2-15 悪魔の宴 ②(済)
多少の残酷な表現があるかもしれません。
「あら……もう追いかけっこはおしまい? それとも人生を諦めたのかしら?」
私達が洞窟に現れると、美形執事に囲まれたミレーヌが、上から目線でそんなことを言ってきた。
うん、自信のあるのは良いことだね。その隣にいるオーベル伯爵は、雰囲気の変わったノアとニアに訝しげな表情を作っている。
ミレーヌが自分の配下に私達を襲わせないのは、自信と余裕を見せたいからだと思うけど、伯爵がそうしないのは私達を警戒しているからだ。
さすがは年の功……なのかな? 吸血鬼に歳なんて関係ないか。
「そろそろ飽きてきたから帰ろうかと思い、そのご挨拶に」
私が【公爵令嬢】モードで微笑んであげると、ミレーヌの“貴族の仮面”が剥がれて機嫌がすぐに悪くなる。もう素で話せばいいのに……。
「……来た時より人数が減っているみたいですけど? ここに来る途中で誰かの餌にでもなったのかしらぁ?」
「襲ってきたわね。潰したけど」
あっさり返り討ちにしましたよ。ニアがっ。
ホント、楽が出来るって素敵。
「それに、他の二人には外で伯爵夫人達の相手をして貰っていますのよ。あの方は寂しがり屋で困りますわ」
「……それで、ユールシア様も、生きて帰れるとお思いで……?」
ミレーヌの声音が低くなり、千体以上の吸血鬼と“出来損ない”達が、牙を剥きだして威嚇し始める。
そろそろ焦れてきましたか。さてどうしようかな……。
「ユールシア様、害虫駆除の許可をいただけますか?」
吸血鬼達の殺気が高まると同時に前に出ていたノアが、穏やかな口調で私に許しを求めた。
「ユールシアさまぁ、もういいよね?」
ニアもやる気なのか、……なのか? やる気がなさそうにヘロヘロ剣を振り回し、彼女なりにやる気を見せる。
「……大丈夫なの?」
ミレーヌと伯爵はそこそこ強そうだし、この子達が怪我とかしたら嫌だなぁ。
「問題ありません」
「……いいわ。怪我しない程度に頑張りなさい」
まぁ最悪でも飛んで逃げればいいか……。と私は気楽に考えていました。
「ニア、【解放】するよ」
「はーい」
…………え?
突然ノアとニアから凶悪な気配が放たれると、それだけで数十体の“出来損ない”達が即死して灰になった。
二人の雰囲気が変わる。気配が変わる。一番変わったのが、二人の頭部の両脇から生えた黒く光沢のある、山羊のような禍々しい二本の角。
おお……悪魔っぽい。
「あははーっ!」
突然の出来事に、私を含めて呆然としていた吸血鬼達の中央に、ニアが単身で斬り込み、たった一振りで数十体を両断し、生命力も魂も根こそぎ【吸収】する。
ニアが吸い取った“力”はノアへと流れ込み、それを【解放】したノアは、ドラゴンのようにブレスを吐いて数百体の“弱者”をなぎ払い灰に変えた。
「……え~…」
なにこの子達、怖い。
魔界ではノリノリで“設定”しちゃったけど、これはあまりにも酷い。
ノアの設定は【インキュバス】で、能力は【解放】。
ニアの設定は【サキュバス】で、能力は【吸収】。
もちろん18禁にならないように中二寄りの設定にしたんだけど、ここまで戦闘力が高いとは……。
お外の二人も、やらかしてないといいけど。
「お前はぁ――――――っ!」
やっと正気に戻ったミレーヌが、意味不明な掛け声で私のほうへ突っ込んできた。
『お前は何』? それとも『お前は帰れ』? よく分かんない。
とりあえず鋭い爪で襲ってきたミレーヌの攻撃を躱し、それに気付いてこちらに戻ろうとしていたノアを、私は手振りで制して押しとどめた。
「ミレーヌ。可哀想だから私が相手をしてあげるね?」
「ふざけるなぁあああああああああああああああああああああああああああっ!」
この子、怒りっぽいなぁ……。
*
ただの獲物狩りの余興。……最初はそう思っていた。
確かにこちらの正体を知りながらミレーヌを挑発する大胆さや、五百年の時を生きた伯爵さえ知らない【暗幕】の魔法など、それらは目を見張るものはあったが、所詮は人間だ。彼女が【聖女】と呼ばれていても出来ることには限界がある。
最初の驚愕は、連れてきていた従者二人の変貌。
ただの人間の子供だったはずだが、一瞬で異形に変じ、あり得ないような魔力でこちらの兵を数百体も滅ぼした。
あれは【悪魔】だ……。それも依り代を得て【顕現】した高位の悪魔だろう。
あれほどの能力を有するならば、おそらくは百年……いや、数百年以上の時を研鑽した個体に違いない。
いつ現れた……? いつの間に人間の子供と入れ替わった? 夫人はどこへ行った? もしや他の二人の子供も【人外】で、倒されてしまったのか?
聖王国の【姫】の立場を利用して、数百人規模の悪魔召喚魔術でも使ったのか……? いや、聖王国だからこそそんなことは許されない。
公爵家に伝わる特殊な魔道具で【悪魔】を御しているのかとも考えたが、あれほどの個体を操る道具は【伝説級】で、もし存在したとしても厳重に封印されているはず。
(……撤退するべきか)
伯爵とミレーヌ。後から夫人が駆けつければ、二体ならどうにかなるかも知れない。
だがあの二体の能力は未知数で、何が起こるか分からない。
だからこそ伯爵は考える。
そんな悪魔を従える、あの聖女――ユールシアとは何者なのだろう?
ただの人間の少女が、ミレーヌの攻撃を躱し続けられるはずがない。
あれでも二百年は生きた【大吸血鬼】だ。並の騎士団なら数十人いようと、素手で盾を割り、剣をへし折り、鎧を潰して瞬く間に殲滅できる力がある。
(……まさか【勇者】か)
そう思いつき、伯爵は頭を振って馬鹿な考えを捨てた。
聖王国には数百年に一度、国に巣くう邪悪を討ち滅ぼすために現れると聞くが、まさか勇者が悪魔を従えるはずがない。
それは聖女も同じだが、……もし彼女が【聖女】でないとしたら?
それどころか……
「………まさか」
伯爵は自分で思いついた事に額から汗を流す。
彼女が“人間”ではなく、あの悪魔達を従える程の高位の【悪魔】だとしたら……?
だが、【大悪魔】に匹敵する力を見せる個体を従える【存在】とは何だ?
伯爵は彼女を攻撃するミレーヌを見て、あることに気付く。
ミレーヌ配下の執事や侍女は、どうしてミレーヌに加勢しないのか? いや、実際には加勢しようとしていたが、その寸前でユールシアの美貌に見惚れるように、その攻撃が半端なもので終わっていた。
伯爵はそれを【魅了】だと考えた。
だが、それも違うと、すぐに考えを改める。
悪魔は人間を魅了すると云われているが、実際は、悪魔に【魅了】の力はない。
吸血鬼の【魅了】は能力ではなく、永遠とも言える長い寿命を用いて過去の吸血鬼が作り出した【魔法】の一種だ。
それを“視線”を媒介にすることで発動させ、呪文無しで行使している。
しかもその効果は弱く、敵対関係を覆せるものではない。
「……まさか、…まさか……そんな馬鹿な…っ」
伯爵は五百年の時の中で、上位の悪魔や人間の賢者とも会話をしたことがある。
悪魔が【魅了】するという言い伝えは、過去に存在した、たった一種の【悪魔】のせいだった。
それは“人間”とは隔絶した類い希な美しさを備え、
数千年の時を生き、数え切れない程の人の魂を喰らって、“人の心”を理解し、
人を拒絶するような冷徹な美貌を、理解した“人の心”で柔らかく包み込み、ただそこに在るだけで全てを【魅了】してしまう存在……。
その【悪魔】は、永い時の中で得た“異界の英知”とも言える知識を、気まぐれに人間の賢者に伝え、人の世に混乱をもたらすと言う。
その存在とは……
「……【 魔神 】……」
もしそれが事実ならば、吸血鬼とは“格”が違う。ミレーヌと力を合わせなければ逃げることすら出来ないだろう。
そう考えた伯爵が、ミレーヌの元へ動こうとしたその時、
「どこに行くのぉ?」
目の前に剣を振りかぶった“少女の悪魔”が現れ、その漆黒の剣が振り下ろされた時、伯爵の思考は闇に包まれた。
*
「きさまらぁ――――――――っ!」
ニアに一撃で斬り殺された伯爵の姿に、ミレーヌが怒りの声を上げた。
………おやぁ?
「ミレーヌちゃん、怒ってるぅ?」
「当たり前だっ!」
おや、おやぁ?
お嬢さんには少し落ち着いて貰おうかな。
「ここは狭いねぇ……。ちょっと強く行くから、みんな死なないでね?」
ふと思いついた私の声に、ほぼ殲滅が終わっていたノアとニアが、ギョッとした顔で振り返り、攻撃してきたミレーヌの腕を掴むと、私は悪魔の魔力を拳に集め、意識して【神霊語】で言葉を紡ぐ。
「…『貫け』…っ!」
「……は?」
勢いを付けて、ミレーヌの腕を掴んだまま飛び上がり、私は拳を洞窟の天井岩盤に叩きつけた。
ぶぼんっ。
純粋な悪魔の魔力で紡がれた神霊語は、魔法のような効果を生み出し、妙に間抜けな音がして天井の岩盤を撃ち貫いた。
まぁ、間抜けなのは音だけで、洞窟は半壊して、勢いのまま地上に飛び出したのはいいけど、腕を掴んでいたミレーヌが悲鳴を上げながら酷い状態になっていた。
……やばい。あの子達を召喚して魔力を使いすぎたのに、勢いで無茶したから、魔力があんまり残ってないじゃん。
「けほっ、けほっ」
一緒に上空に飛び出したミレーヌが、血で作った赤黒いコウモリの翼を出して、土埃にむせながらも空を飛んでいた。
でも、良く生きていたね……。偉い偉い。
彼女はボロボロになったドレスで――エロいわ――辺りを見渡し、私を見つけて目を見開く。
私も自分の、黄金のコウモリの翼を広げて飛んでいた。
ちなみに私のドレスは破けていない。当たり前だね。お父様の買ってくれたドレスを破くなんてあり得ませんわ。
「あなた……その姿は何……?」
ミレーヌが流石に警戒した顔で抑えた声を出す。
やっと警戒してくれました。
私は残った魔力を集中させ、真紅の瞳と牙に変えて優しく笑う。
「だって私、悪魔ですから」
「……悪魔……?」
ミレーヌは驚くと言うよりも納得のいった顔で、先ほどよりも落ち着いて見えた。
確かに人間の子供が、吸血鬼であるミレーヌの攻撃を避けまくってたら、彼女も自信をなくしちゃうよねぇ。
「ねぇ、ミレーヌ」
「な、何よ……」
自分より強い【悪魔】の力を見せつけられて、ミレーヌはこちらの言葉を聞く体勢になっている。不満そうだけどねっ。
「私の配下になりなさい」
「…………はぁ?」
警戒していたミレーヌの顔が、一瞬で呆れた顔になった。
私も勝算なしにそんなことを言っている訳じゃない。
「何を馬鹿なことを……この私を配下になんて…」
「そうなの? ならお友達でもいいわ」
「なっ、何を……」
私があっさり要求を下げると、ミレーヌは面食らった顔で口籠もる。
もう一息。
「なら、死ぬ……?」
「………」
その後、豪快に要求を上げてみた。だって悪魔ですし。
ミレーヌは悪魔の姿と、大地に開いた大穴を見比べて、しばしの無言の後に、盛大に溜息をついた。
「……いいわ。あなたの、はい……友達になるわっ」
良しきたっ。ここら辺が良い落としどころだね。
実際、魔力がギリギリでやばかった。本気でミレーヌと戦っていたら負けていたかも知れない。……おバカな私のせいだけど。
「もう怒ってない?」
「怒ってないわ……。人間に馬鹿にされたと思ってたから怒ってただけだし、伯爵達もすぐ仲間を裏切るような連中だったし……」
そう言ってミレーヌは色々諦めたようにまた溜息をついた。
やっぱりね……。
伯爵をニアが滅ぼした時、私と化かし合いの時より怒り度合いが低かったから、何となくそう思っていたのよね。
「とりあえず、よろしくミレーヌ」
「はいはい、よろしくね、ユールシアさま」
こうして聖王国に迫っていた吸血鬼の脅威は、人間達が知らない間に終息を迎えた。
でもごめんね、ミレーヌ……。
あなた達の人生を、私の従者の“教育”に使っただけなんて、とても言えない。
ユールシアの『異界の英知』→『育毛』