第191話 大変な日
午後。
フーリンは再び店を訪れた。
フーリンの家からそれほど遠くないので、今度はスーと二人で来ている。太郎はポチを枕に中庭でマナと昼寝をしているようで、声はかけなかった。
関わってしまった事についてフーリンは何も言わなかったが、関わったのだからしっかりと取り組むという気持ちはある。
「スーさんって、以前に働いてましたよねー?」
「働いてましたよー。今はフーリン様の所には住んでいないんですけどねー。」
「そーなんですかー。」
スーの口調は感染り易いのだろうか、メリッサは母親に注意されるまで語尾を伸ばしていた。
「ところで、私達は何をすれば宜しいのでしょうか?」
「まずはですねー・・・。」
スーは店内を見渡す。
商品が何もないので、余計に汚れが目立つのは仕方がない。
「掃除ですねー。」
母も娘も美人だが、どこかおっとりとしていて、危機感というモノを感じない。掃除と言われても親子で目を合わせて困った表情をしている。
「とりあえず水を汲んできましょうかねー。」
バケツが三個、綺麗だがボロボロの布が数十枚。モップにブラシが人数分ある。
「ひょっとして、私も?」
「フーリン様も掃除しましょうねー。」
「知ってるでしょ?」
「太郎さんに恥かかせるつもりですかー・・・?」
料理洗濯掃除をすべてスーに任せきっていた事も有り、事、家庭的な作業についてはスーの方が完全に上回る。特に最近はやる気も無かったので部屋を埃だらけにしてスーに怒られていた。
「こういう事に関しては厳しいのよね。」
「フーリン様はもっとしっかりしてくださいねー。」
「え、あ、はい。そ、そうね。」
どう見ても主従関係が逆転していて、あまりの出来事に親子が堪えつつも笑ってしまうと、スーもフーリンも釣られて笑う。
「今日は天気も良いですし、ついでに洗濯もしちゃいましょー!」
「何を洗うんですか?」
「あなた達の服です!」
二人分の服を袋から取り出し、着替えるように促す。
小さな袋から二人分の服を出したことについて驚いていたのは母親の方だったが、何も言わないのは控えているからだろうか?
「こんなにしてもらってばかりで申し訳ないです。」
「気にする事ないですよー、ちゃんと働いてもらいますカラねー。」
服を大事に受け取った娘に連れられて母親はスーに一礼してから寝室に入る。
視界から消えた所でフーリンがスーに言った。
「娘の方はとても良いのだけど、あの母親は控えめすぎないかしら?」
「そう言われればあんまり喋りませんねー?」
「特級商の妻と言えば社交界でも・・・?」
控えめな女性は意外にも多い。なぜなら失敗をしたくないからだ。女性のみの懇談会や懇親会など、顔を合わせる機会は多いはずなので、社交性はある筈なのだが。
「夫の方が前に出るタイプだと、静かになるんじゃないですかねー?」
「目が見えていなかったとはいえ、何もしないで子供に任せっきりなんて、ちょっとおかしくない?」
「フーリン様は目が見えていても掃除しませんけどー・・・。」
「ぐっ・・・スーちゃんをそんなふうに育てた覚えは・・・。」
「家事の事なら負けませんよー。」
勝ち誇れる場面が少ないので、こういう時のスーは生き生きとしている。
着替えが済むと大掃除を開始する。
部屋数は少なく、3部屋しかない。
トイレは周囲の住人と共用し、風呂は無く、キッチンと呼べるほど立派なものは無い。公衆浴場は利用するだけのお金が無く、お湯を沸かすだけの小さなかまどは有るが、これで料理をするなんて無理だった。
「棚も窓も作りは良いのですから、ココに商品を並べればフーリン様の店よりも見掛けは良くなりますねー。」
「スーちゃん、さっきから冷たくない?」
「いやー、今日は暑いですねー。」
夏の盛りも近づく陽気で、気候が良いこの国でなければ汗だくになるだろう。
テキパキと母娘に指示を出し、自分もしっかりと掃除をする。フーリンは気に成る母親を眺めている時間の方が長すぎるくらいだが、それでも小一時間で終わったのはスーの功績だ。
「夜は私の家で食べましょう。」
「えっ・・・いいんですか?」
フーリンではなくスーが応じる。
「関わったからしっかりやらないと太郎さんに怒られちゃいますからねー。」
しっかりと他人の所為にするスーだ。
「それに、ココに居ても食べ物も無いでしょう?」
「部屋が綺麗になったのだから、お風呂にも入って、身も心も綺麗にしたら明日の午後には店が開けますよー。」
「そんなに早くですか?!」
「売るモノは有るの。それに、並べる商品も相談したいから、どちらにしても家に来てもらった方が都合が良いのよ。」
母親が自然と深々と頭を下げた。
それは受け入れを示すものだが、言葉は無い。
ただ、丁寧で、丁寧でしかない。
それでも娘はそれに倣い母親の横で同じように頭を下げる。
やはりというか、なんと言うか。
この母親に対して、スーとフーリンの受けた印象は、綺麗なだけのお飾り人形で、そのように振舞うように言われているのだと思った。
そして、そのような場面に多く身を置いていた者という訳だ。
「そんなに頭を下げられても困るし、そういうのは太郎君にね。」
フーリンもまたスーと同じく他人の所為にした。
「で、なんでみんな俺のところに来るの?」
太郎の周りにはいつものマナとポチの他に、スーとフーリンに加えてゴルギャンの母娘と、ダンダイルまでいる。
ダンダイルを見た時の反応は無く、ただの近所のおじさん程度にしか思っていないのならその方が良いと、あえて何も説明しない。何しろダンダイルの服装は貴族らしくも兵士らしくもなく、太郎と変わらない一般的な国民服だ。
本来なら母親が気が付くべきなのだが・・・。
「太郎君、済まないがトヒラの方が何か掴めそうらしくてな、もう少し滞在したいが良いかね?」
「マリアはどうしてます?」
「のんびりしとるよ。」
「まぁ、いてもいなくても良い存在だからなあ・・・。とりあえず一度戻りますけど、基本的にはフーリンさんの家に居ますので。」
「手間かけてすまんな。それにしても今日は中庭とは珍しい。」
テーブルを二つ並べて人数分の椅子を用意し、幾つもの料理が並べてある。どれもとても美味しそうに見えるし、匂いも空腹にはたまらない。
「さあどうぞ。」
フーリンがこの家の主人なのだから、すすめるのもフーリンの役割だ。
勿論この料理を作って用意したのはスーなのだが、料理ならフーリンも出来る。
「天気も良いし、暖かいし、ずっと寝ちゃったなあ。」
太郎は他人の目を気にせず大きな欠伸をする。
「寝ててもお腹は空くもんね。」
「マナに満腹も空腹も、感覚ないだろ。」
「世界樹様だから仕方がない。」
「せかいじゅ・・・さま?」
「ん?この二人は?」
「ダンダイルさんに教えてないの?」
「さっき来たばかりで何も聞いていないが。」
事情を説明するとダンダイルはニヤリと笑ってからこう言った。
「太郎君らしいと言えば太郎君らしいですな。」
「それだけなのですか?」
「太郎君はそういう男です。あなた達は運が良かった思えばいい。」
「見えなくなった眼を治していただいた上に商品の手配どころか今日の食事まで用意していただいて、それなのに運が良いだけで本当によろしいのですか?」
「知らなきゃ何もしないけど、知っている上に何とかできるのなら無視はできないでしょ。」
「太郎君だからな、仕方がない。」
普通なら平然と無視するモノだという事をダンダイルは言いたかったが、言われるまでもなく太郎は分かっている。分かっている上で性格上の問題で無視できないのだ。
「太郎さんは前みたいなことをしなければ良いんですよー。」
それは奴隷を買い取って助けた件だが、内容をここで言う必要はない。
「今の太郎君ならその程度で気にする事は無いわ。以前の太郎君なら止めたけど。」
「実力が伴わない事はするべきじゃないですよね。」
誰も食事に手を付けない中、マナが食べ始めた。もう待てないようだ。
「あっあのっ・・・感謝しか言えませんし、他に何も出来ないのですけど・・・。」
母娘は椅子から立ち上がって再び頭を深く下げた。誰も声を掛けなければいつまでもそのままだろう。
「あんた達、良いから座って食べなさい。」
そう言ったのがマナでなければ顔をあげただろう。
「マナが言う事じゃないだろ。」
「気にしないで食べていいのよ。」
フーリンに言われれば二人は頭をあげる。
「そう言えば、名前を聞いていなかったな。」
「ゴルギャンと申します。」
ダンダイルの記憶にはその名が残っていたようだ。
「あぁ、ゴルギャンと言えば先代が大成功したという有名な商家だな。それまでは細々とやっていたらしいが。」
「へー、大金持ちなんだ?」
会話の間にフーリンが手を示して二人を座らせる。食事は静かに始まったが、マナの食べ方が大胆過ぎて、既に周囲は汚れていた。
「マナ様ー、汚れてますよー。」
スーに布で口の周りを拭かれながらも食べるのはやめない。
それに対してゴルギャンの二人はナイフとフォークは綺麗に操り、口に運ぶ動作も優雅だ。
「金持ちだったという方が正しいが・・・。」
ダンダイルがしばらくしてから言葉を続ける。
「エルマー・ド・ゴルギャンはかなり高齢で、その家督を息子に譲ったというが、二代目は多方面の事業に手を出して失敗したと聞いている。」
夫の父親の名前を出されては黙っている訳にはいかない。
「義父は亡くなりました。」
「そうか、なかなかの商才の持ち主だったと思うが魔王国にとっても惜しい者を亡くしたモノだな。」
特級商を持つ商人は魔王国にも多大な貢献をしているからで、売り上げが大きいという事は多額の税金も納めているのだから、当然の様に惜しまれるだろう。
「義父とはどのようなご関係ですか?」
ダンダイルは少し驚いた。
特級商を持つほどの義父が居るのなら、ダンダイルを知らない筈がない。勿論名前だけは知っていて顔は知らないという可能性は否定しないが。
「何言ってんの、ダンダイルが元魔王なの知らないの?」
マナはサラッと言う。
「え・・・あ、あああ・・・元・・・まっ、魔王様・・・?!」
二人は食べるのをピタリと止め、椅子を蹴るようにして立つと、地面にひれ伏した。中庭なので綺麗に手入れされているとはいえ、土の地面に頭を擦り付けるほどに。
「まことに無礼な言動、申し訳ありません・・・。」
母親は身体を震わせていて、その振動が娘にも伝わる。
「そりゃー、ダンダイルさんだもんな・・・仕方がない。」
「ですよねー。」
「お、おい、太郎君がそれを言うかね?」
「まぁ、たまには言っておかないと。」
そんな中、どうしていいか分からず困っている二人。
助けてもらった理由もはっきりしないうえに、目の前には、目を合わせる事さえ恐れ多い存在である。
「元魔王様が言わないと収まらないんじゃ?」
溜息を吐いたが、このような事は初めてではない。いつもの事というほどでもないが、魔王ではないのに、いちいち恐れられても困る。同じことを繰り返さないとならないのはいささか面倒で、そのような理由もあって、一般人には戻れない。
「二人とも気にしなくて良い。私は既に魔王じゃないし、国の仕事に携わっているが、国民を怯えさせることが仕事ではないのだ。」
「は、はい。ありがとうございます・・・。」
娘の方はそっと顔をあげたが、母親はまだ怯えている。娘に肩を叩かれて、やっと顔をあげた。
「お母様、大丈夫ですよ。」
娘を見て、元魔王を見て、何事も起きていない事に安心したが、今度は腰が抜けて立てない。娘に助けられながら、椅子に座り直して深呼吸する。
「よしよし、ダンダイルは怖いもんね。」
「えっ・・・あ、はぁ・・・。」
マナが寄って行くと、娘の方は笑顔を取り戻し、母親も呼吸を落ち着かせた。
「効果有るんだね。」
「みたいね。」
近寄ってくるマナを見詰めている娘は、その図々しさに違和感を持つ事も無く、さし出された手を握っていた。
「どう?落ち着いた?」
「はい。でも、どうして?」
「太郎でも効果は有るんだけど、やっぱりまだ私の方が効果有るわね。」
「本家には敵わないよ。」
「そういえば、この子の事を世界樹様って、どういう事でしょうか?」
「それは私が世界樹だからよ。」
母も娘もその言葉の意味を理解できなかった。
世界樹と言えば燃やされた事件を誰でも知っている事だが、その名前を聞いたからと言って、正しく伝わる事の方が異常なのだ。
「って、その前になんか来たわね。」
「フーリン様、済みませんが少し席を外します。」
元魔王が気を使う相手がココには二人もいる。そうでなくとも対等に会話をするこの男の人も謎だが、大きな犬も居るし、使用人かと思った女性はそうでもないような関係で、ここに居る自分二人以外の関係性が全く分からない。
ダンダイルが席を立つと、中庭の隅に移動する。スッと現れた黒い影が見えたが、どうやら女性のようだ。チラッと見ただけで、視線を外す。
「気にしないで食べて良いわよ。」
「申し訳ないのですが、気にする事が多過ぎて、ちょっと食欲が・・・。」
娘のメリッサが頑張ってスープを口に運んだが、飲み込むのでやっとのようで、母親のミューもスープを口に運ぼうとした時に、少し大きな声が聞こえた。
「ゴルギャンが?」
ダンダイルの声が大きく、太郎の耳にも届いた。
そのあとの声は小さくなったが、しばらく話が続いた後、陰から現れたのはトヒラで、母娘の方に歩調を速めて近寄る。
「ミュー・ド・ゴルギャンで間違いないですね?」
こんな時のトヒラは確かに軍人っぽく、違和感と威圧感が妙にブレンドされていて、一般人には辛いだろう。
「は、はい。そうですが・・・。」
「少しお話させていただきますので、こちらに。」
拒否権は無く、何の事情も分からないまま、母娘には突然の出来事が何度もやってくる大変な日となった。




