運動部キラーの噂
平野さんはあの戦いの後、すぐに帰宅した。ダメージもさることながら、溶解液を浴びたことによる精神的なダメージも大きかったようだ。野球部たちは気絶した岡村を連れて帰って行った、これで懲りてくれたらいいのだが。
俺はあの後柳生さんと一緒に安野さんに勉強を教えてもらいながら八時を待った。安野さんの教え方はとてもうまく、予習も含めてかなりの範囲を進めることができた。
「今日はありがとうございました」
「気をつけてな、心配だから明日も来なよ」
安野さんは駅まで送ってくれた。本当に優しい人だ。
「柳生さんも電車こっちの方向なの」
「そうだ」
柳生さんはあまり自分から話すタイプではないようだ。防衛委員会の人たちの前だともう少し話してくれるのだが。
電車に乗り、最寄駅で降りてから三十分ほど歩く。結局この日、家に着いたのは十時を回った頃だった。
一週間が過ぎた。特に変わったことは起きない。相変わらずクラスの半グレどもは勉強に集中しているし、野球部もあの日以来見ない。
俺自身は放課後は防衛委員会で他の生徒と一緒に安野さんに勉強を教えてもらっている。帰りが遅くなるのはネックだが、塾に通っているようなものだと思えば苦痛ではない。お母さんも勉強のための居残りなら大歓迎だと納得してくれた。
「皆さんには部活か委員会に入ってもらいます。活動するかどうかは自由ですが、とにかく入ることは全員入ってもらいますよ」
ホームルームの時間、先生は入部希望用紙と入会希望用紙を配りながら説明した。面倒なシステムだが、おそらく学校パンフレットに書いてあった部活入部率100%とかいう胡散臭い宣伝文句のためだろう。
俺は部活一覧に目を通す、しかし安野さんが一週間前に言っていたことを思い出すと、とても部活に入りたいとは思わなかった。
「この学校は部活ごとの勢力争いが激しくてね、野球部も当然その一つさ。もはや部活とは名ばかり、特にこの学校における運動部は不良グループみたいなもんだと思った方がいい」
はっきり言ってそんなものには入りたくない。俺は迷った末委員会リストに目を通す。図書委員、体育祭委員など普通の委員会に混じり、防衛委員会の名もある。
「学校側から委員会として認められているのか」
活動内容的に正義感溢れる有志によって勝手に委員会を名乗っているものだと思っていたが、正式な委員会らしい。普通の学校でいう風紀委員会みたいな位置づけだろうか。
「よし」
俺は悩んだ末、防衛委員会を選んだ。どうせ放課後に通っているし、何より部活に入りたくなかったからだ。
放課後、いつも通り防衛委員会の教室に向かう。中に入るといつも通りパソコンをいじる平野さんと宿題をこなす柳生さん、そして見たことがあるような小柄な少年が一人いた。
「あ、お久しぶりです」
桜千春だった。どうやら彼曰く入りたい部活が無く、防衛委員会入りを希望したらしい。
「やあ、杉田くん」
安野さんが奥の部屋から出てくる。俺は千春同様入りたい部活が無く、防衛委員会に入会したいという旨を伝えた。
「うん、いいよ。もともとここはそういう人の受け皿でもあるしね。でも委員会は部活と違って活動実績を多少見られるから、月曜日と水曜日、後土曜の授業後は必ずここにいてもらわないといけなくなるな。後は書類とか備品の整理をたまにやってもらうかもしれない。基本そんなに仕事はないんだけど」
もちろん了承した。安野さんたちにはお世話になっているし、そもそも放課後は常にここにいる。
「ありがとう。今年は戦闘員一人に非戦闘員二人か。例年より少し少ないかもな」
「そうですね」
興味がない、という感じで平野さんは返事をする。平野さんはいつも以上にパソコンに集中しているようだった。
「そういえばまた運動部が襲われたらしいですね」
千春が言った。「運動部に」ではなく「運動部が」と聞こえたのだが、聞き間違いだろうか。
「ああ、この一週間だけで12件、部活どうしの抗争にしてもここまで多いというのはね」
「襲われているのが運動部なら自業自得だな、助ける義理はない」
「まあまあ。運動部といえど帰り道に奇襲するのは立派な刑事事件だ。学校のもみ消し体制がなければ大騒ぎになってもおかしくない事態なんだよ」
どうやら柳生さんも安野さんも知っている話らしい。気になるので三人に聞いてみる。
「え、知らないの。有名な運動部キラーの話」
どうやら運動部、それも部内での立場が強いもののみを狙う辻斬りのような存在らしい。正体は全く不明。他の運動部を潰したい運動部員の仕業とも運動部の圧政に不満を持つ文化部員の仕業とも言われているが、正体は不明。被害者は「運動部キラー」への恐怖で支配されており、この件について話を聞ける状態ではないらしい。
「それで運動部と日々敵対している防衛委員会の仕業とかいう噂まで流れていてね、なんとか犯人を捕まえたいんだよ」
安野さんは困りはてている様子だった。そんなことを言われても何もいい案が思いつかない。しばらくの沈黙ののち、柳生さんが口を開いた。
「わかりました、私にお任せください」
柳生さんの表情には、自信が満ちあふれていた。