壊れゆく君に
家族葬だった。
通夜は斎場で行われた。一定の儀式が終わった斎場には小さくオルゴールの曲が鳴っていた。最新の葬儀場には宗教的な色が薄かった。葬儀場らしくさえなかった。けれど若く死んだ夕生には似合っているのかもしれないと朝臣は思った。母親の親族が想像よりずっと多く訪れた。みんな少しづつ夕生に似ている。厳密に家族とは違う朝臣はその場を少し離れた。
夕生が入院してから、数日後一旦は落ち着いたように思えた。だが直ぐに容態は悪化した。想像よりも、ことの早さに驚いていた。やはり覚悟は足りていなかったのかと朝臣は思った。まともに交わした会話すら何だったかよく思い出せない。苦しそうだった。
「あー」と、何度も唸る。何度か言って諦めた様子もあった。それを見て恵美は「夕ちゃん、何?」と聞き直す。朝臣、だろうかとも思うし、たまたま発しやすかったのだろうとも思う。朝臣はそれに対して、「夕生」と名前を呼んだ。「しっかりしろ」とも言った。それも敢え無く、意識が混濁した。もう何も見ていない目になった。
朝臣はそこまで付いていて、息を引き取った瞬間を逃した。
「ご家族以外の方は、ご遠慮ください」
これを看護師の口から聞いた時、反射的に引いてしまった。家族になるには時間が少なすぎた。何故か、恵美の恋人の奥寺も同じらしかった。しかし、奥寺は朝臣に怒鳴った。
「お前何やってんだよ! こいつは家族です入りますよ!」
そうして押され、カーテンの中に入った時はもう遅かったと感じた。だが形式的には間に合っていた。蘇生措置を止めた瞬間だった。医師が時計を見て、時刻を告げたのである。
朝臣からすると奥寺の反応の方が意外だと思っていた。その時の礼を言おうと、所在無さげに突っ立っている奥寺に話しかけた。
「あの時は……臨終の時はありがとうございます」
「いや。喪服借りたのか」
「はい。夕生のお母さんが、手配してくれました」こうして言葉にすると、まるで子供だなと朝臣は思う。
「あの人は気丈だよな。俺には何も出来ないから、気丈になるしか無いのかもしれないけどな」
「どうして夕生の父親として振る舞わないんですか」
「あんなデケエガキなんて無理だろ。お前、俺がお前の父親になったらどう思うんだ。父さんいくつだよ? 居るんだろ?」
「定年前です……」
そう言うと奥寺は笑った。そして言った。「夕生はあんなだったけど、俺に懐いてた訳じゃない。そういう風に演じていたんだと俺は思うんだ。母親の為に」
否定してやった方が良いと思ったが、朝臣は何もわからない。実父のことは話していたが、奥寺のことは何も言わなかった。だが、どこか奥寺の解釈は腑に落ちるものがあった。
朝臣のスマートフォンが鳴った。園田からだ。変な時間に到着するけど、大丈夫なのかと言っていた。そしてお前も大丈夫なのかと問われた。
「今は、……なんとも」
呆然としている。受け入れてるとも入れていないともわからなかった。通話を切ると、遺体が家族待機室の方に移動になった。翌日の告別式までその部屋にいることにした。
母の恵美と、奥寺と三人になった。線香を絶やさないようにする説明を、初めて朝臣は聞いた。どうせ眠る気もないのだからそれで良いと思った。
夕生の寝顔を再び見た。
「篠井くんのおかげで、頑張れたと思うの」近づいてきた、恵美が言った。
「そうかな……」
「病気がわかった時は、長くても三ヶ月って言われてた。でも、実際にはその倍は生きられた」
そう言って恵美は夕生の頬を撫でた。それを見て朝臣はたまらなくなる。これ以上泣いても何も変わらないのに。朝臣は何とか気を取り直す。夕生に託された手紙を渡すために涙を拭う。部屋の端に置いてあるコートにあの時のまま入っている。その仕草に、恵美の方も気づいたのか、置いてあったバッグの方へ歩いた。
お互いに託された手紙を交換する。
「今読む?」恵美は聞いた。
「い……いや、読むのが怖い」朝臣は頭を横に振る。それを見て恵美は「そうね」と静かに言った。朝臣は夕生が縦書きで書こうとしていたことを話した。恵美は「なにカッコつけようとしてんのかしら」と言って笑った。しばらく、そうして夕生の顔を眺めた。
外から、話し声が聞こえた。その後、部屋のインタホンが鳴った。恵美がそれに対応していた。体格の良い40代と思わしき男だ。薄く色の入った眼鏡に癖のある長めの髪型をしている。男は大股で夕生の寝かせている場所まで歩いてくる。その後から、やや若い男が二人静かに付いてきた。そのうちの一人は夕生が、まだ大きい病院に入院していた頃に、挨拶だけ交わした所属事務所の男だった。
「夕生! 何だよ、こんなに早く死ぬやつがあるか!」
男は感情的に怒鳴った。やめてくれ、と朝臣は思う。
「やっと映画が完成した! その矢先だよ。馬鹿野郎、てめえ、これからだろうが……! お前も俺も!」
付いてきた男が宥める。「冴島さん……」
冴島。この男か。
朝臣は冴島の感情に煽られたまま、近づいて言った。
「あんたが、冴島正ですか。夕生から話は聞いていました。どうして完成が今までにかかったんですか? もっと……」
「誰だよ兄ちゃんよ?」冴島の語気は威圧的で強かった。
普段なら絶対、こんな人に喧嘩腰にものを言ったりしないのにと、朝臣は思う。しかし、引っ込みが付かない。
「夕生の高校の頃からの友達です」
憮然として朝臣が答えると、意外な答えが返ってきた。
「夕生の恋の相手か」
朝臣は言葉に詰まった。夕生のやつ何をどこまで話しているのだろう? 困惑を見破ったのか、冴島は急に言葉をやわらげた。
「兄ちゃんも、良くやったよな。期限付きとはいえ、死んじまうことからまるごと、引き受けたんだろ。そんな重いこと若いのに逃げずによくやったよ。友情も愛情も一緒くたで曖昧なのも悪くねえもんだな」
「あんたに、褒められても、別に……」
朝臣は妙な既視感を持った。それは確実にあの冴島と親子だと一致するような、物言いだ。雰囲気も似ている。
「まあ、そうだな。俺みてえなクソ監督に説得力はねえよ。済まねえと思ってる。剣崎さん……事務所ではどうするか、話があるんだろ?」
そう水を向けると剣崎は恵美と会話し始める。その隙に朝臣は冴島に聞く。
「どこからどこまで夕生と俺のこと聞いていたんですか?」
「焦るなよ、夕生みたいな奴は俺にとって別に珍しくねえから。どこからどこまでなんてこと俺は喋らんぞ」
質問に冴島は答えなかった。あっちにもこっちにも口止めしては、いろんなことを喋っているのかもしれない。口数の多い夕生のことだ。仕方のないことかも知れない。朝臣は喋らんと明言されてはこれ以上問いただす気にはならなかった。
告別式にも来ると言って、冴島をはじめとした芸能関係者たちは去っていった。
恵美から聞いた話では、マスコミへの発表は49日を過ぎた次の日に決まったそうだ。
「わたしったら、あの子が芸能人だったのすっかり抜けてた」
「俺もです……」朝臣は力なく返した。
「発表後にファンの人が来るかも知れないって。そんなことあるのかしらね。今は全然わかんない」
そう当惑したように言うと、近くの椅子に腰掛けた。
「ここの所、眠ってませんよね。少し横になったらどうですか」朝臣が言うと、奥寺が恵美の腕に手を添えて、誘導する。恵美を寝かせた後に奥寺が、喪主挨拶の文章を考えるのに協力しろと朝臣に言いだした。
「例文を検索してみます」
奥寺は白い紙を前に、ボールペンを持った。
真夜中だった。喪主挨拶文を大体書き終わった頃に、園田がやってきた。園田は酷く慌てた様子で髪も寝癖がついたままだ。再び園田は言った。
「……朝臣、お前が大丈夫なのか」
「何で、俺の心配が先なんだよ! 死んだんだぞ、夕生が!」
思わず園田を前に、感情が前に出た。
「わかってる。先に会わせろ――」
そう言った後、園田は夕生の死に顔を見て息を詰まらせた。そして、声をかけた。
「お前、すごく頑張ったな。ごめんな、お前がいくら策士でも俺はやっぱり無理かなと思ってたんだ。でも、お前の篠井朝臣はここに居るんだな」
「策士ってやっぱり……」
園田が協力していたのか。
「夕生は言っていた。自分が死んだ時、朝臣から連絡が来たら成功だってことになる。幸せになったんだと思っていい。だからそれまで連絡は取れない。コソコソ連絡取ってたら朝臣を騙しているみたいになるから嫌だって。それが俺と夕生の最後の会話」
「それがいつだ?」
朝臣は聞く。死んで連絡。幸せ……?
「夏だったな。7月の半ばだったか」
「そんな前にか……それで、俺に園田が夕生の状況は伏せて連絡を取ったってことか」
「ごめん! それ俺も本当に迷ったよ! そんな大事なこと嘘つけないって。でも譲らねえしさ、じゃあ次の治療もしないなんて自分の命使って脅すんだ。しかも、巻き込まれるのは園田自身のせいだとまで言われた。正気じゃねえなと思ったよ、仕方ねえのかも知れないけどさ」
「何でお前のせいなんだ……?」
そう聞くと園田は重そうに口を開いた。
「昔、高校の時につい好奇心で追求してしまった。その時のことを持ち出されてさ……何年の時か忘れたけど、バレンタインデーの時にお前が女子から貰っただろ? それを知って、取り乱していたのがわかちゃったんだ。それで……」
「そうか」
朝臣は脱力したように、返答する。バレンタインデー。いつもくれてた。
「俺だって、生きているうちに夕生に会いたかった。でも、もう残り少ないふたりの世界を乱すのも野暮かなって……」
静かに園田は泣いた。
ふたりの世界と言われて、朝臣は不思議な満足感を得ている。
記憶が蘇った。
遠ざけることもしない。応えることもしない。それを夕生に、壊れていると言われた。夕生は心底、俺に疲れたのだろう。それで病んだような気がする。それで死んだような気がする。好意を受けながら、どこかに閉じ込めたかった。もう、自分以外の誰かを見詰めることもない。誰のものにもなりはしない。
それに安堵して生きるのだろうか。
それを愛と呼んでいいのだろうか。
なりふり構わず求めた癖に、どちらからも愛を語ることの無いままに。