第六章 家出少女はさらに二度目の家出を果たす 9
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田中七日は現在、愛知県にある統南の母が住んでいるとある病院に居た。時刻は二時。ここまでやって来るのにずいぶんと時間がかかってしまった。もう義隆にも仕事を休む許可をもらっている。統南の家を出たのが朝の六時。その後新幹線に乗ったのが七時くらい。そして愛知に着いたのが九時。そこから統南の母が居る病院にずいぶんと時間がかかった。
簡単に言えば、道に迷ってしまったのだ。バスを乗り間違えたり、色々していたらもうお昼過ぎだ。まだお昼も食べていない。
「……はぁお腹空いたな」
しかしこんなとこでへこたれる訳にはいかない。七日は統南が自分のために家族を仲直りさせてくれようとするなら七日だって統南の家族と統南を仲直りさせようと決めたのだ。
そのために七日はわざわざ神奈川から愛知までやって来た。七日が愛知に行けば、統南ならきっと迎えに来てくれるはずだと確信しているから。そしたらあとは統南と統南の母を会わせればいいだけ。
二人だけでゆっくりと話をすればきっと統南は母親と仲直りが出来るはずだ。それならいっその事自分と統南の母が一緒に居れば手っ取り早くて済む。
それに七日としても統南の母がどんな人か会ってみたかったし、会って話がしたかった。統南が自分達のためにどれだけ頑張ってくれているのかを統南の母に伝えたかった。
「…………」
これは余計なお節介だという事は分かっているつもりだ。
統南は自分の意思で母親と会わないと決めた。それなのに無理矢理母親と会わせようとしている自ぶは図々しいにも程がある。それでも七日は統南が母に会わないと言った時の声は七日にはどうしてももう一度会いたいと言っているようにしか聞こえなかった。
統南が過去に何をしていたのかは知らない。だけど自分たちのためにあんなに一生懸命やってくれる優しい人が本当は会いたいと思っている母に会えないなんて間違っていると思う。
だからこそ七日は自分でやれるとこまでやりたいと思う。統南のためにも、自分のためにも。
看護師さんから面会証を貰い、七日は統南の母の病室の前に着く。どうやら統南の母は個室の様だ。
『片岡安美』
病室の前の名札にはこう書いてあった。これが統南の母の名前だ。地図にも病室の番号と名前が書かれていたのだから間違いはない。
そう考えながらドアをノックしようとするが、
「……ちょっとその前に深呼吸」
ダメだ。緊張する。
というよりよく考えたらおかしいのではないだろうか。自分と統南の母、安美さんは全く面識がない。知り合いですらない関係だ。そんな他人がいきなりやって来たら統南の母は困惑するのではないのだろうか。
「…………」
七日の体は石にでもなったかのように固まっていく。
第一自分と統南の関係をなんて言えばいいのだろうか。一歩間違えれば、統南の母は息子に対する信頼が一気にがた落ちではなったりするかもしれない。そしてそんな息子の信頼を下げた自分など嫌われてしまう可能性も充分にある様な気がしてきた。
「なんて説明すれば……。こ、恋人とか……。いやないない! バカかあたし。そうじゃなくて……」
七日は統南の母の病死の前で固まりながらブツブツと呟いている。自分でもこれじゃただの怪しい人に見えてしまうのは自覚出来ているのだが、決心がつかない。
すると突然ドアが開く。
「っ!」
七日は驚きのあまり背筋を伸ばして凍りつき、
「…………あのどちら様でしょうか?」
恐らく統南の母である落ち着いた感じの女性は車椅子に乗って首を傾げながら訊ねてくる。
「あ、あ、あ、あのそのあたしえっと…………」
七日は言葉が出て来ないで口ごもっていると病室から出てきた女性はニコリと笑う。
「大丈夫ですよ。落ち着いてください」
七日にかけられたその声は涼しげで耳にスーッと入ってくる感じがしてちょっとだけ冷静になれる。なんとなく美春と感じが似ている女性だ。
「……あのあたし片岡安美さんに会いに来たんですが、安美さんですか?」
七日が目の前の女性に訊ねると今度は女性の方が驚き出す。
「あらまーまさか私にこんな可愛い見舞い客が来てくれるなんて凄く意外ね」
やっぱり女性は統南の母、片岡安美さんで合っていたようだ。車椅子に座っている安美の片足を見てみると包帯がグルグル巻きに巻かれていた。
その視線に気付いたのか安美は笑いながら言う。
「フフッなんだかこの足を見るとドラマの人みたいで凄くありませんか?」
言った後、安美はまた楽しそうに笑い出すが、
「そうですか……」
七日としてはさすがに人の怪我で笑う訳にはいかず、愛想笑いも出来ずに上手く表情が定められなかったが、安美は気にした様子もなく七日を自室に誘う。
「まあこんなとこでなんですからどうぞどうぞ入って入って」
「あっでもどこかに出かけるつもりだったんじゃ?」
七日が言うが、安美は笑い飛ばす。
「アハハ、いえいえ違うの。違うんですよ。別に用なんて特になかったんですけどね、一人でテレビを見てても暇だしね、少し病院内を散歩しようと思ってたらあなたみたいな可愛らしい女の子が来たんだからそんな必要はないわ。それより椅子に座ってください」
そのまま安美は病室にあった椅子に座る様に勧めてくる。
「はい。じゃあ遠慮なく」
七日は頭をペコリと下げて、ソファーベッドのようなものもあったがさすがにそれに座るのは少し図々しいと思い、丸椅子に腰を下ろす。
「あっこれお見舞いにと思って持って来たんですけど」
七日は病院に行く前に手ぶらに行くのも失礼かと思い、茶菓子を見舞いの品に持って来たのだ。
「どうもご丁寧に。わざわざこんなものまで持って来てくれるなんて親御さんのしつけがちゃんとしているのね」
「いやそんな事は」
褒められた事に七日は照れ笑いを浮かべる。
「ふふ、なんだか久しぶりに若い子と話した感じがするわ。担当の看護士さん私と同い年くらいだし。それに話し相手にはなってくれないもの。やっぱり大部屋にしてもらうべきだったかしら。はぁー」
安美は残念そうにため息をつく。それを見て七日はやはり統南と似ているなという感想を抱く。この人と統南はやっぱり親子なのだろうと実感させられる。
「フフ」
思わず笑ってしまうと、安美は興味津々と言った顔で七日に視線を向ける。
「それであなたかなり若く見えるけど、高校生かしら?」
「あっいえ中学生です。えっと来年で中学三年になります」
すると安美はさっきと同じ様に驚く。
「あらまーあなた中学生なの? ずいぶんと大きいのね」
「そうですかね」
その事はもう言われ慣れているので照れたりはしないが、なんだか感心するように見られると少し落ち着かなかった。
「あっもちろん別に悪い意味じゃないの。ほらよく言うじゃないですか。大は小を兼ねるって。うんやっぱり大きい女の子って素敵よ。モデルさんみたいで」
「モ、モデルさんですか!」
「ええ、あなた顔も小さいし、可愛いしもう将来はカリスマモデル決定ね」
「そんな事ないですよ。褒めすぎですよ。ないですからそんな事。…………そう思います?」
「思う思う。きっとあなたみたいな可愛い子に好きって言われたら男の人は凄く嬉しいんでしょうね」
「……えへへー。ないですよもう!」
凄くベタ褒めしてくる。驚いた事に安美は凄い勢いでベタ褒めしてくるのだった。もうお世辞と言っても過言ではない程に褒めてくる。褒め殺しである。
そこまで褒められたらさすがの七日も、
「もう嫌だなー。へへっ」
全く悪い気がしない。むしろ少ししか接していないが安美の事が好きになっていた。
「笑った顔も素敵ね。それで一つ聞きたいんだけど今は学校の時間なんじゃないの?」
安美は先程の優しいそうな笑い顔から少しだけ真面目な顔になる。
「えーっと学校は……」
安美の声に強制さは感じないが、さすがに不登校だとは言いづらい。安美もそれを察してくれたのか先程と同じ温和な声で謝り出す。
「ごめんなさい。それはあなたのプライバシーだものね。変な事を聞いた私が悪かったわ」
「いえ! 謝らないでください。ただちょっと学校に今行ってなくて答えづらくて……」
七日は何も悪くない安美に頭を下げさせてしまったのが申し訳なり、本当の事を言う。
「そう……。ありがとうね私の質問になんか答えてくれて」
表情を曇らせながら安美は言う。
「いえとんでもないです」
逆に自分の事で親身になってくれるだけでもありがたい。
「……それで聞きそびれたけど、あなたはどうして私を見舞おうとしてくれたの? 見た所初対面みたいだし、知り合いではないわよね?」
「はい」
七日は頷く。
今まで嘘みたいに話が弾んでいたので忘れてしまいそうになっていたが、七日が今日来た理由は統南と統南の母を仲直りさせる事。そのためにも慎重に言葉を選ばないといけない。
「……実はあたしはその……」
なんて言えばいいか七日が悩んでいると安美はまるで分かりきっていたかのように口を開く。
「あなたは統南の知り合いなのね?」
「……え? ど、どうして?」
見事に当てられてしまい、七日は動揺を隠せずにいた。
そんな七日を見て、安美は子供が悪戯でもしたかのように罰の悪い顔を作る。
「あら、当たっちゃった? 言ってみるものね。私はただ少し鎌をかけてみただけよ」
「か、鎌ですか?」
「そうよ。ただの女の勘」
言って、安美は罰の悪い顔から少しだけ得意気な顔になる。
「……なんだかすごいですね。統南さんのお母さんは」
さすがに統南の母の前なので統南の事をさん付けで呼ぶ事にする。
「別に凄くなんかないわ。そんな事よりあなたの名前は?」
安美は七日の名前を訊ねてくる。そうだ。未だに名前も言っていなかった。普通は一番に言っておかないいけないのになぁと七日は自分自身の行いを反省しながら言う。
「あたしは田中七日と言います。その統南さんとはえっと……」
そこで七日は自分と統南は一体どういう関係なんだろうと考える。
まず恋人? それは絶対にないし、無理だろう。婚約者。これももちろんない。確かに統南には結婚しようみたいな事を言われたが、あれはきっと本気ではないし、第一自分と統南では年齢が少し違うせいで一歩間違えれば統南は犯罪者になってしまう。
だとすればやっぱり統南と自分の関係だなんてきっとこれしかない。
「統南さんはあたしの恩人です」
「恩人?」
「はい」
七日は力強く頷き、言う。統南がやってくれた事を全部。
「あたし、実は……家出して来たんです。家族と色々あって。そしてまあなんか死ぬ気なんてないくせに自殺なんて試みようなんて思っちゃったんです」
七日の言葉で安美の表情は凍り付いてしまう。七日としてもこんな空気にさせてしまって、申し訳ないと思いつつ、最後まで話す事にする。
「そしたらですよ、統南が急に止めに来て、なんか変な事を言いながらも結局もう統南を見てたら馬鹿らしくなっちゃって、自殺なんか出来ませんでした」
いつの間にか統南をさん付けからまたいつの間にか呼び捨てになってしまっているが、今は統南が自分にしてくれた事を統南の母、安美に伝えたい。
「で、それでもあたしは家に帰れず、なんだかんだで統南が家に置いてくれました」
「あの子が?」
安美は少しだけ驚く。七日も誤解されない様にちゃんと話す。
「はい。でももちろん変な事はされてませんし、むしろ一人部屋を用意してもらったり、ご飯を作ってもらったりで、まるで新しいお兄ちゃんが出来たみたいです」
そうだ。統南は自分のために部屋を用意してくれた。悪態を言ったりする生意気で可愛くもない自分のためにご飯も作ってくれた。だけどそれだけじゃない。
「それに統南はあたしとあたしの家族を仲直りさせてやると言ってくれました。あたしの話も聞いてくれました。そして実際にあたしは今姉さんの傍に居ます。正直まだ許す事も仲直りも出来てもないかもしれないけど、それでも一緒にまた笑える様になりました」
それがどんなに嬉しかった事か。その事がどれだけありがたかった事か。
「全部統南のおかげです。あの人があたしの背中を押してくれました。あたしは統南にどれだけ感謝してもしきれません」
言い終わえると、今まで比較的に落ち着いて聞いていた安美がポツリと言う。
「まるでヒーローみたいね。その言い方だと」
言った後、安美は一瞬可笑しそうに笑う。
「……そう。あの子は家を出て行ってからも誰かのために頑張っていたのね。そう……本当に良かった」
その声は心底安心しきったような声で安美は涙を零しながらもう一度口にする。
「本当に良かった……。元気で居てくれて。…………生きててくれてよかっ……た」
そこで安美はまるでダムでも崩壊したかのように泣き出す。きっと今まで統南を心配していたものが一気に溢れ出したのだろう。
「…………」
七日はその安美の姿を見て、思う。この人は母親なんだなと。その思いに負の感情を抱く事はなかった。ただ安美が泣いている姿を自分の母と重ねて、母にふと会いたくなった。
「……安美さん」
七日は統南の母である人の名前を呼んでみる。安美を統南の母としてではなく、一個人として接したいと感じたから。だからこそ安美に感謝の言葉を送る。
「その上手くは言えないんですけど、……統南のお母さんで居てくれてありがとうございます。あなたみたいな優しい人が統南のお母さんで居てくれてあたしは凄く嬉しいです」
本当に上手く言えていない。
これではまるで七日が安美を上から見ているようだ。しかし安美はそんな下手くそな言葉でも伝わったのか七日の手を握ぎりながら言う。
「……ありがとうね。あの子の傍に居てくれて」
その言葉は何よりも七日の心に染みたのだった。
「いいえあたしは好きで統南の隣に居させてもらっただけです」
だからこそ七日は素直な気持ちを安美に告げるのだった。




