閑話 魔界の獣(新)
ちょーシリアス。
人が住む【物質界】とは違う世界。
精神生命体である精霊や、精霊から分かれ半物質化した妖精達が住まう世界。
その【精神界】の最下層――もっとも深く暗い、淀んだ【負】の感情の集まる場所に悪魔達の住まう【魔界】が存在した。
『ソッチソッチ』
『トーッ』
黒い角を生やした、お餅のような小さな二体の悪魔が、同じ大きさの猿のような悪魔達を追い詰め、狩りをしていた。
それはかつて主が『ミニ猿』と呼んで、彼らの“おやつ”にしてくれたモノで、以前はさらに小さなネズミのような獲物でさえ上手く狩れなかったが、主に“設定”されて今の姿になってからは、二体で数十匹も狩れるようになった。
『オイシイ』
『オイシイ』
ぴょんぴょん跳びはねて喜ぶ二体の向こうには、ピエロのような仮面をつけた白い子猿の悪魔が居る。
『キャハハ』
白い子猿は自分よりも大きなミニ猿を、放り投げて遊んでいた。
白い子猿は食欲よりも遊びを優先する性格のようで、ああやって捕まえた獲物で遊んでいる姿を良く見かける。
『アソビスギ』
そこに一体の金色の蛇が帰ってきた。
どうも金色の蛇は気位が高いらしく、獲物で遊ぶような真似はしないが、この中では一番好戦的だろう。
金色の蛇から金色の糸のような物が伸びて、ボロボロになったミニ猿を数体を引きずってきた。
『コレ、タベル』
『アソブー?』
『タベル。ツヨクナル。ゴシュジンタマ、ヨロコブ』
『ウンッ』
蛇と子猿が獲物を食べていると、黒い角の二体もそれに合流して、仲良くご飯を食べ始めた。
『コレ、オイシイネ』
『コッチ、アマイヨ』
『アマイノ、スキ』
『コレ、タベル?』
他の悪魔とは姿形も思考形態も独特な四体だが、彼らはけして互いに争わない。
主に育てられたことによって、主を“母”とし、自分達は“兄妹”であるという思いが根本に存在していた。
それは通常の悪魔とは違う思考だ。悪魔にとって他の存在は、全て餌であり、餌でなければ利用するだけのモノだ。
それが、たった一体の金色の悪魔によってここまで変わってしまった。
それは精神生命体である悪魔の存在が消滅しかねない事でもあったが、奇跡的な偶然か、彼らは生き残りその力を増している。
自分達を育てた“主”はどこかへ行ってしまった。
暖かだった“主”が居なくなったことで、彼らはこの【魔界】が本当に暗くて寒い場所だと思い知らされた気がした。
彼らの望みはただ一つ、“主”の笑顔を見ることだった。
だから強くなる。強くなって“主”の後を追う。その役に立って、いっぱい褒めて貰おうと、彼らはずっと頑張ってきた。
『ゴシュジンタマ、イッテタ、オヤツ、ホシイ』
『ン~~? チョコ?』
『チョコ、センベイ、タベタイ』
『ニンゲント、ドッチ、アマイ?』
『アメチャン、タベル』
けして食欲で主を追いかけたい訳ではない。
………ドドォオォオオオン………
『『『『……………』』』』
かなり遠くから聞こえてきた爆音と、微かな地揺れに悪魔達は顔を見合わせる。
『マタ、ヤッテル』
『チョット、トオイ?』
『ウウン、ニゲルヨ』
『クライケモノ……マダ、オコッテル』
やけに手慣れた様子で、四体は音が聞こえた逆側に跳びはねて、この場から逃げ出すように離れていった。
その途中、【物質界】から叩き返されたらしいボロボロになった大きな猿を見つけ、靄状まで退化したそれから、物質界で“金色の悪魔”を見たという話を聞いた四体は、その地に留まり、主のお呼びが掛かるのを待ち続けた。
*
魔界に【暗い獣】と呼ばれる一体の悪魔が居た。
魔界の野獣と恐れられた【彼】は、同格の悪魔達が配下を多数従えていたにも拘わらず、その獰猛さから常に独りだった。
【彼】に名前はない。【暗い獣】という種族名だけだ。
同格の悪魔達の多くが【名】を持っていたが、常に強さを求め、最初の召喚で召喚者を喰い殺して以来、その強大さ故に【名】を持てなかった【彼】は、一種一体の強力な悪魔として、魔界でも恐れられる存在だった。
【彼】のテリトリーには、まともな知性ある悪魔は近づかない。
その情報を得ようと配下を差し向ける同格の悪魔も居たが、その配下は瞬く間に喰い殺されて消滅した。
その【暗い獣】が、唐突に暴れるのを控えた。
食事をする為に今までより多少多めの悪魔を狩ることはあったが、その変わりように不審がる同格の悪魔達は、わずかな噂を耳にする。
たった一体一種の悪魔である【暗い獣】の側に、同族らしき“金色の悪魔”が居たというのだ。
その情報に同格の悪魔達は畏れを抱いた。
まだ弱く若い個体だとしても、【暗い獣】と同族であるのなら、どのように成長するか分からない。
危険だと感じてはいても、同族の育成に力を注いでいるからこそ、【暗い獣】が暴れるのを控えている側面もある。
同格の悪魔達は仲間ではないが、ある種の不可侵条約を結んでいる。
互いが争えば、弱体したところを他の同格に襲われる可能性があるので、互いに互いの弱みを握り、牽制しあっている他が介入しづらい状況を作っていた。
だが、もしその個体が【暗い獣】の同族であるのなら、弱みの無かった【彼】の唯一の弱みになるのではないだろうか?
そう考えた同格の悪魔の数体が同盟を組み、【暗い獣】のテリトリーに攻勢を掛けようした矢先、その金色の悪魔が突然姿を消した。
誰か他の悪魔に狩られたのか? それとも【暗い獣】が自ら滅ぼしたのか?
何も情報は得られなかったが、欲しかった情報より、おぞましい“情報”が彼らの耳に届く。
あの【暗い獣】が以前のように好戦的に暴れるのではなく、怒りを顕わにして、自分達のエリア近くまで現れ、悪魔達を皆殺しにしていたのだ。
何がそこまで【彼】を怒らせているのか?
もしかしたら、同格の悪魔達の誰かが、独断でその同族を滅したのか?
その中で同格の悪魔が一体動いた。
その悪魔のエリアが【暗い獣】に襲われていたのもあるが、その悪魔は同格の中でも、もっとも多く【物質界】に召喚され、もっとも知性あると言われた悪魔で、その悪魔は【暗い獣】とも何度か会話した経験があったのだ。
それでも友人でもなければ仲間でもない。
あくまで、どちらかが滅びるまで戦うほど敵対してはいない、という間柄だ。
それと【物質界】のどこかで自分を召喚しようとする動きを察していたその悪魔は、現世で力を振るう為に、これ以上、配下や戦力を削がれる訳にはいかなかった。
『……久方ぶりよ、【魔獣】――【暗い獣】よ……』
怒りのまま暴れ狂う【彼】の前に、配下も連れず人間の賢者のような出で立ちをした老紳士が、音もなく姿を現した。
だが、それは本当の人間ではない。ただ佇んでいるのにも拘わらず、その威圧感だけで周囲の弱い悪魔は押し潰され、その存在が吸収されていく。
彼こそは……
『……【悪魔公】――ゼフィルセル……』
一瞬、怒りさえ消した【暗い獣】が警戒するようにそう呟いた。
それもそのはず、ゼフィルセルは【暗い獣】と会話が成立する数少ない、理性と知性がある悪魔で、その力だけでなくその知識こそが【彼】が警戒していたものだったからだ。
『何故にそう憤る、【暗い獣】よ。ここにおぬしの敵になるモノは居らんぞ』
『……俺の勝手だ』
短く吐き捨てるように言う【暗い獣】の言葉に、ゼフィルセルは意識もせずに微かに眉を顰める。
自分の知っている【暗い獣】は、強きモノとの戦いを好んではいても、憤りに任せて弱い悪魔を狩るような奴ではなかった。
『なら暴れるなとは言わん。他の奴の所へ行け。儂もそのほうが丁度いい』
『…………』
飄々と他の悪魔を売るゼフィルセルに、【暗い獣】もわずかに怒りを削がれた。
もしこいつに、あいつを見せたら、どんな反応をするかと考えると少しだけ面白く思いながら、喪失感にまたマグマのようなどろりとした怒りが湧いてくる。
何故、自分から離れていった。
どうして人間の世界などに憧れた。
俺とお前が居れば、他に何もいらないだろう。
『儂は戻るぞ。お前と戦うほど戦闘狂ではないのでな。儂の言葉を覚えていたのなら、他の地へ行け。邪魔はせん』
『……………』
ゼフィルセルの言葉に何も返さない【暗い獣】だったが、ゼフィルセルはそれを肯定と受け取り、気が緩んだのか、わずかに口が軽くなる。
『そうそう、魔族と呼ばれる者が儂を召喚するつもりらしい。おぬしも立ち振る舞いには気をつけたほうが良いぞ。人などは外見で簡単に騙されてくれるのでな』
『…………』
『今から楽しみだ。人間界に出られたなら、今度こそ全ての人間を喰らってやろうぞ。そこにいる精霊どもや人間に呼ばれた悪魔も全て皆殺しだっ、ふはははははっ』
『………悪魔も、だと?』
グァオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
一瞬で怒りを漲らせた【暗い獣】が油断していたゼフィルセルに襲いかかり、その肩を食い千切る。
『ぐおっ! 貴様ッ、儂と敵対するつもりかっ!』
ゼフィルセルも口は軽くなっていても、心の底から油断していた訳ではない。
突然、何が【彼】の激情に火を付けたのか、悪魔であるが故に気付かないゼフィルセルに、【暗い獣】は短く答える。
『俺の勝手だ』
突如勃発した【魔獣】と【悪魔公】の戦闘は、周囲の全ての悪魔を滅ぼし、ゼフィルセルのテリトリーを全て破壊するほどの苛烈を極めながら、他の悪魔が介入する前に決着が付く。
『……愚か……もの…め……』
『…………』
最後に塵となって消えたゼフィルセルを吸収し、その戦いで自力では立てないほどの負傷をしながらの勝利だとしても、【暗い獣】の心は何一つ晴れることはなかった。
求めるものはただ一つ。
何も無い無人の荒野に、獣の叫びが木霊する。
『……【金色の獣】ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』





