第89話 対峙
ドラゴンが急降下を開始した。それは身体で圧し潰そうとした単純な体当たりで、火球を吐き出すのに多少疲れたからだ。しかも、相手はまだ立っている。それだけで腹立たしい。
「潰されるのが運命のアリの癖に!」
しかし直前で魔法で作られた岩石が正面に飛んできて避ける間もなく直撃した。痛くはない。痛くは無いが、攻撃を逸らされてしまった。
ドラゴンの姿のまま地上に立ち、ジェームスは身構えた。飛ばずに走って二人に向かって来る。
「・・・ドラゴンってあんなに足が遅いのか?」
ドラゴンが地上を走るという珍しい光景に、ジェームスは目を丸くした。ドタドタとして歩き難そうにも見える。
「わたしだって初めて見るけど、確かに遅いわね。」
接近して爪を振るが、凄く遅い。これなら巨大な蜥蜴の方がよっぽどすばしっこいだろう。余裕で避けれるだけではなく、フレアリスは受け止めて投げ飛ばした。フレアリスよりも何倍も大きいドラゴンが地上に背中から落ちるという、極めて珍しい光景だ。
「滑稽ね。」
地上に振動が走るくらいの巨体が転がっている。ドラゴンって空を飛んでいないとこれほど弱いモノなのか?
「・・・このドラゴン若いんじゃないかしら?」
「若いドラゴンって聞いた事ないな。」
「それなりに強くないと他のドラゴンからもバカにされるんじゃない?」
ドラゴンの常識など知らない二人の勝手な予想だが、若いと言っても1000年は生きているのだから二人のどちらよりも年上だ。無論、これも知らない事実だった。
「人の姿をしていた方がよっぽど恐ろしかったのだが?」
ドラゴンはそれが聞こえたわけではないが、人の姿に成ってから立ち上がる。
「二人とも潰してやる!」
怒りの咆哮が空気を振動させ、二人の身体を僅かに震えさせる。それが戦闘開始の合図となって、対峙する間もなく、急接近してくる。ドラゴンの姿の時よりも早い。
ジェームスは手持ちの剣が無く、土魔法で作ろうとしたが、剣よりも盾を選んだのは正解だった。一撃で吹き飛ばされ、十メートル以上を宙に舞った。その攻撃はフレアリスにも向けられ、拳は受け止めて耐えたが、蹴りを横腹にモロに喰らい、数メートル吹き飛ばされた挙句、肋骨を砕かれた。
「戦い慣れてるな。」
姿勢を整えて目を細める。ジェームスの感想は驚愕に近かった。フレアリスを助ける余裕など一瞬に消えたからだ。城壁の外にいた者達も、遠く眺めているだけで近付こうとはしない。
まさかグレッグと訓練した事がこのように役に立つとは思わなかったドラゴンが、調子に乗って突撃してくる。しかし攻撃は中断させられた。ダークグレーの毛並みをした物体が横から体当たりした所為だ。
「ケルベロスが?!」
驚く声と同時に、猫獣人が斬り掛かった。ジェームスの目から見てもなかなかの洗練された動きで翻弄している。しかも、飛び退くドラゴンに無数の石礫を放ち、反撃の隙を与えない。手を休めず襲い掛かるところで悲鳴のような声で助けを求める。
「早く手を貸してくださいよー!」
声に呼応してケルベロスが襲い掛かる。魔獣と恐れられる生き物が、何故猫獣人と・・・?
フレアリスには知らない男が近寄っていて、何かを飲ませている。あんな濃い色のポーションは高級品だろう。
「タロウが来てくれるとはね。」
「正直言うと来たくは無かったです。フレアリスさんとあの男の人がこっちに飛んでくるのが見えたし、勝てるのかと思いましたけど、人の姿に成った方が強いって変なドラゴンですね。」
ポーションを飲み干したフレアリスは傷が癒えただけでなく、ある程度の疲れも取れていた。
「こんな良いポーション貰っちゃってよかったの?」
「腐るほど有るんで大丈夫です。」
「そう。じゃあもう一暴れしてくるわ。」
返事も聞かずにスーとポチの所へ駆けていく。逃げる予定だったのにこんな事になるなんて。声には出さず、もう一人の所へ近付く。それはジェームスの記憶に確かな感覚が甦った。
「おまえ・・・あの時の貴族のボンボンじゃなかったのか?」
苦笑いをしただけで答えず、それとは別の事を言った。
「怪我は無いですか?」
「少し無理したからマナが減ったくらいだが。」
スッと立ち上がり大丈夫なのを見せる。
「それより、ドラゴン相手に飛び込んできて良かったのか?」
「個人的にはドラゴンの姿の方がカッコいいと思うんですけどね。」
「何の事だ?」
「あ、何でもないです。それより、勝てる見込みは有りますか?」
「あんたらの実力が分からないが、あの猫獣人は良い動きをするな。」
スーが横に避けると、後ろからフレアリスが一撃を叩き込んでいる。ドラゴンの方は平気なのか分からないが、一発一発を全て受け止め、弾き返しているが、服や身体に切り傷が見え、それはスーの持つ剣の威力が優れているからだろうと思われる。スー自身も技量の差を剣で埋めているのだから、とにかく反撃を許さない事を考え、間断なく交互に攻める。ポチは一撃離脱するか、腕や足に噛み付くかするが、一番粘り強くいやらしい攻撃をするのがスーだった。執拗な攻撃は続き、ドラゴンの姿に成って二人と一匹が弾き飛ばされるまで続いた。
マナとエカテリーナは離れたところで見ている。もちろん建物の陰に隠れて様子を窺う程度で、後ろから声を掛けらるとは思っていなかった。
「あのぅ・・・。」
声を掛けたのはマギの妹で、マナは面識が無いがエカテリーナは覚えていた。しかし名前は憶えていない。
「おねーちゃんのいも―とのおねーさん?」
なんかややこしい。
「エカテリーナよね?」
「え、はい。」
「知り合い?」
「うん。」
初めましてなんて挨拶をしている場合ではなく、マギの妹はマナとエカテリーナの手を引っ張って家へ連れて行く。そこには全裸でしゃがんでいるマギの姿が有った。
「なにやってんの?」
城の中で何が起きていたかの説明と、今何が起きているのかの説明を求められた。
「そう、それで全裸なのね。でも、太郎じゃないと服は無いわ。ちょっと待ってて。」
窓の外では太郎が男と話しているのが見えたので、魔法で伝える。とは言ってもテレパシーのようなモノはここからでは太郎に届かない。マナがやったのは魔法で太郎の足に草を絡ませただけだ。それでも気が付いてこちらを見てくれたので手招きをする。
まだスーとポチとフレアリスが戦っているので、余裕があるらしく、走ってマナの所へ駆け寄る。
「どうし・・・あっ。」
窓を覗き込むと全裸のマギがいる。背中しか見ていないがマギの耳が真っ赤に成ったのは言うまでもない。
「マギが死んだ時にココで生き返ったらしいけど、服が無いみたいだからなんか出して。」
女性物の服はスーの分がある。マナの分も有るが・・・ああ、これサイズが大きいな。買った当時より身長が縮んでいるマナを見てそう思った。直ぐに着れるだろうワンピースを出すと、マナが受け取りマギに渡す。頭から被れば意外にもサイズは合っていたようで安心する。
「済みません。」
「気にしなくていいわよ。」
マギの着替えが済み、全員が家の外へ出るとドラゴンが見える。
スーとフレアリスが仰向けに倒れ、ポチが炎を吐き出そうとするドラゴンの喉元に噛み付いて阻止していた。爪で背中を刺されて無理矢理引き剥がされたポチが投げ捨てられると、今度はジェームスがその首に掴みかかっていて、その隙に立ち上がったフレアリスがドラゴンの身体を掴んで投げ飛ばす。ジェームスはフレアリスが掴んだのを確認して素早く離れていたので、一緒に投げ飛ばされてはいない。そこへスーが渾身の力を込めて剣を振り下ろす。
甲高い音が響き、剣は折れた。
「高級品がああああああ!!」
スーの関心がどこへ向かっているのか、不安になる瞬間である。
折れた剣を見てジェームスが驚く。
「ダマスカス製の剣じゃないか・・・それであの切り傷を作っていたのか。」
スーの姿を見ると、怒りに任せて土魔法の岩石をドラゴンの頭に落としていた。ただし、効果は薄い。それ以上の怒りで今度こそ炎を吐きだし、ドラゴンの前方数メートルの範囲を火の海に変えると、ジェームスが水魔法で防いだ後ろに逃げ込む。それでも熱い。
おさまった炎を確認してからスーが言う。
「噂のジェームスってドラゴンの炎を防げるほどの魔法の使い手だったんですねー。」
「俺を知ってるのか。」
「噂だけですけどねー。」
「俺も魔王国では有名なスーって猫獣人なら知っているが、引退したという話だったがな。」
「そのスーは引退して、今は新しいスーなんですよ。」
「そうか。」
急に真面目になったのは、ドラゴンが飛びあがったからで、ジェームスの方も言葉の意味に関心を持つ余裕はない。空を飛ぶドラゴンに対抗するには空を飛ばねば成らず、飛びながら戦える者と言えばここには一人しかいない。
何故か少しワクワクしながら白い防具を身に付けた太郎がふわふわと飛び上がる。予想よりもずっと小さいドラゴン相手だが、恐怖心は無く、負ける気もしなかった。
勝つ気もしなかったが。