第190話 関わり
翌朝の太郎達は朝食も終えていて、清々しいほどの青空に散歩をする事にした。もちろん散歩の理由は昨日の店だ。太郎達はいつでも村に帰れるので、焦る必要も無いし、ダンダイルの用事が終われば一緒に村に帰る予定なので、その時間まで暇なのである。
村ではいつも通りの生活が始まっているだろうが、太郎が村を離れた理由はソコにも有った。
「俺が何日もいなくなったら村で問題が起こるようだったらどこにも行けないからね。旅行とは言わないけどたまには村を忘れて遊びたい。」
思い出して慌てて付け加える。
「子供達も一緒に行けるぐらいにならないとな。」
そして、今回は別の子供である。マナは店の前に到着すると、ポチの背中から降りて戸を開いた。入店を知らせる鐘の音はしない。
「あ、何の御用ですか?」
声は家の中からではなく、外からだった。少女は水の入った樽を必死で運んでいる途中だった。
「あんたに売るモノを提供しようかってね。」
「売るモノですか?申し訳ないですけど引き取るお金は無いです。」
「そーじゃなくて、代わりに売ってもらうのよ。」
「代わり?」
今日はスーが部屋の片付けに追われていて、代わりにフーリンが居る。フーリンは一人だと部屋を汚すのでスーは大変だ。
「うちのお店では売り切れないモノをここで扱ってもらうのよ。」
「あ、アナタ様はあの先にあるお店のフーリンさんですね。初めまして、メリッサと言います。」
「あら、意外としっかりした娘ね。」
「挨拶は大切ですから。」
ちゃんとした家で育っているのなら言えるセリフだと、フーリンは思う。
しかし、教育がしっかりしている子がこんな古ぼけた家で道具屋をやっている事の方が不思議だった。
「ちょっと売り子が居なくて商売が上手くいかないから、代わりに売ってくれる人を探しててね。」
半分は事実だ。
スーがいなくなってからあの雑貨屋はほとんど機能していない。商品の仕入れ先には困らないが商品を並べても店主にやる気が無いのだ。
「あなたみたいなしっかりした娘ならお願いしたいくらいだけど、話だけでもきいてみない?」
何かの変な勧誘業者みたいな台詞に聞こえなくもない。
「何をしてるの?」
今度は家の中から声が聞こえる。
「母親かな?」
「そうです。」
暫くしても何も起きない。
「放っておいていいの?」
「あ、はい。少しお待ちください。」
少女は家の中に入り、カウンター奥の扉の中へ入って行った。コソコソと何か小声で話しているようだが、太郎達にはシルバが居るので全部筒抜けである。
そうでなくても、太郎以外は中の会話が聞こえていた。
「お母様、今来客があって、代わりに売り子をやらないかって。」
「そ、そう・・・どんな人なの?」
「ここの近くでお店をやっているフーリンさんです。」
「一体どういう理由で?」
「それはわかりませんけど、お店に売るモノが・・・ううん、何でもないです。」
母娘が会話している、その間に太郎が水の入った樽を店内に置いた。
ただの井戸水で、少し臭いがする。
「これなんか汚いな。」
「太郎君が良い水過ぎるだけなのよ。」
その言い方はどうかと思うが否定もしない。
太郎が水を入れ替えるのは簡単に終わるので、バレないうちに変えておいた。
「その水だけでもお金払っても良いくらいなのよ。」
「え、あ、うーん。」
再び母娘の会話に耳を傾ける。
「話だけでも聞いてみないかって言われたので、ちょっと聞いてみようと思います。」
「そう・・・いつもやってくる男の人ではないのなら良いわよ。」
あの男の人は二人に食べ物を運んできて集金をする男なのだが、母親は少し気に入らない部分が有る。
それは、食べ物の質がどんどん落ちているからで、今朝はパンと水しか口にしていない。娘に食べ物を高く売りつけている悪徳業者ではないかと思っているが、本当はお金がなくて買えないだけという事実を知らないので、仕方がないのだった。こんな妙な病気でなければ、代金も、食べ物も、子供相手に騙してくるような男に頼る必要も無い。
「お金が無いって知らないんだ?」
「そーみたいね。」
「ポチを見てもあんまり驚かなかったよね?」
「気にしている余裕も無さそうだったぞ。」
「そっか、そっちか。」
少女が戻って来ると、太郎達は既に店の中に居て、もちろんポチもそこにはいた。
「あっ、お待たせいたしました・・・。」
少女が今気が付いたかのようにポチを見る。
「大きいのに、よく店の中に入れましたね。」
「驚かないんだ?」
「以前にも大きな犬が家に居ましたから・・・。」
ポチが少女に近づいても、ニコニコとしている。むしろ、少し嬉しそうだ。
「触っても良いですか?」
「いいよ。」
少女がポチの頭を撫でると、少し距離が縮まり、首元に腕が伸びると抱き付いた。
「犬が好きなの?」
「大好きです。」
「一応犬ではないんだが・・・。」
「しゃっ、しゃべったぁ!?!?」
驚いた声を上げたので、奥の部屋にいる母親もこちらを気にする声を出す。
「どうしたの?!大丈夫なの?!」
「あ、あっ、うん!大丈夫、ちょっと吃驚しただけだから・・・。」
犬が喋るのは流石に見た事が無いだろう。
「凄い・・・喋れるなんて。お母様に見せてあげたかったな・・・。」
「見せてあげたら?」
マナの言葉に少女は俯く。
「見れないんです。」
「見れない?なんで?」
「母は盲目なんです。」
太郎はこれで全て納得した。もちろんフーリンもだ。少女が一人で商品が何も無い店に居る理由も。
「そっか、母親の面倒を見ているから家から出られないんだね。」
「・・・はい。」
言うつもりはなかったが、訊かれて思わず答えてしまった事を後悔するような声だ。
「後天的なの?」
「こーてん・・てきってなんですか?」
「ああ、生まれつき目が見えないのか、何かの事故か病気で視力を失ったのか、どっちかなって。」
「えーっと・・・コウテンテキ?です。」
「そっか、ならポーションで治るんじゃないの。」
「そんな高い物は買えません。」
太郎がフーリンに確認して高級ポーションは価格が高い事を思い出した。お金を使わないと金銭感覚は狂うらしい。
「お前何日食べてないんだ?」
「えっ?」
「お前からは食べ物の匂いがしない。何日食べてないんだ。言え。」
ポチの質問に少女は言葉を詰まらせる。
「吠えるぞ?」
「あ・・・あの、静かにして欲しいです。」
「・・・わん!」
「あああ、は、いい。言います。言います。」
涙目に成っているので流石に可哀想だが、その回答は太郎も気になる。
「三日ほど水しか飲んでません・・・。」
「マジで?!」
マナが吃驚している。
「子供なのに食べないなんてダメでしょう。」
太郎はいつものように袋の中から何かを取り出す。それは村で作ったパンで、フーリンの家で食べるつもりで持って来たが余ったモノだ。
「あげる。」
「えっ・・・でも・・・。」
「子供は遠慮するもんじゃないよ。」
凄く困った表情になっていたので、太郎はパンをマナの腕に抱えさせる。沢山有る事を示せば遠慮しないだろう。
と、思ったのだが・・・。
「父が戻ってくればお金が入るのでそれまで我慢すれば・・・。」
「いつ戻って来るのよ?」
マナがパンを抱えていて受け取らない事に少しイラついている。
「今日かもしれないし・・・明日かも・・・。」
「何日戻ってこないの?」
「2ヶ月ほど。」
「全然戻ってきてないじゃない。」
「そうなんです・・・お手紙を渡しても返事が来ないし。」
「じゃあ、とにかく食べて元気出さないと、お父さんが帰ってきたら心配されるんじゃないの?」
「父はお金を置いて行くと帰ってしまうので・・・一年くらいはずっと忙しいみたいです。」
「いーから!受け取りなさい!吠えるわよ!」
「何で世界樹様が吠えるんですか・・・。」
「せかいじゅ・・・さま?」
フーリンはシマッタという表情をしているが、誰も気にしていない。
「ほらっ!」
むりやり渡されて困っているが、困っている表情からは涙がこぼれている。
「あ、ありがとうございます。」
嬉しさも有るが哀しさも有る。少女は元々どこかのお嬢様だったというのは誰も知らない事だが、施しを受けるような立場に成った事が悲しかった。しかし、こうして助けてくれる人が居る事がとても嬉しかったし、見た目は同じ歳くらいにしか見えないマナに、少し元気を貰えた気もする。
「水も運んであげるよ。」
「すみません、すみません。」
少女は平身低頭を姿勢ではなく言葉と態度で示している。
それは正しく伝わったようで、太郎は少女の後に付いて、部屋に入った。
「だれかしら?」
そこにはベッドに横たわっているのではなく、座っている女性の姿が有った。とても美しく、狼獣人なのは耳で何となく分かった。
俺も大分この世界に染まったという事か。
「初めまして、重そうに運んでいたので俺が運んだだけですよ。」
「いつもの男の人ではないようね。」
「凄く優しい方達なんです。」
「そう・・・それは、どういう事でしょう?」
どうしてこの人は俺達を疑っているのか、太郎は不思議だった。
「それとパンを貰いました。」
腹の音が鳴る。
頬が真っ赤に染まったのは二人揃ったからだろうか。
「遠慮しないで食べてください。」
「お母様、いただきましょう。」
「そ、そうね・・・ありがとうございます。」
パンをテーブルにある少し汚れたバスケットに入れる。娘に手渡され、二人はパンをかじると、みるみる表情が変わっていく。
「こんな美味しいパン・・・もしかして、パン屋の人ですか?」
「そうじゃないけど、毎日たくさん作ってくれる人が居るから。」
「たくさん・・・失礼ですが貴族の方でしょうか?」
「違いますよ。」
いつの間にかマナも入ってきていて、フーリンとポチは店の方で待機している。
「どう、おいしいでしょ?」
「はい。」
「女の子の声?」
「そうよ。」
「あんた達もっとしっかり食べなさいよ。」
「え、えぇ・・・。」
マナの少し大人びた口調に驚いているが、とびきりに高級だと思っているパンを食べていて、文句を言うよりも食べる事に傾いた。
正直な感想を言うと、こんなに美味しいパンは視力を失う以前でも食べた事が無い。
今度はパンばかり食べていると喉が渇くので、水を欲しがっているようだ。
娘のメリッサが母親の為に水を用意しているところを太郎が止めた。
そして、コップに注ごうとした水の代わりに別の物を注いで、少女に渡す。
「えっ・・・これって・・・。」
「あら、やっぱり太郎はそうするわよね。」
「まーね。てか、これが何かわかるんだね。」
「はい。・・・で、でも・・・これって・・・。」
それは少女が欲しくて仕方がなかったモノで、母親も父親も手に入れる事が出来なかった物だった。それがあっさりと差し出されると、もしかすると普通のモノかもしれないと思ってしまう。しかし、それが薬であるのは間違いない。
コップを娘から受け取って、何の疑いも無く飲み干す。
「なにこれ?」
「ただのポーションですよ。」
「ポーション・・・?」
何かの変化を感じ取ったのだろうか、両手で開いていない瞼を隠した。
「なぜかしら、眩しいのだけど。」
「お母様、目を開いてみては。」
「え、ええ・・・。」
隠していた両手を膝に置き、姿勢を整えると瞼が開く。周囲を見渡し瞳は美しい藍色をしていた。
「見える・・・見えるわ・・・。」
「お母様!」
胸に飛び込んでくる娘を抱きとめると、その頭を撫でる。
「見えたなら良かった。では俺はこれで。」
太郎とマナはスッと部屋を出て行き、後の事をフーリンに任せた。フーリンとしてはスーに代わる従業員が絶対に欲しい訳では無いが、その日に売れないと困る商品を仕入れることも出来るようになるので、真面目に商売を再開する気になったようだ。
「あの人は一体・・・?」
「あ、お母様、こちらがフーリンさんです。」
「失礼しますね。」
「フーリンさん・・・?もしかしてお城でお会いした事ありませんでしたか?」
「そうかしら・・・気の所為だと思いますよ。」
視力を失う以前に、城で何度か見かけていて、それは彼女の方から見た立場なので一方的なモノだった。
「失礼しました。わたくし、ミュー・ド・ゴルギャンと申します。」
「ゴルギャン・・・どこかで聞いた名前ね。」
「一応、商売をしておりまして、夫は特級商をさせていただいております。」
「もしかして、フーリンさんってお城の方だったのですか・・・それであんな高級なモノを・・・。」
「アレは私のモノじゃないのよ。」
「そう、それって、わたくしの目を治すほどの品はかなり高級な筈なのでは・・・?」
「太郎君だから・・・。」
その呟きは二人には意味がない。
そこへ昨日の男がやって来た。
タイミングとしては最悪なのだが、そんな事は知らない。
「あれ、表に人が居るって何かやってんのか?」
裏口から姿を現した男は、部屋には入ってこない。
「客を連れて来たぞ、あんまり遠いと嫌がるだろうから近くの宿屋でいいよな?」
「それ、何の話なのかしら?」
怒りに満ちた表情で女性が現れた。
なんとも不運だったとしか言えない。
「あんた誰だい?」
「ちょっとした知り合いに成ったところよ。」
「あの男の声って・・・。」
「はい、いつも食べ物を運んでくれている人です。でも・・・。」
母親の目は見えるようになったが、お金が無いのは変わらないのだ。
「あんたが何者かは知らないが関係ない話だ。それとも代金を払ってくれるのかい?」
母親が吃驚する。
「お金・・・ないの?」
「はい・・・なんにも・・・パンを買うだけで精一杯でした。」
娘は素直に言った。
もう隠す必要が無くなったからだが、状況は何も変わらない。
変わらない筈だった。
「いくらなの?」
「あんたが払うのか?」
「いくらなのっ!」
「10金貨だが、イマココで払えるのか?」
「払えないとどうなるのかしら?」
「娘が身体で払うってy」
その男はフーリンに殴られて吹飛ばされた。そこには一緒に付いて来た買う予定だった男もいて、一緒に吹き飛ばされている。
倒れた所に1金貨を10枚投げつけた。
殺されなかったのは未遂だったからだ。これが二人目だったら殴り殺していたかもしれない。
「女性を食い物にするような男は二度と来なくて良いわ。」
男二人は怯えて逃げだした、しっかりと金貨を手にして。
「あっ、あのっ・・・お金・・・。」
「あぁ、アレはね、あなたに働いてもらう為の前金の予定だったんだけどね、お金が無いと店を開けないでしょ?」
「そ、そうですけど、なんで・・・なんでこんなに優しくしてくれるんですか?」
少女の疑問は当然だろう。
「ただの気まぐれよ。あなた達の運が良かっただけと思った方が良いかしらね。」
「運ですか・・・?」
「いえ、フーリン・・・様のおかげです。」
母親がそう言うと娘もそれに倣う。
「ありがとうございますフーリン様。」
そう言われてしまうとフーリンとしては太郎に申し訳ない気がするのだが、ココはあえて訂正しない。ただし一つだけは訂正をする。
「あの薬は私の持ち物では無いから。」
いろいろな事がいっぺんに飛び込んできて、母娘は少し疲れた。今度はちゃんとした水を飲んだのだが、いつもと違う事に気が付く。
「今日は水が美味しいわね・・・こんな良い日だからかしら?」
「きっとそうです、お母様。」
実は太郎の創り出した水なのだが、フーリンは黙っている。黙っているのはその事で、別の事を言う。
「メリッサちゃん。」
「は、はい。」
「お金に困ったからって身体を売ってはダメよ。一度でもそうすると、次々とやって来て、断れなくなるわ。」
「メリッサ?!」
「はい・・・ごめんなさい。」
「ちょっと、それより、なんでそんなにお金が無いの?まだ大丈夫だって言っていたじゃないの。」
「メリッサちゃんは母親に食べさせる為に自分の分を抜いていたの。」
「あああ・・・夫が・・・夫はなんで来てくれないのかしら・・・。」
そう言って娘を抱きしめた後、呟くように何度も「ゴメンね」を繰り返した。フーリンは二人が落ち着くのを待つつもりだったが、お金を使ってしまった事を思い出して出直す事にした。
二人は久しぶりの時間を取り戻し、美味しいパンとおいしい水をゆっくりと楽しんだ。




