4-00 暗い場所に蟠る(済)
第四章はじまりです。
魔族からの人間国家への宣戦布告。
それにより人間国家――特に一般市民達は底知れぬ不安と衝撃を受けたが、魔王からの告知を受けた魔王領は、それ以上に驚愕し混乱していた。
魔王領は人間国家と分けて区別する為の名称的な領地で、【魔王】という象徴たる存在を敬ってはいるが、彼の地は大きく三つに分けられ、それぞれが“国家”として体を成している。
人型に近い魔族や亜人達が住む、魔王ヘブラード直轄の【ギステス】。
獣人や獣に近い者達が住む、獣王ガルスが治める【ボストー】。
魔物系の亜人や知恵のある魔物が住む、黒姫キリアンが治める【ヘルテルデス】。
魔王領の三つの国は一枚岩とは言い難く、名目上は魔王を敬ってはいても他の二つの国を見下し、この数百年間、幾度も小競り合いを続けてきた。
そんな三つの国が全面的な滅ぼしあいに至らなかったのは、魔王の存在と、人間への憎しみと言う共感意識があったからだ。
だが、共通の敵を持ちながらも仲間内で小競り合いをしていたのは、魔族の性質もあるが、人間との全面戦争を恐れていた面もある。
二千年の魔族の歴史の中で、幾度か魔王の名の下に人間国家への侵攻が行われたが、その全てで敗れ、その度に魔族は衰退する羽目となった。
今まで魔族が滅びを免れていたのは、人間にとって、この魔王領が魔族を滅ぼしてでも欲するような魅力がなかったからに過ぎない。
それを今になって、一部の国への侵攻ではなく、この大陸の人間国家全てへの宣戦布告がされたとなれば、人間は団結して魔族を滅ぼそうとするかも知れない。
利己的な魔族からすれば、手の平を返して魔王に反旗を翻したかも知れないが、魔王領は今現在、さらに混乱する事態に陥っていた。
悪魔の最上位個体の一柱である【魔獣】――【暗い獣】。
数十年貯められた魔力を喰らい尽くして現れ、一度は魔王領より飛び立ち、再び戻った魔獣は、魔王領そのものを威圧した後に“魔力”を集めて献上しろと脅した。
魔王は、生け贄を寄越せ、と求められれば、数千人の人間と魔族を捧げなければいけないと思っていたが、魔獣は【顕現】する為の依り代を求めることもなく、ただ魔力だけを要求して魔王領に居座った。
魔王城の上階には、各地の領主や族長が集められるための会議室がいくつか存在している。その中の一つ――華美な装飾が施され、もっとも防音や魔法防御に優れたその部屋では、王と側近達が配下も連れずに渋い顔で睨み合っていた。
「……魔王様、どういうおつもりでありますか?」
妖艶な……それでいて声に若い張りのある妙齢の美女が、おっとりと毒を含んだ声音で魔王ヘブラードに問いかけた。
黒姫キリアン。見た目は貴婦人のような黒髪の美女だが、下半身は黒い鱗を持つ蛇であり、その尾が十数メートルも広い会議室にのたうっている。
「あの【魔獣】をどうするつもりだっ! その上、さらに人間国家へ宣戦布告などと、魔王殿には必勝の策があるんだろうなっ!?」
身長三メートルを超える獅子の獣人――獣王ガルスが、怒声と共に太い腕を黒曜石のテーブルに叩きつけて粉砕する。
その様子に、黒い肌の壮年の魔族が剣に手を掛け、殺気と魔力を先の二人に向けて解き放つ。
「魔王様に無礼であるぞっ!」
その殺気を受けて、ガルスが笑うように牙を剥いて全身から闘気を放ち、キリアンもスッ……と眼を細めて薄ら寒くなるような冷気を漂わせた。
「そこまでにしておけ」
落ち着いた……だが、少し疲れを滲ませるような魔王ヘブラードの声に、その力を知る三人の気配が微かに揺れる。
「し、しかし……」
「よい。ダーネル、お前も控えよ」
「……はっ」
魔王の側近の一人、魔王直轄地ギステスの内政を取り仕切る魔将ダーネルが、二人を睨みつつもヘブラードの言葉に一歩下がり。
「………」
「……ちっ」
キリアンは面白そうに唇の端をわずかに上げ、せっかくの争いに水を差されたガルスは隠しもせず舌打ちをした。
「……………」
それを見つめるもう一人の男……人間より多少寿命が長い魔族だが、どれほどの年月を生きたのか分からないほど歳を経た老人が、その諍いに口を挟まず微かな笑みだけを浮かべていた。
魔導参謀ギアス。魔王軍の筆頭魔術師とも言えるこの老人を含めた、このたった五人が現在の魔王領の決定権を握る重鎮であり、この会議の参加メンバーであった。
それに、これ以上の人員を呼んでも、各地の族長などは自己の利益を求めるだけで、どうせ会議にはならない。
そんな魔族達の様子にヘブラードは微かに溜息を漏らしつつも、それを顔に出すこともなく話を始める。
「貴公らの言いたいことも分かるが、あの魔獣に関しては私に任せて貰おう。あれが何を考えているのか分からぬが、今は魔力だけを欲している。今はその状況を、最大限に利用させて貰う」
「……あの魔獣を人間との戦に……?」
些か表情の読めないキリアンの言葉に、ヘブラードは首を横に振る。
「あの存在を人間達に知らしめ、勝手に警戒して貰おうと言うことだ。魔獣がいつ襲ってくるか分からぬとあれば、安易に軍を動かすことも出来まい」
尚かつ、魔王から全ての人間国家への宣戦布告がされたせいで、他国の救援に軍を送ることも難しくなるだろう。
「人間共が勝手に警戒している間に、奴らの国を一つずつ潰すのか? 結構時間がかかんねぇか?」
ガルスは顰め面したままだが、とりあえず魔王の話を聞く態勢に入ったらしい。
「だからこそ、此度の戦は、初戦で魔王軍総攻撃をかけて人間の国を奪うことにした」
「はぁ!?」
「……っ」
ヘブラードの言葉にガルスとキリアンは驚愕し、あらかじめ聞いていたダーネルでさえ、額に汗を滲ませる。
魔王軍とは、魔王領に住む戦える者すべてだ。
全ての職業は言うに及ばず、戦えない者とは幼子や寝たきりの病人だけで、魔王軍の兵士は、魔王領人口の七割を超える。
少しでも人間の戦を知る者なら、その策を狂気の沙汰だと思うだろう。
だが、獣王ガルスは魔王の言葉に歓喜の笑みを浮かべた。
「殺して……奪って喰らえばいいんだな?」
「そうだ。全てを奪え。だが戦える人間は恐怖で縛り、他の人間国家への先兵としろ。残りは殺して喰らえ」
「……ぉおおおおおおおっ」
単純と言うよりも獣としての意識が強いガルスは、人間達を殺せることに……ただ好きに暴虐の限りを尽くせることに声を震わせたが、キリアンはそれを冷たく一瞥するとヘブラードに優雅に頭を下げた。
「そこまで決まっているのなら、妾も兵の全てを出しましょう。……好きにしてよろしいのですよね?」
「……構わぬ」
キリアンの含みのある声にヘブラードは顔色一つ変えずに頷いた。
「では、妾は国に戻るとしましょう。では魔王様、次は戦場で……」
その言葉を残して、黒姫キリアンは悠然と会議室を後にする。おそらくこの戦の混乱に紛れて、彼女は己の利になることを画策するはずだ。
キリアンは、魔族の強さの根本が自分達“魔物”の血であると信じている。彼女はこの機に乗じてヘブラードの命さえ狙ってくるだろう。
彼女自身が魔王となるために。
魔王はそんな彼女の背を悲しげに見送る。
どんなに小賢しくとも、結局彼女も魔族の現状を理解していない。
食料も資源も乏しい魔王領に、大軍を率いて戦をする蓄えはない。
魔王軍の一部を動かすだけでも魔王領の食料の大部分を持って行く必要があり、そうなれば残った者達は互いから奪い合うしかなくなる。
だからこそ、ヘブラードは全てを持ち去り、戦えない者は捨てると決意した。
人間の国を襲い、そこの全て奪い殺してしまえば、統治する為の人員も食料も必要はなくなる。
1か0か、特攻にも等しい愚かな策だが、好戦的で奪うことに長けた魔族ならばそれが成立した。
「………」
自分で言っておきながらヘブラードの気は重かった。
今までの戦と違い、一度でも敗れれば魔族は全滅するかも知れない。気力が下がり、行軍速度が落ちただけでも人間側が準備を整えてしまうだろう。
この作戦は、奪うことに酔った魔族の愚かさだけが勝利の鍵と言えた。
その愚かな魔族の王である二人は、戦支度に自国へ戻るために会議室を後にした。
作戦らしい作戦も立てず、ただ目標だけを決めて動くのが魔王軍の在り方であり、目標さえ決まってしまえば後は話すことなど無い。
魔王軍で知性派である魔将ダーネルでさえも例外ではなく、彼もガルスやキリアンの後に続いて退室し、今頃は将軍達を集めているだろう。
「ダーネルでさえ、あれなのじゃから、そろそろおぬしも、魔族に期待するのを止めたらどうじゃ?」
会議室に残った魔導参謀ギアスが、もう一人居残っていたヘブラードに向けて、初めて言葉を漏らした。
「……理解するには時間が掛かる。彼らはそう言う教育を受けていない」
「その時間も、もうほとんど残っていないがな」
苦渋を含んだヘブラードの声に、ギアスの声が嘲るように答えた。
ヘブラードにあまりその方面の知識はなかったが、ギアスの協力で“現代式”の戦術をいくつか魔王軍に導入している。だがそれは“人間”の理性と忍耐力を基本としたもので、どちらも欠如している魔族には実行することも出来なかった。
「ヘブラードよ、あまり根を詰めるな。……さて、儂もそろそろ戻るとしよう。心配せんでも、この作戦には出来る限り協力をしてやろう」
「………何故、そこまで私に協力する?」
ヘブラードの声に、扉に手を掛けていたギアスが微かに振り返る。
ギアスは最初からヘブラードの配下だった訳ではない。
ヘブラードが魔王領の改革に手を付けていた頃、この世界では珍しいその遣り方に、ギアスは突然現れてヘブラードに懐かしい言葉を掛けた。
「なぁに、同郷のよしみじゃよ」
「………」
魔王領に後がないことは、ヘブラードとギアスしか気付いていない。
どのみち何もしなくても、魔獣が要求した魔力を吸収し終われば、その後の魔族には魔獣に喰われて滅亡する未来しか残されていないのだ。
不幸中の幸いと言うべきか、魔獣の恐怖により魔族が纏まっている今しか機会はないとヘブラードは考えた。
少しでも魔力が貯まるのを遅らせ、その間にあらかたの人間国家の戦力を吸収し、その全てを用いて魔獣を倒さなければ、魔族に生き残る道はないのだ。
どうしてこうなったのか……、何を間違ったのか。
ヘブラードはこの運命に神を呪い、悪魔の神に、わずかでも魔族の生きる道を照らしてくれ……と願わずにはいられなかった。
***
その頃、とある【魔神】は、オーベル伯爵の屋敷地下の大洞穴にて召喚実験を行い、大量に召喚された【タコ】を処分するため、大勢の吸血鬼や悪魔と共に、タコスルメを作る作業に追われていた。
海産物祭り。
分類補足です。
【悪魔】 精神界の住人。人間大好き。ドロドロした味の濃い魂が好き。
【精霊】 精神界の住人。人間大好き。あっさり味の魂から漏れる魔力が好き。
【人間】 物質界の住人。美味しい。寿命70~80年。
【エルフ】物質界の住人。生き方が甘じょっぱい。寿命500年ほど。
【亜人】 物質界の住人。ドワーフや獣人等。寿命50~120年。
【魔族】 物質界の住人。人間と亜人と魔物の混血。血の気が多い。寿命120年ほど。
【魔物】 物質界の住人。魔力ミュータント。吸血鬼もここに入る。
【動物】 美味しい。何故か旅人を襲う。
誤字等のご指摘、ありがとうございました。





