1-06 三歳児の華麗な日常(済)
この世界の人間や生き物は、みんな真面目に生きています。
三歳の誕生日から、もう半年が過ぎました。
さすがは三歳。二歳とは違うね。この半年で色々な事が分かり、色々な事が変わってきたような気がする今日この頃なのです。
まずはお父様のこと。
これまで年に一~二回だったこの屋敷への訪問が、月に一~二回にまで増えました。
何があったの、お父様? お仕事クビになりますよ?
いやいや、あれだけ素敵なお父様なら、お店に飾っておくだけでお客さんが山のように訪れるでしょう。娘の私が保証します。
それからあのぉ……毎回、そんなにお菓子はいりませんから。口の中がモソモソパッサパサですから。あなたの手から食べさせられると断れなくて私、涙目。
だって、いらないって言うと、すんごい寂しそうな顔になるんだもん……。
ああ、でもお父様のお膝の誘惑には勝てないの。お膝の上でごろごろするのはとっても大好きなの。最近ではお母様も一緒になって、二人で私を撫で撫でするの。
……あなたたち、私を甘やかしすぎではないですか?
*
ミンがご本を読んでくれたりするようになりました。彼女は物語が大好きみたい。
もちろん今までも読んでもらっていたよ? 絵本だけど。今、読んでもらっているのは伝記やこの辺りの土地について書いてある本なのです。
「森の奥には、妖精族である、“シオダイフク”が住んでいます」
「…………はい?」
「森の奥には、妖精族である、“シオダイフク”が、」
「うん、わかったっ」
のんきに反復するミンを元気の良いお返事で止める。でも“塩大福”って……。なにそれ? どんなキテレツな生物なんだと考え、ふと思い出して気付く。
私のような悪魔は……と言うか精神界の住人は、言語を理解するのではなく、声に含まれる意思を感じ取り、意味のある“言葉”として理解する。
この世界特有の固有名詞ならそのままの【音】で聞こえ、例えばリンゴを意味する単語なら私の耳にもリンゴと聞こえ、私がリンゴと発音すると、それが【精霊語】より上位の言語である【神霊語】となって、唇が勝手にこの世界の単語を発する訳なのです。
……と、以前、魔界で【彼】が教えてくれた。
大変便利なのだけど、文字になるとちょっと困る。
読むのは問題ない。見つめると文字が並び替えられて知っている言語に変換される。最初だけその変換があるけど、一度見た単語は結構すらすら読めるんですよ。
だけどダメだ。書くのはダメだ。文法を理解してないのが致命的。
これは文字をひとつひとつ覚えて、書いた文字が変換されるのを文を見ながら修正していくしかない。面倒くさい。
そんな訳で私は“言葉”を理解する為に【言語変換】能力を少し下げて、勉強していたことを思いだした。
私は【言語変換】を元に戻し、ゆっくり“塩大福”と声にする。
「…エルフ…」
なんでだよ。
そうです。この世界には“エルフ”が居るのです。
話に聞くだけならエルフは、私の知識にあるエルフとそんなに変わらないように思えるけど、この世界の“常識”は油断ならない。
ちなみにドワーフも居た。
固有発音は“モチプルン”で“塩大福”よりマシだね。……ん? マシなのか? 凄くどうでもいいけど、身長は2メートル以上あるらしい。
どちらも人里離れた処に集落があるので、簡単に出会える事はたぶん無いでしょう。そうであれと切に願う。実際出逢ったら顔を見た瞬間、爆笑するから。
この国のことも教えてもらった。
聖王国・タリテルド。王都とその周りにある五つの周辺都市全部で、七百万人程も住んでいるらしい。多いのか少ないのか分かんないけど。
そしてここは、西にあるトゥール領。この街だけでも数十万人は住んでいる。
この領から一歩も他に出ずに一生を終える人も居るらしい。
他にも沢山の国があるみたいだけど、隣の国でも馬車で一ヶ月程度は掛かるらしいので、出来ればあまり行きたくないなぁ。
「ユル様ぁ、遠くの国には【魔王】もいるんですよー」
「ま、まおぅ?」
……ファンタジーですねぇ。
すんごく遠くに【魔族】が住んでいて、魔族の国がいくつかあるっぽい。
魔族が住むのは魔界なのでは? と思ったけど、普通の土地に住んでいるんだって。
ちょっと勘違い。見た目が普通の人と違うから悪魔みたいな奴=【魔族】って蔑称で呼ばれている“人種”の一つらしい。失礼だな。
でも蔑称に違わず、気が短くて戦争ばかりしているとか。少しは落ち着きなさい。
最後に、人間側に攻めてきたのは数百年前だから怖くないよ。って、ミンが頭を撫でてくれたけど……、それ、何の保証にもなってないよ? 変なフラグ立てないでよ。
*
「ユル様は、お魚さんが好きですねぇ」
「うんっ」
実はそれほど好きではない。
うちのお屋敷は保養地みたいな小高い丘の途中にあり、塀の向こう側に小川が一本流れているのです。
そこでは、庭師兼護衛のフランツさんがのんびりと釣りをしています。
……お仕事は?
私はフェルに抱っこされて、そんな様子を見物に来ているんだけど、私は何歳になったら“抱っこ”から解放されるのでしょうか……?
みんな腕の筋肉が凄いことになってない? ちゃんとお嫁に行けるのかしら?
フェルはミンと一緒でまだ18歳だけど、う~ん……。
まぁ、それはさておき、今釣っているお魚は今晩の夕食にでも出るのかな? 私は味覚がおかしいから、淡泊な川魚は尚更きついんですけどぉ。
そんな私がどうして“魚好き”に認定されているのかと言いますと、あの魔力検査で、お魚さんを魔法で治癒したせいである。
ぶっちゃけますと自分でもドン引きだけど、魚が死にかけているのを見て、うずうずしたのです。魔界で虫とかネズミを追っかけて叩いていたのと近い、“悪魔的”な感覚を得てしまったのですよ。
だけど、本能の赴くままに生きているお魚さんを素手で叩き潰したら、頭の病院に連れて行かれるのは間違いないでしょう。
それと同時に、手が汚れるのも嫌だなぁ……と身勝手な思いもあった。
私は、この怯える獲物が居る“うずうず感”を楽しむ為に治癒魔法を掛けたのです。
酷い理由だ。
私がおそるおそる魚籠の中を覗き込むと、数匹の川魚がピクンピクンしていました。
困ったことに、今の私には料理されたお魚よりも、この半死のお魚さんのほうが美味しそうに見えるのです。
ん? だとしたら、やっぱり私は、お魚さんが好きってことになるのかな?
わーい、普通の子供っぽくて良かったわっ。………ホントに?
だんだん嗜好が人から外れている気がしないでもない。……う~~~ん。
*
ヴィオは私に魔法を教えてくれる。
結局、私は【召喚魔法】と【神聖魔法】しか使えないと分かったけど、それでも他の魔法のことも理解したほうがいい。
私って人間なのか悪魔なのかいまいち分からないし、現状、本当に三歳児程度の力しかないから、何かの拍子に正体がバレたらいけないのです。
「この魔法は、普通の水の魔法でございます」
手の平に、コポコポ水の玉を浮かべながら、ヴィオが真面目な顔でそう言った。
「……普通って?」
「ごく普通の水の魔法でございます」
「………」
適当だな。
普通って何……? 一般的ってこと? その魔法の発動原理は? 呪文の意味は?
「昔から呪文を唱えれば使えます」
「……そうなんだ」
本当に適当だね……。魔術学院は何をやっているの?
「……呪文は誰が考えたの?」
「古代のエルフだと聞いておりますが……」
そうか。塩大福、いい仕事したね。
その伝えられた呪文を、何も考えずに、ず~っと使ってきた訳だ……。アホか。
そのアホさ加減からギリギリ許容できるのは、詠唱している呪文が【通常言語】ではないこと。変な言語だけど、たぶん古代の偉大な塩大福が、精霊の使う【精霊語】を何とかこちらの言葉に纏めたんだと思う。
でも、さらにアホなのは、使っている術者が詠唱内容を理解していないんだよ。
丸暗記だよ。
悪魔である私には分かる。知りたくないのに分かってしまう。
さっきのヴィオの詠唱も、私にはこう聞こえた。
『万物を司る水よ、我が手にちゅどえ』
とちってるよ。しかもそれが一般的に広がってるよ。何故かそれで発動しているし。
この世界の魔法は、本当に適当だ。
「精霊魔法は?」
「呼びかけます」
「……え?」
「精霊を見つけて呼びかければ使えます」
近くに精霊が居なかったらどうするの……?
「基本的に風の吹くところには風精霊が、水の多いところには水精霊が、必ずどこかに潜んでいます」
それを見つけて呼びかければよい。……かくれんぼの鬼か。
そのわりには、私は魔術学院以外で精霊を見たことないんですけどぉ……。
ヴィオも何か気付いたのか、不思議そうに首を傾げる。
「そう言えば、このお部屋の周りは、まったく精霊の気配がしませんねぇ」
「………」
あいつら、私から逃げてやがるな。
私が暖炉の側に居ると、勝手に火が小さくなるのはそう言うことかっ。
まぁ要するに、適性のある人間が精霊を見つけて呼びかければ、術者の魔力を対価に魔法を使って貰える。……熟練の術者は隠れてるの見つけるのが上手いんだろうな。
それで精霊に気に入って貰えたら、呼ぶだけでやってくる。……と言う感じかな。
あっさりと言うか、もっさりしてるなぁ……。
これって魔法と呼んでいいものなの……?
「召喚魔法に使う魔法陣は、精霊が使う言葉を図形化したものだと言われています」
意外とまともだ。
「それで?」
「……何がでございますか? ユルお嬢様」
「………は?」
終わりかいっ。
「何せ、召喚魔法自体が、まだ研究途中で、最近ようやく召喚された精霊や動物にお願いを出来るようになったくらいで……」
「昔は…?」
「呼び出した瞬間に、逃げていったそうです」
使えねぇ。
やっとお願いって……それは、召喚される精霊が慣れただけなんじゃないの?
ああ、そっか。だから【悪魔召喚】が主流になるんだ。
悪魔は何か“お土産”貰わないと力が使えないから、契約になるしね。
動物を召喚するならともかく、精霊や悪魔を呼び出すのは難しい。これは何となく分かる。身体が巨大な魔力の固まりみたいな感じだし、私自身、ちっこい召喚陣だと入ることは出来なかったから。
私の印象だと、綺麗に書かれた魔法陣は安定している。汚い魔法陣だと、何かささくれに引っかかるような感じがするのよねぇ。
後は召喚陣自体の大きさと、込められる魔力の大きさで変わるんだと思う。
私は無理矢理通ったせいで、今はこんな状態になってるけどさ。
「最後に神聖魔法ですが……」
ヴィオに簡単な呪文を教えて貰う。
普通の魔法と似ているけど少し感じが違う。とってもあっさりしてるんだよ。ヴィオの使った呪文の言葉を訳すと『光在れ』で終わる。
やってみると、魔術光に似た光の玉が出来た。普通の魔術光の場合は、普通の火魔術の適性がないと使えない。
「まあ、素晴らしいですわ、ユルお嬢様っ」
「あ、ありがと」
これ、慣れたら呪文一つで沢山のことが出来るんじゃない? そんな風に考えていると、ヴィオもそんな感じのことを言っていた。
「神聖魔法は、“慣れ”と“根性”と“イメージ”です」
呪文はこの一種類しかないそうだ。
後は魔力を練り込み威力を上げる。光を出す感覚に慣れれば光が強くなる。後は神様が使う癒しのイメージで【治癒】に。破邪のイメージで【聖光】になっていくらしい。
神様関係ないじゃん。
要するに使いやすい万能エネルギーが“光”状態だっただけで、光=神のイメージが付いたんじゃないかなぁ。
これって、意思の弱い【光の精霊】かも……。
*
この世界の動物の話をしましょう。
馬がいる。そりゃ居るよね……馬車があるんだし。
姿形は記憶にある馬とほとんど変わらない。ただちょっと“おバカ”だ。主人を見つけると犬のように駆け寄ってきて盛大にじゃれつく。デカいから怖い。
「ほらユールシア。お馬さんだよ」
「おうまー」
今、私はお父様に抱っこされて、お父様の愛馬を見せて貰っています。
私があまり外を見られないのは可哀想だと、お母様がお願いしてくれたらしい。
お父様とお母様と三人でお出掛けだーっ。……って喜んでいたら、お母様は来られないみたい。くすん。
その代わりにヴィオが来てくれたけど、今日の抱っこ当番は全面的にお父様だ。
……ねぇ、私を歩かせたら拙いことでもあるの……? 過保護の連鎖が止まらない。
それで今日は、街の郊外でお馬に乗せてくれることになったのです。
近場じゃダメだったの? まぁ私はお父様にごろごろ出来るから問題ないんだけど、お父様の部下みたいな人達と、一時間くらい馬車で移動するとは思わなかった。
「………」
「シグトが大人しいなぁ」
シグトとはお父様の愛馬らしいけど、お父様に勢いよく駆け寄ってきたのに、私を見た瞬間に硬直した。
シグト君。どうして私から視線を逸らすのかね?
もう一頭、部下の人のお馬さんは人懐っこい。
私を見た瞬間、狂ったように私に顔をすり寄せ、部下の人から怒られると、腹ばいになってハァハァしながら、キラキラしたお目々で私を見上げていた。
理解不能なナマモノめ……。
私の能力でお話しできないかと思ったけど、会話になるような知能はなかった。
そして私は、シグト君にお父様と一緒に乗せて貰っている。
ゆっくりゆっくりと慎重に……凄いね、シグト君。馬って、こんな薄氷の上を歩くような動きが出来るんだね……。
出来ればパカパカ走って欲しい。せっかくの白馬で、格好いいお父様に乗せて貰っているのに、不燃焼ぎみ。
白馬に乗ったお父様が駈けているのは格好いいんだろうなぁ。
でも乗馬知識の乏しい私が想像しようとすると、白馬に乗ったお父様が、着物を着て波打ち際を爆走している、暴れん坊な様子しか思い浮かばない。何故だ。
お父様との楽しい時間はあっという間に過ぎて、また馬車に乗ってお家へと帰る。
その道中もお父様のお膝の上。ちなみに私は家を出てから、まだ一度も地に足を付けていないのですよ。
その帰る途中、半分くらい進んだ途中で不意に馬車が停まった。交通事故かしら?
するとすぐに馬車の戸が叩かれ、部下の人がお父様に耳打ちをする。悪魔耳は無いので内容は分からない。
お父様は私をお膝から下ろ……さずにヴィオに手渡し、馬車の外に出た。
お外では何が起きているんでしょう? ……気になる。
「ユ、ユルお嬢様?」
ヴィオが珍しく少し慌てている。そりゃそうか。
普段はほとんど我が儘も言わない、本当に“お人形さん”のように大人しい私が、ジタバタ馬車の窓に手を伸ばしているのだから。
「おそと、みるー」
「お、お嬢様、旦那様はすぐに戻ってまいりますから……」
ヴィオは私がお父様と離れて寂しがっていると思ったらしい。……もう一押しかな。
「……むぅ」
「仕方ありませんねぇ、ちょっとだけですよぉ」
頬を膨らましてジッと見つめたら、私の眼力に怯んだのか、あっさりお許しが出た。
やっぱり私って怖いのかしら?
小さな硝子窓にへばりついて見てみると、他の馬車から降りた、真っ赤な髪の女の人とお父様が何やらお話ししていた。
美人さんだなぁ。お母様のほうが綺麗だけど。
美人さんは何か機嫌悪そう……。お父様はなんか覇気がない。こっちの馬車と接触事故でも起きたの? 保険には入ってます?
でもあの人……お父様に向かって偉そうに……。
不機嫌な気分でジッと見つめていたら、美人さんは急に辺りを見回し、私と目が合った瞬間、その目を大きく見開いた。
驚いたような……何か複雑な、色々な感情が入り交じった瞳を私にぶつけて、お父様に何か言った後、すぐに自分の馬車へ戻っていった。
いったい何なの……?
*
少しずつ魔法の練習もしている。
所詮、私は三歳児。しかも運動らしい運動もしてない、普通の子供だったらまともに生活できなくなるほど、過保護に甘やかされた深窓の令嬢なのです。
むしろ今では、悪魔バレする危険性より拉致誘拐の危険が大きい。
そしてこんな非人間的な怖い見た目の私でも溺愛してくれる優しい両親は、言われるままに身代金を払っちゃうかも知れません。
腕力はダメだから魔法で勝負。
幸いに悪魔の因子か両親の遺伝か、魔力だけは大きいらしいので、やり方によっては隙を突いて逃げることも出来るでしょう。
強くなるぞーっ。
「………さて」
私はベッドからこっそり起き上がる。
二歳から自分の部屋を与えられていたけど、一人で眠るようになったのは三歳になってからです。
三歳からでもちょっと早い気がする。この世界だとそんなものなの? 普通の子供だったら夜中に起きて親がいないと、ぴーぴー泣いちゃうぞ。
でも私は泣かない。夜中に泣いてお母様のお部屋に行ったりもしない。お母様やメイドさん達が、夜中に部屋の前でうろちょろする気配があっても気にしない。
……あなた達が、私に一人で寝るように言ったんですよ?
話を戻して、真夜中に起きた私は静かに部屋の外に出る。
目的はもちろん魔法の練習をする為なのです。
神聖魔法を覚える子供は意外と多いらしいけど、子供にはイメージが難しいようで、練習しても上手く出来ずにふて腐れて、嫌いになって安易な“普通の魔法”に逃げちゃうらしいのです。
そうなった子供の多くが神聖魔法の適性を失う。
私なりの仮説を立てると、神聖魔法の源が光の精霊であり、自分を嫌うような子供には力を貸したくない。ってな感じだと予想する。
悪魔の私にも怯えない、かなりのんびり屋の精霊なのにねぇ。あくまで仮説だけど。
私の保護者達からすれば、私がそんなことになって神聖魔法の適正を失ったら、印象の悪い召喚魔法だけになっちゃうと危惧している訳です。
だからヴィオも魔術光モドキしか教えてくれない。光を大きく発動させる練習だけすればいいって言うんだよ。
でもそれだと困る。危険なのは幼い今なんだから。
「……むぅ」
ヴィオの気配を感じて、口の中で小さく唸る。
今日の巡回当番はヴィオか。
私がおトイレに起きると誰かがすぐにやってくるんだよね。
ですが、身体は子供、中身は悪魔。闇に紛れれば、みんなの目を欺くくらい、お茶の子さいさいですのよ。
「ユル様、お手洗いですか?」
「……うん」
……ですよね。わかっていましたよ。
今日も脱出に失敗した私は秘密の特訓は諦めて、ベッドの中でイメージトレーニングに勤しむのでした。
あれ? 練習してないよ?
召喚魔法は練習と言うより“お勉強”だね。
本日は、貰った『三歳からの出来る魔法書』に載っている、一番簡単な召喚魔法陣を描いているのです。クレヨンで。
「さすがユルお嬢様、お上手ですわっ」
「……そ、そう?」
上手に描けたのなら、魔力を流す前に速攻で新しい紙に替える必要は無いんでない?
そもそも何でクレヨンなのよ? こんな私の指より太いクレヨンで、繊細な文字なんて書けるかっ。
「羽根ペンは尖っておりますのでいけません」
尖ってるって……フォークと同じくらいじゃない。……あれ? 私ってスプーン以外のカトラリーを使わせて貰ってない……。
やっと気付いた事実に私が呆然としていると、ヴィオが私の手を取って、綺麗な丸を二つ書く。
「まずお嬢様は、綺麗な丸を描く練習をしましょう」
文字の段階でもなかったのですか。
だって仕方が無いのよ。三歳だから綺麗な丸を描けなくても仕方ないのよっ。
……くすん。
「……さて」
夜中にこっそり練習しよう第二弾。
この身体が“ぶきっちょ”で魔法陣を上手く描けないのなら、悪魔の力と知識を使って魔力で描いてみよう。
頭の中に魔法陣の図形を思い浮かべて、魔力で形にする。
これは、あの“夢の世界”で見た知識も影響している。本で読んだ魔法使いさん達は、何も唱えずに魔法陣を作り出して、ばったばったと敵をなぎ倒していた。
よし、これならいける。
「………えっと…」
なかなか上手くいかない。
作るとどうも歪んでしまって、歪みを直そうとすると大きくなったり文字が消えたりする。気を散らすと綺麗に出来た円の中に、お魚さんのマークが入ってたり……。
「大きくか……」
ふと思いついてそっと窓を開ける。涼しい風が部屋に流れても、メイドさん達が駆けつける気配はない。
「むむん」
気合いを入れて窓の外に魔法陣を描く。色は出来るだけ暗く、多少歪んでもいいように大きく描く。部屋に収まらないかと思って外にしたけど正解だった。
気合いを入れたせいか、遠くに出来た召喚陣は街の空に浮かび、見た目は夜空に紛れて分からない。
魔法陣は魔力を流さないと動かないけど、これは魔力で描いているので問題なく発動するはず。
「えっと……“何”の召喚陣だっけ?」
そうだ、確か無作為に“どこか”から虫を召喚する……
その時、私は気が付いた。召喚陣から黒い小さなモノがパラパラと湧きだして、街の一角に降り始めた。
その物体は……。私はその黒いツヤツヤカサカサした物体を見て、慌てて窓を閉めるとベッドに潜り込み、毛布を頭からかぶった。
うん。私は見てない。何も知らない。
*
ある夜、街の一角で大量に見たこともない『黒光りする昆虫』が湧き、その地域の住人を混乱に陥れた。
その駆除に住人だけでなく、兵士や義勇兵、魔術学院の講師達が総出で当たり、入念な精霊による探索で、一週間後、ようやく全ての駆除が終了した。
魔術学院の者が研究用に欲しがったが、何故か精霊達が全滅をさせるまで駆除を止めず、一つの卵さえ残されることはなかった。
その駆除の為に術者が呼び出した【火の下級精霊】の中には、誰かに脅されたかのように、怯えながら必死に働いていた個体がいたらしい。
そして、その様子を窓から見つめていた一人の幼女は、沈痛な面持ちで小さく呟く。
「………ごめんなさい」
シリアスが遠い