第四章 修復作業は失敗する 1
この章では最初にヒロインの姉の冬奈視点から入ります。
――――田中冬奈が片岡統南の家に家出してくる二日前、冬奈は夕食の時間に意を決して家族に七日の事を話していた。
「ねえ、本当に七日に会ったんだよっ!」
普段はあまり声を荒げる事などしないがその時ばかりは冬奈は声を荒げ、必死に訴えた。
その日冬奈は家出してしまった妹の七日に再会した。喜びと申し訳無さが交じり合いながらも冬奈は大きな声で七日の名を呼んだ。しかし七日の反応は予想していた事よりも厳しいものだった。
七日は冬奈を見ると、表情は固まり、そのまま声も出さなかった。明らかに拒絶されているんだなと自覚させられた。それでも七日は自分が少しふらついただけですぐに心配そうな声で自分の元に駆けつけてくれた。
嬉しかった。冬奈はとてつもないくらい嬉しかった。自分があそこまで傷つけた妹はそれでもまだこんなダメな姉の事を心配してくれる程優しかったのだ。嬉しさと同時に誇らしい気分になった。でもすぐに七日は自分に対して、明確な怒りを示し、そのまま自分の元から去っていた。
残ったのは冬奈と七日と一緒にいた若い男である、片岡統南という人だけだった。冬奈は最初こそ、統南に対して、不信感を感じていたが話してすぐに悪い人ではないと分かった。七日の事を大切に思ってくれているとも。
そう。自分なんかよりもよっぽど統南は七日の事を考えてくれていた。
冬奈は未だに統南と七日の二人の関係がどんなものかは分からない。
統南はただの同居人だと言うが、ただの同居人があそこまで妹の事を思ってくれるのだろうかとも冬奈は疑問に感じる。だが、これだけは言える。少なくとも二人は恋人とかそういう甘い関係などではない事は。雰囲気でそのくらいのことは分かる。歳の差もあるし、あたり前なのかもしれないが。……ましてや自分と兄のような肉体関係なども僅かに二人が一緒に居る空間を見ていたが、そんな怪しい雰囲気など感じられなかった。
例えるなら二人は兄妹の様だった。兄が妹を大事に思い、妹がその兄を心底信頼している様なそんな仲のいい兄妹。自分たち兄妹よりもよっぽど兄妹らしいと冬奈は思った。
だからこそ冬奈は統南の事を僅かな時間しか接していないが、信頼出来た。信頼出来たから統南の言葉は冬奈にとって衝撃的だった。ショックで堪らなかった。何せ、七日が本当に死のうとしていたならそれは冬奈と兄の責任なのだから。もちろん父や母に責任はあるだろう。だが直接的な原因は自分と兄にあるのだ。
つまりは七日を死の淵まで追い込んだのは自分という事だ。後悔する。後悔してもしきれない程後悔した。なんと愚かだったのかだと。だけど今は自分を卑下している時間なんか無かった。家族に今の七日の状況を説明して、みんなで迎えに行こうと冬奈は言った。
しかし家族の反応は冷たいものだった。
「ほっときなさい。帰って来たかったらあの子も勝手に帰って来るわよ」
母の佳奈子は七日が家出しているのに対しても無関心な様子だった。元々兄と自分の嘘など全部知っていたのだ。
ちゃんと七日が家出してしまったのを知っていて未だにこれ程まで無感心なのだ。
「お母さんっ!」
冬奈はそんな母に怒りを覚える。
「冬奈、あんまり大きな声を出しちゃいけない」
そう言うのは、父の冬時だった。冬時も七日が家出しているのなんて知っていた。そして母とは違い、心配素振りも見せている。でもそれでもまだ動こうとしないのだ。
「お父さんは七日が心配なんでしょ! だったらなんで!」
父に冬奈は言うが、父はまるで炭酸が抜けたコーラーのように覇気の無い声で答える。
「七日はこの家が嫌で出て行ったんだろう。嫌々連れ戻してもどうすることも出来ないよ」
「そんな事ないよ! みんなが協力してちゃんと七日と向き合えば!」
冬奈は食い下がるが、母の佳奈子に厳しい声で言われる。
「冬奈、いい加減にしなさい。自分から居なくなった子に何言っても無駄なのよ。確かに学校に行かせてないのはご近所の目とかにも気を使うけど、最近は不登校の子だって増えてるし、なんとかなるわよ。それより下手に騒いで、七日が家出しただなんてご近所に知られたら恥でしょ」
母はさらりとまるで明日の天気は晴れるのかというような簡単な事でも言うように言ったのだ。
「……っ!」
おかしい。そんなのおかしいにも程がある。そして今まで無言を貫いていた兄の和人も口を開く。
「諦めろよ、七日。この人たちに期待しても無駄だよ」
その一言に母はキッと和人を睨むつけるが、何も言い返さずにそのまま夕食を食べ進めて行く。
「……ごちそうさま」
和人はそのまま席を立ち、夕食に席から立ち上がる。和人の皿には半分以上今日のおかずである豚肉のソテーが残されていた。
「和人、アンタ学校の成績はどうなの? 間違っても浪人なんかしないでよね。アンタにはずいぶんお金使ったんだし、長男が浪人生なんて情けないないんだから」
「……言われなくても分かってる」
和人はそう言って、そのまま食卓の場から居なくなってしまう。そして一気に家族で一緒に居る空間は無言と言い様のない冷たさで充満してしまう。
「……」
冬奈は家族たちに何も言えない。もう言い返すことが出来なかった。そんな強さは自分には持ち合わせていなかった。
「まあ大丈夫だろう」
そんな雰囲気を変えるように父は言う。
「その統南君っていう人はいい人そうなんだろう。それに他にも世話を焼いてくれる人たちも居るんだ。大丈夫さ、きっと」
父は無責任にそう言う。しかし疲れ切ってしわが多くなったその顔はちっとも安心そうなどして居なかった。きっと父も自分と同じ様に七日を心配している。が、また自分と同じように自分では何も出来ないと自覚しているのだ。
弱いのだ父は。自分と同じで。
「そうかしら」
対する母は疑問の声を上げる。
「その統南って男、アナタ本当に信用出来ると思ってるの?」
「どういう事だ?」
「最近よくニュースでやってるじゃない。家出した女の子が掲示板を利用して自分を泊めてくれる男を探すっていう事が。それで泊めてくれる代わりに自分の体を好きにしていいとか言って、そのままよく知りもしない男に体を差し出すやつ。もしかしたらあれなんじゃないの?」
「違う! 七日はそんな事しない!」
冬奈はすぐに母の意見を否定する。七日は間違ってもそんなバカな事はしないし、統南も人の弱みに付け込んで、悪質な事をする人間などではないと冬奈は思える。少なくとも今のウチの家族よりは統南は確実に七日の事を真剣に考えてくれていた。
「そうなの? 冬奈が言うなら信じるしかないけど」
母は仕方が無さそうにそう言う。そのまま母は言葉を続ける。
「でももしも七日がそんな事をしていたら気持悪いというか、とんでもない恥さらしよねぇ。全くどうしてあの子はこんなに心配かける子になっちゃったのかしら」
「…………」
母の言葉に冬奈は初めて母の事を軽蔑するようになる。母は今まで自分に優しくしてくれたし、今は家族のために働いてくれている。心底感謝している。でも母が言った言葉は本当に自分の母親なのかと疑ってしまうものだった。しかも顔色も変えずにだ。
七日は瞬間的に勢いよく立ち上がり、両親を睨みつける。
「どうしたの冬奈?」
母は何事かと訊ねてくる
「どこか調子が悪いのか?」
父は自分の体の不調を心配する。
二人の優しさが冬奈に伝わる。伝わるだからこそ理不尽に思う。なぜこの優しさを七日には分けてやらないのだろうと。
「…………」
冬奈はまだ家族に一つだけ七日の事で言っていない事がある。
七日が自殺しようとしていた事だ。この事は言っていいものか判断が難しかった。七日自体が伝えて欲しくないかもしれないし、何より両親が深く自分に責任を問い、追い詰める羽目になるかもしれない。
しかし言ってもいいのではないかと冬奈は思えてきた。言わないとこの人たちは何もしない。ただ無関心を通していくだけだ。そんなのはおかしい。そんなの家族じゃない。
「ねえ、知ってる。七日はね……七日は……」
そこで言葉は止まる。言った後の事を考えるとやはり話す事が出来ないのだ。そして何よりも兄と自分の関係がバレるのも怖いのだ。
「どうしたのよ七日?」
「…………ううん。なんでもない」
結局優しくはなくてただ自分にも人にも甘い少女は何も言う事が出来なかった。
(……私はどうしたらいいんだろう)
冬奈は部屋でベッドに座りながら一人考えるが、何も考えは浮かばない。自分がどうしたいのか答えは出て来ない。そんな時、ドアがノックされる。七日が返事をする前にそのままドアは開く。
「兄さん……」
入って来たのは兄の和人だった。
「冬奈」
兄の声は随分と威圧的だった。そのまま冬奈の前までやって来る。
「何、兄さん?」
聞いた瞬間、気付けば押し倒され、ベッドに寝かされる体勢になっていた。
「兄さん、何やってるの!?」
「……なんかムシャクシャする」
そう言う兄の顔を冬奈は見つめる。兄の和人の顔は顔こそ整っているものの、目がまるで機械のように冷たい。冬奈を見る視線もただ冷徹に、そしていつもよりも暴力めいた視線だった。
「兄さん……。何をそんなにイラついているの?」
理由など聞かなくても分かっていた。兄はただ七日が見つかった事に動揺しているのだ。実際に自分の肩を触っている和人の手はわずかにだが、震えていた。
「…………」
しかし兄は答えない。ただそのまま冬奈の口元に近づいていくだけだった。
「やめて兄さん!」
冬奈は兄を無理矢理押しのける。和人はそのままベッドから転がって行く。
いつもは自分からは拒みはしない冬奈も今回ばかりは受け入れる事は出来なかった。例え兄にどう思われたとしても、今はそんな場合ではないのだ。
「答えてよ兄さん! 兄さんがこんなにイラついてるのは七日が見つかったからでしょ!」
それでも兄は何も言う事はない。壁に背をもたれかかりながら冬奈を見つめているだけだった。
「兄さんだって本当は七日の事が気になってるんでしょ。心配なんじゃないの?」
冬奈は兄に問いかけ、そのまま語り続ける。
「兄さん、もうやめようよこんな関係。間違ってるこんな事」
別に兄とか、妹とか兄妹だからで言っているんじゃない。もっと根本的な問題だ。
「だって兄さんは私を女として愛してなんかないでしょ。ただ私で自分の不安や苛立ちを消そうとしてるだけでしょう」
それはきっと自分も同じだ。自分も誰かに必要とされたくて自分を求めて来る兄に縋っていただけなのだから。
「もうダメだよそんな事。ねえ、兄さん。……一緒に七日を迎えに行こうよ」
冬奈は提案する。自分が今出来ることを必死に考えて。
「二人で七日を迎えに行って、それで七日にごめんって謝って、それから……お母さんたちにも私たちの関係をちゃんと話して、これからはちゃんと兄妹として向き合おうよ」
それで七日にした事が許される訳じゃない。ただそれでも一つのけじめとなるはずだから。だからこそ冬奈は覚悟して兄に伝える。
「冬奈……」
兄の和人は真っ直ぐと冬奈の目に視線を合わせる。そして――
「――バカじゃねえの」
そんな自分の覚悟など和人は簡単に踏み躙るのだった。
「それを言って、誰が得するんだ。俺は最悪家を追い出されるし、お前だって母さんたちに見捨てられるぞ。一人じゃ生きていけない弱いお前が母さんたちに見捨てられてこれからも生きていけると思うのか?」
「……っ」
確かにその通りだ。兄の言う通りだ。自分はきっと一人では生きていかない。身体的にも。精神的にも。ただ……ただ偽善だっていいから兄の口からはもっと優しい言葉を聞きたかった。でも和人は面白くなさそうに淡々と事実を述べるのだった。
「あっでもあれか? 冬奈が全部バラしたら得すんのは七日か。アイツは家に帰って来れるし、アイツにウザイ俺もこの家から居なくなるんだもんな。しかもお前が母さんたちに見捨てられたら、今度は七日が母さんたちに構ってもらえるかもしれないしな」
兄は笑う。不愉快な感情を隠さずに笑う。
「つくづくウゼェよなお前も、七日も」
和人はそのまま立ち上がり、再び冬奈の傍に来る。そんな兄を冬奈は力一杯睨みつける。初めて兄に対して嫌悪感を覚えてしまう。
「兄さんは七日が嫌いなの?」
「別に好きでも嫌いでもないさ。ただアイツは妹。それだけだ」
兄はあたり前のように言う。
「…………」
そんな兄を見て、冬奈は決意を固める。
「兄さん、これはまだ母さんたちにも言ってないけど」
そう前置きをして、冬奈は言う。
「七日は自殺しようとしたんだよ」
「!」
その言葉に兄は大きく驚いている。いつも表情の起伏が少ない兄の表情は凍って行く。
「怪我はしてるのか?」
和人は抑揚のない声で聞く。
「それは大丈夫だよ」
「そうか……」
兄は安心したように声を出す。そして今度は愉快そうに笑い出す。
「良かったよ。もし怪我でもしたら面倒くせぇもんな」
その言葉に冬奈は愕然とする。思わず目の前が真っ黒になってくる感覚になる。
「しかしマジで死のうとしたのか? 頭おかしいんじゃねえのアイツ?」
「…………」
上手く息が出来ない。何を、何を言っているんだろうかこの人は。
「つくづく七日なんて要らなかったんだよな。妹なんて最初からお前一人で良かった」
和人はそのまま七日の肩に手を置き、口元に顔を寄せて行く。
「……っっ!」
冬奈はただ兄の顔を気付けば叩いていた。兄は何が起きたか分からない顔をしている。そのまま冬奈は和人の胸を押しのける。
「出て行って……」
静かに怒りを込めて冬奈は言う。
「私は兄さんに甘えてたし、今さら何を言っても説得力なんてないんだろうけど、七日は違うでしょ……」
理解出来ない。なぜ兄も両親もあんなに家族を思える優しい妹をそこまでぞんざいに扱えるのか。そしてなぜ自分はあんな優しい妹を悲しませる行動したのか。それをちゃんと知っていてなんで今、妹の傍に居ないのか。
分からない。もう何もかもが分からない。苦しい。悲しい。悔しい。ムカつく。自分自身に対して冬奈は心底苛立ちを覚える。
「七日はウザくなんかない。面倒くさくなんかない。要らなくなんかないっ! 出て行って! 今すぐ出て行って! 兄さんにもう触れられたくない! 顔なんて見たくない! さっさとこの部屋から出て行けっ!」
「なっ……」
兄の和人は今まで自分の意思をそこまで出さない冬奈の怒りを直接受け、面を喰らっている。しかしすぐに冬奈に叩かれた頬を気にするように触れ、その後天井を見上げた後、ゆっくりと立ち上がる。
「ちっ! クソがっ!」
近くにあった勉強用の椅子を蹴り飛ばし、部屋のドアを強く開けて、冬奈の部屋から出て行く。
冬奈は部屋を出て行く兄を見送りながら思ってしまう。
(……もうこの家族は元には戻れないんだ)
その事に落胆こそするが、驚きはしない。悲しさよりも諦めの感情の方が強かった。何せこの家族を壊したのは自分なのだから。途端に自分が気持ち悪く感じる。もう全部が嫌になる。冬奈は机の引き出しの中からカッターナイフを手に取り、自分の手首に近づける。
「…………」
しばらく手首に近づけたまま結局冬奈はカッターナイフを投げ捨てる。拳を握り締めたまま冬奈は何もしない。
初めて殺意というものが芽生えてしまった。殺したくなった。田中冬奈という人間を冬奈は殺したくなった。
その後冬奈は嗚咽も声さえも上げずにただ一人で涙を流すのだった。




