好きしか無い君に 2
「多少の元気があるうちに書いておくんだ」
昼過ぎに、飛び起きて再び夕生の家に行った。電車を乗り継いで30分程度かかる。駅からは徒歩15分。その時に、縦書きのレターセット買ってきてねと頼まれていた。これに抵抗したかったが、仕方ない。夕生が望むことならやるしかなかった。ここで感情を高ぶらせるのはまだ早い。母親の恵美は朝臣を迎え入れてから、入れ替わりに夕飯の買い物に出て行った。
「なんで縦書きなんだよ。意外に珍しい趣味してるんだな」
夕生の部屋は昨日より少し片付いていた。これから、少しずつ物が減っていくのではないかと思うと気が滅入った。
ベッドに三角座りをしてレターセットを眺める夕生に言う。枕とクッションやぬいぐるみを重ねてうまく寄りかかっている。
「そう? とりあえずカッコ付くかなと思ったんだけどさ。ほら、昨日さ映画に出た話ししたじゃん。終わった後に、その監督から手紙貰って縦書きだったのが格好いいと思ったから、真似したくなって」
「凄いね。監督から手紙とか」
夕生が画面の向こう側の人なのは、わかりきっていたがそういうやり取りがあると聞くと現実味があった。
「それは詫び状みたいなものだったけどね。制作資金が不足して、とか書いてあった」
「勿体ねえな。せっかく出演したのに、何とかならねえもんなのか」
「そうだね。でも芹沢直って役名で、冴島監督の若い時を演じたのは俺だし、ありえることかもなあって理解できちゃってさ、すぐ諦めついちゃった。まあ、そりゃあ尖ってる頃の部分だけなんだけどね。それに、資金に余裕ないから俺みたいな素人をギャラの安さで起用したんだろうしね」
「……冴島」
朝臣の紛らわしい相づちに、夕生が言った。「知ってた? 冴島正監督」
「いや、知らなかった。ただ、この間バイト先に冴島って人が、入ってきたから……」
「そっか。そんな被る名前じゃないかもだけど、珍しすぎるって訳でもないよね」
夕生は考える素振りを見せた。朝臣は言う。
「悪い。多分偶然だ。で、尖ってる部分ってどんな感じだったの」
「暴力に次ぐ暴力だよ。まじのDV。それと借金。でも、変なとこお人好しなんだ。それで、生活力無いのに、子供作って。子供は好きなんだけど、酒で豹変するからさもう、地獄みたいだった。俺の出演部分」
地獄みたいと言いつつ、語り口は楽しそうだった。内容は壮絶でもそれを演じたのが楽しかったに違いない。少しでも楽しく感じることが経験出来たなら良かったとは思える。
「それは難しい役どころだな」
「うん。人に対して、そこまで攻撃的になったことが無いし、想像したことも無かったからさ。でも、監督は君は剣道経験者なら棒で人殴ってるだろって言われて」
「酷い言い草だな」
修練を詰み、ルールに則ってやっていることをそう言われるとは、不服だ。
「酷いけど、それでなんとなく、腑に落ちて思いっきりやってさ。自分に、こんな凶暴さ出せるんだってことに、ちょっと引いた。子役の女の子もマジ泣きだったしさ。でも、そこは台本でも泣くところだったから、良かったみたい。もちろん、フォローはしたよ。で、俺の仕事はそこで終わった。クランクアップ」
「じゃあ、映画全体として夕生の出演部分はそんなに多くないんだ」
確認するように朝臣は言った。
「多くないと思う。後は、不摂生で容姿風貌が変わっちゃったから違う俳優さんに交代してるんだ。俺それ、本当かなって思ってなんか俺が未熟だから一人の人生を演じさせてくれないのかと思っていたら、結婚当時の写真見せてもらったら本当に違った」
そう言って夕生は笑った。
「思い過ごしだったわけだ」
「うん。そう……地獄みたいって言ったけど、全体像が見えたら、多少は希望が見える感じにはなるんじゃないのかな。悔やんだとしても、出来ることをしよう。みたいなテーマだと思う」
「じゃあ、完成させないとだめなのにな」つい朝臣は口惜しくて言う。
「自分の後悔が含まれてるから、こだわりも強くなるのかもしれない。俺が演じた、芹沢直はそんな人間だった」
夕生が言うからなのか、その言葉が朝臣の胸に響いた。ベッドにそっと腰を乗り上げる。後悔したくない。唯でさえ気づくのが遅すぎた。今から後悔しそうなことを、推測して塗りつぶして行くしかない。顔を近づけて見詰めた。
「なに?」夕生は小さく聞く。
そこで思う。こんなシチュエーションは高校の頃によくあった。いつも近くで見たかったのかも知れない。告白までさせたのに、気づかなかった過去の自分を悔やむ。
「……好きだよ」
朝臣は真正面から言う。「いきなりだね」少し照れたように夕生は笑う。「そうかな」
「そうだよ」
「言ってなかったから」
「じゃあ、もう一回言って」
「好きだよ」
どちらともなく、キスをする。それに対しても夕生は言う。「もう一回」
誰もいないことが、こんなに良いとは思わなかった。惜しみなく出来る。もう一回を何度もしてしまってから、息をついた。見ると、夕生が酷く虚ろな目付きになった。
「……大丈夫? なんか色々吹っ飛んで、ごめん」
「このまま、魂が抜けたらいいのに……とりあえず、横になるか」
夕生はそのまま、溶けるようにぬいぐるみの中に沈んでいく。しかし、直ぐに布団の角を折って浮上してきた。
「やっぱ熱い」
「大丈夫かな。俺が気をつけなきゃいけないのに」
朝臣の方も体温は上がった。夕生はそういう、自然現象ではないかも知れない。そっと、一応夕生の額に手を当てた。額は少し確かに汗ばんでいた。
「大丈夫だよ。こういうのは多分……オキシトシンだし」
夕生は補うように言う。
「そうなの?」
「わかんない。願望。でも、普通に出来ることは普通にしたいもんだよ。月曜日に、病院に戻ったら検査して、その後結果が出る。そしたら自宅療養に入れるかも。病院も近くにしてもらうことになる」
「そうか」
少しはいい話だと朝臣は思う。だがすぐそれは浅い考えと思い知る。
「そしたら、もうちょっと普通な感じの、穏やかな生活を意識できると思う。でも」
「でも?」
「検査で俺がいつまでもつかはっきりしてくる。既に大体知っているけど、もっと明確になるだろうと思う。けれど、俺的にはそれを知るのは俺一人でいいのにって思っちゃうんだよね……」
「ひとりでいい?」朝臣は耳を疑う。
「うん」
「そんな……外飼いしている猫じゃあるまいし。最終的に猫みたいに蒸発したいって言っているのか」
朝臣はここまで来て、急に夕生に拒絶されたような気がした。腹が立ったが、なるべく静かに言って、この程度で押しとどめる。
「本音はそんなかんじ」夕生は軽い調子で言う。
朝臣の寂しさに気付かない様子だった。
疎遠になった時間のせいなのか。執着に気づかず、結果的に傷つけて、長く嘘を付かせたせいなのか。どれもこれも、修正なんか追いつくはずもない。これまで鈍かったことに対する報復なのか。それが無意識だとしても。朝臣の無意識に苦しめられたのなら次は夕生の無意識さに苦しむ番なのか。朝臣は押し黙った。
「……ごめん。なんか怒っちゃったみたいだね」
夕生は淡々としていた。それが尚更情けなくなる。
「俺が女々しい男だって、知ってるだろ」
「女々しいなんて思ったこと無いよ」
夕生は恐ろしいほど穏やかに言った。いよいよ、朝臣の一人相撲の色が濃くなる。一旦、卑下しすると、どこまでも落ちてしまうのか。
「散々好きにさせといて、最期の答えがそれなのか。結局、やっぱりごっこ遊びだったんだ。考えてみれば、ごっこ遊びはやめたとはお前は言ってねえしな」
「今、散々好きにさせといて? って言った?」
「そうだよ。言ったよ」
「それを朝臣が俺に言うなんて思っても見なかった。ものすごい進歩なのに、そう言われると案外辛いもんだね。どうにもならない」
そう言い終わった後に、夕生は「散々好きにさせといて、だって……」と、どこか満足げにぬいぐるみを相手に呟いている。
「あぁ……」朝臣は思わずうなだれる。全く太刀打ちできない。薄々感じてはいたが、夕生は見た目の雰囲気と違って、大人なんだろうと思う。その上、もう悟りの境地の方角に向いている。こうなったら、自分に正直であるしかない。
「俺は覚悟はできねえし、こうしてうろたえてるのはかっこ悪いけどお前が好きになった奴はそういう奴なんだって忘れるなよ。だから失望もするな」
「失望なんて、そんなことしないよ」
「俺はお前を看取るからな」
看取るなんて決定的な言葉には抵抗があったが、仕方がなかった。宣言したせいか、気分が少し落ち着いた。奇妙な安堵感がある。言い慣れている言葉のようでもあった。
「そうやってとうとう、最期に向けてまで束縛じみたこと言うんだね。いつも、前からそうだったけどさ」
「やっぱり俺、そうだったのか。今、言っててなんか変な感じがしたんだ」




