第一話『死神はクリスマスに憧れる』
――死人を扱う黄泉の世界。霧雨が降り注ぎ、紺色の闇が広がり、審判を待つ死人達が群れを成す。この世界を司るのは皇帝である死神。彼は日々、死人達を煉獄に送るか、黄泉の国に人材として残すか審判を下す務めに追われていた。
一方、命を司る神の国は、黄泉の世界とは違い光に包まれていた。クリスマスの時期ともなればクリスマスカラーに彩られ、一層光輝く。
今年も、神の国ではクリスマスを迎えようとしていた――
「クリスマス、か…」
死神は溜め息混じりに呟いた。
クリスマスは神の御子の聖誕祭である。誕生とは真逆の黄泉の世界ではクリスマスなど存在しないし、しても意味の無い事だ。だが、死神はこの祭りに兼てから憧れを抱いていた。
神の国では、この時期になると美しい装飾やら祝宴の準備などで賑わい、ただでさえ光に包まれている神の国はいつも以上に光輝くのだ。
「それに引き換え黄泉の世界とは、常に霧雨が降り注ぎ、紺色の空に覆われてなんと暗いものか…ああ、私も一度クリスマスを祝ってみたいものだ」
漆黒の城に黒水晶の玉座。黒く磨かれた床には血の様に赤い絨毯が敷かれている。死神の傍らに控える家臣は、漆黒のローブに身を包み顔はフードにで覆われていた。
「またその様な事を。クリスマスなど浮かれた神々が酒盛りをするだけではございませぬか。神々が浮かれているから人間共まで影響されるのです」
「人間は良いではないか。彼らは死ぬ運命だ。生きている内に楽しめばよい」
「然様でございますな。しかし閣下、クリスマスの祝いをなさりたいのなら主神の許へお祝いを申し上げに参れば宜しいのでは?」
黒いローブの中から顔の無い家臣がにやりと微笑む。
「ふむ…成る程。祝いに伺えば良いのか」
死神は早速黒い馬車に乗り主神の許へと向かった。黒い森を抜ければ一気に光輝く世界が視界に広がる。
「おお…なんと美しい」
神の国に続く森の木々には、赤や緑、金に輝くオーナメントで飾られ、真っ白な綿雪が柔らかく積もりクリスマスカラーに彩られていた。
「よくお出でになられた。死神殿とは久しくお会いしておりませんでしたね。死人の審判もご苦労でございましょう。しかしながら、その務めのお陰で私も命を生み出す事が出来るのです」
丁寧な所作で主神は死神を迎えた。
「主神殿、この度は御子様の聖誕祭に当たりお祝いを申し上げにに参りました」
死神は磨かれた御影石に膝を突き、漆黒のマントを床に落として礼をとった。主神は大変喜び家臣達に早速酒宴の支度をさせた。
「アドベント(待降節)からクリスマスの宴席を設けていましてな。昨夜は天使達と盛り上がったばかりです。ささ、死神殿もごゆるりと楽しまれるが良い。今宵は帰しませぬぞ?」
主神は死神に杯をとらせて美酒を注いだ。が、死神は少々困惑していた。
……これがクリスマスの祝いなのか?もっと厳かな雰囲気なのかと思っていたのだが。想像していたものと随分違う。しかし困った……
死神は下戸だった。
さて、どれ位の時が経過したのか定かではない。気が付けば目蓋の裏側が明るく、目を閉じた儘でも眩しい程に目の奥がちくりと疼いた。
……眠っていた、のか……
死神は重たい目蓋を手のひらで覆いながらゆっくりと目を開いた。
辺りは雪の結晶で固められた酒瓶が乱雑に置かれ、銀の杯が散らばり隣に主神が高いびきを上げていた。
重い頭を持ち上げ身を起こし、懐から羊紙を、指先から黒羽のペン先を取り出して簡単な礼状をしたため、主神の懐に残した。
「もうお帰りになるのですか?まだ宵は明けておりません。主神様も今宵は帰さぬと…」
主神の家臣達が慌てて死神を引き止めたが、死神は柔らかく制して黄泉の国へ戻った。
「閣下!大変でございます」
死神の姿を見るや家臣が血相を変えて迎えた。城内は騒然となっている。
「何かあったのか?」
「とにかく…こちらへ」
家臣に導かれた場所は玉座だった。そこには黒い大きな球体が浮かび上がり地上の様子を映し出している。
「地上球を観察していた観察官より異常が発生した、との報告があり確認をしていたのですが…」
地上球に映し出されていたのは飢餓と疫病に苦しむ人間の姿と、戦争の準備を始めている光景だった。
「何故突然この様な事に?死人…死人が急激に増えているのか?」
「無意味な死人が殺到しております。審判は副官にさせておりますが、まずはこれ以上、無駄な死人を出さぬ様に計らねばなりません」
死神は審判を下す黄泉の門を石枠窓から眺めた。異様な程の死人達が列を作り、遥か向こうまで続いていた。
「分かった。すぐに取りかかろう」
死神は執務室へ閉じこもり、地上球を手のひらから浮かび上がらせた。
「静まれ!」
球体の前で手のひらをかざし青い光を放つと、次第に地上を覆っていた暗雲が消え、薄く白い雲に変わっていった。安堵した死神はその場でうなだれた。
「私が主神と酒宴に興じていたばかりに人間を見放す様な事をしてしまった。この世界では短い時間でも、地上では数十年も経過しているというのに。予定に無い死を迎えさせてしまった…なんという取り返しのつかない事を…」
死神は自分のした事に後悔し、ふとクリスマスの意味を思い出した。
「神の御子がご聖誕なされた記念の日なら、予定の無い無意味な死を誕生に変える事は可能だろうか…」
死神は再び地上球の前に手のひらをかざした。すると家臣が慌ててその腕を払い落とそうとした。
「閣下!何をなさろうとしているのです!貴方は死神なのです。人間の死を司り死人に審判を下す事が貴方の務め…決して誕生に関わってはなりませぬ」
「分かっている。だが彼らは予定に無い死を迎えてしまった。私の責任だ。だが一度死んだものを生き返らぬ。だから魂を誕生へ導く必要があるのだ」
「なりません!死神が誕生に関わるなど。それがどういう事になるのかご存知なのでしょう?」
死神は暫く沈黙した後、静かに家臣へ視線を向けた。
「ああ…分かっている。死神であれ主神であれ、この天上の世界では与えられた務め以外の事に手を掛ければ己の存在は消えてしまう事を…だが、私が消えても新たな死神が現れる。心配する事はない」
「いいえ…いいえ!それは認めませぬ!私は貴方だからこそお仕えしているのです。貴方は死神でありながら常に人間を観察し、愛しておられる。その愛し方は主神とは違うものでしょう。彼らには死が待っている事を貴方は主神以上に理解しておられる」
「人間は我々と違い短い時間を生きている。天上より遥かに早く短い時間の中で限られた人生を送るのだ。運命という重荷を背負って生きる人間の姿はなんと美しい事か…私は死神として彼らの死を司る事を誇りに思っているし、天上務めの中で一番崇高なものを与えられていると自負している」
「ならば!魂を誕生に導くなどという事は…」
「…なればこそ、私は決めたのだ」
家臣が何か言おうとしたその時、死神の全身が青い光に包まれた。光は地上球を包み込んだ。家臣が慌てて手を伸ばしたが手応えはなく、漆黒のローブとフードは風圧に巻かれた。白髪の賢者を思わせる痩せた顔が露わになり、青白い顔色が更に青黒く染まる。
遥か遠くからクリスマスの祝いを告げる鐘の音が老家臣の錆びた耳奥を震わせた。