4-19 悪魔公女 ②(済)
悪魔的な表現がございます。姉妹回。
「……アル。本当に行かないのですか?」
「…………」
エルフのアンティコーワの言葉に、アルフィオは何も返せなかった。
初めての戦争。本物の勇者の脅威的な力。荒れ狂う大規模魔法。それを為した魔族さえ恐れる本物の聖女は、数万の瀕死の怪我人を一瞬で癒して見せた。
そんな魔族と結託していたと思っていた少女が魔族との和平を決めて、さらには勇者さえ入れない恐ろしい場所に数人だけを連れて突入した。
まるで地獄の底へと続くような黒い渦。
へたに前世の記憶を持っているからこそ、これ以上、そんな常識の通じない場所に向かうなんてあり得ないと思っていた。
アンティコーワは同じ【聖女】としてあれ程の力の差を見せつけられながら、真の聖女に対抗して、アルフィオにも【勇者】として力を示すことを求めている。
彼女は自分が“本物”でないことや、自分が選んだ勇者が“紛い物”であった事をどうしても認められなかった。
「そうですか……。それでは私は、これから自分の道を歩ませていただきますわ」
「え……アンコ……?」
アンティコーワは伸ばされたアルフィオの手を払いのけ、荷物を纏め始める。
「えっとね……アル。私も実家に帰るわ」
「チ、チェリア……?」
剣士のチェリアは若干申し訳なさそうにしながらも、アンティコーワの横で自分の装備を調え始めた。
「アルが勇者で……そのお手伝いを出来るなら喜んでするわ。でも、私もそろそろ身を固めろって親が煩いのよ」
つまりは勇者ではない、その日暮らしの男と一緒にいるつもりはないらしい。
「じゃあね、アル。今まで楽しかったわ。私はアンコの護衛で一緒に行くから」
「それではお世話になりましたわ。行きましょ、チェリア」
「……お、おい…」
掠れるような声が聞こえなかったように、二人は振り返りもせず、アルフィオの元からあっさり去っていった。
「……………」
何年も一緒にいて旅を続けてきた恋人達の心変わりに、アルフィオは打ちのめされたように崩れ落ちた。
アルフィオは何がいけなかったのか分からなかった。勇者として戦う“勇気”を持たなかったからなのか? 危険を避ける事がそんなにいけない事なのか。
答えが出ないまま打ちひしがれるアルフィオに、誰かがそっと近づいた。
「……あ、あの…アル様……?」
「…………オレリー……?」
ただ一人残った少女に、アルフィオは淀んだ顔を上げる。
考えてみればアルフィオはオレリーヌとあまり会話をした記憶がなかった。
ただ『貴族の美人姉妹の妹』として見ており、当時13歳だった姉、アタリーヌの美しさと気高さに惚れ込み誘いを掛けたが、まだ幼いとも言える二人に手を出すことはせず、姉の好感度を上げることに必死でいた。
姉がいなければ何も出来ない妹。姉が好むモノを好きになり、姉が厭うモノに顔を背けるようなそんな少女。
そんな少女が、たった一人……自分の意志でアルフィオに声を掛けてきた。
アタリーヌは最近、アルフィオに冷たかった。それなのにどうしてオレリーヌが声を掛けてきたのかアルフィオには分からない。
「ア、アル様、元気を出して下さいっ……あの二人だって、……その、頑張れば戻ってきてくれますよっ」
自分の言葉で話すのは初めてなのか、たどたどしくもオレリーヌはアルフィオを励ました。
「オレリー……」
アルフィオはようやくこの少女の内面に気付けた気がした。
不器用で、馬鹿で、気が弱くて、アホで、バカだけど……本当は優しい。
「……ア、アル様……?」
「オレリーぃ――――――――っ!」
「きゃぁあああああああっ!?」
涙目でお腹に顔を埋めるように抱きついてきたアルフィオに、オレリーヌは悲鳴を上げながら尻餅をつく。
「お、俺が馬鹿だったぁあああああああぁ……オレリーだけが居れば良かったんだっ。実家に帰って農家するっ。食品加工も本腰入れるっ。貧乏なんてさせないし、絶対浮気もしないから、俺と結婚してくれぇええええええええええええええええええっ」
「え、あ、はい。……ぇえええええええええええええええええええええええっ」
目を白黒させながら思わず受諾の返事をしてしまったオレリーヌは、アルフィオと自分の行動に驚きながらも、子供のように抱きついて泣いている彼に顔をほころばせ、静かに彼の頭を撫でた。
人として生きる為の“勇気”を、アルフィオは二度の人生でやっと手に入れた。
オレリーヌもそこでようやく、自分が今年、結婚できる15歳になっていたことを思い出した。
この状況を見たら姉はなんと言うだろう。
そして、先ほどどこかへ行ったあの二人も、自分達が結婚すると知ったら……
(……あ、)
シグレスの勇者一行の中で、常に最後尾を歩いていたオレリーヌは、最後に街を出る時に見た“手配書”の内容を良く覚えていた。
(珍しいから、アンコさんばっかり特徴がいっぱい書いてあった。……ここら辺にエルフはほとんど居ないから目立つけど、街に入っても大丈夫なのかな?)
***
『ふははははははははははははははははははははははははははははははははっ』
「あははははははははははははははははははははははははははははははははっ」
『はぁ!?』
いきなり真横で同じように笑っている金髪の少女に気付いて、ヒライネスはギョッとした顔で飛び退いた。
『お前はっ!』
「あら、失礼しました。ユールシアと申します。どうぞお見知り置きを」
かけらの緊張も見せず、黒銀ドレスの裾を摘み、優雅に挨拶をする【魔神】の姿に、ヒライネスは貌を歪ませる。
そしてその肩の上に……
『ユールシア、そいつは魔界【悪魔公】七柱……今は六柱だったな。その一柱だ』
魔界で暴れ【悪魔公】の一柱を喰い殺した暴虐の悪魔【魔獣】が、黒猫に姿を変えてそこにいた。
「だったら結構強いの? リンネ」
『俺よりは弱い。と言うより、【悪魔公】の中では弱いほうだ。今のユールシアより少しだけ強いくらいだな』
「ふ~ん」
『…………』
あまりに緊張感のない態度に苛立ちもするが、どちらもヒライネスと同じ【名持ち】の悪魔で、片方は数千年ぶりに現れた、その能力も定かではない、【悪魔公】達も注目する新種の【魔神】。
しかもこのレベルになるとまともに出来ない、【顕現】さえも済ませているこの悪魔に油断など出来るはずもなかった。
『ようこそ、ユールシア、そしてリンネ。私、ヒライネスの根城にようこそ。……と言うか良く来られたね。ここは物質界に繋げるための私が作った亜空間。並の悪魔だったら……いや、悪魔であるが故に簡単にはここまで来られないはずだ』
それだけに油断もしていた。
ギアスの近くに、この世界の“イレギュラー”とも言える未知の【悪魔】が居たことは知っていたが、それがヒライネスに関わってくるとは彼も思いはしなかった。
未知の【悪魔】……。どうやってこのような馬鹿げた存在が生まれてしまったのか。
「そうなの? 普通に来られたけど……」
『それは“ユールシア”だけだ。俺でもお前の肩に乗っていなければ、まともに辿り着けたかわからん。その証拠に、あの四体はまだ到着していないだろ』
「あ~……ホントだ」
魔界最高位の悪魔、【悪魔公】【魔獣】【魔神】の三種三柱が、こんな世界の十分の一程度しかない狭い空間に揃うなど、歴史上一度もなかったはずだ。
しかもこの“緩い”空気はあり得ない。
このクラスの悪魔が三柱も居れば、魔素と障気が渦巻き、時空間さえも腐り、低級悪魔が無限に発生する第二の魔界と化してもおかしくないと言うのに。
「ところで……」
ユールシアの雰囲気が変わり、ぬめりとしたコールタールのような気配が滲む。
「平井さん、これ、くださらない?」
『誰だ、それは……』
ヒライネスは同時に複数のことを問いただしたい感覚に戸惑いながら、無理矢理意志の力で本筋に戻した。
『これか……? これが私と【契約】していると知って言っているのか? 同胞よ』
そこには三柱の高位悪魔に囲まれ、発狂寸前に気死しかけていたギアスがいた。ヒライネスはその様子に、やっとまともな反応を目に出来て心が安まる思いがした。
悪魔の契約は“絶対”だ。それを自分の意志で破ることは“自己否定”になり、己の存在さえも危うくする。
それを無いものにしようとすることは、その悪魔と完全に敵対することを意味し、ましては【悪魔公】であるヒライネスと“敵対”しようとする存在など、【悪魔公】の中にも居なかった。
それなのに……
「そう言っているのよ? お猿さん」
花のように悪魔の笑みを浮かべる美しい少女。
その一言に、ヒライネスの顔が通常悪魔のような“猿面”に歪み、【魔神】の肩上にいる【魔獣】が静かに溜息をつく。
その瞬間、ヒライネスとユールシアの手が同時にギアスに伸ばされ、目に見えない攻防と激しい火花が散ると、ギアスを片手で掴んだヒライネスが後方に飛び退いた。
ユールシアの右手のドレスが破け、ヒライネスは左頬からどす黒い血を流しながら、ニヤリと笑う。
『……速いな。だが、ここは私の勝ちとさせて貰う』
そう言うとヒライネスはさらに後方に飛び、闇に生まれた大扉の中へ消えていった。
*
「……逃げられた」
『相手は数千年存在する【悪魔公】だぞ。【大悪魔】なら今の攻防で消滅している』
「年季が足りませんかぁ」
私の魔力を吸って勝手に再生するドレスを見つめながら、リンネのお説教に適当に答えた。
でもさすがに強い。リンネと戦う前の私だったらやばかった。
『……追うつもりか?』
「もちろん」
『やめておけ。向こう側は特に空間の乱れがおかしい。この亜空間を見ても思ったが、ヒライネスは次元を繋げる研究をしているようだ。いくら数多の次元を旅すると言われる【魔神】でも簡単には戻れないぞ』
「う~ん……」
でも、あのお爺ちゃんほどの魂は滅多にないからなぁ。カラスミみたいで美味しそうだったんだけど……。
「主様っ」
「ユールシア様っ!」
声がして振り返ると、やっと従者達が追いついたみたい。
あの子達でさえこんなに時間が掛かるなら、本当にやばい空間かも。とりあえず全員揃っているね。ん?……5人?
「一人多いわよ……?」
「失礼しました。途中で拾わせていただきましたわ」
ティナが適当に担いでいた人物を私の前に適当に落とす。……雑だな。
「あらあらまあまあ」
「……ユールシア……っ」
こんなところでこんなお人に会えるなんて。
「お久しぶりですわ、アタリーヌ姉様。ご機嫌いかが?」
嬉しくてニッコリ微笑むと、お姉様は歯をむき出して私を睨む。
「あら、はしたない」
「煩いっ。あなた、やっぱり魔族と繋がりがあったのねっ! その魔獣も元からあなたの“使い魔”だって知っていたんだからっ」
「ほほぉ」
なかなか面白いことを言う。
ファニーが『ぷっ』と吹き出してリンネに睨まれていたけど、まぁそんなことはどうでもよろしい。
「そんなことを言うために、わざわざ、こんな危険な場所に……愛ですか?」
「ふざけないでっ!」
やばい、楽しい。やっぱり、お姉様と“遊ぶ”のは愉しいわぁ。
「ファニー、お姉様を外にお連れして。帰ってからゆっくり愉しむわ」
「は~い」
「何を言ってるのっ!? ふざけないでって言ったでしょっ。あなたの悪事を暴いて、私はお父様に、」
「ユールシア様はどうなさるので?」
まるでお姉様など居ないかのようにノアがこれからの予定を確認する。ノアからしてみれば、私が決めた時点でお姉様は居ないも同然なのでしょう。……ぶれないなぁ。
「わ、わたしはっ、」
「それがねぇ、この先は歪んでいるから拙いらしいのよ」
「ちょ、」
「それでは撤退しますか? その間に部下を千体ほど送って調べさせますが」
「ねぇ、」
「そうね……部下? 千体!? 何それ!?」
「聞きなさいっ」
煩いですわよ、お姉様。
「ええいっ!」
「……え?」
まったく警戒していなかった不意打ちに、リンネを肩から落とした私はお姉様と一緒に開いていた大扉に落ちた。
「…………」
「………ふん」
やってくれましたわね……アタリーヌ姉様。
『ユールシアっ!』
「主様、ご無事でっ?」
扉の向こうからみんなの声が聞こえてくる。向こう側は見えないけど、完全に断絶された空間じゃないみたい。
「無事よ。こっち来ちゃダメだからね」
「ですが……っ」
「いいからいいから」
私はとりあえず扉へ手を伸ばしてみる。
「う~ん」
「どうですかー?」
「この扉から戻るのは難しそうね……他を捜してみるか。……さて」
いまだに私を睨んでいる元凶のお姉様に顔を向けた。
「二人きりですね……お姉様」
「……な、なによ」
私が少しずつ“気配”を滲ませていくと、お姉様の顔色がそれに合わせて白くなる。
「ふふっ。先ほど面白いことを言いかけてましたね? ……お父様とか」
「……関係ないわ」
この反応は……もしや。
「まさか、私が生まれたから、お父様の愛情を独り占めしている……とか?」
「………」
「……素直じゃないにも程がありますわ」
「煩いっ!」
そう言う経緯でしたか……ひねくれも度が過ぎると罪ね。
「何歳からひねくれたんです?」
「煩い煩いっ! あんたが魔族と結託した悪い奴だって知ってるんだからっ! 私だと血が濃くなるから、せっかく破棄させたのに、なんでリュドリック様と、」
「ほほぉ」
「………………」
その事実にお姉様も気付いていたのね。血が濃くなりすぎると拙いって……。
「本当に……ひねくれてますわね」
「うるさぁいっ!」
アタリーヌ姉様、可愛いわぁ……。
でもね。弩ツンデレもいいけど、周りにどれだけ迷惑を掛けているか分かってる?
それにね……
「アタリーヌ姉様は一つ勘違いをしているわ……」
「ひぃっ」
悪魔の気配を滲ませながら、私の白目が“黒”に浸食され、金の瞳が血のような真紅に染まる。
「…あ、…ぁ…」
言葉にならないお姉様に、私は紅水晶の牙を見せて静かに微笑んだ。
「だって私、……【悪魔】ですから」
恐怖で身動きできないお姉様の白い喉に、私は牙を突き立てる。
「ああっ、…ぁ、あ」
甘い……甘いっ! 何て甘美な魂なのっ。こんなのあの美人さん以来……ううん、それ以上かも。
一気に全部啜りたいっ。……でも、あああ、勿体ない。
でも……っ。
「ぷはっ」
血を少量。魂を半分ほど戴いて、私はお姉様の喉から口を離す。
やっぱり生きたまま啜るのは鮮度が違う。
虚ろな目をして呆然と座り込むお姉様に、私は優しく語りかける。
「アタリーヌ姉様。あなたの魂の半分と、記憶の大部分をいただきましたわ」
「……ぁ…」
「たぶん、これからまともに生活出来るようになるまで大変でしょうけど、頑張って生きて下さいね。もし、魂が復活できるようなら、また半分いただきますわ」
「………」
半分ほど魂を残せば吸血鬼になったりしないはず。実験ですが、成功すれば同じような人達を増やしましょう。
「ティナ、ファニー、聞こえるっ?」
「はい、主様」
「はーい」
「これからそっちにお姉様を送るわ。魂が減ってるからたぶん送れると思うけど、それをお父様にお届けして。記憶喪失です、って」
さぁて、念願のお姉様の魂は味わった。もう一つ魂を刈りに行きますか。
長すぎたのでここで切ります。
勇者は【四番手ヒロインend】 お姉様は【半bad end】でした。
残り二話です。
それではお付き合いお願いします。





