第16話 ダリスの町 (4)
木箱とカートをコリンヌの店に返すと、散策を再開する。朝飯を食べてないからお腹が空いた。今度は飲食街道へ行く。もうすでに人だかりが出来ていて、人気のお店でもあるのだろう、行列している店もあった。行列を見ると並ぶ気が無くなるのが俺なので、他の店を見る。開店したばかりで人の少ないオープンテラスの店が有ったのでそこへ行く事にした。3人分の食事・・・ポチは焼かない肉を出してもらった。パンとサラダとスープ。ポチ用の肉を合計20銀貨で支払うと、5銀貨と20銅貨が5枚返ってきた。トマト風味のスープはポチも飲んだ。食後にはコーヒーも出されてこの価格。うーん。分からない。俺達の隣のテーブルではポチを物珍しそうに見ながら紙巻の棒を吸っている男性がいる。それ間違いなくタバコだよね。
「すみません、タバコってどこで売ってるんですか?」
作業着風のつなぎを着た男性が、煙草を咥えたまま腕を回して指し示す。灰皿でタバコを消す。灰皿あったんだ・・・気が付かなかった。
「ちょっといいか、そのイヌ・・・。」
返事を待たずにポチに近づく。視線が合うとビクッとした。
「これ、ケルベロスだよな?」
「そうです。」
「ケルベロスの子供ってこんなにおとなしいのか?」
「ポチは特別だと思いますよ。」
「ふーん・・・。しかし、この時間だからまだ良いが、冒険者の増える時間に成ったら気を付けた方がいいぞ。まぁ、最近は魔獣を飼っている奴が増えてきたみたいだけど。」
「そう言われれば思っていたより騒ぎにならないわね。」
男の興味はポチと煙草を欲しがる理由だ。
「そういえば、タバコを欲しがるなんて何かの病気か?」
「へ?」
話を聞くとタバコは薬草のような薬と同じ扱いで、健常者には必要がなく、どちらかというと精神的な不安定を取り除く薬として広まっている。リラックス効果という事か。この男性が吸っている理由は、暑くて狭くて少し息苦しい場所、鉱山での採掘作業の従事者で、長時間労働のあとは無性に吸いたくなるらしい。それ、吸ってる方の中毒性じゃないかと思った。もしかして危ない葉っぱもあるのでは・・・。タバコが欲しいと思う事も、タバコを吸う必要性も感じなくなってきたし、せっかくだからこのまま禁煙するか。
その作業員はポチの頭をポンポンして立ち去った。これから仕事だそうだ。お疲れ様です。
そのあと生活街道と、鉱物街道を見て回る。生活街道は市場のような感じで、生鮮食品が多く並べられている。色々と見ているうちに人通りが多くなり、ポチを見て逃げる人、撫でる人、俺に何の動物か確認する人がいて、ちょいちょい話しかけられた。それらの事が有ってポチは疲れた表情をしている。マナは色々な人と話が出来るのは楽しそうだ。もともと交流に飢えていたからかな?調味料関係もあったのでもう少し見て回りたかったが、流石にポチがかわいそうなので移動する。
鉱物街道はこの町で採れた鉱物を加工した物が売られているとの事で、主に魔王軍の兵士用に作られた物とほぼ同じ物が売られていると教わった。教えてくれたのは鍛冶屋の女性で、夫婦で経営してるそうだ。ちなみにその女性はフライパンを修理していた。
調理道具は困らない程度持っていたが、ご飯を炊く釜は持っていない。そもそも電気炊飯器の世界にいたのだから持っているわけもなく、米が存在するのかも知らない。また明日探すか。
鉱物街道ではそれほどポチについて話しかけられなかった。ちゃんと首輪を付けている効果だと思う。ただ一度だけポチに向けて凄く睨みつけている者がいて、ポチが低い唸り声を上げたから、慌ててポチを持ち上げて最初の公園まで駆け足で戻った。気が付けば小腹が空く頃で、公園のベンチも賑わっている。屋台に焼き鳥が有ったので少し多めに買って半分をポチに与えた。黙って食べているところを見ると察してくれたらしい。流石賢い。
午後は宿でのんびりしていたら、昼寝してしまった。気が付いたら夕食の時間になっていた。やっぱり初めての町は疲れる。
『なあ太郎。その袋って何なんだ?』
『これかー、まぁいいよね?』
マナに同意を求めたが、口の中で食べ物が踊っていたので首を縦に振るだけだ。袋について説明するとどうして手に入れたのかというところから話をすることになる。俺が別世界からやって来たという事も。マナの事は・・・止めておこう。
『太郎が異世界から?』
『信じなくてもいいよ。親がいない理由もそれだし、元の世界には戻れないしね。』
『太郎を信用していないわけではない。いや、むしろ信用できる。いや・・・したい、と言うのが本音だな。』
『正直だな。』
ゼンマイ式の腕時計のような元の世界でしか存在しないと思われる道具もあるが、この世界に来て時計を見た事がないので、逆の意味で証明できない。
『助けてもらった礼もあるが、俺達の言葉が通じる相手がな。』
マナはまだ食事に夢中だ。何か飲み込むのが辛そうなので、カップに水を注いで渡す。俺の魔法だ。水を飲んで一息ついたマナが首をかしげながら言った。
「魔法って消えるはずなのに太郎の水は飲めるのよね。」
何かを思い出そうとしているが思い出せずに苦労している。魔法については存在自体が不思議な事なので、俺には分からない。結局面倒になったのかベッドに潜り込んでいった。マナが枕を叩いて誘ってくる。別にエッチな事じゃないから。本当だぞ!
翌日は昨日より遅く目が覚めた。
出掛ける準備をして、朝食を求めて町の中へ足を向ける。生活街道の市場で立ち食いしつつ、調味料を大量に買った。塩と胡椒が有れば何でも出来る。と、一人暮らしの長かった俺にとっては魔法に匹敵する調味料だ。武器や防具は新調する必要は無かったが、俺用の衣料品と長旅に耐えるちゃんとしたマントとブーツ、マナに持たせる為の見た目だけは立派な細身で軽量な剣、傷薬や包帯などの医療品、干された肉と燻製された肉、他の葉野菜に比べると長く持つ根菜類、タマネギやニンニクもあったので買う。あっという間にお金が無くなったので、換金所を探していると冒険者ギルドが有った。しかし、良く見ると少し違う。国営ギルドとは商工ギルドの事で、基本は冒険者ギルドと変わらないが、魔王国公認の依頼が多くあるらしい。ちなみに職業安定所の役割もあるそうだ。ああ傭兵の依頼ってこれかな。
一日の殆どが買い物と、アイテム整理で終わってしまった。俺一人では大変なのでポチにも手伝ってもらい、大量の荷物を宿まで運び、俺とポチは憔悴しているのに対し、マナはいつまででも元気だ。軽い荷物は運んでくれたんだけどね。
昼食後は国営ギルドへ行き、次の目的地の情報をできるだけ集めた。疲れているのでちょっと話をしたら眠くなってしまったが。
あんまりにものんびり出来ない一日だったが、準備は終わった。俺が目指すべき次の目的地は、王都アンサンブルだ。
3代目魔王のアンサンブルが由来となっているらしく、城の名前もアンサンブルクというらしいが、それならアンサンブルブルクじゃないのか?と思ったが、当時を知る為の詳しい資料が残っておらず、謎のままだとか。
「城下町じゃなくて王都なんだね。」
「私も王都と城下町の区別はよくわからないけど、3代目の魔王が女性だったのは知ってるわ。」
「女魔王というのか魔女王と呼ぶのか・・・。」
ポチは興味なさそうに欠伸をしている。
「王都に行けば私の知り合いもいるかもしれないし、頼んだら協力してくれるかも。」
「マナの知り合い?」
「そう。元魔王とか竜人族とか・・・。」
ポチが驚いてこちらを見ている。やっぱり言葉分かってるじゃないか。短期間でどんどん覚えるってすごいぞ。ところで、ドラゴンと竜人族の違いは?あ、ハーフなんだ。
『魔王とか竜人族って聞こえたんだが・・・戦うつもりじゃないよな?』
完全な理解まではもう少しかかりそうだ。うん。
『マナの知り合いだってさ。』
ポチが驚きを通り越した表情をしている。この姿を絵にしたら作画崩壊ってレベルじゃないぞ。普段はもっとキリッとしているのに。
『・・・とんでもなくすごいところに来てしまった。事情が有るというのは理解していたつもりだが、その事情が怪しいなんてもんじゃない。』
俺は笑って誤魔化した。誤魔化せてないよね。
マナは俺の世界にいた500年間をほとんど寝ている状態で過ごしていて、記憶の整理も面倒になっているとも言っていたが、思い出話を聞いた時の御伽噺的な感覚は今も続いているような気がしてならない。現実として50年経過した後のマナの姿はちっとも変化していないし、50年経過した実感もあまりないが。
『なんか余計な疲れが出たから先に寝させてもらう。』
『・・・おやすみ。』
ポチが片方のベッドの上で寝る。見計らってマナが俺にしがみつく。なぜか最近、以前よりも更に甘えてくるようになった。何か特別な事をした記憶はない。それにしても、マナが安定と安息の地を見つけたら、マナの木として安住して永住して、成長して移動する事が無くなったら・・・俺はどうなるんだろう?
俺達は揃えたアイテムをしっかりと装備をし、ダリスの町を発って王都アンサンブルへ向かった。道中は本当に安全な旅で、陽が落ちてもそれなりに人と擦れ違った。何かを沢山積載した馬車や、早馬、多種多様な旅人や冒険者達が王都とダリスの町を行き交っている。山道なのに急斜面は少なかったが、緩やかなカーブと、幅の広い道は、魔王国がどれだけ本気でこの道を造ったのかが窺い知る事が出来る。歩きながら魔法の練習をしたり、ポチが驚くほどの理解力を示したり、マナの思い出話を聞いたり・・・。
一番欲しかった地図は手に入らなかった。マナの思い出話から抜粋すると、その昔はかなり大きな地図がそれなりの数あったらしい。魔王国にしても、公国にしても、他の国の情報を知る為に軍を動かして地図を作った経緯もあるが、一般に公表されることは無かった。それは自分達の国としての弱点を相手国に教えてしまう事になり、特級の国家機密として保持する程度だからだ。世界を自分の足で歩いて地図を作ることに生涯を費やそうと目指す者達は、殆どがその苦行のような地道過ぎる冒険を挫折する。世界地図を持っていると噂されているのは天使族と竜人族で、彼らを説得して譲ってもらうのは不可能だと言われている。
道中の旅の宿や野宿を幾度となくこなし、最後の山を越えると、はるか遠くに城と町並みが見える。ダリスの町よりも大規模な町は、旅の疲れを忘れるくらいの感動があった。町の中には川や公園も在るようで、並木道がいくつも見える。木造建築と石造建築が調和し、小高い丘の上には巨大な城がある。その王都へと延びる道の上で、今はただその存在に見惚れている。
まだ暖かい風が強く吹くと、我に返って歩き出す。