強い君に
電飾の落ちている暗い店舗が見える。店舗の入り口には黄色の規制線が張られていた。パトカーや警察らしき車両も見当たらなかった。
そこをくぐると、中に居る店長が朝臣に気づいた。「篠井くん」
「大丈夫ですか。店長の事情聴取はもう終わりですか?」
「終わったよ。昼過ぎには、開くよ……」
店長は力なく言う。疲れているのだろう。
「休んだらどうですか。事情が事情でしょう、お客さんだって解ってくれる」
朝臣は言った。
「お前がそれを言うか。お前が断ったから、こんなことになった。売上の補填が出来る訳でもねえくせに」
確かに断ったのは朝臣の方だが、そんな言われ方をするとは思っては居なかった。だが、朝臣は反論しなかった。ここまで来る間に見たニュースサイトのコメント欄には、女しか居ないと思って入ったのだろう。と言うような書き込みを見ていた。実際にはもちろん、冴島一人だった訳ではないが、どこか裏にでも引っ込んだ作業に入ったのを見られていたのかも知れない。変則的な時間の使い方を提案すれば良かったことなのかも知れない。
朝臣はアルバイトの身でありながらそんなことを思った。
「警察にはそう話したんですか」
「警察と本社には話したよ。それにしても、あんな返り討ちがあの子が出来るとは驚いたね。警察も普通じゃない事に驚いててね、事情聴取終わったらこっちに顔出すように言ったんだけど、来ないな……過剰防衛の可能性もあるからかな」
「過剰防衛?」
ニュースにはなっていない部分だった。
「一撃目の平手打ちで犯人の方の歯が折れたらしいんだ」
平手打ちなどという生半可な一撃ではない。それは、あの公開された数秒の荒い動画でも朝臣は分かった。あれは掌底だ。果物ナイフを突き出されたとほぼ同時の速さで、犯人の顔面に掌底を喰らわせ、怯んだ隙きにナイフを持った手を取った。普通ならその手を後ろ手に返して、膝をつかせて動けなくするところだ。だが、カウンターを挟んでのことだ。犯人の手を掴み、怪力で引き寄せ、カウンター越しにチョークスリーパー。そのままカウンターの下に引きずり込まれ犯人が入り見えなくなった。そこで動画は終わっている。
プロレスなどでは、すぐにタップするだろうし、審判がいる。でもこの場合、失神するまでやったのかもしれない。本人からすれば、殺るか殺られるかの戦いになってしまったのだろう。どこか、恐ろしい気配を感じていたのはこういう面があるということか。
「冴島の様子はどうだったんですか?」
「妙に場馴れしていて、ガムテープで拘束しながら知り合いの弁護士に電話していた。その後、駆けつけた警察に理路整然と状況を説明した」
普通の女とは違うにしても、そこまで自分で出来るものなのか。朝臣は驚く。
「何者なんですか、あいつ。昼間の仕事は何をしていたんですか」
朝臣が思わず言うと、店長は言った「スーパーで保安をしている」
「保安って、俗に言う万引きGメンか……ふうん」
確か保安員はそこまでやる権限はない。万引きを見つけ次第捕まえて、悪質であれば警察に引き渡す。捕まえると言っても、引っ張ったり拘束したりなんかしてはいけない。この分だと水面下では過剰にそういうことをやっているのかも知れないが……少なくとも、この場合、何かやりそうな雰囲気を察する能力は普段から鍛えられえていたのだろう。それ以上は本人の気質か。
そう考えていると、規制線の前にセダンタイプの黒の車が横付けにされた。助手席から冴島が降りると、去っていく車に礼儀正しく深々と頭を下げていた。
振り返って、こちらに冴島が身体を向ける。
「うわ、来たぞ。篠井くん」
店長は薄情な声を出して身構えた。冴島は悪いことをした訳じゃない。それでもやはり、得体の知れない恐ろしさの方が先に立つ。朝臣だってガタイが良いだけで、あんな風に立ち向かえる自信は無い。
やはり冴島は朝臣の子供の頃に、トラウマを植え付けた張本人なのだろうか。だとしたら、そうなって仕方がない。そう朝臣は自分を受け容れ始めていた。
「お疲れさまですう。アハハ! いやあ、まいった。まいった! ああいう時は、普通に悲鳴とか上げて相手の言いなりになって、適当に現金渡して逃げた所にカラーボールとか投げつければ良いんだってね。怒られちゃったよ」
そう言ってバッグを不届きな客のようにカウンターに載せた。
「そうだよ。カラーボールの位置はバイト初日に教えたし、目に入るところにあっただろ」
呆れたように店長は言った。
「弁護士にすぐ電話するなんて良くそんな気が回ったな」
朝臣は言った。
「まあな。でも、手応え的にヤベエって思ったからさ」
「歯を折ったんだって?」
「いや、それがどうも歯だけじゃなくて、肋骨もいってるらしくて。思い切り引きずったからぶつかった衝撃が強かったみたいで……向こうは殺されるかと思ったんだって。だから、過剰防衛になる可能性も出てきてて。いいや、正当防衛でしょって強く言ってはきたんだけど、あたし前もあるからさ……でもともかくは示談交渉するって弁護士は言ってたな」
前もある。そこだけ小声で冴島は言った。
前科があるのか。同じ歳でも人には色々あるものだなと朝臣は思った。
「……冴島。お前、格闘技の経験者なのか? あの動きちょっと普通じゃねえよ。パワーもある」
「ああ。少し。かじってみた程度」
「お前は、大丈夫なのか? 怪我は……」
朝臣はやっとこの言葉に辿り着いたと内心思った。衝撃的な事ばかりで本人を労うのが後になってしまった。
「ありがとう。ちょっと爪が折れただけ。問題ないよ。でも、次の仕事先でもまた怒られるかも」
冴島は少し笑って爪を眺めた。
「保安なんだってな」
「うん。弁護士はそこで世話になってる人だったんだ」
「そんなに頻繁に世話になるものなのか?」
朝臣は聞いた。
「さあ、ね? 頻繁とはあたし言った覚えはないけど?」
冴島は不敵に笑いながら誤魔化す。
「そうだな。言ってねえな」仕方なく朝臣は答えた。たちが悪いなと思いつつも、それが頼もしいと思った。
「ねえ、店長。これから店開けるんでしょ? ちょっとアイス買っていきたいんだけどさあ。で、風邪で寝てる田中さんって人の家教えて下さいよ」
「アイスはいいけど、何で田中さんの家を冴島さんに教えないとならない?」
店長が不思議そうに尋ねた。
「責任を感じていたらいけないと思ったので、あたしが直で行けば大丈夫ってわかると考えたんだけど、変?」
なんて冴島は世話焼きなのだろう。以前からそんな兆しはあったが、こんな時まで世話焼きたがるのか。
「責任を感じるのは田中さんじゃないよ。断った篠井くんだろ」
店長は責任という部分に反応したのか、憮然として言い放った。さっきの話しに決着が着いていないからということもある。
朝臣としては辞めても良いと思い始めていた。夕生のことがある。時間に余裕はない。
「は? 元はと言えば田中さんが風邪だったんでしょ。誰も出る人が居ないからあたしになった。篠井は関係ないでしょう。急に言われても対応出来ないのは当たり前だよ。なんでもかんでもこの男を学生のバイトだと思って便利に使いすぎだろ、あたしシフト見て密かに引いてたんだから。こいつは何も言わないからどう思ってんのか知らねえけど」
冴島の剣幕には流石に黙っても居られずに朝臣は言う。
「落ち着け。俺のことは、俺が決着をつける」
「ちげえよ。事実を言ってんの」
店長はため息をつくと言う。
「田中さんは大学生の遊んでるガキとは違う。風邪でも拗らせると良くないし、周りに移っても困るだろ」
本音の吐露と見えた。田中はリストラに遭って来た50代半ばの独身男だ。独身という点で共通点のある店長は田中に妙な肩入れをしている。
「遊んでるガキ? だったら尚更おかしいだろ。責任がどうとかいうのは」
朝臣もカチンとは来たが、反応したのは冴島の方だった。暴力的な世話焼きとは、なんて面倒くさいんだろう。危なっかしくて仕方がない。
「冴島。お前はもう一旦帰れ」
朝臣は厳しい口調で言った。怒るかと思ったが、冴島は黙った。置いてあったバッグを腕に引っ掛ける。
「あんたはどうすんの? 決着なんて言葉使ってさ、それがどういう意味かくらいわかるよ」
「わかったとしてそれが、どうなんだ」
「どうなんだって、色々困ることあんじゃねえのか。こんな所、ギリギリまで利用して、トンズラでも今まで働いた分を思えば立派なもんさ」
「俺がお前の素行の悪さに共感して、言いなりになるわけねえだろ」
「言いなりになんかするつもりねえよ」
そこまで言い合って居ると、店長が割って入った。
「二人共しばらく休みでいい。出番があれば連絡する」
いきなり二人共放り出された状態になって、店の外に出た。この場合一番困るのは店側だろうと朝臣は思った。それと冴島は面倒くさいタイプではあるが、敵にしなければ悪いやつではない。直情的に話すからこうして揉めただけだ。
店の前の信号まで歩くと朝臣は言った。
「冴島は、後で店長に謝れよ。あの人、気が弱いから、今回のことで怖気づいたんだ。どうせ人が足りなくて困るはずだ。連絡するって言うってことは保険掛けたんだろうし、まあ別にこのバイトにこだわる必要もないけどな」
「あんたは辞めるのか?」
冴島が聞いた。
「うん。少し疲れたよ……」
朝臣は空を見上げた。曇り空だった。効率良いバイトを探そうと思ってきていたが、何をしようか。同じようなところかそれとも……しばらくは夕生のこと以外はどうでもいい気がする。
「お前は疲れてるのはわかってたよ。なんか痩せたよね。親とか心配してるんじゃないの」
「そうかな。昨日は結構食ったけど」
信号が青になった。歩きだすと、冴島は不意に言いだした。
「ねえ、あんたのお父さん。何してる人?」
「親? ……公務員だけど」
警察官だ。あと数年で定年退職。この地域の管轄ではない場所で署長を務めている。だが、息子としては警察に世話になる奴に、そうそう簡単に警察官だとは言いたくはない。
「公務員か。警察かなと思ったんだよね。子供の頃世話になった警察官の人があんたにソックリでさあ。今回、あんなことがあって、久しぶりに警察署行って沢山警官のおじさん方見たら記憶がやたら鮮明になって。前に逮捕された時はあまり思わなかったのに」
「お前、やっぱりあの冴島だったのか」
もう既にわかりきっていたが、朝臣は言った。そして、もう一つわかったことがあった。子供の頃、あんなに冴島が怒っていたのは、父親が強い癖にお前は何だと比較してのことだったのだろう。
「あのって何だよ?」
「小学校の頃、同じクラスだったよな」
「やっぱりそうなんだ。ガキの頃、何回か転校してるからどこで一緒だったかももう曖昧だったんだ。ただ、篠井のことは覚えていた。何でかっていうと、苛ついてたからな。僻みとかもあったと思うけど。うちは悲惨な家庭だったから」
「そんなことだろうと思ったよ」
悲惨な家庭。という所で夕生の出た映画の話を思い出した。だが、悲惨な家庭と称された後では親のことは聞きにくい。
「いつも泣いてたよな。……この間も泣いてたし、あたしは心配だよ」
朝臣は、親戚のような物言いの冴島を諌める。
「あんまり説得力無いと思うけど、もうガキの頃ほど軟弱じゃあない。あの時は……あの時はありがとう。今は言えないけど、事情が色々あるんだ」
「わかった。それ以上は聞かないよ。あたしにも言えないことは色々あったし」
そこで互いに別の道に入った。何事も無かったかのように、別れたがもう冴島と会うことは無いのかもしれない。接点がない。けれど、また逞しく破天荒に現れるような気がした。
朝臣は夕生にメッセージを送った。
「トラウマが解消された感じがする」
直ぐに返信が来た。
「それはいいことだね」「あとでくわしく」と短文で送られてくる。朝臣もそういう風に送った。
「明日話すよ」「夕生は俺のことをもっと知るべきだ」
「知らないことあったっけ?」
夕生が小悪魔的にとぼけるのが目に浮かんだ。
「いやごめん。大したことない。そっちは具合は?」
「大丈夫。今度、朝臣と外にどこか一緒に出かけたいな」
「いいよ。でも、寒いけど大丈夫なのかな」
気遣う文章を送ると細切れにこう返ってきた。
「俺的には」
「いつどうなってもいい。でも」
「思い出も欲しい」
「だめかな」
「好きだよ」
好きだよが来るとは思わなくて、まごついた。直ぐに送る。
「俺も好きだよ」