第192話 知らない事実
太郎に助けられたのは完全な偶然だった。
家柄とか、特級商とか、地位や名誉に興味はない。
ただし、それらが最も至高で究極なモノだと考える者は確実に存在する。
「夫の所在ですか・・・。」
「隠しても良い事は無いですが?」
トヒラの追求する口調が厳しい。
別室に連れて行かれた母親が心配で余計に食べ物が喉を通らない。
折角の料理も冷めて行く一方だ。
「本当に知りません。それに・・・私はずっと目が見えなかったので。」
「目が見えなかった?盲目を治す薬と言えばかなり高級なはず。なるほど、そういう理由も有ったのですね。」
「夫はかなり無理をして事業を拡大していたのは知っています。ですが、それ以上の事は知りませんし、夫も詳しくは教えてくれませんでした。」
「目が見えなくなってから事業の拡大が始まったのですよね?」
「そ、そうですが・・・。」
「盲目の薬はキラービーの蜂蜜よりは安いですけど、それに近い価値を持つモノですよ?貴族でも入手するのに数年は待つと言われるほどの。」
妻は驚いている。確かに入手困難である事は知っていたが、それをあっさりと出した人がすぐ傍に居るのだ。
「もしかして屋敷が買えてしまうほどの・・・?」
「トーゼンです。そんな高級品を手に入れるのにどれだけ苦労すると思いますか?」
トヒラは至って真面目だ。
今回の件も事件の要因の一つとしているくらいなのだ。
「・・・今は目が見えているんですね?」
「え、えぇ・・・。」
「既に入手しているとなると、かなり無茶をしている事に・・・。」
「えっと、あの、信じてもらえるかわかりませんが、頂いたんです。」
「頂いた・・・そうですかーーーって、信じる訳が無いじゃないですか!」
その声に娘が部屋に飛び込んで行くのを、ダンダイルが微妙な表情で腕を組んで眺めた。
「あのっ!本当ですっ!太郎様に頂いたんですっ!」
「あのですねぇ・・・そう簡単に貰えるモノじゃ・・・太郎・・・様?」
「そうです、そこに居る太郎様です!」
「あーーー・・・。」
トヒラは無駄な汗を流した。腕を組んで微妙な表情になったのは、ダンダイルを常日頃からよく観察しているからだろう。
スーがトヒラとダンダイルの双方を視界におさめて、こっそりと笑った。
「分かりました。信じます、信じます。太郎殿なら仕方ありません。」
「え・・・太郎様って・・・?」
「あの人なら不思議じゃないんです。」
「皆さん、太郎様の事になると変な事を言うんですね?」
「もう良いでしょ。」
そう言ったのはマナで、太郎はトヒラ達を見ないようにして食事をしていた。ポチの口に肉を放り込んだりして、下手な誤魔化し方だ。
「悪い事をした訳ではないので問題は無いのだが。」
ダンダイルもトヒラの傍までやって来て、一人と一匹を放置した。
「太郎君に責任はない。」
「ですが、そうするとあの男は意味の無い事で資産を潰した事になります。」
「それは結果だろう?」
「夫は何をしたんですか?」
ここまで来ると話がややこしくなるというより、隠している事の方が馬鹿らしくなる。トヒラは溜息を吐いて調査結果を説明した。
少々時間が掛かったため、太郎とスーとポチ以外は部屋の中に集まっている。マナは珍しくダンダイルの肩に座っていた。
説明を聞き終えた妻が声を潜めつつも応じる。
「夫が薬を手に入れる為に事業を拡大して、失敗した・・・と。」
「えぇ、元々はどこかの商人から購入する予定だったらしいのですが、それが騙されたらしくて。」
「キンダース商会から手に入れる予定なのは聞いています。」
ダンダイルの眉間のしわが濃くなる。
「キンダースか・・・あそこは色々と面倒な事が多い。ただ、金さえ払えば騙すような事は無い筈だ。」
「それが、ドラゴンの件で幾つかの商品を失ったらしく。」
「あぁ、あの事件はハンハルトも大きなダメージだったみたいだしな。」
「失ったのなら騙した訳でもなかろう。」
「それが、受け取る直前だったモノだから、騙した事と変わらないと騒ぎ立てたようです。」
「それで価格が高騰して、更に入手しにくくなったところで、資金不足に陥ってあの紙を使う事に。」
「取引相手がキンダースだということは分からなかったのか?」
「力不足で済みません。ですが、あの商会は販売に関しては他の商人を仲介する事も多くて、なかなか尻尾が掴めません。何しろ高級品でも有りますから、護衛も必要になりますし、部下に直接やらせるにしても危険が大きいですし。」
「普通は高級であるほど直下の部下を使うモノだと思うんだが。」
「あの商会の手広さは大陸一です。残念ながら魔王国でも資金力では勝てないかもしれません。」
「とんでもない事だな。」
話題が少しずれているようで、妻の立場の女性が訊ねる。
「それで、夫は・・・?」
「貴女の夫は、不正に入手した書類を乱用して、無い土地を売りつけたんですよ。」
「えっ・・・!」
「そのお金で薬を買う為に。」
ゴルギャンの妻はそのまま無言になって俯いた。自分の為に働いて、自分の所為で悪事に手を染め、自分の所為で夫はこれから逮捕されるだろう。
「ちなみに、失明の原因ですが・・・。」
トヒラは目の前の女性の目を強く見つめる。
見詰められた女性は生唾を飲んだ。
「どうやら、商売敵の居る何かのパーティで毒を盛られた事が原因という事も解りました。他にも被害にあった者が幾人か存在するようで、その時毒を盛った犯人は更に別の商人の雇った暗殺者に殺されています。」
驚いて声も出ない母親に、娘が寄り添う。
「トヒラはそんなところまで調べたのか?」
「種明かしをしてしまうと、半分以上は教えて貰った事です。」
「教えて貰った?」
「この空書類を発行した責任者は色々と知っていたみたいです。」
ワザと名前を伏せたのは国の威信にも関わるだろうからなのか、事件の真相になるのでここでは言えないのか、聞いている者で分かるのはダンダイルとフーリンしかいない。
「そんな馬鹿なことをするような人じゃなかったと思うけど?」
「不正に厳しかったのは確かですけど、それだけに自分の不正を隠すのは見事としか言えないでしょうね。」
キツイ皮肉だ。
「ただ、元々は不正ではなく、ただのミスだったらしいですけど、空書類を欲しがる者が意外にも多くて、何人かの商人に売りつけたようです。それが商人同士での裏取引の材料にも使われたようで、特級商達の間では一生表に出る事の無い伝家の宝刀の様な存在だったとの事です。」
「新しいモノも有ったぐらいだから最近も売り付けていたのか。」
「最近と言っても50年くらい前らしいですが。」
「そうなると出回っている枚数も確認したのか?」
「正確な枚数は記録していないので解りませんが500枚ぐらいだと。」
ダンダイルが全て回収するように指示を出すと、トヒラは頷くことなく応じた。
「現在実行中です。」
「特級商だけの闇の商品ってわけね。」
「そんなモノを持っていたなんて・・・。」
「持っている事が犯罪かどうかは我々では判断できないが、使用すれば間違いなく犯罪なのでな、ここで言うのは心苦しいが、もしもあなたの夫が次に現れた時は間違いなく逮捕されるでしょう。」
ダンダイルが言う事で母娘は深く落ち込む。
「でも、根本は解決してないよね?」
「太郎殿には迷惑を掛ける事に成ったままですね。」
「今も村にいるんでしょ?」
「追い返すのも大変な仕事量になりますから・・・。」
「では、我々の仕事はその責任者をどう裁くか相談する事に成るのか。報告はまだだよな?」
「勿論です。」
とは言っているがトヒラはダンダイルの部下ではない。トヒラの立場は将軍なので、ダンダイルの方が少し下なのだが、元魔王をそんな扱いに出来る者は将軍にいない。当然のように現魔王も、ダンダイルには頭が上がらないのだから。
「直接話を持ち込むとややこしくなるからな、リスミルかゾルに相談するとしよう。」
将軍を呼び捨てにするところが元魔王なのだが、気にする者などいない。
「あ、あの・・・。私達はどうすれば・・・?」
その問題はトヒラに解決法が無い。可能なら太郎達に任せておきたいのだが、トヒラではとてもじゃないが言い難い。
「可能であれば大人しくして頂きたいですが・・・。」
「いや、太郎君に任せよう。」
望外の幸運のような事をダンダイルは言った。
「全く関係ない訳でもないし、こちら側の原因は太郎君に有るのだから最後までやってもらおう。トヒラは気にすることなく職務を全うすればいい。」
「はっ!」
もう、完全に投げ出したトヒラだった。
「太郎君、任せて良いかね?」
まだ外にいる太郎が少し大きな声で応える。
「あ、えぇ。良いですよ。」
「太郎が断れるわけないじゃない。」
「ですよねー。」
スーとマナに笑われて、事の重大さが微塵にも感じられない。
「なんだか、私達ここに居るの申し訳ない感じが。」
「いいのよ、それに今日は太郎君がお風呂も用意してくれるから。」
「え、そんな大変なことをしてもらうなんて、申し訳なさ過ぎで・・・。」
「あっちでは太郎さんのお風呂が入れなくて残念がってるでしょうねー。」
「太郎君だからねぇ。」
全く理解できない母娘であった。
トヒラとダンダイルは太郎の用意する風呂に入る事は無く、処理しなければ成らない事も多く、まだまだ激務が続いていて、寝る暇も惜しまなければならない状況ではあるのに、そんな素振りを見せる事無く立ち去っていた。
もちろん、忙しい事は理解していても、そこまで無理に急がなくても良いと思っている太郎は、村にいない分だけ少し無責任になっているかもしれない。
「なんかのんびり出来なかったわね。」
「すみません、私達の所為で。」
「気にし過ぎよ。」
「そう言われましても・・・。」
母親の方は更に控えめで、娘より前に出る事は無い。目が見えない事で更に引っ込むようになってしまったのだろう。
「・・・夫からは、競争相手には笑顔だけ見せれば良いと言われていましたが、この目の所為でそれも出来ず・・・。」
「まぁ、商人の妻って言うと見世物にされる事も多いですからねー。」
「見世物って?」
「マナ様はそういう事に興味なさそうですよねー。」
「知らないわよ。」
「簡単に言えばどれだけ美人を娶ったか自慢する事も有るんですよー。家柄とかも信用に直結しますからねー。」
「わかるけど、あんまり好きな世界じゃないなあ。」
太郎がそう言いながら部屋に入ってきて、今はフーリンの肩に座っているマナを掴んで頭の上に乗せた。
「お風呂行くの?」
「うん。」
「お手伝いします!」
「手伝いって言われてもなあ・・・。」
「いえ、何にもしないのも気が引けますし。」
「掃除は終わってますよー。」
「じゃあする事ないよ。」
「えっ・・・でも、井戸から水を汲むんですよね?」
「見たらわかるから付いてきなさい。」
一緒に来たポチがメリッサの腕を甘噛みして背の上に放り投げた。背に乗せられたメリッサが驚いて毛を掴んだが、ふんわりとした柔らかさに、自然と笑顔になっていく。
母親は驚いただけで何もしていない。椅子から動けずにいるのは、どうして良いのか分からないからだ。娘に任せ過ぎた弊害が現れている。娘がいなくなって一人にされてしまうと、フーリンと二人きりになってしまい、余計な事は一言も喋れなかった。




