第177話 マナの暇つぶし
他人の喧嘩に興味の無いマナは、珍しくぶらぶらと一人で歩いている。
常に太郎の傍に居なくても、この集落の周辺は歩けるからだ。
「おひとりですか?」
「あら、ウルクは何やってんの?」
ウルクは洗濯をしている。
見れば分かる事なので、返答に困っていると更に質問が飛んできた。
「楽しい?」
「みんなが喜んでくれるのが嬉しいです。」
「楽しい訳じゃないのね。」
「汚れが落ちるのが楽しいです。」
どこからともなくうどんがやって来て、ウルクの洗濯を手伝う。
水がザバザバと流れ出て来て、汚れた水が全て流れる。
綺麗になった洗濯を一つ一つ絞っていくのをマナはジーっと眺めている。
暫くすると遠くから歓声が聞こえた。
「騒がしいのは嫌いじゃないけど、あんなの見てても楽しくないのよねー。」
「戦闘はダメです。」
「まー、そういう種族だしね。仕方がないんじゃない?」
「でも、子供達が凄くて。」
「そーよねぇ、太郎の影響なんだろうけど、種族的には強過ぎなくらいかもねぇ。」
兎獣人は弱く、子供が生まれにくく、男は更に生まれにくい事から、他種族とも交配するのだが、あの時偶然に訪れた太郎との間に子供ができ、今はここに住んでいる。
太郎とウルクのどちらが幸運なのかと問われれば、ウルクは自分だと思っていて、それは凄く幸せな筈だった。
「そういえば子育て期間終わったわよね?」
「ハイ・・・。」
「それにしては発情しないじゃない。」
「それはちゃんと理由が有りマス。」
妙に言い難そうな表情だったので、それが言語の問題ではなく、気持ちの問題だという事を理解したマナは、ウルクが言うであろう言葉も予想が出来た。
「そっか・・・。」
「そんな顔されると私も悲しくナリます。」
「なんかねー・・・以前よりも悲しいという感情が強くなった気がするのよね。」
太郎の所為だろう。
「で、いつなの?」
「・・・ワカリマせん。」
絞るのを手伝っているうどんが、全く手伝わないマナに視線を向ける。
「蜂蜜を食べているから他の兎獣人よりも強くなっていると思いますよ。」
「あー、そっかー・・・あの蜂蜜凄いもんね。」
「マナのコントルールがもう少し上手くなればある程度の調整も可能だと思いますよ。ただ、引き伸ばすにしても限界は有りますが。」
「マンドラゴラしか食べない生活でシタ。」
「いまさら遅いって訳ね。」
絞り終えて籠の中に放り込まれた洗濯物は、干されるのを待っていて、力の弱いウルクが苦労しつつ籠を持ち上げて干場へ移動するのを二人は見送った。
武舞台ではエルフ対兵士の対抗戦が始まっていて、大将のオリビアが舞台に上がると歓声が響く。何しろ銀髪の志士で美人で強いという、憧れる要素の塊の様な存在だから、エルフの男どもどころか、兵士達からも人気が高い。チーム戦になったのも対戦希望者が多過ぎるからだった。
結果だけ言えばエルフチームの勝利だが、オリビア以外は負けていて、エルフの弱さと言うより兵士達が順調に鍛え上げられている事が証明された。
カールとしては喜ばしい事だったのだが、オリビアには挑戦した兵士の誰も勝てず、あれで腕が落ちているというのだから、最盛期はもっと恐ろしい存在だった事が簡単に想像できる。
「流石に逃亡を手引きしたリーダーは強いか。」
チクリと皮肉を言ったのは本当にちょっと手強いと思った所為かもしれない。
気にする事も無くその男に視線を落とす。
「お前はやらないのか?」
現地の最高責任者である隊長としては断れるはずがない。
休憩をしていたグレッグも視線を向ける。
それは注目すべき相手だからだ。
「元冒険者で腕には自信があると聞いているぞ。」
「最近は魔物ばかり相手にしててね、対人はどうかな?」
「木剣を。」
オリビアが言うと舞台に木剣が投げ込まれる。
勝ち続けているオリビアはやる気に満ちていて、珍しく戦意を剥き出しにしていた。
「断れないな。」
「カールの戦いって直接見た事が無いんで、ちょっと気になりますねー。」
「強そうだね。」
「あいつは女性を守る戦いの方が本領を発揮するって言う噂なら知ってますよー。」
「なにそれ?」
「そーゆ―奴なんですよー。」
両者の目がギラリと輝く。
戦う前から戦いは始まっているような雰囲気だった。
歓声が沸く。
それを遠めに眺め、マナは誰にも気付かれず、建物の裏手に入った。別にコソコソとしていた訳でもなく、ただ普通に歩いていただけだ。
「あれ、あの二人何してんのかしら?」
窓から覗き込むと、妙に深刻な表情をしていた。
「あの鉱山の奥にそんな場所が・・・?」
「ダンダイル様に報告して判断してもらおうと思って黙っていたんです。」
「確かに・・・太郎君は少し危機感が無いからな。」
「魔法陣で封印してありましたので、今のところは被害は無いですが。」
「奥に何があるか判るかね?」
「かなり古い物ですが、死霊系の何かかと。」
「では、誰かが意図的に作って封印した事になるが?」
ゾンビやスケルトンの様な死んでいる者は自分の意志がなく、動ける筈もない。それを動かす魔法が有り、術者が必ず存在する。
その術者が死亡した場合でも、残った魔力量によっては生前の命令を守って動き続ける。魔力が途切れるか、身体が破壊、もしくはマナを奪われれば動作を停止する。そして死霊が使われる目的の殆どは侵略・侵攻といった戦争の道具である。
「この村が襲われる予定が有ったという事か。」
「封印されたのは燃やされる以前の事ですから・・・。」
「ふむ。」
「一度は掘った形跡がある以上、この村の一族は知っていた事になります。」
「その穴を掘り返したら出て来たと。」
「そりゃあ、もう、ザクザクと。」
握り拳程度の大きさの鉱石がテーブルに置かれている。
「ミスリル銀だけでも珍しいのに更にミスリル金とはな。」
「ダイヤの原石もわずかに。ただし掘り方を間違えると危ないのも確かです。」
「なにやってんの?」
驚きのあまり、声が出なかった。
それはダンダイルの頭の上にいるマナの存在に気が付いたグルが、安心したように息を吐いた。
ダンダイルの頭の上だという事は気にしない。
「世界樹様ですか。」
「そーよ、二人して何コソコソしてんの?」
無垢の笑顔で問い詰めてくる世界樹はある意味恐い。
「これ、ミスリル金じゃない。」
「太郎君は?」
「いないわよ。」
「ひとりで?」
「そーよ。」
「珍しいですね。」
「そう?昔は良く一人でぶらぶらしてたけど。」
あの頃のマナは、子供と遊んでいない時は一人で町をぶらつく姿が普通だった。もっと人が少なかったし子供も少なかった。
子供に関して、この村では今のところ太郎の子供しかいないが。
「私も一人で歩きたい気分の時も有るのよ。って言いたいところなんだけどみんな喧嘩に夢中でしょ。」
「あーゆーのは一定の需要が有りますから。」
「私にはつまんないんだけどねー。」
「それでどうしてここに?」
「別に理由はないわ、ぶらぶらしてたらあんた達が居たから見に来ただけよ。」
「扉も開かずに?」
「開いて閉じたけどあんた達気が付かなかったじゃない。」
深刻なだけにそこまで集中していたという事になる。
「とりあえずこの事は黙っていて下さい。少なくともあの二人がいなくなるまでは。」
「ふーん・・・それくらい良いけど。」
「封印の方はどうするの?」
「そっちも聞いていましたか。」
「隠し事は良くないわよ!」
マナ様はもっと隠してください。
「太郎は?」
「あいつ・・・何となく口が軽そうなんだよな。」
「問い詰められると弱そうね。」
マナがそんな事を口にする。
「世界樹様に問い詰められたらみんな弱いですよ。」
「あら、そう?じゃあダンダイルの秘密も教えてくれるの?」
その笑顔が怖いんですよ。
「そんな・・・世界樹様に後ろめたい事は無いですよ。」
「ふーん。まぁ、いいわ。」
びょんっと飛び降りて、外へ出て行く扉に手をかけてから振り返る。
「あそこは私ひとりじゃいけないからつまんないのよね。」
そう言い残して出て行った。
「あ、危なかった・・・。」
流石は銀髪の志士と呼ばれていた女剣士だけはある。
多彩な連続攻撃と十分な力技を交互に繰り出し、何度も圧されたが、僅かな隙を見付けて切り抜けていた。
最後は逆に圧し返した時の体力勝負で勝つ事が出来たからであって、実戦なら何度か殺されていた。そして、その感想は同時に相手にも想起させている。
「隙があったとは思えないけど、主にどの辺りだろう?」
「私では無理です。間隙を縫って反撃するには間隔が短すぎですー。」
「力技で攻める時に何度か・・・な。」
武器の重さを気にしなくて良いのが木剣の良い所だが、力が有り過ぎると折れてしまう。それでも叩き付けた剣が床に当たった時の衝撃と反動で少し手が痺れている。
その隙は僅かなモノであったが、何度も行っているうちに少しずつ痺れが広がり、最後は反撃の好機まで作ってしまったのだから、修行不足と言われても不思議はない。
その事は負けた方も十分理解しているので、久しぶりの戦闘訓練は良い刺激になっただろう。
終わったところにピュールがやって来て、グレックとやらせろとうるさいので相手をする事になったのだが、グレッグはものの数秒も持たずに負けてしまったのでピュールは怒りだした。
「おい、やる気あるのか!」
「今のは実力よ、アナタのね。」
「・・・本当か?」
魔女に言われると素直だ。
「元々、人としての成長とドラゴンの成長ではすぐに差が付くわ。」
今度はフーリンに言われている。
「アナタは今まで真面目に修行しなかっただけで、普通に考えてもアナタに勝てるのはここじゃ数人しかいないわ。」
数人居るという事がすでにおかしい。
「それは誰だ?」
「多分、わらわが一番下に見られてるんだろうな、その様子からすると。」
「ご明察ね。」
「ま、否定はせぬ。だがグリフォンより弱い理由は何じゃ?」
「戦闘経験の差よ。」
「あー、確かに我はこの姿での戦闘もやってるからなあ・・・。かなり昔だが。」
「太郎君と同じ理由で剣術は苦手でしょう?」
「まあ、そうなるな。この人の姿ではな・・・。」
「お、俺はどうなっている?!」
割り込んできたのはポチだ。
「グレックに相手してもらって良い勝負するくらいじゃ勝てるわけないでしょ。」
「まだやってないのにその評価は・・・。」
「逆に訊くけど剣術は無理でしょう?」
ポチは悔しそうに唸った。
「今は剣術を競うのだから、そういうのは別の機会にしてもらえば。」
「タローはどうだ?」
「実力が未知数だからやったらおもしろそうだけど・・・。」
「無理無理無理無理、却下却下!」
「実戦形式でも俺は構わんぞ。」
「俺が構うわ。」
「太郎さんは真面目にやれば私なんかよりもっと強くなってるはずなんですー。」
「俺の身体を斬った剣を使っても良いぞ!」
「・・・なにそれ?」
神様から貰った特別な剣の事だ。
マチルダが興味を持ったが無視する。
「真正面から力勝負してドラゴンに勝てる筈ないよ。」
「え?」
「え?」
「マナを使った肉体強化の魔法を知らないの?」
「あー・・・私が知らないから教えた事ないわね。」
肉体強化など、元々強いドラゴンには不要の魔法である。
使ったとしてもマナのコントロールが意外にも難しく、低コストで強化できる分、強化も小さいのだから、あまり普及していない。
「だからよ。その膨大にマナを強化に使えたら即、最強候補よ。」
「太郎さん・・・なんかちょっとずるいですー。」
「まだ使ってもいないんだけど・・・。」
「今度教えてあげるわ。覚えれば普通の生活でも役に立つし、重い物もホイホイ運べるわよ。」
「それはちょっと知りたいかも。」
「じゃあ俺との勝負は預けてやるから、とっとと覚えろよ。」
「却下ァ!」
「あんたたち何を言い合ってるの?」
「ん?マナどこ?」
「上だ。」
ピュールに言われて思わず上を見てしまうと、マナがストンと落ちてきて、顔と股間がぶつかる。痛くはない。痛くは無いが、相変わらずマナは下着を付けていないのだ。
「筋肉魔法が有るっていう話を。」
「肉体強化よ。」
「ああ、うん、それ。」
「ふーん。じゃあ、あんた達はそろそろ帰る?」
「もう十分すぎるほど滞在させてもらってるわ。」
「マリア様?」
「マリアはあっちだけど・・・。」
マチルダがマリアなのでまだややこしいが、こればっかりは仕方がない。グレッグはずっとマリアと呼んでいたのだから。
「もう終わったのか?」
「あ、ダンダイル様。」
「終わったのなら解散して職場に戻れ。」
ダンダイルがそう言うと兵士達は素早く解散し、エルフ達もオリビアの指示でいつもの作業に戻る。気が付けばあっという間に人だかりが消え、ナナハルの引率でつまらなそうに子供達が食堂へ向かって行った。
ピュールとポチが不完全燃焼のような表情で佇んでいて、何故か気持ちだけは通じ合っていたが、それぞれが移動するのを見ていると、諦めるしかなかった。
「今日は久しぶりに楽しかったよ。見るだけでもなんかいいよね。」
「今度は参加しましょうよー。」
「やる機会が有ったらね。」
「それは約束にならないわね。」
マチルダがそう言うとマリアがくすくす笑う。
「来れたら来るとか、次の機会にとか、基本的には断られてるのと同じなのよね。」
「まあ、良く有る話ですね。」
フーリンが同意する。
そのまま解散していく姿とは逆に、洗濯を終わらせたウルクが、疲れているのかよろよろと歩いている。
うどんが付き添っているのを見て違和感を感じた。
「大丈夫?」
「はい・・・まだ大丈夫です。」
その直後に太郎は衝撃の一言を聞く事となる。




