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星になった君に  作者: キリシマアキラ
15/16

時のない君に



 春になった。

 篠井朝臣は酷く気分が落ち込んだ状態で時間の感覚も無く、スマートフォンの電源も落ちたまま、とりあえず生きていた。

 葬儀が終わって49日法要に冴島正が完成したと言っていた映画のDVDを手渡してきた。映画の他に、夕生を中心にしたメイキングが収録されている。DVDにはなんの装飾もないもので業界用という雰囲気だ。『星になった君に』と印字されていた。

 その翌日に、樫木夕生の死が伝わった。朝臣はそれを事務所のサイトで確認してから、気力が抜け落ちて情報を遮断した。テレビも見ていないから、世間でどんな扱いになったのかも知ることも無かった。部屋から出るのも、近くの日配品の置いてあるドラッグストアのみだ。そこで最低限の食料と焼酎を買っていた。渡されたDVDは視聴出来ずに、放置している。夕生のスマートフォンも初期化していない。

 遺書には縦書きでこう書いてあった。


「朝臣へ。

 この命短くてひとつだけ良かったことがある。朝臣に恋したままで終われること。それに尽きる。どうか幸せになって。ありがとう、さようなら」


 随分、知略を巡らせた割に簡素なんだと驚いた。正直、これだけでは寂しいと思った。夕生の母親の恵美宛ての遺書も短かったと聞いた。

 自分だけ放り出されたようで、何もしたくない。

 死んだほうがいいなと思う。遺書の最後が過ぎればそれも難しい。

 いつ注文したのか、夕生が亡くなって数日経過した後に朝臣への誕生日プレゼントが届いた。この中身だけは何故か抵抗なく見ることが出来た。シンプルな濃紺のネクタイだった。将来のことを思って選んでくれたのだろう。

 将来。

 死ぬことでふたりの世界が完結すると解釈に変化を付けて考えてみたくなる。

 それが俺の幸せだ。

 これでどうだろう。あいつは赦してくれるかな……

 ぼんやりと時間が経過する。


 夕方。突然激しく、呼び鈴とドアを叩く音がした。滞った支払いやら何やらかと思うと、現実が音と共に強引に迫ってきた。両親とも全く連絡をとっても居ない。親かもしれないと思うと怖かった。こんな情けない状態を知られたくないと反射的に思った。朝臣はこわごわ、ドアの覗き窓を見た。顔に見覚えのある女が居る。金髪に変わっていたが、長い髪は同じだ。

「ちょっとー! 居るんだろ! 死んでるのか!」

 ドアを蹴っているらしく、築20年のアパートのドアが軋んだ。

 ちくしょう。あいつなら壊すことを厭わない。仕方がなくドアを開けた。チェーンの分だけ細く開く。そこからまだ冷たい風が部屋に入って来る。

「何だ」

「いるんじゃん! 良かった。マジに死んだかと思ったよ」

 そう思うならよくひとりで来たもんだなと朝臣は思った。「何だって聞いてるんだ」

「精神的には死んでたみたいだな。髭あると感じ変わるねー」

「うるさいな。死んだ死んだ言うな」

 朝臣は目を伏せて言う。

「中に入れてくれないの? あたし騒ぐよ」

「ダメだ」

「……あたし、あれからあんたの言った通りにした。それでやっぱり人居なくて困ってるのがもう、何ヶ月も続いてる」

 だからバイト先から履歴書を見てここまで来たのか。揉めたきっかけになった時と同じ発想と手法か。

「俺は知らん。そんなこと。大体、俺は大学生だ」

「ろくに行ってねえ風情でよく言うよ……」

 冴島の靴のつま先がぐっと内側に入ってきた。ツイードのパンプスが玄関で回転して飛んだ。

「は? 何やってんだよ!」

 朝臣が靴に気を取られている間に、煙草の箱が更に奥に飛んでいった。

「取ってきてよ。靴は勝手に脱げてこのままじゃ帰れないし、煙草は手が滑って」

「めんどくせえな。返すから帰ってくれ」

 朝臣は仕方なく、煙草を取りに行く。もしやと思い、玄関を振り返った。腕まくりした、白い腕がぬっと肘の上まで入り込んでチェーンを取った。その動きは一種ホラー的なものがあった。そのまま呆気にとられて居る内に入り込まれた。

「気色悪いことしやがって」

「ふうん、片付いてんだか汚えんだか微妙な部屋だな。お邪魔します」

 部屋を見渡すと言った。

 お邪魔しますとかふざけんなと思ったが、朝臣は黙っていた。ここまでする目的があるに違いない。冴島は下駄箱の上を見た。そこには目を通していない郵便物が無造作に散らばっていた。

「お前さ、篠井。今の自分の状態わかってる? 溜まってる郵便物とか見たところ、支払いも滞ってるね。お前、生活困窮者になりかけてるぞ。アパートの管理会社からの封筒もある。これは警告的な内容だろう。だからどうせ近々管理会社がもっと強引に来る。保証人にも連絡されるだろうな」

 冴島の口調は妙な優しさを帯びている。だが生活困窮者という言葉に、少なからず衝撃を受けていた。朝臣はそれでも、冴島を拒否する。

「そんなことお前に関係ない」

「そうかもしれないけど、お前が篠井さんの息子ならそうは言っていられねえよ。大体、なんか変だなってのもわかってたし、あたしはスルー出来ないたちだ。生活困窮者にも慣れてるし、あたし自身もそうだった」

 朝臣はこの事態から逃れたい。恩義だけでうるさくされるのは、こっちからしたら迷惑だ。しかし、実際問題として朝臣は生活困窮者になりかけている。社会からみてどっちが迷惑な存在かは明白だ。

「親父への恩なら、俺が話してやるから勘弁してくれ」

「俺が話してやる? 適当なこと言うなよ! そんなんで親父の前出れるのか!」

 冴島は怒鳴った。もっともな事を言われて、朝臣は力なくフローリングの床に膝をつく。

「そうだよ。わかってる……けど、どうしようもねえんだよ」

「あっ、ちょっと」あまりにの弱りように、冴島は驚いた様子で、支えようとした腕が、朝臣の前に伸びてきた。だが触れられはしない。そのまま、冴島は座った。

「何に、そんなに参ったんだ?」

「……死んだ。好きな奴が死んだ。12月のことだった」

 うなだれて言う。

「あの、最初に彼女がどうのこうのって聞いた時、既に変だったよな? その彼女のこと?」

「厳密には女じゃないし、普通に人に話せることじゃなかった」

「そうだったのか」

 冴島はそう言ってため息をつく。座り直してあぐらをかいた。「なんと言ってやればいいかわからない。けど、あたしは似たような状況にある人を見たことがある。……お前と同じだったよ。食うものも適当で、酒びたりさ。それが何年続いたろう、そう簡単じゃ無かった」

「俺は何年でも……」

「そうなんだ。そういう心境なんだ。あたしはいい加減にしろとしか思えなかった」

 何か発見したかのように冴島は言う。

 やはりそれは父親の話しなのだろうか、と朝臣は思い当たる。

「冴島正のことかそれ」

「……あんた、映画研究会かなんかなの?」

「違うよ。妙な縁だ。死んだ俺の好きなやつが、俳優をやっていて冴島正の映画に出た。葬儀にも来てたよ、お前に似てたから、それで確信した。はっきり言わなかったけど、俺とあいつの事情もわかってて俺に、声もかけてくれた」

「……なんて?」

 親子関係を否定しない。動揺しているようだった。

「お前は良くやった。そんな感じのこと言ってくれて、救われたよ」

 そこまで言うと、冴島は立ち上がって早口でこう言い放つ。

「あ、あ、あたし帰るかな。ともかくさ、実家とか頼ってさ、何とかしろよ。お前が生きていればそれで良かった」

「それじゃあ、対等じゃないだろ! お前が俺の親父のことどうのこうの言うなら、俺だって言っていいだろう」

 途端に逃げ腰になった冴島に、朝臣は強気に出る。

「何で対等になる必要があるんだ!」

「それが程よい人間関係の基本だからだ」

「理屈こきやがって」

 冴島は絞り出すように反論した。

「理屈こき? 俺はもっと理屈こく為に大学に入ったんだよ。確かに今は行ってねえけど」

「じゃあ行けよ。良かったな。やりたいことあるんじゃねえか」

「だけど今は無理だ。……お願いがある。この映画、俺はまだ見ることが出来ない。お前となら見る。そしたら、次の行動にも出れる気がする」

 朝臣は49日の時に会った冴島正のことを思い出していた。

 冴島正は、こう言い残した。

「個人的な贖罪のつもりで作ったものに、夕生を付き合わせた。役柄とはいえ酷いことをやらせてしまった。しかし、後悔はしていない。手応えは充分に感じている」

 公開については、単館上映になると言う。時期は未定。以前に夕生から聞いていた話を総合すれば、それは娘に対してのものと想像できる。良い感想を持てるかどうかは賭けだ。朝臣自身の感情も、どうなるかわからない。

「お断りだ。あんたんところの親子とは全く違うよ。絶縁してる」

「俺は別にお前たち親子の事情なんて知らん。和解しろとか許せとも思わない。ただ、この時間だけ頼む。わかるだろ、ひとりでは無理なんだ。ただそれだけだ。俺の軟弱さに少し付き合え」

「他の共通の友だちとかは?」

「居るけど、だからこそそれも無理だよ。いたたまれない気持ちにさせるだけだ。直接、俺達には関係ないお前なら適任だと思った」

 朝臣はローテーブルの上に置いてあるノートパソコンの電源を入れると、DVDを手に取った。

「あたしだって、いたたまれないしおまけに怖い」

 怖いなんて言われると、朝臣も気が引けてくる。「じゃあ全部は見ないでいい。嫌だったら途中で帰っていい」

 それで納得したのか、冴島は再び腰を下ろした。その葛藤の様に、朝臣は親子の情を見た気がした。





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