第189話 売れる物が無い
無駄骨に終わったトヒラが執務室に戻ると、マリアが食事をしていた。他の部下達も報告に集まっている中、たった一人でトヒラを待たずに食べているので、部下達は不満顔だったが、諸事情と彼女の事を説明すると、青ざめた者が二人程いた。
「散々酷い事を言ってくれた人が居たわねー。」
チラッと視線を向けられた二人が足をガクガクと震わせた。
魔女相手に言いたい放題悪口を言ったのは、魔女だという事を知らなかった事と、特務とはいえ部下になっているのなら待つのが常識だと、くどくどと言い立てたのだ。
「あのっ・・・そのっ・・・。」
トヒラが深い溜息を吐いた。
「そのくらいで勘弁してあげてくださいませんかね。」
「あらー?私は何もしていないわー。それにしても、この鶏肉美味しいわね。」
トヒラが自分の椅子に腰かけると、部下達が報告の為に横一列に並んだ。当然だがマリアは動かない。
「報告します。」
促すと左から一人ずつ始まる報告に、書類を交えて確認する。
結果だけを言えば残念としか言えなかったが、土地の権利書を買う予定の者と接触できた事が唯一の安定材料となった。
「ただ、その者は別の土地を買う事が出来たので断るとの事で、その後の接触については期待できません。」
「断る為にもう一度会うのではないのか?」
「あの酒場・・・ここからだと、通用門から一番近い酒場に居るマスターに伝えるそうです。」
「・・・という事は相手の方も警戒しているという事か。」
「警戒していると更に面倒になりますが、何故城に近い酒場なんでしょう?」
「城に近いというだけで城に関係している人物と思わせる為だろうね。」
「そんなのすぐにバレませんか?」
「関係者を装うのなら関係する建物の近くをウロウロしていればいい。それだけで少しは誤魔化せる。勿論、いずれはバレるが。」
「城の近くの酒場なのに小さいという事の方が不思議じゃないのー?」
突然の発言だったが、マリアはその酒場を知っているようで、何故知っているのかは教えてくれなかった。しかし、マリアの言う通り、城に一番近い酒場にしては平屋で30人程が入店すれば満席になる小さな店だった。かなり昔からある店ではなく、最近過ぎる訳でもないが、トヒラの記憶では自分が城で働くより前に存在していた事を知っている。
「あの店の存在を不思議に思った事は有りませんが、儲からない訳でもないでしょうに、いつまでも小さいのも不思議と言えば不思議です。」
「その店に行った事が有る者は?」
その質問でマリア以外が手を挙げる。
トヒラも気分転換に利用した事が有るくらいだから、店の中の混み具合も知らない訳では無い。
「あの店はいつも空席がある。酒も飯も不味い訳でもないし、確かに不思議な。」
部下の一人がそう言うと、トヒラは少し考え込んだ。
しかし、今回の一件と関係が有るのだろうか?
「怪訝そうな顔をしているわねー。」
「私達ではあの店を調べられないし、調べる必要が分からないから。」
「でも、あの店を指定しているのよねー?」
「あの店のマスターって・・・誰か顔知っています?」
一人の質問に他の者が考え込む。
そして、思い出せなかった。
「悪い事を企むにしては無理が有り過ぎるんだけど・・・いや、考える事も無いか。」
トヒラは決断した。
「あの店の周囲を張り込もう。」
そしてマリアが付け加えた。
「暇つぶしにお酒でも呑んで来るわねー。」
「えっ・・・ちょっと、それは・・・。」
「いや、良い。彼女の自由にさせておこう。」
「でも、それでは我々の意味が。」
「彼女は顔が割れていないし、行くという事は手伝ってくれるのでしょう?」
「・・・暇つぶしにねー。」
「では、任せましょう。」
マリアは食事を勝手に終わらせると、食べかけの料理をそのままに執務室を出て行った。部下達の方も妙な気分で見送っていて、当然だが納得していない。
「事件を解決させることは彼女にとっても得になる筈だし、太郎殿に恩を売りつけたいのでしょう。」
「押し売りっぽいですけどね。」
「それでも協力してくれるというのならそれでいいでしょう。私の思い通りに動かせるような人物ではないのですから。」
部下達を無理やり納得させると、次は行動となる。
酒場の張り込みに関してはトヒラがやる事にして、他を派遣する。トヒラが監視するのにはもちろん理由が有って、移動しなくて済む事と、城から直接監視できるからだ。
「もう一度洗い直すにしても、少し範囲が広いので時間が掛かります。」
「承知の上だ。ダンダイル様もこの件には関わる時間があまり無いから、私達だけで全てを終わらせないと。」
そして、困難で地味な仕事が始まった。
2週間が経過し、マリアは毎日決まった時間に決まったモノを注文して、一杯呑んだら帰る。それだけを繰り返していて、マスターとは注文の時に声を掛けるだけだと、報告を受けている。見た目が美しいだけで十分にミステリアスな感じは出せるだろう。それも、決まった時間に必ず来店するのだから、気にする客も少し現れたようだ。
部下達からの報告は空振りを証明する物だけで、尻尾の毛先も掴んでいない。しかし、その毛先に触れた者が居る。それは結果的にそうだった事を知る訳で、現時点では誰も知らない。
「太郎殿、どうしてここに?」
「ダンダイルさんを運んだついでに、ちょっと気になって見に来たんだけど。」
太郎の傍にはマナとスーとポチが居る。
「あの酒場ですかー。」
太郎達はトヒラが毎日居るという監視塔に来ていて、監視塔の最上階の、普段は平兵士が巡回に訪れる程度の、ほとんど利用されない場所だった。
「知っている事でも?」
「フーリン様も店は知っているけど入った事は無いそうですー。」
「マリアが迷惑かけてないと良いんだけど。」
「ははは・・・、あの人は印象付けの為に行っているだけで、まだ邪魔にはなっていません。」
「それにしたって、権利書なんて簡単に作れないよね?」
「それは勿論です、なので大商人を中心に調べているのですが、なかなか結果が出なくて。」
「国外の商人だったらもっと面倒になりそうだよね。」
「国外・・・ですか?」
「俺のところに来た商人とかって、それなりに力の有る人達なんでしょ?」
「そうですけど、あの商人達の中には有力者はいません。あまり大きな組織が関わるとダンダイル様も面倒だとおっしゃいますので。」
「嫌な奴ならいましたよねー。」
スーはまだあの男を許してはいないようだ。
「こんな事よりフーリンのトコ行こうよ。」
マナが太郎の頭をペチペチと叩く。
「あ、うん。じゃあ、頑張ってね。」
「ありがとうございます。」
太郎達が立ち去った後、暫くしてマリアが上から降ってきた。窓の外にいるので直ぐに分かる。
「来るのは構わないのですけど、その、飛んでくるのやめてもらえませんかね?」
「楽なのよー。それより、太郎ちゃん達きてなかったー?」
「フーリン様の家へ行くそうです。」
「そう・・・。あぁ、あのマスターの名前ホセって言うらしいわー。」
「2週間経過してやっと名前ですか。」
「強い魔力も感じないしー、店内も薄暗いしー、何時も後向いていて顔も良く分からないしー、アレでなんであんなに人が居るのか不思議だと思ったけど、確かに秘密の会話をするのには良いかもねー。」
「開店から閉店まで必ず客が居るのはココから見ていて分かりますよ。」
「そうなんだけど、来る客層がバラバラ過ぎるわー。」
「貴族から平民まで、兵士も居るし、冒険者もたまにきているようですね。」
「売っている酒の種類も多い訳では無いしー、サラダとつまみ程度で食事もできないわー。」
「それでも来るって事は・・・。」
「客同士で繋がっているという事ねー。」
「マスターが客と話をする事は?」
「何かメモの様に物は渡していたわねー。」
「内容は分かりますか?」
「薄暗くて分からないと言いたいところだけどー、これでも魔女なのよー?」
「知ってます。」
「私と同じように決まった時間に来る客はいなかったわよねー?」
「えぇ。」
「αからβに。ってそれだけー。」
それだけで通じるという事は、受け渡しをする客同士はかなり深い関係が有るという事だ。
「それでねー、そのメモを渡した人物がー・・・あの村で私が助けた男だったわー。」
「助けた?」
「そうよー。」
「それなら部下からも報告は来ているが、特に変わった行動は・・・あの酒場に来る事か!受け取った男の方は?!」
「顔は見なかったけど、魔力の感じからするとあちこちを渡り歩くような乱れた魔力だったわねー。」
魔女の説明は分かり難い。
「あの、もう少し詳しく。」
「んー・・・、商人って人と多く会うから、強い魔力の持ち主には向かない仕事なのよねー。」
「交渉向きでは?」
「威圧して良い商売は出来ないわー。」
「なるほど。」
「いや、わかって欲しいわー。」
「あ、あぁ、商人だったと。」
「そうよー。」
「しかし、あの程度の男達ではいくら御用達とはいえ、権利書を貰えるようなほどの大きな仕事はしていないはず。面倒になるような者達は連れてこない筈ですし。」
「それはあなた達の都合でしょー。」
「そうですけど・・・。」
「ちゃんと調べたのー?」
「候補が多過ぎてまだそこまでは。」
「ちなみに、私が来る前に来た貴族の男はー・・・奴隷を扱ってるわねー。」
「・・・証拠は?」
「ないけどー・・・調べたら尻尾くらい掴めると思うわー。」
魔女が言うのだから嘘ではないにしろ、調べるのにはやはり人員が必要になる。他の仕事に従事していた者達も呼び寄せて、今この仕事にトヒラの部下の実に7割相当を使っていた。
「・・・奴隷に関係するのならダンダイル様にお願いするしかないか・・・。」
心の中でメンドクサイと呟いた。
「あのマスターを捕まえて締め上げればー?」
「直接犯罪に関わっている証拠が有るのならそれもアリですけど、今やったら狙っている人物に逃げられるので。」
「ふーん・・・面倒な組織ねー。」
「勘弁してください、それが仕事なんですから・・・。」
トヒラは頭痛の種が増えただけではなく、すくすくと育っていく姿を脳裏に浮かべ、それを払拭するように頭を激しく振った。
「勘弁してください。」
「子供に言われてもなあ・・・。」
「母は病気なんです。」
「父親がいるだろ?」
「いますけど・・・今はいません。」
「もう7日だぞ、こっちだって慈善で商売している訳じゃないんだ。」
その声は少し大きく、人通りの少ない表通りにまで響いた。
「だ、だったら・・・私を買ってください。それで気が済むのなら、それ・・・で。」
男が溜息を吐く。
「子供は趣味じゃないんだ。客引きなら他の男にs・・・いや、本気で言ってるのなら紹介してやろうか?」
「えっ・・・お、お金が頂けるんでしたら。」
「小娘だが化粧すればそれなりに見えるしな。」
「何の話をしているの!」
子供の後ろから声がする。
「お母様、なんでもありません。」
声だけで出てくる気配は無い。
「・・・お前の母親って何の病気か知らなかったが、元気な声じゃないか?」
「母は目が見えないんです。」
「そ、そうか・・・。確かに金が無い訳だ。だがな、俺もお金を払ってもらわないと困るぐらいわかるよな?」
責め立てる口調が少し弱くなった。そして、ひそひそと言う。
「紹介ならしてやるから、そんな売るモノが無い道具屋をやっているよマシだろ。」
元々道具屋だった店を父親が買い取っていて、そこに母娘が住んでいる。買った当時は店にも商品が並んでいたが、娘に商才は無く、仕入れ先も無い為に、あっという間に売るモノの無い道具屋になっていた。買取もしていたので、冒険者から買った物を店に並べていたが、それも不安定過ぎて商売にならない。
いつしか何もない道具屋と陰口を叩かれるようになっていたが、それをこの少女は知らない。
「こっちも相手を見付けにゃきゃならんからまた来るが、嬢ちゃん。」
「はい。」
「覚悟は良いな?」
「はい!」
男が帰ると、静まり返った室内に母親の声が響く。
「どうしたの?」
「大丈夫です。」
「あなたはいつもそれしか言わないじゃない。」
「お母様は早く目が良くなる事を考えていてください。」
「そうしたいのだけれど、最近はスープの味も薄いし、パンもポソポソしているし、お金はちゃんとあるのよね?」
「あります。」
勿論それは嘘で、実際にはあと数日程度分しかない。それも、自分の分を我慢して母親だけに食べさせても、だ。先程の男はスープの粉を売ってくれていた男だったが、このままなら明日からはパンと水しかない。
「そう、それならいいのだけど・・・。」
娘がいつも自分の傍に居る事で負担になっているのではないかと心配しているのだが、目が見えない自分には一人では何も出来ない。食べる為の料理も、身体を拭く濡れタオルも。
そして、排泄も。
太郎達は久しぶりに城から歩いてフーリンの家に向かっている。飛べば直ぐだし、シルバを使えばあっという間だが、それでは町並みを楽しむということは出来ない。
スーが太郎の腕にしがみ付いてニコニコしているから、雰囲気を壊すような事もしたくないし、気分転換にも丁度いい。
エカテリーナがいないのは、留守番役が必要という意味ではなく、いつも通りに料理をして太郎を待つのが自分の役割だと、そう思っているのだった。
帰る家が有るというのは安心感を与えてくれるので、申し訳ないなと思いつつも受け入れている。
「ここ歩くのって何か初めてかな?」
「前も通った事あるぞ。」
「そうですよー。」
「アンナ店あったっけ?」
太郎が指を差したのは道具屋の看板だ。
「知らないですねー。」
「あぁ、確かに無かったな。」
「フーリンさんの店の近くの道具屋ってやっていけるの?」
「無理だとは思いませんよー、何しろフーリン様の店はちょっとお高目ですから。」
「あぁ、なるほど。」
「でも、この店何もないわね?」
マナが店のガラスにへばりついて商品棚を見ている。そこで少女と目が合った。
「なにしてんの?」
「子供がいるわね。」
「そりゃ、居ても不思議はないんじゃない?」
「こっち来た。」
「そりゃ、そんだけ見てたら来るでしょ。」
戸が開いた。
「あの、何か御用でしょうか?」
「あんたの店やってるの?」
「え、えぇ、まあ・・・。」
「何にもないじゃない。」
「・・・売れる物が無いんです。」
「薬草とかポーションとか、何かしらの道具とか、なんかないの?」
「マナ、そのくらいにしとけって。」
少女が困った表情なので、太郎がマナの腕を引っ張って腕に抱えるようにして持った。それがあまりにも軽い動作だったので驚く。
「おにーさん、凄いチカラ持ちなんですね。」
「そんな事ないよ、マナが軽いだけで。」
マナは見た目からもふわふわしているので確かに軽そうだ。
と、思っているのは太郎だけだが。
「まだ開店前なんでしょ?」
「いえ、開店していますけど・・・お金が無いので買取も出来ません。」
「良く分からないですけどー・・・。」
スーが呆れたように言った。
「仕入れなら自分で採りに行くってのも有りますし、お金が無いのならこの家を売って引っ越せばよいのではー?」
「・・・ここから他に行く宛ては有りません。」
スーは少女を見て思った。
優しいだけの娘かな。
と。
「なんか大変なんだろうけど、忙しいなら俺達行くから、邪魔して悪かったね。」
「あ、いえ、いえいえ・・・なにも無くてすみません。」
・・・そんな事が有った後の夕食。
フーリンはひさしぶりにスーの手料理で満足していたが、その話を聞いた後の感想は、スーよりも冷たかった。
「潰れる店なんてそんなモノよ。」
「ですよねー。」
「しかし、なんか可哀想な事をした気分になるんだよな。」
「それは太郎さんが優しすぎるんですよー。」
「そうかな・・・でも、なんかねぇ。」
「そうそう、あの家もう一人いたわよ。」
「そうなんだ?」
「多分、母親じゃないかな。」
「母親がいて、商売がめちゃくちゃじゃあ、話にならないですねー。」
商売人としてのスーは厳しいかもしれない。
「売り子やってたもんね。」
「やってましたけど、売るモノが無いのでは無理ですよー。」
「売るモノがなくてお金がなくて他に行く宛てが無いってさ、普通にアウトじゃん。」
「あうと?」
「あー、うん、と・・・お金がないなら生活も出来ないでしょ、町に住んでるわけだし。」
太郎は収入がなくても畑が有れば生きて行けるし、村に帰ればなにも困る事は無い。お金の価値は知っているが、お金を使う必要の無い生活をしている。
「あの娘どーなるの?」
「まー、このままあの状態が続くなら、餓死しかないだろうね。」
「むー。」
スーは嫌な予感がした。
「この町でそういう家族の事を気にしていたら、エカテリーナみたいな子供が村で溢れちゃいますよー?」
太郎が関わると何とかしてしまうかもしれないが、何とかしてしまった後をスーは気にしている。
「でも、餓死って言うのは知っちゃうとちょっと気になるわね。」
言ったのがマナだったからフーリンが応じる。
「気に成るのでしたら見に行けばよいのでは?」
「そーねぇ・・・そうしようカナ?」
この時は半分冗談だったが、翌日にマナが行くと言った時は太郎も驚いたのだ。確かにこの町で餓死するほど困窮する人は初めて見たかもしれない。マナにとってはなぜそれほど困っているのに何もしていないのかが気になるのだろう。
好奇心旺盛なのは良い事だが、マナは少し首を突っ込み過ぎるような気がする。とは、太郎の口からは裂けても言えない事だった。
「太郎の方が首突っ込むじゃん。」
と言われるのがハッキリと解るからだった。




