ユリシーズの悪夢
ふと気がつくと、ユリシーズは自分が柔らかいソファに身を埋めているのを発見した。
頭をもたげてあくびをしながら周囲を見渡すと、明るい雰囲気のラウンジだった。アイドルの歌う明るい恋の歌が、観葉植物横のオーディオから流れて耳に心地よい。コーヒーの香りがどこからか漂って鼻をくすぐる。談笑するほかの人々の声を、ユリシーズはなぜだかひどく懐かしく思った。
「ユーリィお兄様」
すぐ近くで名前を呼ばれて、ユリシーズはびっくりした。見ると、自分のとなりにひとりの可愛らしい少女が座っている。彼女はユリシーズと同じ翡翠色の目を細めてにっこり笑った。
「ああ、エリー……なにしてるんだ」
「お兄様の寝顔を眺めていたの。うとうとしてらっしゃるなんて、珍しいから」
エレノア・ヴィクトル・ハルトマンは屈託のない笑顔でいった。ユリシーズは苦笑した。
「そうだね。少しつかれていたのかも」
「無理もないわ。あんなに楽しかったんですもの。家族揃ってのバカンスなんて、いつ以来だったかしら」
「植民惑星の反乱は長かったからね。銀河帝国標準時で2年ぶりくらいだと思う」
「いずれお兄様も、お父様のあとをついで軍人になられるのでしょう? そうしたら、家族を大切にしてくださいね」
ユリシーズはハハハと笑い、妹の頭をなでた。
「エリーも、すくなくとも軍人じゃない男と結婚するんだね」
エレノアはクスクスと笑い、それからひどく悲しそうな顔をした。
「いいえお兄様、私はもう結婚はできません」
「なぜだい?」
怪訝な顔をするユリシーズ。
「なぜなら、私、もう死んでいるんですのよ」
いきなりエレノアの両目が内側から弾け飛び、赤黒い血がダラダラと流れ出した。ユリシーズははっと周囲を見渡すと、ラウンジは激しい炎に包まれて、全身を火に巻かれた人々が、談笑しながらお互いの頭を銃で吹き飛ばす。強い血の臭いが鼻にまとわりつき、オーディオから妹の絶叫が響いた。
「エレノア!」
ユリシーズが彼女に手を伸ばすが、指先はあと少しで届かない。彼女の背後に、高笑いする少女の影が見え、エレノアの髪を掴んで引っ張っている。ユリシーズは走って彼女を救おうとするが、四本の腕に両足を掴まれた。
「ユーリィ……私を見捨てるのぉ〜……?」
「私たちを置いて逃げるのか……許さない……」
「父様、母様……!」
ユリシーズはそれ以上何もできなかった。エレノアの姿は少女に引きずられてどんどん遠ざかり、両親の亡霊はユリシーズの体を炎のなかに引きずり込もうとする。
彼は叫んだ。
「迎えにいく! 絶対、迎えにいくから! エレノア――――!」
「―――ああああ!」
目を覚ましたユリシーズは絶叫しているのが自分であることに気がつくのに数秒かかった。全身は汗に濡れていて、手足が震えている。周囲はほとんど真っ暗な狭い空間で、強い鉄錆の臭いが混じったわけのわからない悪臭がこもっている。彼は毛布代わりのマントを羽織りガスマスクを手にとると、その場所から這い出した。
廃材の山に半ば埋もれている貨物コンテナから出ると、屑鉄の荒野は夜だった。夜空はいつもと変わらず雷の鳴る黒雲に覆われて星はない。少年は寒さに身震いし、きょろきょろと辺りを見渡した。
「うなされていたな」
頭上から声をかけられて、ユリシーズは彼女を見上げた。アングレカムは廃材の山の上にマントとガスマスクを身につけて座っていた。
「ああ、アンジィ。昔の夢を見たよ」
「ユーリィがうなされるときはいつもそうだ。なんなら、いつかみたいに手を握っていてやろうか?」
せせら笑うアングレカム。ユリシーズは少し赤面した。
「も、もう大丈夫だよ。それよりアンジィ、時間には早いけど、見張り交代しない? 目が冴えちゃった」
「ダメだ、睡眠はきっちりとれ。眠れなくとも、横になって目を瞑るだけで疲労はとれる」
「それにしたってアンジィは最近、交代の時間でも起こしてくれないじゃないか」
「私は片目だから、眠る時間も半分でいいんだ」
「……そんなわけないでしょ……」
うつむくユリシーズを見下ろして、アングレカムは仕方なしといった風にため息をついた。それから彼女は彼のとなりまで降り、一丁の拳銃を手渡す。
「何かあったらとりあえず撃て。銃声が聞こえれば起きる」
「……うん。ありがとう、アンジィ」
「明日には次の町だ。そこにつけばぐっすり眠れるさ」
アングレカムはそう言い残してコンテナの中へと消えた。ユリシーズは廃材の山に上り、彼女が座っていた場所に腰かける。
真夜中の荒野は闇に包まれていた。ときどき雷光に照らされて遠くの土地が見えるが、そこも今いる場所と変わらない屑鉄の山だ。ゴロゴロと唸るような音が騒がしい。ユリシーズは膝を抱え、ガスマスク越しに手の中の拳銃をじっと見つめた。
(父上、母上、エリー……みんな天国で幸せに暮らしてるだろうか)
ひとり、彼は拳銃を構えて引き金に指をかけてみる。
(僕はきっとそこにはいけない)
「『奴』だけは、必ず僕が殺してやる……!」
そうひとりごちたユリシーズの表情は激しい怒りに歪んでいた。噛みしめられた奥歯からバキバキと音がなり、目は瞳孔が収縮して血走っていた。血液が沸騰しそうなくらい熱くなり、風に吹かれた髪の毛がざわざわと逆立つ。
彼はぎゅっと目をつぶり、拳銃をおろして片手に胸を当てた。深呼吸すると、フィルターで取り除けない血の海のような大地の臭いが、全身すみずみに行き渡る。
「落ち着け、僕……焦ってもいいことないぞ」
まだ興奮さめやらぬ体で、ユリシーズは荒野の果てを眺めやった。同じ空の下に家族の仇がいるという確信に、彼は夜明けが待ち遠しくてしかたがなかった。