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第一章 ようこそ片岡家へ。貧乏人は家出少女を招き入れる 2

 それから三日が経ち、現在片岡統南は未だに自宅に住み着いている少女、田中七日のために昼食を作っていた。


 そんな統南を横目に七日は暖かそうなパーカーを着て、ソファーに寝転びながら統南の飼い猫であるネコポチとじゃれあっていた。


「ネコネコパー! 可愛いなーもう! ……で、統南ご飯は?」

 

 どうやら完全にこの家に慣れたようだ。むしろもう一家の主状態になっている気がする。


(……このネコポチと俺の差は一体なんなんだろうなぁ……。あとネコネコパーって……)

 

 ネコポチとの待遇の差に不満を思いながらも昼食のために焼いて置いたさばを大根おろしと一緒に皿に盛り付け、ネコポチと戯れている七日の元に持っていく。


「ほら望み通り昼飯を作ってやったんだからさっさと食えよ」

 

 統南がそう言うと、ソファーでグダグダと寝そべっていた七日は統南が焼いたさばを一瞥した後、すぐに眉を顰める。


「なんだよその不満そうな顔は?」


「だってまたおかず一品だけじゃん。昨日の夜も一品だけだったし!」


「はぁ? 一品だけじゃないだろ。ちゃんと大根おろしもつけてるじゃん。超豪華じゃん」

 

 統南は茶化す風に言うも、七日は首をブンブンと横に振って、否定する。


「こんなの全然豪華じゃない! 大体どうせ魚を食べるならお寿司が食べたい!」


「お寿司って……七日お前そんな贅沢品が簡単に食べられる訳ないだろ」


「なんでよ? 回転寿司なら安いんじゃないの?」


「ハハハハッ。何を言うかと思えば、回転寿司が安いだなんて。信じられないな」


「はぁ?」


「いいか七日。お兄さんが一つ教えてあげよう。回転寿司ってのは確かに一貫百円とか一見安いように見えるけど、でもよく注意深く考えて欲しい。あんな小さい米粒の塊を百円払って食うより、スーパーの百円コロッケを買った方がお得だし五個買って、」


「貧乏人」


 統南の言葉を遮って七日は統南の心にグサリと刺しつけるような言葉を投げつける。


「び、貧乏人って、お前なぁー」


「じゃあ違うって言うの?」


「そりゃあ違わないけどさ……」


 統南は自分の家を見渡してみる。


 リビングの床の一部は既に腐りかけていていつ底が抜けてもおかしくはないし、玄関だって正直針金一つあれば簡単に開けられてしまいそうな引き戸に、風呂に浴槽もなく、シャワーしかないので風呂に浸かりたい場合は近くの風呂屋に行かなければならない。


 唯一誇れる点と言えば、部屋の数が多いので七日の個人部屋を用意してやれる事くらいだ。また木造の二階建てを飾る屋根の色は既に消えており、窓は台風がくれば何らかの対策をしてなければ一瞬で破れる程薄い。全体的に家の外は中よりもボロく、七日が初めてこの家を見た時のリアクションはそれはもう酷かった。


 統南もこれならどこか近くの安いアパートにでも借りた方がいいと思う時も多々あるのだが、そう簡単に決断出来ない。元々この家は統南の実家ではないからだ。


 実家は統南が高校を中退した際に両親と大喧嘩になり、そのまま家を飛び出してそれっきり帰っていない。言うなら七日が家出少女なら統南は家出青年だ。


 しかし家を飛び出したと言っても、当時の統南は交友関係も狭く、行く当てなどはどこにもなかった。最初の一週間はまだなんとかインタネットカフェなどで、食事も寝る場所も確保する余裕があったが、資金はあっという間に底をつき、それからの統南は菓子パン一つ買えなくなってしまった。だからと言って両親の元に帰るつもりもなく、ただ歩くことしか出来ず、飢え死になりそうになりながらフラフラと歩いていると声をかけられた。


 その人の名前は中内正義なかうちまさよし。統南が今住んでいる家の持ち主であった人だ。


 正義は家出して、帰る場所が無かった統南に居場所を作ってくれた。

住む家がないと分かったら、ここはもう使ってないから好きに使えと統南が今住んでいる家にタダで住まわしてくれたし、車などの免許証を取るお金まで貸してくれた。


 何よりたくさんの人を紹介してもらった。


 統南が現在働かせてもらっている焼き肉屋の店主とも元々は正義が紹介してくれたものだった。


 正義はただの他人である統南のために親身に世話を焼いてくれた。その事に統南は大変感謝している。


 恩返しをしたいとも思っていたが、正義は既に亡くなってしまい、恩を返す機会はなくなってしまった。だからこそ統南はこのボロっちい家を手放す気にはなれなかった。


 この家で正義と一緒に住んでいた訳ではないが、それでも正義との思い出が詰まっている気がしてならないのだ。


「それにしてもなんで俺ってこんな貧乏なんだろうな」


ふと呟くと、渋々と昼食を食べていた七日は当然の様に答える。


「働いてないからでしょ」


「働いてるよ!」


 統南は思わず唾が飛んでしまうくらいムキになって言い返す。


「そうなの?」


 七日は唾が飛んでくるので、汚いのか統南と距離を取りながらも首を傾げて聞く。


「そうなのってね、昨日も夕方くらいに働きに行っただろ」


「あれって遊びに行ったんじゃないの?」


「仕事っ!」


「へぇーそうなんだー。まあ統南が仕事してようがしてないのはいいんだけど、統南って彼女とか居ないの? 居てもおかしくない歳でしょ?」


 余計なお世話だと思いながらも、統南はさばの骨を取り除きながら律儀に答える。


「居ないよ。居たらお前なんか彼女の家に押し付けてるよ。……精々昔一人居たくらいだ」


「どんな人だったの? ちゃんと女の人だった」


「ハハ、興味津々だな。……それは遠まわしに俺の事をそっちの気だと思っているって事かな?」


 七日は見ているこっちが清々しくなるほど、堂々と頷く。


「うんそれかロリコン」


 七日はからかう声で言いながら、もう食べ終えた様で再びネコポチを抱き上げる。


「違う。絶対に違う」


「ホントかしら?」


 七日は自分の体を縮こめながら、警戒するような口調になる。


「そんな心配はいらないから。俺はどっちかと言えば、年上派だから安心してくれ」


「そんな事言って、中学生に結婚しようって言ったくせに」


「も、もういいだろその話は。とにかく俺はちゃんと知り合いのとこで働かせてもらってるから大丈夫なの!」


「ふーん分かった。でも統南あたし気付いたんだけど」


「何をさ?」


 統南が気になって聞くと、七日は言う。


「統南が貧乏なのって昼間からこうグダグダしてるからじゃない? っていうか統南っていかにもダメ人間って感じだよね。普通はお情けで知り合いの人の所に働かせてもらってたらそんな偉そうに言えないと思うよ。内心その統南が働かせてもらってるお店の人たちも統南の事要らないとか思ってるんじゃない」


「………………」


 そう言った七日の顔は憎たらしい程無邪気で統南は怒るに怒れず、代わりに精神的に深いダメージを負ってしまった。そろそろ内部崩壊が起こってもおかしくないほどに。


 確かに統南が働かせてもらっている店は繁盛しているかと言えば、微妙なラインを抜ききれない。経営的には決して楽ではないはずだ。


 しかもそこで働いている統南には例え経営が苦しくても、毎月ある程度の給与は与えなければならないので迷惑と言ったら迷惑なのかもしれない。そこで働いてるのは夫婦で焼き肉屋を経営している夫妻に、従業員に統南が一人とこぢんまりとした綺麗な店なのだがどうせ雇うなら統南みたいな男よりも、綺麗な女子大生とかの方がいいのかもしれない。


「いや大丈夫大丈夫。……大丈夫だよな?」


 なんだかクビにされてもおかしくない様な気がしてきた。もしクビになり、職を失い、無職になってしまったらどうすればいいのか分からない。そう思うと急に自分の将来が心配になってきた。


「はぁ……」


「辛気臭いからため息なんてつかないでよ。いいじゃん。気楽そうで」


「気楽そうってなぁ、こっちだっていろいろと苦労してる事もあるんだからな。……いいよな中学生は……」


 そこで統南は、七日に気楽でいいよなと言おうとした所で、言葉を途切る。七日が自殺未遂者だった事を思い出したのだ。理由や事情は知らないが、この少女は間違いなく自殺しようとしていた。もしも自分が見つけていなかったら七日はこの世には居なかったのかもしれない。だからこそそう簡単に楽観的な言葉をかけられなかった。


 もしかしたらその言葉で七日の心の傷をさらに抉ってしまうかもしれないから。


 面倒くさい。本当にそう思う。統南なんかが関わっていい少女なんかではないくらい難しい少女だ。しかしそれでもこの少女の面倒を見なければならない。


 なんせ本心ではなくとも結婚しようって言って、七日が死のうとしたのを止めたのだから統南にはそれ相応の責任がある。


「どうしたの統南? 急に黙っちゃって」


 七日は不安そうな様な顔で訊ねてきた。統南はその不安を打ち消すような笑顔を作り、答える。


「…………ん、別に。それよりジャンケンしようか」


「ジャンケン? なんでジャンケンなんかしなきゃいけないのよ」


 すると統南は食べ終えた食器を見せる。


「今日からはご飯の後はジャンケンで負けた方が洗うことがたった今決まりました」


「えー!」


「えーじゃない! 文句を言わない」


「そんなの統南がやりなさいよ。あたしお客さんよ」


「…………お客さんって、グータラ娘が言っても説得力ないぞ。いいからジャンケンするぞ。お前はこの家に寝泊りさせてもらってる。居候だ。つまり立場は俺の方が偉いの。本来なら七日が洗わないといけない事をジャンケンで負けた方にしてやってるんだから感謝しろよ」


「ちっ」


「舌打ちしない」


「…………分かったわよ。やればいいんでしょやれば」

 七日は渋々腕を前に差し出し、統南とジャンケンを始める。






「ほら七日、そこ泡が落ちてないぞ。ちゃんと洗え」


「うっさいな。そんな事言うなら自分で洗えばいいでしょ」


 統南は七日の後ろに座り、指示を出す。先程のジャンケンの結果、七日はグーを出し、統南はパーを出して、結果統南の勝利に終わった。

 

 そして現在、七日が皿を洗っている。統南は七日のすぐ後ろに座って七日がちゃんと洗っているか監視する。わざわざパイプ椅子まで出してまで。


「ほら文句言う口があるなら手を動かす。働かざる者食うべからず」


「……バカ統南」


 七日は聞こえないように言ったつもりだろうが、統南にはしっかりと聞こえており、なぜか傍にあったメガホンで七日の頭を軽く叩く。


「ちょ、ちょっと何するのよ。アホ!」


「アホじゃない。お前がバカなんて言うからだろ」


「そんな事くらいで叩かなくてもいいでしょ!? あたし女の子よ」


「女の子扱いされたいならやる事をやる。片岡家ではそういう事を徹底しているんです」


「あたしは片岡家なんかじゃ……っ! …………分かったわよ。ちゃんとやるわよ」


 七日はムキになって言い返そうとするが、途中で声のトーンを落とし、言い返すことをやめ、皿を洗い始める。


(……もしかして今のなんか機嫌を損ねるようなこと言ったかな?)


 心の中でそんな事を考えながら統南は七日の顔色を伺おうとするが、七日の後ろに居る統南には確認する事は出来ない。さっきまでは文句ばかり言っていたのに、その背中はなぜか薄っぺらく気迫がないように思える。 


 何か声をかけないと思い、統南は七日に声をかけようとする。

「…………なな、」

 

 しかしそれより先にネコポチが七日の足元にすり寄ってくる。ネコポチは七日の足元で喉を鳴らしながら背中を擦り合わせてくる。不思議なものだなと統南はネコポチが七日をすり寄っているのを見て、思わず感心する。


 ネコポチはあまり人には懐かない猫だ。統南が初めてネコポチと会った時も大変警戒されていた。懐かれるのに随分と時間がかかったものだ。しかし七日には初対面で既にネコポチは今のように足にすり寄って喉をゴロゴロと鳴らせていた。


 どうやら七日は動物に好かれやすい体質なのかもしれない。理由は分からない。でも動物には分かるのかもしれない。田中七日という少女が優しい少女だという事を。


 七日は非常に偉そうだ。年上の自分にはタメ口だし、横柄な態度ばかり取る。ご飯を作ればおいしそうじゃないだのとイチャモンをつける。でも同時に統南にもネコポチと同様なんとなく分かっているのかもしれない。


 この子はきっと優しい子だと。


 何せ出会ったばかりの男を無条件で信用するなどと愚かなくらい純粋なのだから。


「あっネコポチ!」

 

 ネコポチがすり寄って来るので七日は泡を付いた手を洗い、皿を洗うのを一旦中断し、ネコポチの喉元を撫で始める。


「………………」


 ネコポチを撫でている七日は髪がかかるかかからないかくらいの長さの黒髪に、少し背が高い可愛いらしい顔のどこにでも居そうな普通の女の子だ。


 この少女がどんな悩みを抱えていようが、統南が面倒くさいと思う事には今後も変わりはない。


 でも面倒くさくて仕方がないけど、同時に力になりたいとも思えて来る。大して力になれるとも思っていないし、大した行動も出来ない。だけど自分のペットであるネコポチに優しい笑みを浮かべている少女に、十年後、二十年後、五十年後になってでも今と同じ様な笑顔を浮かべて欲しいと思う。


それはただの願望でしかない。それでも統南はそう願う。今の自分にはそれしか出来ないのだから。




「はぁー。やっと終わったー」

 

 ――――田中七日はソファーに座り込んで、一息つく。この家にやって来て三日しか経っていないが、随分と長く居たように思えて来る。


 家自体はボロくて、夏にもなればネズミやゴキブリが大量に出てきそうだが、居心地はいい。ネコポチというヘンテコな名前の猫はすごく可愛いし。この家の主である片岡統南はケチで、貧乏人で、文句ばかり言う屁理屈野郎と情けない人だけど、優しい。とても優しい。


 正直自分自身統南に対して失礼な態度を取っていると思う。ワガママばかり言っているのも自覚がある。いつ追い出されても文句は言えない。だけど統南はそんな七日に文句は言うも、自分自身の存在を受け止めてくれている。本当に優しい。お人好しにも程がある。


 だから七日は思う。


 自分がこの家に居たら統南に迷惑がかかると分かっていても、もっとここに居たい。ずっとここで暮らしていたい。だけどそんな事は無理だという事も分かっている。そんな馴れ合いが永遠に続かない事くらい分かっては居るのだ。


 そしてこの家に居られなくなったら七日は自分の家に帰るしかないだろう。帰りたくなくても自分の居場所はそこにしかないのだから。


 だからこそ今ここに居る時間を大事にしていきたい。ここに居れば『家族』のことを忘れられるから。ただのワガママな子供のままでいられるから。


「っ!」


 七日がそう思った矢先に不意に首元に冷たい何かを当てられる。


「ちょ、いきなり何よ!」

 

 振り向くと統南がニコニコとまるでイタズラに成功した子供のように笑っていた。


「んー。ほら七日も皿洗いをがんばってた事だし、お兄さんがアイスをご褒美にあげようかと思って」


 そうやって渡されたのはソーダー味の棒アイスだった。


「……この季節にアイスってねー。どうせなら肉まんの方が良かった。使えないなぁ」


 不満を言って見ると統南は、ムッとした顔になり、顔を近づけて熱論を振るう。


「バカ! お前冬にアイスってそれはそれでいいもんなんだぞ。大体肉まんは百円に対して、こっちのアイスは六十円くらいで安く済むし」


「ケチ男」


「ケチじゃない。節約です」


「節約おばさん」


「おばさんじゃないし。男です」


「ロリコン」


「いやロリコンじゃねえからな。言っとくけど俺がロリコンだったらお前が一番危ない目に遭うんだぞ。まあロリコンじゃないけどね!」


 統南は必死に否定する。七日はそれを見て笑う。


(統南が家族だったら良かったのに……)

 

 七日は家族の事を思い浮かべる。

 

 いつしか楽しげな笑みが悲しげなものに変わっている事に七日は自分自身でも気付きはしなかった。



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