2-13 夜の子供達 ③(済)
悪魔的で残酷な表現が含まれております。
はい、現場のユールシアです。現在の私はちょっと困っています。
「どうしようかしら……」
だいぶ範囲が狭くなった【黒光】の中で、私が冷めて渋くなった紅茶を啜る。
そうです。私はあの場から一歩も動いていないのです。
まぁ実際はあの子達を逃がす為に少しだけ動いたけど、ちゃんと逃げられたかなぁ? この【黒光】の中にいると、外の様子が分かりにくいのよね。
それと私の仮説も少し確証が持てたわ。あくまで【光の精霊】であって光は【白】と限らない。たぶん人の認識や思いで【光の精霊】は【闇の精霊】にもなりうる。
この仮説が正しいなら、神聖魔法を使って【恐怖】みたいな【闇】の精神魔法も使えるはずなのです。
まぁそれは良かったんだけど、これからどうしよ? まさか吸血鬼ちゃん達も馬鹿正直に探しに行くとは思わなかったんですもの……。君達、真面目だなっ。
「仕方ないなぁ……私から出向きますか」
あの子達の様子も気になるしね。
真面目に全力で逃げれば逃げ切れると思うけど、そこまで責任持たないよ?
だって、私、悪魔ですから。
「ぐぎょっ、」
館の廊下で鉢合わせた侍女吸血鬼を、反射的に叩いて潰す。
ちょっとビックリした。
でも吸血鬼は潰しても灰になるから血で汚れなくていいね。まぁ汚れても【浄化】を使えば綺麗になるけど、今日の紺色のドレスだと“色褪せ”するかもしれないから汚れないのは有り難いのです。
「……でもまぁ」
ホントに広いね、この館は……。
入れ替わられる前の伯爵が、どれだけ私腹を肥やしていたのか分からないけど、地方貴族にしては異様なほどに屋敷がデカい。
逆に地方だから土地が安いのかな……?
大きな屋敷に巨大な礼拝堂と、他にも地下がある。地下室ではなくて、さっき見つけた地下に降りる階段の先は広い洞窟に繋がっていた。
そこには“出来損ない”と呼ばれた連中が千体くらい居たから、思わずチラ見しただけで戻ってきちゃった。
視察の時にも襲ってきた“出来損ない”は、そう言われるだけあって、陽光の下でも動けたけど吸血鬼ほどの力も感じない。
あいつらは、【私】の力も理解できなかったしね。そのおかげでブリちゃんやノエルに気付かれず正体が分かったんだけど。
ホントにあの吸血鬼たち、自分の“臭い”と言うか“気配”を隠すのがへたすぎますよ。吸血鬼になった瞬間から【強者】だから、自分の能力に溺れすぎているのよね。
少しは、か弱い悪魔を見習って、慎ましく生きて欲しいわ。
でも本当にここは吸血鬼が多いなぁ……。強いのが数体と従者が数十人程度だと思っていたら、数千体とかめんどくさすぎる。
私ってバカ魔力以外は能がない悪魔だからねぇ。【下級悪魔】でもいいから数十体でも召喚できれば多少は楽出来るけど、私の召喚魔術ってほぼ独学だから、強制力が無くて、【下級悪魔】が怯えて出てこないのよ。
「行き止まり……じゃなくて部屋ね」
無駄に広い屋敷の中を歩いていたら石壁と石床の“臭い”部屋に着いてしまった。
壁から赤黒い鎖が下がってたり、奇妙な道具を見るに拷問部屋かな? ホント趣味が悪いなぁ……。弱い人間をいたぶって何が楽しいんでしょ?
「あら……? ユールシア嬢ではありませんか?」
拷問部屋に一つしかない扉からそんな声が聞こえてきた。
……ようやく獲物が引っかかってくれました。
「こんばんは。伯爵夫人。……えっと、ごめんなさい、お名前は忘れましたわ」
「……いいのですよ。ここの伯爵夫人の名前で、私の名ではありませんもの」
「そんなことより……」
私は伯爵夫人が連れているそれを見て。
「それ……どこで拾いました?」
伯爵夫人は片手にノアトスの首を掴んで床を引き摺り、片手にはクリスティナを抱いて、その喉に何度も牙を突き立てながら、溢れ出る血を啜っていた。
伯爵夫人は、唇に付いた血を長い舌で舐め取り、ニヤリと嗤う。
「良い拾いモノでしたわ。味の薄そうな子供だと思っていましたが、この娘はそこそこ良い味をしていましてよ」
伯爵夫人は挑発するような言葉を使う。
実際に私が連れていた従者を弄び、私の怒りや焦りを煽っているのでしょう。
でもその言葉に私は……。
「そうね……私も同意いたしますわ」
あっさりと返した私の言葉に、伯爵夫人は少しだけ顔を歪めた。
その顔を一瞬で“平静”で塗り固めると。
「さすがは【聖女様】……。ずいぶんと余裕がお有りなのね……」
夫人は私の発言をそう受け取ってくれたらしい。
彼女もミレーヌと同様に、私を訝しんでいる。だけど、【強者】としての傲慢さが、私を力で屈服させるのではなく、心をへし折ろうと彼女を饒舌にしていた。
「ふふふ……。人間は不思議なのよ? 強い感情を内に秘めた人間の血は、とても甘いの……。聖女と言われるあなたの血は、どれほど甘いのかしら……?」
なるほどね……。
吸血鬼達は知らないんだ。その【甘美】な味わいが、人間が持つ魂の【業】だと。
クリスティナ……。あなたにも、それほどの“想い”があったのね。
無残に血を貪られるクリスティナを無言で見つめる私に、気を良くした伯爵夫人が、クリスティナとノアトスをゴミのように私の足下に放り投げた。
「味もだいぶ薄くなってきたから、お返しいたしますわ。……お前達」
夫人の声に、背後の侍女達も抱えていた小さな二つの物を同じように放ってくる。
ニネット、ファンティーヌ……。そっか……四人とも逃げられなかったんだね。
「ふふっ、その子供達はまだ生きていてよ? どうします、聖女様? お得意の神聖魔法で癒してあげたらいかが?」
喋らない私が怯えていると思ったのか、伯爵夫人は嘲るようにそう言った。
そして私も分かっている。
この四人の子達は、まだ微かに息がある。でも神聖魔法でこの子達を救うことはもう出来ないのだと。
その肉体は癒せても……この子達には、もうほとんど“魂”が残っていない。
吸血鬼は無意識に人間の“血”に溶けた“魂”を啜って自分の力と換えている。どうしてそれを欲するのか? それはこの子達を見れば察しが付いた。
血液ごと“魂”を吸われ、希薄になった魂は他の魂を求めて“変質”し、その肉体や心さえも変貌させる。
吸血鬼の犠牲者が吸血鬼になるのは、病気の伝染でも呪いでもなく、魂が変質してしまうから。
だから吸血鬼は、失った“魂”を求めて、それが溶けた人間の“血”を求めるのだ。
生物が死ぬと“魂”は急速に拡散して【世界】に溶ける。
世界に溶けた“魂”がどこへ行くのかは分からないけど、死んだ身体を癒しても、その“魂”は戻ってこない。
だから【神聖魔法】に【死者復活】の魔法は存在しない。
この子達も放っておけば、そのまま息絶えるか、吸血鬼に変わってしまうだろう。
本当に……救われない子供達。
でも……だからこそ私は彼らに問おう。人ではなく【悪魔】として。
「あなた達……生きたい…?」
あっさりとした、とても簡単な言葉。生物の根源に問う【悪魔】の囁き。
その【言葉】に、虚ろな瞳をした四人の子供達は、その瞳をわずかに動かして……、私はそれを“肯定”と受け取り、彼らの【魂】と【契約】を交わした。
「…『光在れ』…」
私が神聖魔法を唱えるのを見て、伯爵夫人の笑みが深くなる。夫人はこの子らが神聖魔法では救われないことを知っている。
でも私が救うのはこの子達ではなく、この子らの“魂”の“想い”だ。
慎重に……私は複数の魔法を展開する。
吸血鬼達に、この【聖】なる【魔】の儀式を邪魔はさせない。
「……契約に従い、縛られし“魂”を喰らいて姿を見せよ……」
使うのは、複合積層型魔力召喚陣。小さな魔法陣を幾重にも重ねた召喚魔法陣は、魔力で描く私にしか使うことが出来ず、この大きさであの事件で使われた召喚陣を遙かにしのぐ。
私の召喚魔術に強制力はない。でも……それでも私だけが呼べるモノがある。
さぁ……おいで。
「【金色の獣】である悪魔公女が命じる……。悪魔よ、来たれっ!」
どろり……
と、闇が泥のように成り果て、石部屋の灯りを濁った色に変えた。
吸血鬼達の目を欺く為に使った“白”い光が【黒】に浸食されてコールタールのように床に広がり、四人の子供達を底なし沼のように飲み込んでいく。
吸血鬼達は何が起きたのか分からず困惑し、その中で【私】だけが私の召喚魔法陣を砕いて出現した四体の悪魔を認識した。
悪魔達が“それら”を選ぶように彷徨い、残っていた魂の欠片を喰らうと、ゆっくりと静かに……四人の子供達が、闇の底なし沼から立ち上がった。
それは、……生前の子供達と同一でありながら、あきらかに異質に変わっていた。
公爵家で支給された高価な衣装は、数百年も風雨に曝されたように風化し……それを纏う子供達は、禍々しい障気を撒き散らしながら、その場にいる脆弱な者達に、狂気に満ちた暗い瞳を向けた。
「ひっ、」
それは誰の漏らした悲鳴か、その声に我に返った伯爵夫人が、躊躇もなく背を向けて逃走し、混乱した侍女吸血鬼達が、獣の形相で子供達に襲いかかった。
ザン……ッ!
唐突にニネットであった個体が腰の剣を抜き放ち、一刺しで全員を突き刺した。
異様に伸びて木の根のように剣はうねり。
『……ァハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!』
石造りの拷問部屋を振るわせ亀裂を入れる、ニネットの高らかな笑い声の中で、剣に貫かれた全ての侍女吸血鬼が即神仏のように涸れ果て、塵となって消えていった。
魂を喰らい依り代を得て【顕現】した、人の形をした“悪魔”……。
「………」
また、やっちゃった。どうしよ……。
四人の子供達は、音もなく私の前に整列し、一斉に跪いて頭を垂れる。
『……主様……。お久しぶりにございます』
代表してノアトスであった個体が歪な声で言う。
やっぱり……
「ひ、久しぶりねぇ……元気にしてた?」
魔界で私が育てて“設定”してしまった、四体の悪魔達だった。
……これは“無い”な。
ぶっちゃけ見た目がやばい。顔色がどす黒くて、肌の下に血管のような虫のようなモノが絶え間なく蠢いている。
気配がやばい。その溢れ漏れてる障気だけで、石床が腐って“死臭”のような臭いが漂っていた。
こんなの、人間社会に連れて帰ったら、大混乱が起きますわ。
それに気になることがある。
私はあの子達の残った“魂”を触媒に使って、生け贄にすると同時に“魂”と“悪魔”達を【融合】させたんだけど……あの子達は残っていないのかな?
「…クリスティナ、あなたに“人”の魂が残ってる?」
彼らのその本質は【悪魔】なのか【人】なのか。
クリスティナだった悪魔に聞いてみたが、反応が鈍い。すると、その悪魔は不思議そうな顔で私に答えた。
「……申し訳ありません。それは、この依り代になった個体名ですか?」
……え?
「もしかして……残っていない?」
『いえ、私が“選んだ”この人間の“魂”は、確かに私と融合しております。ただ……』
「ただ……?」
『この魂の大部分を占めていた“憎しみ”が、主様に向いていたので…」
その悪魔はクリスティナの顔で……歪んだ悪魔の容貌でひっそりと微笑む。
『その部分は、私が“喰って”しまいましたわ』
その言葉に他の三体もしたり顔で頷く。君達もですか……。
まあ、少しでも“あの子達”が残っているなら、【契約】は果たせたのか。
詐欺っぽいけどねっ。
『それと主様。我ら悪魔に【名】はありません。器の名で呼ばれるのは……」
「……あぁ~…そうねぇ」
忘れてました。へたにあの子達の名で呼ぶと、悪魔は弱体化しちゃうかも……?
これから呼ぶのに困るな。同じ悪魔の私が、この子達に【名付け】も出来ないし……まてよ。
「……あなた達」
『『『『はっ』』』』
「私の名を【ユールシア】と覚えなさい。そして【悪魔公女】がお前達に【名】を授けましょう」
今の【人】の属性を持った私なら、【私】が【設定】したこの子達なら【名付け】が出来るかも知れない。
成功するかどうかも分からない。それなのに、この悪魔達は疑いもない瞳で私の言葉を待っている。
私はノアトスと融合した悪魔に。
「あなたの名は、これより【ノア】よ」
ニネットと融合した悪魔に。
「あなたは、【ニア】よ」
クリスティナと融合した悪魔に。
「あなたは、【ティナ】よ」
最後にファンティーヌと融合した悪魔に。
「あなたの名は、【ファニー】よ」
うん、どうせなら元の名を弄った“愛称”のほうがいいよね?
『……………………………』
名を付けられた悪魔達は、無言のままに蹲り……静かに立ち上がると、その姿はまるで変わっていた。
成功して良かった……、けど。
あの禍々しい雰囲気が【名】によって内包され、元々それなりに可愛らしかった容姿は、私と同じように外見の“人間味”が消失して、“お人形”のような冷たい美しさを兼ね備えた【人間】のようになっていた。
……変わりすぎではないですか?
【名付け】しただけで、こんなに安定するものなのね……。
また、やっちゃったかしら……?
まぁ、いいか。
「あなた達、これから掃除をするので付いてきなさい」
「「「「はいっ」」」」
私は四人を連れて歩き出す。少しだけ予想外だったけど、さぁ始めましょう。
私の餌場に巣くった吸血鬼の掃除を……。
ようやく出せました。あの子達です。
次回は悪魔達がやんちゃします。