第一章 ようこそ片岡家へ。貧乏人は家出少女を招き入れる 1
「統南お腹空いた」
冬がいよいよすぐ傍まで迫ってきた十一月の終わり。その昼時に肩まで掛かるか掛からないかくらいの長さの黒髪の少女はモコモコとした大きめのパーカーに身を包まれながら、統南という名前の短髪の青年に昼食の催促を取る。
「…………あのさ」
統南はしかめっ面で少女に問いかける。
「何よ?」
「一体きみはいつまで俺んちに居るつもりなの? つーか学校行けよ」
「あのね、統南。家出少女が普通学校に行くと思う? 行かないわよ。少しは考えてくんないと困るわよ」
少女は当たり前のように言うが、統南としては家出少女が見知らぬ男の家に厄介になっている時点で普通ではないと思う。というよりこれが普通となる世の中は根本的に間違っていると思う。
「何その文句満々って感じの顔は?」
少女は近くに居た統南の飼い猫であるネコポチを抱えながら今にも噛み付きそうな表情でそう言う。
「はぁ……不運とか不幸とか言う以前に俺はなんでこんなにアホなんだろう」
統南は一人ため息をつく。
少女と出会ったのは今から三日前。たまたまの事だった。
本当にたまたまだったのだ。
統南はたまたま遠出して帰りが遅くなったので、山道を使って帰ろうとしたら一人の女性が山の中に向かっているのを見て、嫌な予感がした。
後を追ってみるとその嫌な予感は見事的中し、女性は随分と丈夫そうなロープを木に括りつけていた。その行動は『自殺』という二文字が連想されるのには充分な行動だった。
そのまま放って置けるはずもなく統南は女性を慌てて止めようとする。しかし女性はそれを聞き入れる事はなく邪魔をするなと言われるが、邪魔をしない訳にも行かない。統南はなんとか説得しようとするが女性は統南の言葉を聞かない。
何度か言葉を交わした後、ついに口論になってしまう。
「うっさいのよ! じゃああなたはあたしがここで死ななかったらこれからの人生保証してくれんの? 出来ないでしょ! なのにいい人ぶって勝手な事言わないで!偽善者!」
統南はその女性の言葉に苛立ちが湧いてくる。
確かに統南はここで女性が自殺しようとするのは止めようと思ってもその後の事は知らない。少しは気になるかもしれないがすぐに忘れる程度の事にしか思わないだろう。それに今まで自分が行って来た善行の仲に偽善が一つもないのかと聞かれたら嘘になる。
そうだ。目の前の女性の言葉は図星なのだ。自分は偽善者だ。だからイラつく。自分の事を何も知らないで知った風に言う女性にムカついてしまうのだ。何より統南は自殺という行為が嫌いで気持ち悪くてしょうがなかった。
「保証も出来ないくせにだって? じゃあしてやるよ! きみの人生くらい俺がいくらでおしてやるよ!」
「そんなの出来る訳ない!」
「出来るさ!」
統南は女性の否定を否定で返す。そして言う。勢いだけで。それがその場凌ぎだけの行為で、あとで後悔すると分かっていても自分を偽善者と自覚している統南は言う。
「結婚しよう!」
「…………へ?」
女性はその言葉を聞いて毒気が抜けたような声が出ている。
「………………あれ?」
そして統南も自分が言った事に対して呆然とする。
(えっ? 今俺結婚って言った? 結婚しようって言った?)
知り合いですらでもない出会ったばかりの人間になんて事を言っているんだと統南は自分の神経を疑っていると、
「あ、え、あ、あの、あなた……それ本気で言ってるの?」
「えっ?」
女性の声は上擦んでいた。どうやら女性は動揺しているようだが、統南自身も相当動揺しているのでどう答えればいいか分からなくなる。
「その、あの……」
回答に困り、口ごもっていると、
「……いいわよ。どうせただのデマカセでしょ。分かってるわよそんな事」
女性は感情が感じられない平坦な声でそう言う。女性の表情は暗闇の中では確認出来ないが、決していい表情はしてないんだろうなと予想出来る。
だから自分で愚かで無責任な選択だと分かりながらも統南はもう一度勢いだけで愚かな選択を口にする。
「あのさ、結婚しようってのは……なんていうかさ、俺はきみがどこの誰かなんて知らないし、事情も知らない。正直言うときみの顔さえ暗くてよく見えない」
そのまま歯切りの悪い言葉を続ける。
「だからその……、きみの事なんてどうでもいいのかもしれない俺は。それでも俺はきみにこんな暗くて寒い場所で一人で死んで欲しくない。出来ればこれからも生きて欲しい。それが一人じゃ無理ってなら俺が協力する。結婚でもなんでもしてやる。……だから頼むから死のうなんてしないでくれよ」
言い終えた瞬間に、統南はまた綺麗事を言ってしまったと罪悪感に陥る。
「……ホントに?」
その声はまるで捨て犬でも連想させるような弱々しい声で、またやけに子供っぽい口調だった。
「いや……、まあ……本当だけど、あのでもそのきみが嫌なら全然いいから! 俺金なんか全く持ってなくて貧乏人で」
統南はしどろもどろになりながらもなんとか穏便に済まそうとする。
「もう一回聞くけど……、本当になんでもあたしの言う事聞いてくれるの?」
「うん……まあ」
「なんか曖昧ね。あなた大人の人?」
「一応酒は飲める歳ではあるけど」
「そっか」
そこで女性は初めてクスクスと笑い、しばらくして口を開く。
「じゃあさ、あたしをあなたの家にしばらく泊めてよ」
「し、しばらく!?」
いきなりとんでもない事をお願いして来た。
「そ。しばらく」
「いや……しばらくはさすがにちょっとなんていうか色々と心の準備が出来てないし」
「結婚でもなんでもしてくれるんでしょ。もしかして嘘だった?」
女性は陽気な声で統南にそう言う。さっきまで自殺しようとしていた人物とは思えない。
「…………」
今さらその場限りのデマカセだとは統南には言えそうもなかった。
「ねえ、車でここまで来たの?」
顔も見えない中女性はハキハキとした口調でそう聞いてくる。
「そうだけど……」
統南は実は自分はとんでもないバカなのかもと早くも後悔の念が押し寄せて来た。
それから三十分くらいして女性を自分の車に乗せた統南は真夜中の山道を走り出す。
「なんというかショボいわね」
助手席に座る女性は唐突にそう言う。
「ショボいって……それが乗せてもらってる奴の言葉かよ。しょうがないだろ。近所に住んでるおっちゃんが要らないからってただで貰った車なんだから。大体車なんて高級品を買う余裕がある金持ちじゃないの俺は。維持費とかも色々かかるし」
「だからってね……いい歳した若い男の愛車が軽トラはねぇ。ダサッ」
「うるさい! ダサくなんかねえ!」
片岡統南。これが真夜中に軽トラを走らせながら子供のようにムキになって言い返すこの青年の名前だ。歳は二十一で、最終学歴は高校中退。現在は神奈川県の比較的静かな町で暮らしているが、元の出身地は愛知県だ。
現在は知り合いがやっている焼き肉屋で働かせてもらっている。その他にも別の知り合いの仕事を手伝ったり、日払いの仕事をやったりでなんとか生活出来ている程度で、金銭的に余裕はない貧乏人だ。
「ダサいものはダサいの。あなたこんなボロいトラックに乗ってて恥ずかしくないの」
「全っ然! むしろ他の若い奴らと一線があるみたいでカッコイイね」
自慢げに統南が言うと、女性が小さくダメねと呟くだけ呟いて黙り込む。
「…………あのさ」
統南は女性にイラつきながらも、黙り込んでいる女性を横目で見ながら質問する。
「聞いてなかったけど、きみいくつ?」
「…………」
統南は訊ねるが女性は返事を返すことはしない。
「暗くてよく顔が見えなかったけど、きみってもしかして未成年だったりする?」
女性を車に乗せる辺りから統南はその事がずっと気になっていた。女性の身長は百六十五センチ以上はあり、長身だったので統南は自分と割かし近い年代かなと思っていた。
しかしさっきまでは暗くてよく分からなかったが、いざこの女性の顔を見てみると予想以上に幼い顔立ちだった。恐らく中学生くらいかなと推測する。
服装もダボダボのパーカーにジーンズとスニーカーで着こなし方も統南より若く感じられる。
「で、結局どうなの?」
「あなたに話さないといけない義務はないわ」
女性は素っ気なく言ってくる。どうやら素直に話す気はないようなので少し挑発してみる。
「義務がないって人の家に泊めてもらおうって奴がよく言うよ。ガキか? あっもしかして小学生?」
「中学生よ! バカじゃない……あっ」
思った以上に簡単に挑発に乗ってくれた。どうやら自分のボロいトラックに乗っている人物は『女性』ではなく少女と言った方が正しいみたいだ。
「へー。中学生か。最初見た時から背が高いから大人って勘違いしたけど、大きいね」
統南は少女の容姿を見た感想を言うが、少女はその発言になぜか嫌悪感をむき出しにした顔になり、手で体を隠すような動作を見せる。
「変態!」
「いやいや何勘違いしてるのか知らねえけど、単に身長が高いって思っただけだからね」
「ホントかしら?」
少女はバカにしたような声で言う。その声に統南は少しムッと来たので皮肉で言い返す。
「ちょっと挑発されたくらいで口を滑らすガキに興味ないから安心してくれ」
「ガキじゃない!」
「そういうとこがガキなの」
少女はまるでバカと言った方がバカだとでも言う様に統南に怒鳴りながら抗議する。
「はいはいー。で、何年生なのお嬢さんは?」
「……中二」
今にでも殴りかかってきそうな表情とは対照的に少女はぶっきらぼうな口調で答える。
「てことは来年を迎えてもまだ中学生のままか。やっぱ子供じゃん」
統南が少女をからかいながら軽トラックを運転していると、少女がボソリと呟く。
「自分はその子供にプロポーズしたくせに……」
「…………」
その一言で場の空気は一気に重くなる。統南は一瞬固まりながらもすぐに思考をフル稼働させている。忘れていた。すっかり忘れていた。
そうだ。自分はこの少女についさっき勢いで結婚しようだなんてとんでもない事を口走ってしまったのだ。……しかも相手は中学生だ。JCだ。
(………………これって世間一般的にロリコンに入るのかな)
しかしすぐにその考えを否定する。統南は少女の事を大人だと思っていたし、あれは自殺を止めるために仕方がなく言った事なのだ。しょうがない。そう思っていないとやってられない。
「……うーん」
そういえばこの少女はついさっきまで自殺を考えていた割には生意気というか明るすぎると思う。空元気なのか?
信号で車が止まった際に統南はまるで観察するように少女を見る。
「……何よ?」
「別になんでもないけど」
とてもじゃないが自殺しようとしていた割には元気だねなどと無神経な事は言えない。
「ねえ、あなた名前なんて言うの?」
少女は信号が青になり、車が動き出した際に統南の名前を訊ねてきた。
「俺の名前? トウナ。統一の統に南北の南で片岡統南。それが俺の名前」
「…………」
つかの間の沈黙。そして少女は申し訳なさそうに謝りだす。
「ごめん……。変な名前なのに無神経に訊ねちゃって。……ごめんなさい」
「謝るな! 余計傷つくだろ。むしろ南を統べる統南ってカッコイイじゃん」
これでも結構この名前は気に入っているのだ。特に中学二年の時は絶賛ものだった程だ。
「あーそうだねー」
「すげぇ棒読みだね。ったく少しは年上を敬って欲しいな。……まあそんな事よりきみの名前は?」
今度は統南が七日に名前を聞く。
「ナナカ……。数字の七に日曜日の日で七日」
「へー。名字は?」
「答える気はないわよ。他人なんかに教えたくないの」
七日という少女は冷たさを感じさせるような口調で言い放つ。どうやら答える気はないらしい。
「答えなくないのは分からなくもないけどさ、これからきみを家に泊めるかもしれないんだ。身元っていうか最低限の情報は分かっておいた方がいいだろ」
「…………田中。田中七日」
七日は嫌で堪らないように自分自身のフルネームを口にする。なぜ嫌なのか知らないが理由は聞かないようにする。聞いても楽しい理由という訳でもなさそうだから。
「そっか。いい名前だね。七日って呼んでいい?」
「好きに呼べば」
「分かった。好きに呼ばせてもらうよ。七日」
そこで一旦会話は途切れるが、七日は遠慮しているのかか細い声で統南に訊ねてくる。
「えっとさ……アンタは本当にあたしを泊めてくれるつもりなの?」
七日の質問を受けて統南は苦笑する。さっきまでは一応あなたと呼んでいたのにいつの間にかアンタ呼ばわりだ。
「七日こそいいの?」
「あたし?」
「そう。俺みたいな貧乏人の家に泊まって。家もボロいし、犬とか猫も居て、狭い。何より最近は物騒だ。俺がロリコンとかそんな変態だったらどうすんの?」
統南は身元もよく分からない男の家に上がりこむ危険性を七日に説く。以前ニュースでやっていたが、容疑者が自宅で家出した少女を匿ってそのまま少女をレイプして、その後その少女は殺されてしまったという事件があった。事情があるとはいえ他人から見たら統南もその犯罪者と変わらなく見えるかもしれない。
しかし七日は統南の言葉を聞いて少し考えてから小さく笑みを浮かばせて答える。
「いいよ別に」
「えっ? いかがわしい事されてもいいのっ!?」
「違う! どうなったらそんな解釈出来るのバカじゃないの! 変態! ただ……あたしは統南を信じるよ」
ここで統南は初めて七日から名前で呼ばれる。しかも年下のくせに呼び捨てでだ。
「だって統南はいい人だもん。だから統南はあたしが嫌がる事はしないよ。きっと」
「いい人って……」
統南は思わず頭を押さえたくなる。どうしてあったばかりの他人を無条件に信用出来るのか。いくら子供だからといってそれは凄く危険だと思う。
(面倒くさいなぁ)
厄介な少女に捕まってしまった。この七日という少女は俗に言えば、家出少女なんだろう。もしかしたら既に保護者が捜索願くらい出しているかもしれない。そうだとしたら最悪統南は犯罪者として警察に厄介になる可能性もある。
警察沙汰になれば、今働いている職場にも迷惑がかかる。つまりこのままこの少女を家まで連れて行ったら損する事はあっても得をする事だなんて一つもない。
だが七日は自分の家にまで帰れと言ってもすんなり帰ってくれるとは思えない。いっその事警察に電話でもして保護してもらった方が楽だし、正しい事なのだろう。……でもそれではこの七日にある問題は解決出来ないと思っている。なぜなら本気だったかはともかく七日を自殺未遂に変わりない事をしたのだ。
そんな事余程悲しい事や辛い事がなければしないはずだ。もちろん統南は別に七日を慰めてやる気もないし、力になってあげるつもりもない。まず統南自身、自分が誰かを救うなんて大それた事は出来る訳がないというのは自覚しているのだ。
だけど、だけどだ。他の誰かがこの少女を救える保障もない。この少女に両親が居るかどうかは知らないが自分の家くらいはあるのだろう。ならその場所に自分の意思で帰りたいと思えるまでは面倒を見てやってもいいんじゃないかと思えてくる。
さっきまで統南は七日の事を何一つ知らなかった。だから七日のその後なんてどうでもよかった。しかし今は少なくとも七日はすぐに誰かを信用してしまう危なっかしい子だっていう事が分かってしまった。知らなければとよかったと思う。
知ってしまったから統南はここで七日を突き放そうとしてもこの少女のその後が気になって仕方がなくなるのだから。ならば、このまま冷たい人間を演じるよりも暖かく迎え入れてやるような優しい人間を演じる方が楽だし、何より自殺しようとしていた少女は昔の……友人に似ているような気がした。なんとなくだが。
「で、七日はウチに泊まってくれるの?」
統南は優しい声色でまるで七日を思いやるかのように訊ねる。そんな自分の偽善者ぶりに気持ち悪くなりながらも悟られないために笑顔を浮かべる。
「うん。泊まる」
七日はしっかりとした口調で答えた。こうして片岡統南の家に家出少女が転がり込むのであった。