2-05 五歳になりました ③(済)
パシャッ。
「あ~ら、ごめんなさい。汚れちゃったかしら?」
それは突然始まった。本日の主賓であるユールシア嬢が女性騎士で固められた一角に引き籠もり、貴族の子女達も【姫】の美しさを恐れて誰も近づけなかったその場に…… 二人の少女が足を踏み入れた。
その一人が、手に持っていた果実酒をユールシア嬢にぶちまけた。
色の薄い果実水ではなく、わざわざ真っ赤な果実酒を使ったことに、明確な“悪意”を感じさせる。
頭から浴びせられたユールシア嬢は、その美しい金の髪も、上品に仕立てられた白いドレスもまだらな赤に染められた。
「あははっ、やだぁ、お姉様。この子、屠殺場の家畜みたいじゃなぁい」
「あら、そんなことを言ってはいけないわ、オレリーヌ。私だって、ワザとじゃありませんし、この程度を避けられない愚図な子だなんて思いませんでしたのよ?」
周りに聞こえるような高らかな暴言。威圧的な態度。
あまりの出来事に唖然としていた侍女や女性騎士達が動き出すと。
「あなた達ッ、ヴェルセニア公爵家、第一息女アタリーヌに逆らうの?」
「そうそう、お姉様と私に逆らっちゃ駄目よぉ?」
その言葉に侍女や騎士達は、堪えるように動きを止めた。
「ふぅん……新しい下女共は躾が悪いのね。そのユールシアとか言う、新しい下女頭のせいかしら?」
その発言に空気が凍り付く。ユールシア嬢の隣にいた怯えて動けなかった少女でさえ怒りに身体を震わせた。
ヴェルセニア公爵家――旧コーエル公爵家の血を色濃く残す二人の令嬢。
第一息女・アタリーヌ。第二息女・オレリーヌ。
まだ10歳と9歳とは思えない美しさ、妖艶さ、そして傲慢なまでの威厳は、赤い髪や真紅のドレスと相まって、“深紅の大華”と呼ばれた彼女達の母を彷彿とさせた。
だが、……あまりにも酷い。
王家やヴェルセニア公爵の目が届かない時を狙う狡猾さ。家臣を公爵家の名で縛った上で下女と呼び、新しい妹を下女頭と呼ぶ、底意地の悪さ。
公爵家に物申せるのは、王家か他の公爵家くらいだが、最近王家と繋がりの強いヴェルセニア公爵家を、他の公爵家が面白く思っていないと知って、この場の暴言を見過ごしてくれるだろうと計算する、その悪辣さ。
彼女達の、王都の街での出来事や学院での“噂”は、貴族達も良く聞いていた。
潰された商店。自殺未遂までした学院の生徒。遊びで殺された動物達。金遣いも荒く裏社会の商人とも繋がりがあると聞く。
これが本当に十歳前後の少女のすることなのか?
早い時期で噂があった、王太孫との婚約話が即座に白紙とされたことも、彼女達の噂を裏付けした。
血色の薔薇の悪意に曝される、可憐で小さな百合の花……。
その対照的な姉妹の確執に、義憤に駆られた貴族や騎士が飛び出そうとすると、それは一部の公爵家の睨みによって止められた。
この悪意は止められないのか……。誰もがそう思い顔を伏せた瞬間、その場の空気が一変した。
魂が震え、その場に跪きたくなるような重圧な威圧感。
その根源を探した者達の目に、その少女――ユールシア嬢の可憐な笑みが、魂にまで焼き付いた。
*
「……な、なによっ!」
オレリーヌ姉様が怯えたように、私とシェリーに向けて果実酒を投げつけた。
私は、グラスがシェリーに当たる前に片手で受け止めると、真っ赤な果実酒が飛び散る中で【神聖魔法】を紡ぐ。
「…『光在れ』…」
あまり強くない、淡く優しい、暖かな光が広がる。
その光が消えると、真っ赤な果実酒はただの水に変わり、私のドレスのシミも綺麗に消えていた。
毒消しの上位神聖魔法【浄化】……。
毒や呪いだけでなく、生活汚れまで消し去ってくれるけど、気を付けないと染色した衣服まで真っ白になる困りもの。
透明な水に変わった果実酒が、神聖魔法の光で緩やかに乾いていく湯気の中、頬に残った水滴を上品にハンカチで拭いながら、私は“お姉様”に優しく微笑みを向けた。
「それで…?」
お次は何でしょう? お姉様方。うふふ。
「あんた……なにを…」
アタリーヌ姉様が怯えていらっしゃる。……おかしいなぁ。そんなに【威圧】したつもりはないんだけど。
可愛いシェリーを怯えさせたり、可愛いうちの子達を馬鹿にされたから、私も自制心が効かなかったんだね。
危ない危ない、私は“人間らしく”振る舞わないといけないのに。
そんなことを考えながら、微笑んだままお姉様に少し首を傾げてみせると。
「あ、あんたなんか、私達の“妹”だなんて認めないんだからっ!」
「お、お姉様っ」
あら? 案外、簡単に引き下がってくれたみたい。
アタリーヌ姉様はガツガツ足を踏みならして退場し、オレリーヌ姉様も慌ててその後を追いかけていった。
あーあ……。もう少しお姉様方と“交流”がしたかったわ。
「ユルお嬢様っ!」「姫様っ!」「ユル様っ!」
ヴィオ達やサラちゃん達が一斉に駆け寄って、私の前で跪く。
「も、申し訳ございませんっ」
「私達……本当に……」
まぁアレは仕方ないかなぁ。
「ユルさまぁ…」
腕にしがみついてくるシェリーのふわふわな髪を撫でながら、跪いている子達に私は頭を下げる。
「みんな、ごめんね。私のせいで嫌な思いをさせて……」
うん……ホントにごめん。お姉様方が何をするのか興味があって放置していたの。
「そ、そんなことっ、本来なら、私達は罰せられるのを覚悟で……」
「そうですっ、私達は姫様の盾にっ」
「でも、ユールシア様、とっても素敵でしたぁ」
「あれって神聖魔法ですかっ!?」
「わ、わたし、また兄達に姫様を自慢しないと…」
やめなさいサラちゃん。
「でも、お嬢様ぁ。もっと懲らしめちゃえば良かったのに……」
ヴェルセニア公爵家に仕える者としては言ってはいけないことだけど、そんな一人の侍女の発言に、他の子達が小さく頷いた。
大人達が五歳の女の子に無茶を言う。……出来るけど。
「ふふ……いいのよ、あの程度なら。だって……」
だって……あのお姉様方の噂を聞いてから、私、ずっと確信していたの。
これは絶対に“良い出会い”になるって。
ふふふ。予想通り……いえ、それ以上に素敵でしたわ、お姉様方。本当に……
「可愛らしいでしょ……?」
私が楽しそうにそう呟くと、周りのみんなだけでなく、私達を覗っていた全員から、息を呑む気配が感じられた。
本当に可愛らしくて…… 美味しそう。
***
ユールシア嬢の誕生招宴に出席した貴族達の反応は、大きく三つに分けられた。
彼女の姉達――公爵の実の娘ではないとの噂もあった、あの姉達との確執を見て、その様子を聞いて、彼女の対応を知って……。
あのいわく付きの姉達を、神聖魔法と微笑みだけで退け、あまつさえ姉達の暴挙を、“可愛らしいイタズラ”程度で許してしまう、彼女の慈愛とその懐の深さを知った。
大半の貴族は、ユールシアを聖王国の【顔】である【姫】と認め、【聖女】と褒め讃え、家族の者や知人達へと伝えた。
一部の貴族は、ユールシアが持つ【魅力】を……それを有するヴェルセニア公爵家に怯え、警戒した。
そして慌てたのは、国の要職に就く貴族達であった。
現国王は、長くても十年以内に引退し、王太子に王位を譲る。これはもう確定路線なのだが、そうなると次はティモテとリュドリックの継承問題が発生する。
規定通りに王太孫であるティモテを王位に推す派閥と、
ティモテでは王として弱いとするリュドリックを推す派閥。
共に理由があり平行線の議論にしかならなかったが、そこに決定打が現れた。
王家の血が濃く、見目麗しく、聖女としての力と慈悲を湛える、黄金の姫。
数年後……、必ず彼女を巡って争いが起きるだろう。
今からでも少しずつ……相手派閥に悟られないように準備をしなくてはいけない。
彼女を――ユールシアを手に入れた王子が、次世代の王となるのなら。
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