第二章 紹介と再会 2
統南の家は街中から少し離れた所にある。
近くには先程まで働いていた『焼き肉屋小波』に、近所のおばちゃんがやっている個人経営のコンビニと最近出来た全国チェーンのコンビニが顔合わせに向かい合っており、校庭の中心に大きな木がある小学校、幽霊が今すぐにも出てきそうなボロアパートもある。
ど田舎という程もでもないが、決して都会ではない。それが統南の住んでいる場所だった。
「あー。今日も疲れたー」
そう言って、玄関の鍵を開けようとすると、ゴールデンレトリバーと何か他の犬種が混ざった雑種の犬が統南に吠える。
「おーただいまイヌタマ」
統南はイヌタマと呼ばれる犬に近づいて頭を撫でる。
この犬は統南の飼い犬である、イヌタマであり、ネコポチと同じ時期に飼いだした。
そもそもこの二匹を飼う事になった経緯は、犬と猫の珍しい組み合わせが同時に捨てられているのを目撃しており、たまたまその日が雨だったので一日だけウチに置いてやるかなどと情けをかけてしまい、その結果ズルズルと日にちが過ぎ、結局は飼う羽目になってしまったのだった。
お金はかかるものの一人暮らしだった統南には寂しさを紛らわす丁度いい存在だが、七日はイヌタマやネコポチのようには行かない。
美春にはこれからも置いてやるつもりだと言ったもののいずれはけじめをつけないといけないのも事実だ。
「どうしたもんかな、ホント」
不安気な表情でそう呟き、玄関を開けると、青の水玉模様のパジャマを着た七日がネコポチを抱えて立っていた。
「あっおかえり統南」
目の前にある光景はあのワガママな七日がまるで自分の帰りを待っていてくれたように感じる。統南は思わず呆気に取られていた。
「…………どうしたんだ? こんな時間まで起きて。もしかして俺が帰って来るのを待っててくれたの?」
そう聞くと七日はムッとした顔で否定する。
「別に、そんなんじゃないけど、ただ……えっと、そう! ネコポチとじゃれてただけ!」
「ふーん。それは残念」
「ちょ、何よそのニヤニヤした顔! アンタあたしのことバカにしてるでしょ!」
「ハハ、まさかー」
そんな事を口にしながら統南は気付く。
七日に言われた通り自分がニヤついている事に。さっきまでは不安気な顔をしていたはずなのに。どうやら嬉しいらしい。七日が自分を待っていてくれたのが嬉しかった。七日がどういう気持ちで待っていてくれたかは統南には分からない。
本当に七日の言う通りネコポチとじゃれていた所にたまたま統南が帰って来ただけかもしれない。それでも嬉しいものは嬉しい。長い事忘れようとした家族の事を思い出す。
両親との最後の思い出は喧嘩別れした嫌な思い出しかない。それなのに不思議と悪い気分にはならない。むしろ懐かしくて暖かな気持ちになる。
「ちょっと何よ! そのバカにした言い方は。あたしが少し年下だと思ってバカにして」
七日は統南の前でネチネチと文句を口にしている。そんな七日を見て統南はもう一度自分の胸の中で呟く
(……どうしたもんかな、ホント)
困った事に統南はこの口の悪くてうるさい少女との生活を楽しんでしまっている様だ。少女との生活をつい日常に入れてしまいそうなくらいに。
翌日、統南は美春に言われた通り、七日を『焼き肉小波』に連れて行くためにいつもより早く家を出る。時刻は午後一時。昼ご飯は小波でご馳走になるので食べていない。
「ねえ、統南」
七日は歩きながら唐突に統南に話しかける。
「どうした?」
「いいの?」
「何が?」
「あたしを知り合いの人たちに紹介しちゃって?」
七日は不安そうな顔で統南に聞く。その声は自虐的に聞こえた。
「大丈夫だよ。七日が不安に思う事はないさ。義隆さんたちにも少しは事情を話してるし」
「そう。よかった」
七日は安心した声でそう言って、言葉を続ける。
「統南が中学生にプロポーズする変態だって知っても軽蔑されないだなんて」
「はいストップ」
統南は歩いている七日に止まるように言う。
「ん? 何? どうしたの?」
「今言った事をもう一回言ってくれ」
「? 『…………ん? 何? どうしたの?』」
「違う。もう一つ前?」
「えー。面倒くさいなー。えっと……『統南が中学生にプロポーズする変態だって知っても、」
「はいストップ!」
統南はそこで七日の言葉を止める。
「何よ? 特に変な事は言ってないけど?」
「言ってるから!? 言っただろ今!」
「言ったって? 統南が女子中学生にプロポーズする変態だってことくらいしか……」
「それだよ! 自信無さそうに言ってるけど確実にそれ! 義隆さんたちなかなか理解のある人だけどさすがに中学生にプロポーズしたとか言ったらドン引きとかそんなレベルじゃなく確実に通報されるよ! あの人たち無駄に正義感強いもん!」
「でも……本当にされたし」
「いや……だから……それは……中学生だって知らなかったし……」
「でもしたのは事実でしょ?」
「っ! それは……」
統南は言葉が詰まる。今さらながらなんでプロポーズなんてしたのか。相手の事を何一つ知らないのに。自分は本当にバカだなと思えてくる。
統南が頭を抱えているのを見て七日は励ます様に声をかける。
「大丈夫だよ」
「いや大丈夫じゃないよ」
「大丈夫だって。その人たちだってきっと統南がそれくらいの変態だって知ってるって」
「励ましになってないからなそれ!」
逆に義隆たちに公認されてしまったらそれはそれで困ってしまうというか確実にヘコむ。
「じゃあとりあえずもう帰ろうよ」
急に七日はそんな事を言い出す。顔もなんだかあまり気分が良さそうに見えない。
「なんでだよ。行きたくないのか」
「うん」
「どうして? 体調でも悪くなったのか_」
「違う。そうじゃない。そうじゃなくて……だって事情話してるんでしょ……」
そう言って、後ろめたそうに顔を俯かせる。
「はぁ……」
どうやら七日は誤解をしているらしい。統南は七日の誤解を解くために七日の頭に軽く手を置き、イヌタマにいつもしているように髪をワシャワシャと撫でる。
「な、何するのよ?」
七日はキッと睨みつけてくる。統南は軽く微笑みながら七日のデコにデコピンをする。
「痛っ~!」
デコを押えて痛がっている七日に統南は言う。
「俺が話したのは家出少女を拾っちゃったって事しか話してないよ。あの時の事は誰にも話してない」
あの日の出来事を統南は思い出す。七日が死のうとしていて、それを止めるために口論になってしまったあの日の事を統南は話してはいないと七日の目を見て言うと、七日はデコを擦りながら神妙な顔で統南に訊ねる。
「……どうしてよ」
「どうしてって?」
七日は目を伏せながら後ろめたそうに話す。
「だってあたしっておかしいでしょ?」
「おかしい?」
「あたし、死のうってしてたんだよ」
「うん。知ってるよ」
統南は相槌打ちながら七日に話すのを促す。
「普通そんな子おかしな子だと思うでしょ。頭のおかしな子だって……」
「思わないよ」
統南は否定する。
「嘘」
七日はそう言うが、統南は首を横に振って、落ち着いた声で言う。
「嘘じゃない」
統南の言う事に対して、七日は納得出来ないような顔になるが、何かを飲み込んだ様に統南に聞く。
「それでもやっぱりあたし普通じゃないじゃん。統南は誰かに相談したくならないの?」
「そりゃあ全部話して、アドバイスくらいは受けたいとは思うし、誰かに全部丸投げにしたいとも思ったよ」
「じゃあ全部言えば分かったじゃん」
そう言った七日は拗ねたような顔で言う。
統南は先程と同じように微笑みながら七日の頭に手を乗せる。そしてまた七日の頭を撫でる。今度は兄が幼い妹にする様に統南は優しい手つきで撫でる。七日を安心させるために。
「だってさ、お前は嫌だろ」
「…………」
七日は何も言わないけど、小さく頷く。
「七日が嫌なのは俺も嫌なんだよ」
「な、なんでっ!」
「なんでって……」
そう聞かれて、統南は冗談めかしたように言う。
「だって俺、一応七日にプロポーズしちゃってるからさ」
「なッ……!」
七日の顔はみるみると赤くなっている。七日が赤くなっている顔を見て、言った張本人も恥ずかしくなり、統南は誤魔化す様に言う。
「……えっと、まあ、冗談だけど、ハハ」
「バカッ!」
七日はそう怒鳴ると、怒ったようにズンズンと先を歩いて行ってしまう。
「……バカ、ね」
罵倒されたにも関わらず統南は楽しそうな顔をする。一人の『友達』を思い出して。気付けばその顔は楽しそうな笑みから力のない笑みに変わっていた。