2-08 六歳児の華麗な日常 ②(済)
三人称部分が思ったより長くなりました。
私はノエルとブリちゃんを連れて街に繰り出した。
サラちゃん達にはあの四人を見張ってもらっている。何故かって? もちろん心配だからですよ? 公爵家の資産が。
「これ……おかしくありませんか?」
いつもの格好だと、私が恥ずかしい噂の主だとばれてしまうので、街の商人のお嬢さん程度のワンピースを用意してもらっています。
これで帽子をかぶれば完璧ですわっ。……私の眼力は怖いからね。
「とてもお似合いです、ひっ、お嬢様っ」
ブリちゃん……あなた、また“姫様”って言いそうになったよね?
「……可愛い…です、聖女さま」
可愛いのはお前だ、ノエルくん。
可愛い男の子が照れたようにモジモジするのは、破壊力がとんでもないです。
「ノエル……私を“聖女”って呼ばないで。名前で呼んでいいから」
「でもっ、……お名前で呼ばせていただくなんて」
固いなぁ……。そんなに聖女様って呼びたいの? まぁ、命の恩人で憧れなんでしょうねぇ……聖女“様”は。
崇拝してくれているようでむず痒いけど、同時に“私”を【聖女】としか見てないのかと寂しさも感じる。
私って知り合い少ないから、友達になってほしかったんだけどなぁ。……あれ? もしかして私の名前を知らないとか? ぅわぁあ、私って自意識過剰?
「えっと……私の名前は“ユールシア”です。呼び捨てでもかまいません」
「そんなっ、無理ですっ。聖女様のお名前を呼び捨てなんて……」
ノエル……強情だね。いっそ命令しちゃう? いや、それって嫌な奴ですよ。
「そうですっ、せめてユル姫様とっ」
ブリちゃん……。
「ブリジット」
「はいっ」
「次にこの場で“姫”と呼んだら、私達より二十歩離れなさい」
「……はい」
私だって命令する時はしますよ? 何故か知らないけど、私が冷たく命令すると喜ぶ子がいるのよね……。サラちゃんとか。
でも、ブリちゃんが“ユル姫”って呼んじゃったから、ノエルに“ユル”って呼ばせるのも無理かも知れない。………愛称か。
「ねぇ、ノエル」
「は、はい」
私は芝居がかった口調と仕草で、ワンピースの裾を摘みながら話しかける。
「今日の私は、町娘の【ルシア】です。ノエルのお友達の【町娘】なのだから、あなたが他人行儀に呼んだらおかしいわ」
ね? ……とダメ押しの微笑み。
命令じゃないのよ? そう言う設定なのよ? 圧力なんか掛けてないわよ? 「「…………」」
二人で無言になっても、私はジ~~~っとノエルを見つめる。
「……ルシア……」
「…はいっ」
やりましたっ、ついにやりましたよ、私はっ。あの“ゆるい”愛称から一歩先に進んで可愛い愛称を得ましたわ。
「それでは、行きましょうっ」
「はい、……ルシア」
「はいっ、姫様っ!」
ブリちゃんは、私とノエルから二十歩離れて付いてくることになりました。
「ルシア…は、何か見たい物はありますか?」
「そうですねぇ……、何があるのでしょうか?」
「すみません、小さな街ですから自慢できる物は……あ、そうです。名物のお芋揚げはいかがですか? 甘くて美味しいですよ」
おお……なんか、デートみたいではありませんか。六歳と八歳ですけどっ。
でも食べ物か……しんどいな。
「ご、ごめんなさいっ、ルシアにお芋なんて……」
やばい、顔に出てた?
「た、食べるよっ、お芋、すっごく好きだよっ」
「本当ですかっ、僕、買ってきますっ」
もの凄く良い笑顔でノエルが売店に走っていく。ああ……そんなに買わなくてもいいのよ? 二人で一個を分け合うのでもいいのよ?
最後の手段で、私が一口食べて『お腹いっぱいだから、残りはノエルが食べて?』をしたら、硬直されてしまった。
う~ん。……小さな男の子は意外と潔癖症だね。
「ル、ルシア、あっちで砂糖菓子が……その…」
ノエル、まだ食うのか。
「嬉しいのですが……、私、あまり沢山は食べられませんよ?」
「いいのですっ、ルシアは……その…一口でも」
「……?」
私と分け合うのは嫌がっていると思ったのに、やっぱり子供は甘い物が好きなのね。
でも私がつらい。
「あっ、そうそう、ノエルは魔法が使えるのよね? どんな魔法が出来るの?」
我ながら強引に話題を変える。街の見学と関係ないじゃん。
「魔法ですか…?」
ノエルは少し微妙な顔をしたけれど、それでも嬉しそうに話してくれる。
「検査で判明していたのは、火と風と水と土の精霊魔法と、普通の魔法ですね」
「……全部?」
「あ、それと……『光あれ』…」
ノエルがその呪文を唱えると、小さな光が一瞬“羽毛”のようになって消えた。
「……すごい」
まさかの全属性っ!? 領主のおっちゃん、優秀なんてもんじゃないわよ、この子。
私の呟きが聞こえたのか、ノエルが小さく首を振る。
「いいえ、僕には神聖魔法の適性はありませんでした。でもこの力は……」
ノエルはそっと……壊れ物に触れるかのように私の両手を取って。
「ルシア……あなたが僕にくれた【力】です」
眩しそうに私を見つめながら、柔らかい微笑みでそう言った。
あ、それ勘違いです。私、悪魔ですから。
たぶんそれは、私の【神聖魔法】と【聖女】に強い憧れを抱いて、【光】に強い思い入れをした結果、意志の弱い【光の精霊】に好かれちゃったのかと……。
でも言えない。
そんな可愛い笑顔の“聖女様信仰”モードに入ったノエルには言えない。
「……ん?」
「ルシア……?」
微かに変わった私の様子に、ノエルが訝しげに私を呼ぶ。
「少し……変わった気配が」
「気配ですか?」
ノエルも私には気付いたのに、これは分からないのか。
王都近くの森でも感じた【獣】の気配。
どうしてこんな街中に?
「すみません……僕には良く分からないです」
「でしたら気のせいかも……。少し疲れたのかも知れませんわ」
街の広場を少し歩いて、芋食っただけですけど……。
「ごめんなさい、ルシア。気付きませんでした……。お屋敷に戻りますか?」
「……いいえ、ノエル。そこの…」
建物の影になっている、誰も居ないベンチに顔を向ける。
「そこのベンチまで連れて行って。それと、ブリジットに話して冷たい飲み物を……」
「はいっ、ルシア」
私が少しだけ意識して“ルシア”ではなく【公爵令嬢】モードで話すと、ノエルは臣下のように指示に従ってくれた。
近づいてきてる。……少しずつ。
狙いは私達か、子供なら誰でもいいのか分からなかったけど、私が“一人きり”になると【獣】の気配は、静かに……確実に迫ってくる。
さぁ……おいで。
私の餌場を荒らす害虫ども。
*
「姫様っ!!」
ブリジットの鋭い声が広場に響き、誰かが悲鳴を上げるその先で、一人の少女が何者かに連れ去られようとしていた。
「ルシアっ!?」
ユールシアの要望をブリジットに伝えるべく側を離れていたノエルは、二人の男女に連れ去られようとするユールシアを目にして愕然とする。
「ノエル君っ、君は領主に、」
「ブリジット様っ、僕も連れて行ってくださいっ、初期魔法も使えますっ!」
すでに駆け出そうとしていたブリジットは、その声の響きに思わず振り返り、その瞳を見て諫めようとした言葉を変えた。
「よし、付いてこいっ!」
「はい!」
ノエルのような子供を巻き込むなど、騎士としても大人としても褒められたことではない。巻き込めば、命の危険があるかも知れない。人質に取られるかも知れない。だがブリジットは、そのすべてを考慮した上で、ノエルを犠牲にしてでもユールシアを救うと決意した。
それはノエルも同じだった。自分を犠牲にしてでもユールシアを必ず助ける。同様にブリジットを犠牲にしてでも救うと即座に覚悟した。
この二人は、互いの目を見た瞬間に理解して共に走り出した。
例え自分が倒れても、もう一人がユールシアを救えれば、それでいい。……と。
「向こうだっ」
「はいっ」
誘拐犯は一般的な平民の服装をしていた。どこかの貴族の手の者か? 他国の間者や宗教関係の線もある。
何もしていないのに、……ただ、王家の血筋で、公爵家に生まれ、強い神聖魔法が使えるだけの少女は、存在しているだけで多くの敵がいた。
ならばこの男女二人組は何者なのだろう……? 特に鍛えていたようには見えなかったが、先行する誘拐犯は子供とは言え人間一人を抱えているのに、まだ姿が見えるところまで追いつけなかった。
だが腕利きかと言われれば、足音も消さず、気配も追えていることから、そうは思えない。でも追いつけない。このままではブリジットはともかく、子供のノエルの体力が尽きてしまう。
その思いが徐々にブリジットとノエルを焦らし始めた時……。
ズン……ッ!!
腹に響くような重い振動が大地を振るわせ、二人は思わず蹈鞴を踏んでしまう。
何かが起きた? それでもブリジットとノエルは間も置かずに駆け出し、路地を曲がって見えた光景に混乱する。
「あ、ブリちゃん、ノエルー」
まるで散歩途中の知り合いにでも会ったかのような暢気な声に、呼ばれた二人は唖然としそうになる自分を叱咤する。
「姫様っ!?」
「ルシアっ!」
誘拐犯の姿は【男】だけで、困惑するように立ち尽くしており、ユールシアは誘拐犯に目も向けず、とてとて歩いて二人に良い笑顔で手を伸ばした。
ブリジットは素早く前に出て、ユールシアを庇う形で【男】に剣を向ける。
「……ノ、ノエルっ?」
突然少年に力の限り抱きしめられたユールシアは、目を丸くして驚いていた。
「ルシアッ……良かった……」
「……姫様、お怪我はありませんか?」
「うん、ブリちゃん、元気だよ」
珍しくユールシアの声が焦るように早口になっていた。
「申し訳ありません、私の落ち度です。罰は後で如何様にも。敵はもう一人居たはずですが、姫様は見ていますか?」
無事を喜びたいところだが、まずは問題を解決する為に、ブリジットは【男】に剣を向けたままユールシアに尋ねた。
「ああ……うん、神聖魔法で追っ払ったよ? それと、その人は【人】じゃないから、遠慮しなくていいからね~」
「あ……はい…」
最初は憧れの【姫】として惚れ込み、愛らしいお嬢様として好きになり、勢いで剣を捧げた愛すべき幼い主人であるが、今はその暢気な話し方や“ゆるい”雰囲気のせいで、緊張感を持続させるのに苦労した。
でも普段は、そんなユールシアに“ゆるさ”に助かってもいる。
もし彼女がそんな性格でなかったら、その冷たい美貌に近づくことさえ畏怖していたかも知れないのだから。
……グゥルゥ……。
それを【人】ではないとユールシアは言った。それを証明するように【男】は血走った目で獣のような唸りを漏らし、ぎちぎちと醜い爪を伸ばして身構える。
「はぁっ!」
それに臆さず、ブリジットの剣が横薙ぎに振るわれ、ガキンッ、と、剣と爪が硬質の火花を散らすと、また一歩距離を取って互いに身構えた。
「ルシア……下がって」
その音に、ようやくユールシアを抱擁から解放すると、ノエルも【初級風魔法】を詠唱しながら、小さな短剣を構える。
「ルシアは僕が守るから」
「うん……」
ユールシアは小さく返事をすると、微かに手が震えているノエルを見て静かに息を漏らし、一歩だけ後ろに身を引いて片手を上げた。
「…『光在れ』…」
「「…っ!」」
ユールシアが神聖魔法を使い、その光を受けたブリジットとノエルは驚愕する。
理解できただけでも、邪悪を退ける【加護】。防御を強化する【城塞】。魔法を防御する【結界】。武器に聖なる力を付与する【聖剣】。疲労を軽減し、受けた傷を少しずつ治癒させる【活性】……。
その他にも、二人の知識では理解できないような【上級援護魔法】の数々と、それだけの魔法をたった【一音節】で発動させる【聖女】の実力に驚くよりも、そのあまりの過保護ぶりに感謝するより先に呆れてしまった。
これではまるで……
魔王と決戦する直前に【聖女】に祝福される【勇者】のようではないか――と。
「……あぁ、あ、ああぁあ、あああああああああっ!」
それが理解できたのか、【男】が獣のように“言葉”を吠えて“何か”を呼んだ。
「……なんだ…?」
ブリジットも何かを察して数歩距離を取る。
突然……薄暗い路地がさらに陽が陰ったようなおぞましい感覚。あらかじめ用意していたのだろうか、それは路地の隅――その暗がりを集めたような“影”の中から、インクが滲み出るように現れた。
「……下級悪魔……?」
ブリジットは自分の呟きで我に返り、その【下級悪魔】が自分よりも子供らに近いと悟って地を蹴るように飛び出した。
「グォア!」
「邪魔だっ!」
行く手を遮るように出てきた【男】を、【聖剣】の魔法を受けたブリジットが爪ごと腕を切り飛ばしたが、とどめまで刺しきれない。
このままではユールシアに危害が及ぶ。……だが、思っていないことが起きていた。
当然暴れ出し、子供らを襲うと思っていた下級悪魔は、恐怖の表情を浮かべて、唸り声すら出せずに硬直していた。
何が起こっているのか? この世の命ある全てに恐怖を与える【下級悪魔】が、何に怯えているというのか?
「やぁあっ!」
その隙を見逃さず、小さな影が気合いの声を上げて飛び出した。
ざく……っ、とノエルの短剣が【下級悪魔】の獣皮を斬る。だが、いかに【聖剣】の魔法を受けた武器でも、子供の使う短剣では悪魔を倒せない。
『グガァァアッ!』
傷つけられ、怒りに吠えた【下級悪魔】が拳を振り上げ、
「ノエル……っ」
守るべき少女の声を背中に受けて、その少女により膨大な【光】の加護を受けていたノエルは、心の奥底から語られる【言葉】を聞いた。
「…【μυα】…ッ」
それは精霊語で【光】を表す【音】……。その瞬間にノエルの短剣から光が伸びて、【下級悪魔】を一撃で切り裂き消滅させた。
自分のやったことで呆然とするノエルに、【男】を倒し終えたブリジットが、剣を収めながら声を掛ける。
「ノエル君……今の光は?」
「わ、わかりません……咄嗟に」
敵は倒せた。救出も果たした。だが敵の正体や悪魔の行動、それにノエルの光と理解できないことが多すぎた。
でもそこに……
「二人とも、助けてくれてありがとうっ」
疑問も悩みも吹き飛ばすような、過剰なまでの“満面の笑み”を受けて、二人の精神は一瞬空白となった。
「じゃあ、街の見学に戻りましょうか」
「……え!? ルシアっ」
「姫さまぁっ!? 念の為にもここはぁ」
慌てる二人にユールシアは、可愛らしく『しーっ』と、人差し指を唇に当てて。
「今日のことは三人の秘密だよ? 私がお父様達に怒られちゃうから。……ね?」
*
そして人騒がせな“小公女様一行”は、その翌日に帰路に就いた。
ノエルは思い出す。
苦痛の中で生きることに絶望して“死”を願っていた自分を、厳しい言葉と慈愛の瞳で諫め、救ってくれた、綺麗で小さな聖女様……。
その存在すべてに心を打たれ、ノエルは彼女に崇拝にも似た想いを抱いていた。
二年以上の時が過ぎて、再び出会うことが許された彼女は、さらに綺麗になり近寄りがたい【聖女様】でありながら、ノエルは彼女が一人の“女の子”だと気付かされた。
聖女と呼ばれるよりも、普通の少女と同じように呼ばれることを喜び、庶民の食べ物を不思議そうな顔でほおばるような女の子。
目も眩むような綺麗な女の子なのに、少し眠たげな目をして、のんびりとした話し方をする、暢気な性格の女の子。
思い出せば、そのギャップに頬が緩んでしまう。
彼女が攫われた時、失うかも知れない恐怖で目の前が暗くなった。
彼女を取り戻して抱き寄せた時、自分の気持ちに気付いた。
彼女を……【ルシア】を守りたい。ずっと……。
あの【光】はその為に与えられたのだと、ノエルは思った。
力を付けよう。守れるように。奪われないように。
その日……少年は一歩前に歩き出す。
たった一人の【聖女(少女)】の傍らに立つ為に。
いずれ、そう呼ばれることになる……聖王国の【勇者】として。
『……え? 私、悪魔ですよ?』