旅の日常
翌朝は晴れだった。大きな黒雲の切れ目から緑色の空がのぞき、東の地平から現れた太陽が、夜のうちに冷え切った地表を温めはじめる。
ユリシーズとアングレカムはフードを目深にして朝食の準備をすることにした。
ふたりは大気分析機を掲げながら、周囲から有毒ガスも可燃性ガスも出ていないことをあらためて慎重に確認すると、廃材を集めて衝立を作った。
衝立の影で、ユリシーズがリュックから小さなガスバーナーと片手鍋を取りだす。冷え切った湯たんぽの中身を鍋の半分まで移して火をつける。その中に一度炊いてから乾燥させた米をザラザラと放り込み、煮る。米だけでは寂しいので、その中に固形スープのもとをいくつかとスライスしたサラミも入れる。乾燥にんじんや乾燥キャベツも砕いて入れる。米がふやけるまで20分くらいかかるので、その間にステンレスのコップをふたつ用意し、中にインスタントのココアパウダーを入れる。水を注いでよく練り、アイスココアを作る。ちょうどそのくらいで、サラミと野菜の粥も完成する。最後に数枚のクラッカーを砕いて入れて、塩と胡椒で味を整える。
「うん。美味しい」
「……そうだな」
同じ鍋からスプーンを使って、ふたりで直接食べる。平らげると、水の残量と相談して、余裕があるならコーヒーを沸かす。粉をたくさん使ってじっくりと抽出し、角砂糖を山ほど入れて一気に飲むと、頭がすっきりする。濡らした布で鍋を拭いて後片付けをする。栄養が足りないと感じるときは、錠剤を服用する。
朝食が済むと、その後一時間はそれぞれ勝手に過ごす時間となる。たいてい、ユリシーズはこの時間に用を足すと、太陽の下で全身を使ったストレッチをし、天気が悪いときは持ってきた本を読む。
アングレカムは装備の点検や抜き撃ちの練習にこの時間をあてることが多いが、ときどきふらふらとどこかへ消えることもある。だが時間にはいつもきっかり戻ってくるので、ユリシーズはあまり心配したことはなかった。
自由時間が終わると、いよいよ出発になる。忘れ物が無いか点検し、ユリシーズはリュックを、アングレカムは銃を背負い、ガスマスクとマントをしっかり身につけて歩き出す。荒野は一年中寒いのでマントは必須だが、風の強い日は脱いでたたむ。
荒野の土地は無数の廃材の山でどこもでこぼこしているので、なるべくそれらの隙間を縫うように移動する。斜面は体力を消耗するし、風よけにもなる。それに高いところにいると目立って、野盗に遭遇する確率が高くなるからだ。左右にくねくねと曲がりながら進むので、方角にはとくに注意する。数百メートル歩くごとに時計の文字盤と太陽の位置で方角を確認する。短針を太陽に向けたときの12時の方向との中間が南だ。複雑な磁場で方位磁針が用をなさず、かつ一日が24時間という偶然に恵まれたこの惑星では、この方法が主流だった。
昼になると、必ず休憩をとる。大気組成を確認しながら安全な場所――放棄されたコンテナの中や窪地が望ましい――を探し、昼食の準備をする。安全な場所が見つからないときは、最悪安全なところまで引き返す。屑鉄の荒野を進むという体力と注意力が要求される旅を、疲労と不安を残したまま行うのはあまりに危険だからだ。
昼食は簡素に済ます。カロリー補給に特化した棒状の携帯食糧をシャキサクと音をたてて食べ、水筒からたくさんの水を飲む。水が無くなりそうになっても、間違っても、ときどき地面に溜まっている水や、瓶やボトルに入ったまま放置された水を飲んではいけない。見た目は綺麗に見えても、まず間違いなく有毒だからだ。荒野で水が無くなるということは死を意味する。必然的に水は節約しなければならないので、ふたりは移動のあいだ、歯磨き以外に顔を洗ったり体を拭いたりだとかはほとんどしない。歯磨きを欠かさないのは、虫歯は死に直結するからだ。しかしそんな不潔な状態が長く続くとたちの悪い病気になるので、人間に可能な一回の旅は、せいぜい5日間といったところになる。そしてそのせいか、たいていの町は隣町から歩いて5日間の範囲に点在している。
昼食を終えると、ふたりは交代で15分ずつ仮眠をとる。周囲がよほど危険な状況でないかぎりこの習慣だけは欠かしたことがない。この昼寝をするとしないとでは午後の頭の冴えがまったく違うので、ふたりはこの時間をとても大切にする。
仮眠を終えたら、再び出発する。適度に休息をとりつつ、確実に歩を進めていく。歩き続けるあいだ、ふたりの会話はほとんどないが、それはお互いがお互いのすべきことをわかっているせいだ。
太陽が西の地平に傾いて、薄暗くなってくると、ふたりは緊張する。夕方が襲うがわにとって最も有利な時間帯だからだ。薄暗い闇に紛れての奇襲を警戒しながら、ふたりは今夜の寝床を探す。途中で、このあいだの雨でできたらしい大きな池を回りこんだせいで、予定よりも進むことができなかった。
日が沈んだころ、ふたりは宇宙船の残骸の下で夜を明かすことにする。巨大な生き物の肋骨のようなフレームと、こびりついたミイラの皮膚のような外壁に隠れながら、ガスバーナーで湯たんぽ用のお湯を沸かしつつ、ふたりは温まる。
夕食はいつも角砂糖ふたつだけという決まりになっている。長く起きていてもすることがないのでさっさと火を消し、ふたりは見張りの交代時間までそれぞれ眠る。湯たんぽを中心に抱きかかえ、体をさらにマントでくるみ、ユリシーズのリュックを枕にして眠ると、氷点下の荒野でも温かく眠ることができる。
そして夜明けを待つ。この繰り返しが、ふたりの旅の日常だった。
深夜、荒野の真ん中に、ひとつの大きな光が落ちている。それは焚き火の光で、やや開けた平地にある。柔らかく暖かい光が周囲を照らし、その中にふたりの人間が座っている。ひとりは大柄な白髪混じりの男で、銃を杖に臨戦態勢のまま地べたに座りこんでいる。彼は無言で焚き火とその向こうに座る人物を眺めている。
座っているもうひとりの人物は、薄桃色のドレスを着たスマイルだった。彼女は火のそばに膝を抱え、鉄串に挿して炙っている肉の塊に火が通るのを待っている。
「まだかな? まだかな?」
少女はニコニコしながら肉の塊を眺めている。炙られて焦げ目のついた肉の表面からは脂が滴り落ち、いかにも美味しそうな匂いが漂っている。スマイルはそわそわと落ち着かない様子で、ずっと肉が焼けるのを待っていたのだった。
「もういいかな? もういいよね!」
スマイルは花柄の鍋つかみを手にはめると、鉄串を手にとり、ふーふーしながら肉にかじりつく。途端に彼女は目を輝かせ、手でほっぺたをおさえた。
「すっごく美味しい!」
「……そうか、よかったな」
男が静かに言った。スマイルは焚き火越しに彼を見る。
「ねぇ、ほんとに食べないの? おいしいよ?」
「携帯食糧の方が慣れてるんだ」
「もったいないなあ、こんないいお肉なかなか買えないのに。いいもん、私が全部食べちゃうもん! あっ、でも太っちゃうかな……かわいい服が着れなくなっちゃう……まぁいいや!」
スマイルはまた肉にかじりついた。彼女はまたうっとりと恍惚の表情を浮かべる。
「あふ、あふいけど、美味しい! やっぱりタンが一番だよね。このコリコリした食感……!」
彼女は肉を平らげると、立ち上がって、鼻歌を歌いながら後方の暗がりに歩み寄った。
「次はどこにしようかな」
彼女が覗きこんだ先には、手首が変色するくらいキツく縛られた、ひとりの少女が転がっていた。ミロクのところにいた少女だった。彼女は怯えきった目でスマイルを見上げ、何か言おうとして口を開く。信じられない両の血が口内から噴き出して、スマイルの服を汚した。
「あー! もう、お気に入りなのに!」
スマイルが自分の胸にかかった血を見て頬を膨らます。少女は小刻みに震えながら、何度も首を振る。スマイルはポケットナイフを取り出して、その刃を少女の頬に当てた。
「決めた。次はほっぺたにする!」
スマイルがナイフで少女の頬を片方こそぎ落とした。少女は激痛に大きく体をのけぞらせる。
「あ"あ""あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッ……!?」
彼女の声は濁っていた。騒がれないように、スマイルは予め彼女の喉に強い酸を流して潰していたのだった。
「これくらいなら生でも大丈夫かな?」
スマイルはつぶやき、平べったい肉を指先で口に運ぶ。
「うん、やわらかくっておいしい!」
すると彼女は、少女が全身を痙攣させてひきつけのような状態になっていることに気づいた。スマイルは慌ててポーチからアンプルと注射器を取り出すと、中の薬品を注射する。少女の震えはとまり、ぐったりとした。
「死んじゃダメだよ! まだ次の町まで一日あるんだから、頑張って!」
「腹が減ったら、自分の指でも食ったらどうだ?」
男が皮肉っぽく言った。スマイルはふりかえり、きょとんとする。
「え、いやよ。痛いじゃない」
「……そうか」
スマイルは少女に向き直り、彼女の顔を両手で自分に向ける。スマイルのにっこり笑顔が、虚ろな瞳に映った。
「ほらほら、そんな顔しないの。いつもにこにこ笑おうよ。笑うと楽しいよ? ほら、笑って笑って」
「あ……あ……」
「笑えないの? それなら笑顔にしてあげる!」
スマイルはナイフを少女の口に突っ込んで、左右に裂いた。少女の皮膜がぱっくりと斜めに割れる。
「い"あ"ッ! あ"……あ"あ"あ……?」
「ほら、笑顔になった」
スマイルは笑った。少女の口は笑顔のように割けていた。
「じゃ、次はおっぱいを片方もらうね! お腹にある女の子の大事なところは明日までとっておいてあげるから!」
スマイルの食事は彼女が満腹になって眠るまで続き、一部始終を眺めていた男は、彼女の無垢な寝顔と、顔が半分無くなった少女を見比べて、複雑な想いのこもったため息をついた。