閑話 初恋(新)
第三者視点の三人称は、真面目な話が多くなります。
聖王国と呼ばれるタリテルドには緑が多く存在する。
それは国教である豊穣神の教えに、『人よ、自然と共にあれ』というものがあり、そのせいか街中でも街路樹が植えられ、自然を生かした公園が多数存在した。
貴族や大商人にとっては、敷地内に木々があるのが当たり前で、裕福な者たちは街の喧噪から離れた、自然溢れる場所に屋敷を構えている。
聖王国西部にあるトゥール領でもそれは同じで、綺麗な小川が流れる、小高い森の中にも幾つかの屋敷が建っていた。
そんな閑静な場所へ、一頭引きの小さな馬車がゆっくりと向かっている。
華美ではないが丁寧な作りの馬車は、見るものが見ればよほど良い家の持ち物だと分かり、もしもこれが街から離れた山の中であったなら、盗賊などに襲われそうなものだが、護衛役を兼ねる男が欠伸混じりに御者をしているのを見るに、ここら辺は安全な地域なのだろう。
それでも、どれだけ衛兵たちが巡回しようと、完全な安全などあり得ない。
狼などは居なくても野犬はあり得る。山賊は居なくても手癖の悪い者も居る。
魔力検査を終えた幼い子供や、後は帰るだけの気の抜けた大人たちなどは、程良い獲物にも成り得る。
だが……、その森の中は異様なほどに静まりかえっていた。
人間では気付かない“何か”を感じたのだろうか……、地揺れの起きる場所から鳥たちが逃げ出すように、小動物が飢えた肉食獣から身を隠すように、森に生きる生き物たちは“何か”に怯えるように息を潜めて、それが通り過ぎるのを【神】に祈るように待ち続けた。
その近くの森に傭兵の一団が居た。
元々は戦争があった南部地方の国からの難民であった彼らだが、どこの国でも受け入れてもらえず、元民兵も居た彼らは、旅の旅費を稼ぐために商人たちの護衛をしながら、どこかの国に受け入れてもらえるまで“傭兵団”として生きることにしたのだ。
この聖王国なら受け入れてもらえるかも、と希望を持ってきた彼らだったが、傭兵としては受け入れられても、難民としては受け入れてもらえなかった。
このまま傭兵団として生きていこうともしたが、やはり帰る場所は欲しい。
彼らは四家族、12人。その中にはまだ幼い子供もいるので、安全のためにも“家”が欲しかった。
だが子供もいて女性も居る傭兵団では戦える者は五人ほどで、市民権を得るための家を購入する金などそう易々と貯まるはずもない。
未成年の子供は三人居て二人は十歳ほどだったが、一人だけまだ幼い子がいた。
四歳くらいだろうか、柔らかそうな茶色の髪でとても愛らしい顔立ちをしたその幼児は、利発そうに幼いながらに薪になる枝を拾い、誰に言われずとも野営の手伝いをしていた。
「おーい、ノエル。終わったら稽古付けてやるぞ」
「うんっ!」
薪を置いたノエルが、その中なら手頃な枝を掴んで、喜び勇んで一人の壮年の男に駆け寄っていく。
男はノエルの父ではない。一団となって生きる彼らにとって、子供は全員の子であり家族なのだ。
そんな生活を一年以上続けてきたノエルにとって、彼らは家族と言うよりも“仲間”に近い感覚だった。それ故に一人の仲間として、仲間たちの役に立とうとし、安住の地を見つけるのではなく、早く一人前の傭兵として強くなることを望んだ。
それは、子供としては少し歪んでいる。
大人たちとしては、強くなることを望むノエルを鍛えることで、この状況で“生きる”術を身に付けさせたかったのだろうが、それ故にノエルは家族に甘えるのではなく、戦士として仲間の横に並び立つことを夢見ていた。
「ノエル、手が空いたら芋を洗ってきておくれ」
「うんっ」
街で宿屋に泊まるほど裕福ではないが、食料を買えないほどではない。夕餉の支度が始まると女たちの一人から用を頼まれ、ノエルは芋を抱えて小川まで駈けていく。
野営とは言え、幼子を一人で食材を小川に洗いに行かせるのは、この辺りが安全だと聞いていたからだ。
普通の国なら、貴族が屋敷を構えるような場所の近くで野営などさせてもらえないが、このトゥール領の領主様は寛容らしく、数日程度ならお目こぼしされていた。
「……つめた」
もう秋になり、昼はともかく陽も傾き始めると水の冷たさがつらく感じる。
今はまだいいが、もう一月も経てば野営も厳しくなり、この国で安めの家屋を借りることになるだろう。
他国の国籍があれば、借り家でも暫定的な市民権は貰えるが、無国籍の難民である彼らは、家を買い、市民権を得なければ子供を学校に通わせることもできない。
年上の子供は、一年前まで学校に通っていたらしいが、このままではノエルだけが学校に通えなくなるだろう。
ノエルはそのことをあまり気にしてはいなかったが、貴族の通うような魔術学院では一般の生徒に混じって“お姫様”も通うと聞いて、幼心に仄かな憧れを抱いた。
「おひめさまって、きれいなのかなぁ」
「おい、居たぞ」
その時、小川の向こう側から三人の男たちが現れ、そんな言葉を漏らした。
「……だ、だれ?」
突然現れた男たちに怯えた表情を見せるノエル。
野盗の類ではない。男たちの動きは訓練された兵士のようであり、平民の衣服を着ていたが、不自然なほど身奇麗だった。
男たちはここに野営をする一団が居るのを知っていたのだろうか?
「大人しくしていろ」
彼らの一人が手際よく子供が入る程度の麻袋を広げ、もう一人が素早く近寄りノエルの腕を掴もうとする。
「えいっ」
「むっ」
男は咄嗟にノエルが投げた芋を腕で庇う。避ける必要さえなかったのだが、まさかこんな幼児が咄嗟に反撃してくるとは思っていなかった。
「……っ」
「待てッ」
その一瞬の隙にノエルが走り出す。
それは子供にしては驚くような機転で、森の中ということもあり、これがただの野盗か人攫いなら逃げられたのだろうが、相手はただの人攫いではなかった。
「わぁっ!」
「ちっ」
男は慌てることなくノエルの後を追うと、すぐさま逃げるノエルの襟を掴んで持ち上げた。
だが、その貴重な数秒とノエルの上げた声は無駄ではない。
「ノエルっ!」
異変を察したのか、ノエルの家族である壮年の男と若者の二人が武器を持って駆けつけてくれた。
「ノエルを放せ、人攫いがっ!」
駆けつけた革鎧に槍を構える二人に、人攫いたちが顔を歪めつつ捕まえていたノエルを投げ捨てると、後ろにいた男が短く指示を出す。
「やれ」
「「はっ」」
スラリと剣を構える人攫いたち。その訓練されたような構えに、傭兵の男たちも気を引き締める。
確かな話ではないが、護衛をしていた商人の話では、二年前にも悪魔召喚事件で生け贄目的に子供が攫われたことがあったらしい。
最近でも旅人の子供が攫われる噂があったことから、傭兵たちはこいつらのことかと怒りを滾らせた。
「てりゃっ!」
「はっ!」
ギンッ、と槍と剣がぶつかり、鈍い音を奏でる。
傭兵たちの槍は実戦で鍛えたものであったが、正規の訓練を受けたらしい人攫いたちの剣技に、傭兵達は徐々に押されていく。
どうして人攫いがそんな剣技を身に付けているのか? 彼らの正体は何なのか?
だが、傭兵たちにそんなことを気にしている余裕もない。でもその時。
「みんな無事かっ」
「おお、来てくれたかっ」
さらに三人の傭兵が加勢に駆けつけた。
人攫いたちのほうが強かったが、その差は倍の人数を相手にできるものではない。
一瞬で逆転した状況に、剣を抜いていた人攫い二人が忌々しげに後ろに下がると、指示を出していた男が何事か呟き始めた。
「【風の防壁】」
最後に唱えた言葉で、戦闘区域全体が風に覆われ、外部と音を遮断する。
「我が声が聞こえたなら、呼びかけに応じよ」
それは【魔法】の詠唱。初めのものが通常の魔術だとしたら、今、男が唱えているものは……
「現れよ、【火の下級精霊】」
その声に応じて、男の腰に付けた火口箱の中から、炎のトカゲが現れた。
「我が敵を倒せ」
召喚者の命に、子犬程度の大きさだった火の精霊が、虎ほどの大きさの竜に姿を変えた。
一瞬で上昇した気温だけでなく、その威圧感に傭兵たちは脂汗を流す。
下級とは言え精霊は厄介な相手だ。【下級精霊】は【下級悪魔】と同格の力を持ち、悪魔同様、普通の武器ではほとんどダメージにはならない。
対抗手段は、魔力による攻撃か、攻撃の瞬間、意志の力で精霊の精神を上回るしかないのだ。
だが、傭兵たちの精神は精霊の出現だけで折れかかっていた。
せめてノエルだけでも、と傭兵たちが願い、人攫いたちが歪な笑みを口元に浮かべたその時……
『………………』
火の精霊が突然に動きを止めた。
精霊は、悪魔の“邪”に対する“正”であると言われるが、精霊自体に善悪の括りはなく、召喚者が悪人だからと言って、その命に逆らうことはない。
精霊の機嫌を損ねるか、よほどの事がない限り、命令は忠実にこなす。
「……どうした、【火の下級精霊】、行けッ!」
『…………』
再度の召喚者の命にも動かない。
それどころか、戦う意志に燃えさかっていた全身の炎がしゅるしゅると縮み上がり、燃え尽きたような顔で、がちがちと牙を小刻みに鳴らし始めた。
なにか、よほどのことがあったのか?
まるで怯えているような火の精霊は、ある一点を見つめたまま動かない。
その時微かに、木々の間から、通りかかる馬車のような物が見えて。
『………ッ!』
その瞬間、火の精霊が風の結界を打ち破るようにして、反対方向に逃げ出した。
「「「………」」」
その尻尾を股にしまって負け犬のように逃げ出す姿を、全員が思わず唖然としながら見送った。
「……て、撤退だっ」
そして我に返った人攫いが退いていくと、訳が分からなかった傭兵たちも、慌てて投げ捨てられて気絶したノエルを確保する。
そして野営地に戻ろうとする彼らが、先ほど見えた馬車とすれ違う時、わずかに意識を取り戻したノエルは、馬車の窓から外を見る、小さな金色の幼女を瞳に映した。
「………(おひめさまだ……)」
その姿はノエルの心に焼き付き、初めての小さな“想い”を宿すことになる。