3-07 悪魔達の華麗な日常 ②(済)
従者達も学生であり授業もあり、常に全員がユールシアの側に居られる訳ではない。
特に学年の違う双子は離れている時間が多く、定期的に従者同士で待ち合わせて報告し合う時間があった。
魔術学院カフェテリアの屋外テーブルに、二人の少女が席に着いていた。
四年生、ブルネットの長い髪に銀色の瞳の転入生――ニア。
一年生、ブロンドの巻き髪に翠の瞳の新入生――ティナ。
今年一番の“騒ぎ”となったヴェルセニア公爵家令嬢のお側付きの従者で、近寄りがたい美貌の主の側に居るので見落とされがちだが、もう一人のファニーを含めて、かなりの美少女として認知されている。
「ねぇ、ニア。私、どこがいけないんでしょう……」
疲れたOLのような声で愚痴を漏らすティナに、ニアは優しい瞳で微笑みを浮かべながら、その額に汗が一筋流れた。
正直に言えば、この状態になったティナの話は長いから勘弁してほしい。どうせ答えは出ないのだから『知らないよ、そんなの』と言いたいが、ニアは結局、話に付き合ってしまう。
「うーん……もう少し抑えたら?」
「何をっ!?」
突然身を乗り出したティナに思わず剣を抜きそうになったニアだったが、今は制服姿だと思い出して、片手でティナの肩を押さえた。
ポン、っと小さな音がして、風に木の葉が舞う。
精霊魔法を使える学生は、風の精霊がいないのに、突然風が吹いたことに不思議そうにしていたが、まさかそれが上位悪魔同士の、ぶつかり合った魔力の相殺だとは思わないだろう。
「それそれ。ユールシア様はネコ型だから、急に動くと叩いちゃうんだよー」
「……そうなのですか?」
ニアに諭されてティナは不服そうに頬を膨らます。
ティナの悩みは、この溢れるほどの“愛”を主に向けても、何故か躱されるか迎撃されてしまうことだった。
「そうなのよー」
ティナの呟きにニアはニコニコと頷く。
でもニアは、それが正解ではないと知っていた。その溢れすぎてだだ漏れになっている愛を何とかしなければ解決にならないのだが、ここ数回の説得で諦めた。
「………」
何故こうなった? 何の力もないチビ悪魔だった頃からの付き合いだが、魔界にいた頃はここまで“変”じゃなかった。
ニアも“ニネット”と言う人間の魂と融合し、その記憶と“想い”を引き継いだ。
その中にあった主に対する不遜な感情は、ニアも食べてしまったが、あれは憎しみではなく、ほぼ“自己愛”だったので、元々のんびりとした性格のニアとあっさり馴染んでいる。
そんなどうしようもない会話の内容はともかく、学院でも有名な美少女二人が、物憂げな表情で会話をしているのだから、注目を集めないはずがない。
普段の言動から敬遠されそうに思えるが、彼女達の冷徹な態度は主人への忠誠心の表れと見られ、そんな彼女達が主であるユールシアにだけは甘えた態度を取る姿は微笑ましく、男女問わずに人気が出始めていた。
「………」
不味そうにお茶を舐めていたティナの眉が微かに動く。
自分達を見つめる視線の中に、ある種の“感情”を感じ取ったティナが、のほほんとした表情のニアに視線を向けると、
「また、きたのー?」
ニアものんびりとした口調で、それでも少しだけ眉を下げた。
ティナとニアはほとんど口を付けていないお茶をそのままに、席を立つと二人並んで歩き始めた。
ファニーは能力的には優秀だが、性格が子供っぽく。ノアは全ての面でそつなく優秀だったが、あの人間の魂と融合してからは、ユールシアの為に、嬉々として色々と企みをしている。
その点この二人は、普段はアレだが仕事面では真面目で、こうした人間社会での行動では互いを一番信頼していた。
この学院には、教師や学生だけが居る訳ではない。
貴族の者が多いことから警備の者も多く、ティナ達のような同年代よりも大人の従者を連れている者も居る。
それだけではなく、食品や備品の納品業者や、教授と商談をしに来る商人など、学院にはかなりの外部の者が入り込んでいた。
二人はゆっくりと学内を歩き、あまり使われない学舎の古い教室に入ると、ティナは顔をしかめて口元を抑える。
「……すごい埃ですね」
二人が歩いた後が足跡になって残るほど、教室は埃にまみれていた。
「う~ん、別にいいじゃない。気を使う必要が無くて」
のんびりした口調でニアがそれに答え、机も椅子もない教室で待つ二人に、ついに待ち人が現れた。
「あの……ニネット様とクリスティーナ様でよろしいでしょうか?」
現れたのは学生でなく、平民らしき三十歳ほどの男だった。
平服を着ていたがその物腰や態度は平民らしくなく、貴族の従者か、密偵のようにも見えた。
二人は……と言うより四人の従者には、普段から多様な人間が接触してくる。
単純に知り合いや友人になりたい者。
異性として告白してくる学生。
彼女達の器量と仕事ぶりを見て、自分の従者として誘いを掛ける貴族。
ヴェルセニア公爵令嬢に繋ぎを持ちたいが、直接声を掛けられない者達等々……。
「私は、聖教会の使いで参りましたイレリオと申します。是非、あなた方のご主人とあなた方従者様に、聞いていただきたいお話がありまして……」
イレリオと名乗った男は、聖教会の使いだと言った。
実はこういった話は珍しくない。ユールシアはまだ幼いので、パーティーに出席する機会も少なく、公式、非公式を問わず、公爵家には色々と宗教関係者から話は来ているが、そのほとんどは父であるヴェルセニア公爵によって門前払いをされ、ユールシアまで話が来たことは数えるほどしかない。
「………」
ティナはイレリオの返事を返さず、ただ無言のままに虫けらを見るような目を向けている。
「……い、いやぁ、ここは埃っぽいですなぁ…ははは……」
そんなただの子供の視線に息苦しさを感じたイレリオは、愛想笑いを浮かべてニアに助けを求める視線を向けたが、ニアは自分の爪を磨き始めて最初から彼の話など聞いてはいなかった。
イレリオは口の中で小さく舌打ちすると、芝居がかった笑みを浮かべて饒舌に話し始めた。
「さすがは【聖女様】のお側付きの方々ですね。私は怪しい者ではありません。実は、我々コストル教の中で新しい解釈を支持する派閥がありまして、【真の聖教会】を立ち上げる際に、ユールシア様を【聖女】として認定させていただきたいと思いまして」
要するに、教義の解釈が違う新しい【宗派】を立ち上げるので、その箔を付けるために、ユールシアに公認の【聖女】となってほしい……と言う話だったが。
「それ、聖教会の使いなのー?」
爪を磨きながらニアが、彼の言葉尻を捉えた。
最初に『聖教会の使い』と言っておいて、違う教義を支持すると言うのだから、初めから間違っている。
「いえいえ、今の私どもは聖教会の一員ですから、問題ありませんよ」
イレリオは事も無げにそう言う。
代表ではないのだから問題は大ありだが、彼はニア達が子供なので、笑顔と態度で丸め込むつもりなのだろう。
「それはどのような解釈なので?」
唐突に言葉を発したティナに、イレリオは嬉しそうに頷いた。
「よくぞ聞いてくれました。この世界には精霊がいて、忌まわしき邪悪な悪魔でさえも跋扈すると言うのに、神は我々に姿を見せてくれません。そこで我々は、あなた方のような魔力のある方を集め、聖女様のお力を借りて奉納した魔力により、我らが【神】に顕現していただこうと願ったのですっ」
「「………」」
自信満々に語るイレリオの言葉に、ティナとニアの表情が呆れたものに変わる。
二人とも――魔界に住んでいた悪魔の誰一人として、今まで【神】に遭った者は居ないのだから。
だが、そんな馬鹿げた妄想はどうでもいいが、二人には許せないことが出来た。
「魔力を持つ者を集めると言うことは、【召喚】するのですね?」
「魔力を奉納し、“お招き”するのです。信じられないかも知れませんが、ある大司教様が、とある大国と友好を結び、助力を受けることが出来たのです」
そんな戯言に手を貸す“大国”などあるのだろうか?
自信ありげに話すイレリオの表情は、熱に浮かされたように恍惚としている。
それとは対照的に冷たい視線を向ける少女達に、イレリオは、彼女達が子供だと侮り話しすぎたと、気を引き締めて嘘めいた笑みを浮かべた。
「本来なら、ユールシア様が10歳になられてから、お話をさせていただこうと思っていたのですが、ユールシア様のお力やご高名は大変素晴らしく、様々な教団が自分達の【聖女様】になっていただきたいと牽制しあっている状況でして……。我々としましては、ユールシア様にはこちらの準備が整うまで、他の教団の誘いに乗らないように、お願いしに参ったのです」
これまでも裏で様々な教団から、ユールシアの聖女認定の打診は来ていた。
ユールシアには直接話は来ていなかったので、彼女達は知らなかったが、聖王国での【聖女】の認定は、王家や国の事情が複雑に絡んでおり、教団の意向のみでの認定は出来なくなっている。
王家が決めたユールシアの聖女認定は満十歳。
それまでは表だって勧誘することは出来ず、ユールシアの希望がなければ、ほぼ間違いなく、タリテルドの国教であるコストル教で聖女認定が行われるだろう。
それ故、ユールシアのような巨大な“広告塔”を逃したくないと、様々な宗派がユールシアの知らないところで、静かな戦いを繰り広げていた。
ユールシアに直接“聖女認定”の誘いを掛けるのはルール違反である。
そのせいで、四人の従者達にも少なくない誘いが来ているのだが、こんな埃臭い場所まで付いてきて勧誘をするのは、まともに勧誘も出来ない“普通ではない怪しい”宗教くらいだろう。
「……ところであなた、面白いことを仰ってましたね」
ティナもニアも、怪しい宗教の誘いは初めてではない。聖王国の中でまともに活動できない宗派は、裏で“色々”な事をしている場合が多く、そんな者達は悪魔や吸血鬼達の“餌”となってもらっていた。
「な、なんですかな……」
突然雰囲気が変わった目の前の“子供”に、大人のイレリオが気圧されるように、我知らず一歩下がる。
(……この少女……普通じゃない)
イレリオは正体の分からぬ不安に苛まれ、すぐに会話を打ちきり、この場から離れるべきだと考えた。
「申し訳ありません、私は……」
「我らが主様のお力を、利用しようと聞こえたのですが?」
イレリオの言葉を遮るように放った、ティナの声に静かな怒気を感じて、イレリオは自分の娘のような歳の少女に慌てて頭を下げる。
「そ、そのようなことは……、すみません、性急すぎたようです。私はこれで…」
思わず早口になりながら、少女達に頭を下げてその場を去ろうとしたイレリオは、ふと違和感に気付いた。
「もう帰るの……?」
「…ひ、」
目の前にいたはずのニアが、イレリオの真後ろから、持っていなかった黒い剣を彼の首筋に突きつけていた。
亡者の怨嗟のような唸りをあげるその剣の放つ邪悪な気配に、イレリオはダラダラと脂汗を流しながら不安の正体を悟った。
絶対的な強者による生命の危機に、本能的に“魂”が恐れているのだと……。
「それともう一つ、面白そうなお話をしていたわね……神の召喚…とか」
人間とは思えない美しい少女が浮かべる、“人”とは思えない笑みを見て、イレリオの歯がガチガチと鳴りはじめた。
「イレリオ殿……あなたを“ご招待”して差し上げますわ。お願い、ニア」
ティアが歪んだ笑みのままニアに声を掛けると、ニアも歪な笑みを浮かべて黒い魔剣を掲げた。
「開け……【失楽園】…」
その瞬間、埃にまみれた古い教室が、漆黒の暗闇に変わった。
だが闇ではない。イレリオの目にはティナとニアの姿が見える。教室が暗闇に包まれたのではなく、まったく別の場所に変わっていた。
ニアの【吸収】とノアの【解放】によって、この世界に新たに作られた別空間。
「ようこそ、我らの【失楽園】へ」
漆黒の中で黒檀の机から、執事服の少年がそう声を掛けて優しげに微笑んでいた。
イレリオも彼を知っている。
公爵令嬢の予定やその周辺を取り仕切る、執事の少年――ノア。
「……ぁ、…あ……」
「無理に語らなくとも良いのですよ? 魂の弱い人間では【失楽園】の魔素に耐えられませんから」
適度な魔素は魔力の元となってくれるが、過剰な魔素は人間にとって毒に等しい。
その濃厚な魔素の中を、複数の書類を片付けていたノアが、銀縁の眼鏡を外して静かに近づいて来る。
悪魔であるが人間の11歳並に成長しているノアが、眼鏡を掛けている姿は稀少であり、彼に密かに憧れている学院のお嬢様達が見れば大騒ぎになるところだ。
「お疲れ様、ノア。相変わらず忙しそうね」
「……本当にそう思ってますか? ティナ」
ノアはわずかに眉を顰めて軽く溜息をつく。
ティナは有能だが、能力的に戦闘面に偏っている為、ユールシアの身の回りの世話しかしておらず。妹であるニアは無駄にやる気はあるのだが、親似のぶきっちょスキルのせいで書類仕事を任せる訳にもいかず。ファニーは細かいことは出来るが気まぐれで、今は主の命で諜報活動をしているが、一旦出掛けるとなかなか戻ってこない。
そんな訳で、その他全ての仕事をノアがやっているのだから、せめて労りの言葉に気持ちだけでも込めてほしい。
「それで……その人間は?」
「どうやら、ユールシア様がファニーやミレーヌ様に調べさせている事に関係のある、面白いことを仰っていたのでお連れしましたわ」
「ほぉ……」
「…………」
イレリオは気死しそうなギリギリの精神の中で、ノアがニタリと笑うのを見た。
パチン、とノアが指を鳴らすと、それまで【黒】に塗りつぶされていた世界が、黒で造られた巨大な広間へと変わっていく。
その奥にあるのは、大いなる魔の【神】を祀る漆黒の祭壇。
その左右に並び跪くのは、ミレーヌから“提供”された吸血鬼達を【依り代】にして、ノアが【解放】により【調整】した、主の先兵である【新種の上級悪魔】達であった。
その数、六百余体。
その禍々しい気配は、それだけで小国を殲滅出来る戦力になり得るだろう。
「さぁ、君の知っていることを話したまえ。そうすれば、君の魂を我らが【神】であるユールシア様へ捧げる栄誉をやろう」
そう囁いたノアが、――三人の少年少女達が、漆黒の山羊のような角を生やし、金の髪を蛇に変えて、【悪魔】の姿へと変わっていく。
上級悪魔達がその障気に歓喜するように雄叫びを上げ、イレリオは消えそうになる意識の中で、この世に神が居ないことを悟った。
悪魔の住処【失楽園】。その新たに生まれた第二の【魔界】は、聖王国の裏側で静かにひっそり広がりはじめていた。
*
「ねぇ、ファニー。あの三人はどこいったの?」
「うんとねー、秘密基地作ってるーっ。ユールシア様、飴ちゃん食べる?」
「うん、食べる食べる。……秘密基地とか、子供っぽいところあるのねぇ」
そして何も知らないユールシアは、今日も暢気に平和を貪っていました。
従者達の日常でした。





