第七章 田中家の事情 5
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片岡統南が家にやって来てから少し時間が経ち、現在田中佳奈子は食卓のテーブルで自分の夫の隣に座り、娘である七日と向かい合う様に座っている。その七日の横には片岡統南が座っていた。
「…………」
七日が統南と何やら小さな声で喋っている。その姿がまるで親である自分たちよりも統南の方が信頼しきっているみたいで佳奈子は癪に障る。
「それで用件は?」
癪に障り、苛立ったせいかつい声はキツイものとなる。その声に夫である冬時は答える。
「佳奈子、とりあえず明日にも警察に届けよう」
冬時は提案する。正直あまり大事にしたくはないと佳奈子は思っているが、今の和人と冬奈をずっと居させるのはまずいというのは分かっていた。
「……そうね。しょうがないわね」
だから佳奈子は渋々と頷く。そして頷いたと後に佳奈子は統南を睨みつける
「で、あなたは何しに来たの? さっきウチの夫が言った様に明日に警察に連絡するから心配は要らないわ。だから出来ればもう帰ってくれないかしら」
佳奈子は統南を追い出すか言葉が出て来る。会って間もないが加奈子はなぜだか片岡統南が不快で仕方がなかった。
「……そうですね。ただ聞いてもいいですか? もしも冬奈ちゃんたちが一緒に見つかったらあなたはあの子たちをどうする気なんですか?」
「ちゃんと対処はするわ」
「対処って?」
「……そんなの他人のあなたに言わないといけないの?」
「一応俺はあなたの娘さんたちとは関わりがあるものですから
」
「まるで自分はあの子たちに信頼されてますみたいな言い方ね」
統南の言葉にイラついて、佳奈子は嫌味ったらしく言う。その言葉に反応したのは統南ではなく、七日だった。
「母さん! 言いすぎだよ!」
「っ! あなたは黙ってなさい!」
佳奈子は反射的に七日に対してまで強い言葉を発してしまう。七日が統南を庇ったのが堪らなく嫌だった。
そんな自分を諭すかのように言って来るのは、
「やめないか。佳奈子」
夫だった。
夫の冬時はまるで自分を非難するかのように見つめてくる。その視線が佳奈子には理解出来ないのだ。
「人に当たるのはやめなさい。こうして片岡さんは冬奈を心配してやってきてるんだ」
「……何よ」
佳奈子は統南に対しても七日に対しても苛立っていた。だが夫の態度はそれを上回るものだった。
「なんなの今さらあなたは。今まで何もして来なかったくせに今になって急に何を父親面をしてるの! 家がめちゃくちゃになったのは全部全部あなたのせいなのよ!」
ついに佳奈子は怒鳴ってしまう。感情を顕わにしてしまう。
そうだ。そもそも夫がリストラに遭いさえしなかったら家族はきっともっと仲が良く、こんな事にならなかったはずなのに、現実は最悪だ。これも全部自分が悪いのか?
佳奈子は限界だったのだ。家庭を養わないといけない重圧。家族がどんどんバラバラになっていくのを黙って見ているだけしか出来ない自分に対しての苛立ち。それを一時的にでも忘れるために他の男に逃げた。もう夫を愛す事が出来ないから。
そうだ。自分は悪くない。全部夫が悪い。気付けば口は夫を罵倒するために動いていた。
「あなたは会社をクビにされるまでは仕事ばかりだった。その間子供たちの面倒を見ていたのは誰よ! 冬奈がひどい風を引いていた時も、肺炎で入院していた時もあなたは仕事で私たち家族の傍には居なかった! あなたは知らないでしょ! 私がどれだけ不安で堪らなかったか! そして今度は仕事をクビにされたらあなたは急に抜け殻みたいに働きもしなければ、以前と同じように父親の取るべき行動も何もしてくれなかった。ただ申し訳程度の下手な家事だけ。はっきり言って私はあなたが不愉快で仕方がないの!」
目の前には七日が居るのは佳奈子は分かっている。子供にこんな汚い自分を見せたくないのに気付けば喋っている。そして本当は夫だけが悪いんじゃない事も分かっている。自分は子供たちを裏切って他の男と寝た。その事実はどんな理由があっても家族を裏切った事には変わらない。それはきっと和人も冬奈も七日だって知っている。
それだけではない。佳奈子は自分の事だけで精一杯でここ数年母親らしい事などしていない。七日に対してはほとんど興味を持って接した事さえない。
自分は最低な母親だというのは分かっている。それでも冬時はそんな自分と同様最低な親だったはずなのに今の夫はまるで本当に子供たちの事を考えている様に見える。当然七日も、部外者の統南ですら冬奈の事を本気で心配しているのだ。この中で子供たちの事を一番心配していないのは自分だけ。
こんなの笑う事さえ出来ない。
「……確かにそうだな。俺はお前に対しても子供たちに対しても悪い事をしていた。でも今はそんな事を言うべきじゃないだろ。少しでも冬奈たちの事を……」
「心配してどうなるの? それで冬奈たちが見つかるっていうの? 見つからないでしょ。大体なんで私たちがあの子たちの心配をしなくちゃいけないの? あの子たちが勝手に出て行ったんじゃないっ! 私には関係ない事なのよ」
「…………」
夫はもう何も言わなくなった。
ふと、佳奈子は七日の方に視線を移す。七日ははっきりと自分に対して落胆の表情を見せる。その事に佳奈子はショックを受けるが、それが逆に自分の中にあるモヤモヤとしたものがさらに暴走するようになる。
「もういいわっ!」
佳奈子はそう言って、リビングから出て行こうとする。いやリビングからではなく、この家から出て行こうとしていた。
「待ってよ」
しかし自分を止める華奢な手に佳奈子は掴まれる。
「何よ?」
「母さんまで逃げないでよ」
七日は真っ直ぐな目で自分を見つめてくる。
「もう全部がバカらしくなったのよ」
「だから逃げるの?」
「ええ、そうよ」
佳奈子はもう完全に開き直っていた。
「……母さんはどこに行くつもりよ」
「どこだと思う?」
そう聞いてみると七日は本気で怒ったのか目を見開き、自分を殺すような視線で睨みつける。
「……母さんがお父さんに黙って一緒に居た男の人?」
鋭い視線で七日は睨みつけているくせにそう訊ねてくる声は今にも泣き出しそうな不安げな声だと佳奈子は思った。
七日から直接自分が浮気していた事を追及されるのは初めてだ。
過去に冬奈や和人にバレた時は厳しく追及されたが、七日だけはその事実を知っても何も聞いて来なかった。ただ家族の仲を壊さないように必死に元気だという感じに振舞っていた。
佳奈子はそんな自分の末の娘を健気だと感じていた。自分の娘は自分が知る人物の中でも最も健気な少女だ。誰か思いやれる事が優しい人間だ。
自分たちの様なダメな家族の元でよくここまで優しい少女が育ったものだと佳奈子は不思議に思っていたくらいだ。
その事に佳奈子は態度に表さなくても心の中のどこかで恐らく誇らしいと感じていた。だが同時にまるで自分の子供ではないみたいだとも思っていた。七日みたいな優しい少女を自分みたいな屑の様な人間と比較して妬んでいたのかもしれない。
だから無視していたのだろうか?
(…………)
自分に聞いても分からない。だがそうだとしたらつくづく自分は小さな人間だろうなと思う。
「だったら何?」
佳奈子は嫌らしい笑みを浮かべる。七日にはもう親として出来る事はお金を稼ぐ事以外は自分みたいな嫌な人間を反面教師としてもらう以外にはないだろうから。
「……っ!」
七日は自分の言葉を聞いて、涙を流してしまう。なんとか泣かないように歯を食いしばりながら涙を流しているのだ。
「…………」
佳奈子はその涙を拭う資格などない。この涙を流させたのは自分だから。夫の冬時だってここまで何もしなかったのだから同じだろう。でも、
「七日、……すまない」
夫は七日に詫びながらも抱きしめるのだった。
七日も何も言わずに抱きしめられている。そう。夫は自分と同じくらいダメな親だ。人間の格で言えば、自分より下な人間かもしれない。その事は変わらない。
だけど夫は何を思ったのか自分とは違い、本当に子供たちを心配出来ている。思えば、夫はいつも子供たちの心配をしていた。七日が家出した時など尋常にないくらい汗が噴出して佳奈子が強く止めていなければ、警察に電話だってして捜索してもらう事になっていただろうし、子供たちに何かがあると夫はいつも眠る事さえ出来ないで頭を悩ましていた。そのくせ夫は何も行動しないダメな親だ。
それなのに夫は今こうして七日を抱きしめている。本当にどうしてしまったんだろう。
「あなた」
佳奈子は夫に話しかける。もう決めた。
「私はしばらく家を出て、あなたたちから距離を取る事にする。その方がいいわよね」
普通の夫婦なら反対するだろう。だが、
「……そうか」
夫はあっさりと頷いたのだ。佳奈子も分かっていた。夫は決して自分は止める事はないと。
「……賛成してくれてよかった。じゃあ今からでも出て行く事にするわ。気分が悪いんだもの。部外者も居るし。しばらくは仕事場で寝止まるするけど、荷物はまた近い内に取りに来るから」
そう言った後、佳奈子は七日は見るが、
「…………」
七日は何も反応がない。ただ夫の胸に埋もれているだけ。
「それと片岡さん」
佳奈子は最後に今までずっと黙って話を聞いていた統南に話しかける。
「あなたこんな他人のために首を突っ込んで余計なお節介をしてもいつか後悔するわよ」
忠告する様に言うが、統南は何も言い返して来ない。
「…………」
ただ統南はまるで自分を見定めるかのように見つめてくるのだった。その事になぜかもう苛立ちは起きなかった。
そして佳奈子はそのまま家を去って行く事にする。家を出る時佳奈子は思った。もうこの家で前の仲の良かった家族の様に過ごす事は出来ないだろうなと。
そう感じながら佳奈子は家を出て、自分が使っている車に乗り込むのだった。




