(4)
真由が亡くなったのは二年前の夏。
私達はその日も家族三人で裏野ドリームランドに遊びに来ていた。家から車で一時間程度でつく手頃な距離感と他のテーマパークに比べての入園料の安さ、そして何より真由がこの施設を気に入っていた事から、度々私達はここを訪れていた。
正直言って、決して人気の施設ではなかった。年々入園者が減ってきている事は明らかで、それに伴い入園料が下がっているという事実は私達の財布にはありがたかったが、活気が失われていく様は見ていて寂しいものもあった。しかし、真由はそんな事を気にもせずいつも全力で楽しんでくれた。
特にお気に入りだったのがメリーゴーランドだった。真新しさはない、ごく平凡なものだったが、真由曰く、「馬車に乗ったり、馬に乗ったりしてると王国の姫様や王子様になったみたい」との事で、幼い純粋な感性に感心したものだった。
真由の笑顔がどこまでも眩しかった。この子を幸せにしなければと強く思った。
まさかそれが、この日に二度と叶わなくなってしまう事になるとは思ってもいなかった。
家路へと車を走らせている途中、途端猛烈な衝撃が後ろから私達を襲った。エアバッグが飛び出し、私の顔面を包み込んだが、全身を強烈に何度も打ち付けられ、その直後に意識もろとも吹き飛ばされた。
次に目が覚めた時、私は病室のベッドに仰向けになっていた。身体を起こそうとすると鈍さと鋭さが伴なった痛みが身体に走り、思わずうめき声を漏らした。
状況が全く分からない。私はさっきまで車で家に帰ろうとしていて、そして後ろから……。
それで、それで……。
「……真由」
そうだ。
「……紗雪」
そうだ、二人は。二人はどこだ。
私が意識を戻した事に気付き近づいてきた看護婦の腕を私は思いっきり掴んだ。
「妻と娘は!?」
驚いた顔をしていた看護婦はすぐに答えを口にしなかった。一拍おいて、「安静にしていて下さい。後でちゃんと説明します」、そう言ってその場を離れてしまった。
後で。後でとは何だ。その理由を、確かに私は後で知る事になった。
紗雪は無事だった。左足の骨を折っていたが、それ以外は大きな怪我はなかった。ちなみに私の方も全身を強く打ってはいたが、五体満足で何ら大きな問題はなかった。
だが、真由は駄目だった。
後部座席に座っていた真由は衝突の際に前に投げ出され、フロントガラスに頭部を強打し即死だったらしい。
私と紗雪は絶望に暮れた。
まだ八歳だ。これからまだまだ楽しい事が待っていた。娘が生まれてくると分かった時、その後の娘の未来を何度も想像した。成長し、結婚し、子供を産み。私と紗雪が辿ったような人生を、娘が歩んでいく未来を想像した。
しかしもう、そんなものはどこにもない。
何も考えられなかった。何もしたくなかった。紗雪も茫然自失の状態が続いた。真由を一人で後部座席に残すなんて事をしなければ、娘は死ななかったんじゃないのかと自分を責め続けた。その度そんな事はないと言葉を投げかけ続けたが、そんな言葉に何の意味があるかも分からず、私自身も疲弊していった。
真由は死んだ。それでも時間は動く。
人間というものは生きている限り動くしかない。徐々にではあるが、私達夫婦は前を向き始めた。いや、向かざるを得なかった。
もちろん真由が死んだ事を忘れるわけでは当然ない。だが、私達がいつまでもこんな調子では真由に失礼だと思った。真由がいないせいで、私達はこんな暗い顔をしてるんだぞと。無気力で堕落的な今の自分達が、全部真由のせいのような生き方をしているようで、それはあまりにも酷い事だと思った。
しばらくの休暇をもらい、私はまた働き始めた。塞ぎ込み、外界と遮断するような生活を続けていた紗雪も、習い事でも始めようかなと言って洋裁の教室に通い始めた。
ゆっくり、ゆっくりとだが、私達はちゃんと生きる事に目を向けた。
夫婦二人で改めて歩き始めた。まず今をしっかりと踏みしめていく。そうやってまた人生を続けていこうとした。
しかし、真由がいなくなったという事実は時折私に猛然と襲い掛かってきた。
夜寝ていたり、ふとした拍子に真由との思い出がまるでフラッシュバックのように眼前に現れた。
大事な大事な一人娘。
――会いたい。
叶わぬ願いが胸に募っていく。どうしようもない気持ちが胸を締め付けていく。
無理だ。そんな事は。分かっているのに、たまらなく会いたいと思う。
死ねば会えるのか。同じ場所に行けば、娘に。
娘に会いたいという思いが重なるほどに、この世で生きる事への意味を見失いそうになった。
しかし、それを口に出せば紗雪もまた戻ってしまうかもしれない。生気を失った妻のあの頃の顔を思い出し、私は絶対にこの想いを妻と共有してはいけないと自分の中だけに封じ込めた。
強烈な想いに駆られた反動で、たまに酷く無気力になる瞬間があった。
まるで命すらここにないような、浮遊感ですらない虚脱、無の状態。何も考えず、想わず。その時、意識が眠りとは違う黒い部分に落ち込んで行った。その事に疑問も抱かずまま、
そのまま私はその穴に吸い込まれるように落ちていった。
「え?」
それがきっかけだった。
そこは廃園と化した裏野ドリームランドだった。
そして、あのメリーゴーランドに、真由がいた。