたら美味しくてたまらない。
そんな料理が山のように出されて、結局ファリス達デュラハーンも集まって宴会のようになっていた。
太郎にお酒をたしなむ趣味は無いので、口に添える程度なのはみんな知っている事だ。そして、提供する以上に受け取りを拒む事が多い。そうでなくとも勝手にお金が増えているので、使い切れない事が多い。
最近はスーに預けたままではなく、一部を持ち歩くようになったが、お金よりも他の道具が袋の中には詰まっていた。
「タロー様は相変わらずですねー。」
そう言って、カラーが太郎の目の前で余っているクルミの木の実をついばんでいる。酒のつまみで用意したが、太郎よりもスーの方が食べるし、マナとうどんは食べ物よりも太郎の水の方を欲しがるので、ぴったりとくっ付いて離れない。袋の中で育った唯一のトレントも太郎に抱き付いているので、食べたのは最初だけだった。
ファリスがデュラハーンを代表して礼を言ったのは、仰々しくするのを嫌うからというスーの助言を得ていたからで、そうでなかったら、村中の女性を集めて一夜限りのハーレムを差し出すつもりであった。
なにしろ、全てにおいて劣っているので、貢ぐモノが無いのだ。
「お前達はここに棲むのか?」
「そうするつもりです。ダメでしたか?」
「良いけど自由に出入りは出来ないぞ。」
「承知してまス。」
カラーが羽を器用に動かして敬礼のポーズをとる。なんか可愛い。
「私はあいつが参加しているのが気に入らないですけどねー。」
「その割にはちゃんと用意してたじゃないか。」
「太郎さん、怒るでしょう?」
笑って応じたのはその通りだからで、敵とか味方とか、考えなくて済むのならその方がいい。いつまでも争っても得るモノなんで無いと太郎は考えている。
「ポチはなんで連れてこなかったんだ?」
「カエルを食べに行ったまま帰ってこなかったんですよー。」
「そろそろやって来たりしてね。」
「まさかー。」
笑っていたらホントに来た。
吃驚しているのは太郎ではなく、ポチの方だ。
「来るのが分かってたんなら早く戻って来てくれ!」
ポチの報告を聞くと、マリア達も食事を中断して立ち上がった。ただし、グレッグとマギをどうするかで、意見が分かれた。
一晩泊るつもりだったのと、勇者の文様の事で頭がいっぱいで失念していたのだ。
「早く戻って来てくれないと村が無くなる。」
すでに被害は出ていて、兵士が数十名負傷している。ナナハル達が中心となって防衛しているので、建物への被害は少ないらしい。
だが、勇者達が空からではなく地上戦を仕掛けてくるため、兵士やエルフ達が直接剣を交える事となった。村には旅人や冒険者が溢れているのでかなりパニックになっているという。
まさか向こうから攻めて来るなどと思いもしなかったから、太郎も魔女の二人も、その行動力に驚かされたのだった。




