笑顔の使者
ミロクの部屋の扉が勢い良く開かれ、ひとりの女が男たちに左右から両腕を掴まれて引きずられてきた。
女は部屋の中央に乱暴に転がされると、床に手をついて周りを見た。彼女は、目の前に寝そべる肥満体型の半裸の男と、自分を冷たく見下ろす片目の女と、悲しそうな表情の少年を見た。
「汝がマララか」
厳かな響きでミロクが問いかける。マララは恐怖に目を見開いて顔をあげた。浅黒い肌をした、普段ならば笑顔が美しいであろう顔の女性だった。彼女の顔を見て、アングレカムは落胆したように目を伏せる。
「『奴』じゃなかったね」
ユリシーズが彼女に耳打ちした。アングレカムは小さく頷いた。
「ほほほ、なかなかの美人ではないか」
ミロクが、表情だけ微笑んで言った。マララは体を舐め回すような下衆な視線に自分の肩を抱く。
「マララよ、汝は賞金稼ぎに依頼して我の部下を殺し、あまつさえ奪った物資でこの町での反乱を画策した。相違ないな?」
彼女はハッとしてアングレカムを見る。それから怒りに顔を歪め、歯噛みした。
「反乱じゃない。これは正当な抵抗よ! あなたは町の人たちを麻薬でダメにして資源を独占してる! こんな横暴、許されるはずないわ!」
マララは立ち上がり、全身を広げてわめく。
「あなたが町の子供たちをさらってナニをしているかも知ってるわ! あんたなんか人間じゃないわよ! この鬼畜外道! なにが救世主だ、あんたなんか生きてていい人間じゃない!」
彼女はなおもわめき散らし、やがて息切れした。
ユリシーズは悲痛な思いで彼女を見ていたが、ぎゅっと口元を結んで耐えている。その隣で、アングレカムが腕を組んだまま仏頂面で静かに佇んでいる。
ミロクは笑った。
「我にそこまで言う人間は久しぶりであるぞ。いや、おみごと。感心した」
拍手の音が部屋にぺちぺちと響く。マララの顔は怒りと酸欠で真っ赤になり、手足は恐怖と緊張で震えていた。
「安心せよ、我は汝に指一本触れはしない。陰毛の生えた男女に興味はない。だからおまえたちにやろう」
ミロクが言うと、彼の手下たちが下卑た笑い声をあげながら彼女の腕を掴んだ。マララはひっと小さな悲鳴をあげた。
「ほかの抵抗勢力について、とことんまで喋ってもらおう。我はその間、どのような死に方が一番見せしめとして効果的か、ゆっくり考えさせてもらう」
「や、やめ――」
怯えるマララに、ユリシーズが一歩進み出ようとした。彼の肩を掴んで引き止めたのはアングレカムだった。少年は何か言いかけたが、悔しそうに顔をそむける。
「連れていきなさい」
数人の手下たちがマララに抱きついて、彼女の体を持ち上げた。マララは絶叫しながらめちゃくちゃに暴れるが、男たちはからかってはやし立てる。女の悲鳴と、男たちの笑い声は別室へと消えた。
「さて、ふたりとも」
ミロクが顔をアングレカムたちに向けた。ユリシーズは強くつぶっていた目を開き、涙を浮かべて彼を見た。
「ご苦労であった。相応の褒美をとらそう」
「カネはいい。はやくこいつの首輪を外してくれ」
アングレカムがきっぱりと言う。ミロクは笑った。
「そう急くな。今外させよう」
手を叩くと、彼の後ろの部屋から足かせをつけた薄着の少女が進み出て、小さい歩幅でユリシーズに歩み寄る。彼女の生気のない瞳と目があったユリシーズは、嫌悪と悲しみを隠しきれずにとうとう嗚咽しはじめた。少女はそんな彼を無視して首輪を外した。
「口づけしてやりなさい」
楽しそうにミロクが言った。少女は頷くと、無感情にユリシーズの頬に手を当て、唇を重ねた。アングレカムは眉間にシワを寄せたまま、黙ってその様子を見ていた。
ユリシーズは少女を突き飛ばしそうになって、ぐっとこらえた。少女が離れると彼は泣き崩れる。ミロクは高笑いした。
「ほほほほ! けっこうけっこう! 我は満足だ!」
「もう行っていいか?」
うんざりした様子でアングレカムが言った。
「うむ、よいぞ。あらためてご苦労であった。またこの土地を通ることがあったら、ぜひ立ち寄るとよい。歓迎しよう」
「ユーリィ、行くぞ」
アングレカムはユリシーズの手を引いて歩きだした。泣き続ける少年の姿を、ミロクは部屋の扉が閉まるその瞬間まで凝視し続けていた。
アングレカムとユリシーズはミロクの町の片すみ、小さな丘に転がる鉄骨の上に並んで腰かけていた。ふたりはともにガスマスクを身につけていたが、少年はときどきそれを脱いで涙を拭う。しばらく経って、ユリシーズの肩の震えがおさまったころ、アングレカムは静かに彼に声をかけた。
「落ち着いたか」
「……うん。ごめん……」
ユリシーズはマスクをずらし、ハンカチで鼻をかんだ。
「ここじゃよくあることだ。今までにも似たようなものは見てきただろう」
少年はうなずく。
「だけどあの女の子、舌を入れてきたんだ。妹と同じくらいだった……」
「慣れろ」
「慣れろ? 慣れるものか……慣れたくないよ」
「じゃあどうする。あの場でミロクを殺して、子供たちを解放すればよかったか?」
あざ笑うようにアングレカムが言う。ユリシーズは首を振る。
「そんなことしたらあの子たちは行き場を無くす。そしたらきっと、今よりもっとひどいことになる」
「そのとおりだ」
アングレカムはユリシーズの背中を軽く叩く。
「だからおまえは我慢した。よくやったよ」
「……行こう、アンジィ」
先に立ち上がったのはユリシーズだった。彼はマスクをかぶり直し、まっすぐに前を見つめる。
「迷惑をかけてごめん。こんなことしてる場合じゃないのに」
「気にするな。だけど忘れるな」
アングレカムも立ち上がり、歩き出した。甘い匂いの道を過ぎて、ミロクの手下たちのたむろする門を過ぎる。
果てしない町の外に出たユリシーズは、あっ、と声をあげた。
「雨があがってる……!」
空を覆う黒雲が途切れて緑色の大空が開けていた。降り注ぐ光が果てしない屑鉄の荒野を照らしている。空に輝く白い太陽は、暗闇に慣れた少年の目には痛かっ
「今のうちだ」
アングレカムがさっさと歩き出す。ユリシーズは慌てて彼女についていく。
「次の町にまだ『奴』がいる保証はない。急ぐぞ」
「……うん!」
ふたりはマスクをかぶり直した。
力強い歩みが、ぬかるむ鉄錆の地面にふた組みのならんだ足跡を刻んでいく。それは右に左に曲がりくねりながらも途切れず、彼方に見える地平線を越えても、確実に続いていた。
薄暗い部屋の天井から、いくつもの鉤付の鎖が垂れ下がっている。鉤の先端には、赤い液体に濡れた長い紐が結びつけられている。その紐に指を添えて辿っていくと、台の上に寝かされた全裸の女性の死体にたどり着く。乾いた精液の跡が全身にのこる死体の腹には15センチほどの切れ目があって、赤い紐はその中から引きずり出されたものだった。ミロクは指を切れ目の中に押し込んで、まだ体温の残る中身をぐちゃぐちゃとかき回しながら、もう片方の手で股間を弄る。
「ああ、良い……」
ミロクは嘆息し、ぶるりと身震いした。彼は傷口から指をひきぬいて、そのまま彼女の胸元、喉元、顎先、唇、鼻、眉間へと指を這わせる。
「マララよ、あなたは素晴らしい声の持ち主でした。最後は喉から血が出るくらい絶叫してましたね。録画してありますから、あとであなたのお仲間にも見てもらいましょう……」
彼は死体から離れ、どすどすと歩く。
(すっかり昂ぶってしまった。今日はどの子を使おうか……あの少年、ユリシーズに似た子がいたらそれがいいな)
ミロクは扉を開け、子供たちのための部屋へと足を踏み入れた。部屋は広く、清潔な白い内装だった。
ミロクは訝しんだ。いつもならば子供たちは部屋中に散らばってそれぞれ思い思いに過ごしているはずなのに、今日は奥の天蓋付き大型ベッドの前に全員が集まっている。近づいた彼は少なからず驚いた。
ベッドにひとりの少女が腰かけていた。だがミロクは彼女を知らなかった。歳は10代前半の子供で、レースやフリルがたくさんついた薄桃色の綺麗なドレスを着ている。顔つきは整っていて、肌には傷やくすみはひとつもない。金色の髪を、頭の後ろでまとめているのは赤い大きなリボン。長いまつ毛の下、翡翠色の丸く大きな瞳がミロクをとらえると、少女はリンゴのような頬を吊り上げて微笑んだ。
「こんにちわ! はじめまして、おじ様!」
「ふむ、こんにちは、お嬢ちゃん」
ミロクはそう言って笑顔を浮かべると、集まっていた子供たちの間を過ぎて、彼女の隣に腰かけた。
「何をしているのかね?」
「みんなにご本を読んであげていたの」
「ご本?」
「うん! 『赤ずきん』!」
少女ははきはきとした明るい声で答え、膝の上に広げていた絵本の表紙を見せつけた。
「ほう、これは地球の古いお話だね。お嬢ちゃんが持ってきたのかい?」
「うん。おじ様は、どんなお話かごぞんじ?」
「いや、知らないな」
「じゃあ教えてあげる! えっとねー、これは赤ずきんっていう女の子が、病気のおばあちゃんのお見舞いにいくんだけどねー」
少女はニコニコ笑いながら、ミロクに言った。
「おばあちゃんは悪い狼に殺されていて、赤ずきんちゃんも食べられちゃうの!」
「ほほほ、なかなか怖いお話だね。ところで、お嬢ちゃんはどうしてここにいるのかね?」
「え? えっとねー、うーんと……忘れちゃった」
ミロクと少女は笑いあった。ミロクは少女の肩を掴んだ。
「人のお家に勝手に入るのはいけないことであろう?」
「え、う、うん……」
すごむミロクに、少女は怯えた。ミロクの口元が邪悪に歪んだ。
「悪い娘にはお仕置きだ!」
ミロクが少女をベッドに押し倒し、その上にまたがった。少女は驚きに目を見開き、潤んだ瞳がふるふると震えていた。
「おじ様、怖い……笑ってよ、やだよ」
「いいやダメだよ、これはお仕置きなんだから」
ミロクが恐ろしい形相で少女の胸元に手を伸ばす。可愛らしいドレスを掴んだ直後、短い悲鳴があがった。
「ぐあっ!?」
悲鳴をあげたのはミロクだった。ミロクが少女の服から離した手のひらには深い切り傷ができていて、血が溢れている。ミロクは痛みに顔を歪め、憤怒の表情で少女を見下ろした。
「このガキ……! 襟にカミソリを仕込んでやがった!」
「おじ様、怖いよ、笑ってよ」
「黙れ! もう二度と笑えないようにしてやる!」
ミロクが拳を振り上げた。だが振り下ろす前に、ミロクは強い痛みに飛び上がる。彼の太ももの内側、動脈に近い位置に、少女の服の下から飛び出した鋭い針が突き刺さっていた。
「ぐぉああっ……!?」
苦しげに呻きながらベッドから転げ落ちるミロク。子供たちが波紋のように彼を避ける。
「だ、誰か! 誰かいないか!」
「誰も来ないよ」
恐ろしい声がして、ミロクは頭をもたげた。さっきの少女がベッドの上に立ち、彼を見下ろしている。
「あなたが呼んでも誰もこない。あなたは誰にも助けてもらえない。あなたは孤独。あなたはひとりぼっち」
「だ、黙れ!」
ミロクの表情は恐怖に強張る。少女はそれを見て、嘲笑する。
「なにシケたツラしてるの? 笑えよ。笑えっつってんだよ!」
少女は大声で笑いだした。すると、彼女の体がどんどんと大きくなる。全身は毛むくじゃらになり、顔は面長、目は見開かれ、大きな耳が生える。口は左右に大きく避けた。その姿は狼だった。
「う、うわああ!! ガキども、やつを追い出せ!」
言って、ミロクは周囲の子供たちも自分を見下ろして笑っていることに気がついた。ゲラゲラという笑い声が部屋中に反響し、ミロクの頭をかきむしる。彼は恐怖に失禁しながら床を這って逃げ出そうとするが、彼が床に手をつくと、突然、床が精液のプールになった。ミロクの体は沈む。
「溺れる! 誰か!」
すると彼の前に赤い紐が垂らされる。彼はとっさにすがりつく。
「た、助かった……」
「ぎゃああああああああああ! いだい! いだい! いだい! いだいいだいいだいいだいいだいいだいいだい!!」
苦痛の絶叫にミロクは顔をあげた。すると彼が掴んだ紐の先で、マララが断末魔をあげ続けている。ミロクは恐怖に悲鳴をあげて紐を手放そうとするが、紐は彼の手に絡み付いて離れない。
「痛いよぉおおお!」
気がつくと、子供たちが精液で溺れかけているミロクをとりかこんでいる。子供たちの服の下、足の間からダラダラと血が流れ落ち、白と赤が混ざってピンク色になる。あの少女の服の色が思い出されて、ミロクは叫んだ。
「私が悪かった! すまない! 助けてくれ! 悪かった!」
「それじゃあ、笑ってよ」
耳元で少女の声がした。
「ハハ、ははは」
「もっと笑って」
「はははははははは」
「もっと笑って!」
「はははははははははははははははっ!」
「もっともっと!」
「ははははひひひひひひひひひひひひひひっ!!」
「もっと笑うんだよ!」
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃッ!!」
ミロクは笑い続けた。ピンク色の液体が彼の喉奥に流れ込み、呼吸が止まっても、彼は笑い続けた。
笑顔を浮かべたまま口から泡を吹き動かなくなったミロクを見下ろし、少女はベッド上で満足げに頷いた。
「うんうん! やっぱり笑顔が一番だよね! みんな、拍手〜」
子供たちが歓声をあげて拍手した。その中のひとりが、少女に訊いた。
「ミロクさんは、死んじゃったの?」
「うん! この針に塗られたお薬でね。でもホラ、こんなに笑顔! すてきな夢を見たんだよ!」
「ほんとに死んだの?」
「うん、ほんとに死んだの」
「……やった!」
子供たちはまた歓声をあげた。ニコニコしながらミロクの死体を見下ろした少女は、何か思いついたようにぴょんとベッドから飛び下りる。
彼女は鼻歌を歌いながら、袖の下からポケットナイフを取り出した。
「おねえちゃん、なにするの?」
「ん〜? ちょっと見ててね、いいこと考えついちゃった!」
少女はミロクの頭の横にしゃがんで、彼の唇の横に刃を差し込んだ。それからナイフをノコギリのように動かして、顔の周りを一周させる。それからナイフを近くの子供に渡し、唇に指をひっかけて思いっきり力をこめる。べりべりと顔の皮膚が剥がれた。
「見て見て! 赤ずきん!」
少女はミロクの顔の皮膚を頭に被ってはしゃいだ。子供たちも感嘆の声をあげる。
「僕も欲しい!」
「私もおねえちゃんと一緒がいい!」
「いいよ、みんなの分も作ってあげる! 材料はたくさんあるから!」
人間の皮を頭に被ったまま、少女は満面の笑顔でそう答えた。
そのとき部屋の扉が開いた。
「スマイル」
入ってきたのは初老の男だった。肩幅の広いがっしりとした体格で、背中に銃を背負っている。ナイフやポーチなどの装備が、彼が賞金稼ぎであることを物語っていた。
名前を呼ばれた少女はふりかえり、血に濡れた顔を輝かせる。
「あ、狩人さん!」
「か、狩人さん?」
男は困惑した。
「赤ずきんだよ! 私が赤ずきんちゃんで、狩人さん!」
「またわけのわからない……」
男はあきれたように笑った。少女も笑う。
「そうそう、いつもどこでも笑顔笑顔!」
「例のブツは見つかったぞ。屋敷の地下にあった」
「あ、やっぱりあったんだ。ありがとー!」
「ああ。まさか生きてる万能物質形成機があるとは……」
「町の人全員麻薬漬けなのに、やたらゴージャスな部屋に充実した装備。その資金力はどこからくるのか、誰も考えないのかなあ? あれさえあれば、基本どんなものでも作り放題だからねー。パープルヘイズは生産がおっつかなかったみたいだけど」
少女は男に抱きついた。
「これでまた一歩ぜんし〜ん!」
「ああ、わかった。わかったから、離れてくれ」
男は苦笑しながらスマイルを引きはがす。
「それで、どうするんだ? この子たちは」
男の視線の先では、子供たちが笑顔ではしゃいでいた。彼らはミロクの死体からナイフで皮膚を剥ぎ取って、それを自分や相手に貼り付けたり、投げつけたりしてあそんでいた。彼らの全身は真っ赤に染まって、振り回した腸から飛び散った血が、床や天井を汚していた。
「楽しそうだし、そっとしておこうよ。私たちには関係ないし」
「……そうか」
「さぁ、いよいよだよ! いよいよ私たちの夢が叶う!」
スマイルはにっこり笑顔で、可愛らしく血だらけの拳をつきあげた。
「みんなの笑顔のために、がんばろー、おー!」
「……やれやれ」
男はまんざらでもない様子でため息をついた。