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もう一度、娘に会いたくて。


 娘が交通事故で死んだ。


 その連絡を受けたのは、仕事の最中だった。

 私は絵師で、重要な展示会の打ち合わせの最中、スマホの電源を切っていた。


 知らせを受けたのは、相手側の会社にかけ直された電話を取った電話番が、打ち合わせ相手の上司に伝え、内容から即刻伝えるべきと決定を下してからだった。

 その十数分が、私があの子の死に目に会えなかった理由となった。


 相手に会社に借りた車を降りるほんの数分前に、あの子は息を引き取った。

 

 辛く、やり切れない想いが胸にあった。

 葬式が終わり、あの子がいなくなってもまだ、私は後悔の波に呑まれていた。


 妻も同様だった。

 そんな時に、不意に妙な男と出会った。


 彼は時間を巻き戻す方法があると言った。

 対価は今までの人生を捨てる事だと。


 私たちは乗った。


 そして、時間が巻き戻る。

 巻き戻ったのは、あの子が生まれる前、妻と結婚した直後の時間だった。


 私は知っていた。

 どうすれば成功するのか。


 あの重要な展示会に至るまでに自分が描くべき作品を、知っていた。

 前よりも上手くやれる。


 あの子が生まれて数年は貧乏だったが、やり方を知る私は少しだけ前よりも裕福になった。

 妻のお腹に子どもが宿り、再びあの子に会えると喜んだ。




 だが、生まれたのは男の子だった。




 何故だ、と思った。

 そして男の言葉が耳に蘇る。


 時間を巻き戻す対価は、今までの人生を捨てる事だと。

 私は、私たちは、あの子の命だけでなく、生きた時間までもを捨て去ってしまったのだ。


※※※


 私たちは失意に落ちた。

 もう、あの子には会えない。


 写真もなければ、動画もない。

 何故なら、あの子はこの世界にいないから。


 生まれてくる事すら出来なくしてしまったから。


 絶望したが、妻は気力を取り戻した。

 幼く、明後日の方向を向いて機嫌よくきゃっきゃと笑う息子を私に示して、言った。


 この子も、私たちの子だと。

 あの子の代わりではなく、弟として、あの子の分まで育てましょうと。


 私には出来なかった。

 この子は、あの子ではないのだ。


 常にそんな想いが胸にあり、作品は書き続けていたが自分の遥かな時間に失われたものの模写ばかりで、新しいものなど思い浮かばなかった。

 だが、今まで通りの絵を描いている事、会うべき人、場所が分かっている事から、私は裕福にはなっていたが、同時に空虚を感じていた。


 ある日、どうしても息子を直視出来ずにアトリエに篭った時に、ふと思いついた。


 私はあの子が忘れられない。

 妻のようには生きれない。


 だったら、この想いを筆に載せるのだと。


 いなかった事になってしまった、目に焼き付いているあの子の姿を、覚えている限りの姿を描こうと、私は一心不乱に筆を進めた。


 赤子の頃、幼稚園、小学校低学年から、死んだあの日まで。


 『存在しない少女』の絵群は高い評価を受けたが、手放す気は全くなかった。


 そして、ついに。

 死の間際に見せたあの子の笑顔をキャンパスいっぱいに描き切った私の側に、いつの間にか言葉を話せるようになっていた息子が来ていて。




 ねーたん! とキャンパスを指差した。




 私は極度の混乱に陥った。

 息子はニコニコと後ろを振り向き、そっちに向かっても、ねーたん! と言った。


 私が見ると、そこに、あの子が立っていた。

 キャンパスに描いたのと同じ笑顔で、私を見ていた。


 震える声で、囁くように名前を呼ぶと。

 あの子は、にっこりとうなずいて、弟を手招きした。


 手招きされた弟は、あの子にとてとてと駆け寄り、頭を撫でるような仕草をあの子がすると、嬉しそうに笑った。


 いつから、と呆然と呟く私に。

 最初からです、とドアを開けて現れた妻が言った。


 あの子の弟を生み、私に伝えた時にはもう、妻には見えていたのだと。

 あの子の影を追い求めるのではなく、弟をしっかり育てよう、と決めた時に、見えるようになったと。


 私は、あの子の人生を描き切り、心の整理をつける事が出来ていた。

 だからあの子は姿を見せ……そして、これでお別れなのだと。


 私たち夫婦の心の整理がついたから、あの子は呪縛からようやく、解き放たれるのだと。

 妻は言い、あの子は微笑んだ。


 私はふらふらとあの子の前に近づき、膝をついた。

 触れることは出来ない。


 懺悔する私に、あの子は絵を見て、口だけを動かして声もなく、言った。




 ーーー可愛く描いてくれてありがとう、と。


 


 そして、あの子は消えた。

 私は、あの子が死んだ時には流せなかった涙を流し、大声で泣き伏した。


  あの子は消えてしまったと思っていた。

 でも、いつも側にいたのだ。


 身勝手な私を、余計に苦しませてしまった私を、笑って許してくれた。


 いつも間違えてばかりだ。


 待ってはいないかも知れないが、もし、あの世があり、あの子と会えたら。


 その時は、もう一度、あの子の絵を描こう、と、思った。


※※※


 どこにも存在しない少女ーーー享年、12歳。


 だが彼女の姿だけは、絵の中で生き続ける。

 

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