1-08 人質になりました(済)
残酷な描写がございます。人間の読者様はご注意ください。
お茶会の後、お父様の王都にある私邸の一つに向かう馬車の中、私はお父様のお膝の上で今日の出来事を話した。
「……リックが?」
「知ってる子……?」
「うん……お父さんの知り合いのご子息だよ」
むぅ……やっぱり、お父様のお仕事関係の子供だったか。すると適当に追い払ったのは拙かったかな? お誕生日パーティーで『ふはは、田舎者め』とか言われて苛められるのかしら?
「出ないと……ダメ?」
「どうだろうねぇ……」
あ、ダメだ。もちろん私が嫌だと言ったらお父様も無理は言わないと思うけど、この反応は、私がいかないとお父様が困る感じだ。
「でもユールシアが行きたく、」
「わたし、いく」
「えっ!?」
せっかく意を決したのに、どうしてお父様が驚くの?
「ユ、ユールシアは、リックを気に入ったのかい……?」
「……え?」
なんで? なんか話の流れがおかしくなってきたよ。
「そうか……リックか…」
お、お父様…? 口元に悪い笑みが出ていますわよ? それとヴィオ? どうしてお父様の剣を、お父様に手渡そうとしているの?
何だか良く分からないけど、誰を斬るの? ダメですよ。悪魔の私が言っても説得力がないけど、人を斬ってはいけません。
お父様の手を汚すくらいなら私がやります。ええ、やりますともっ。
禁忌の必殺“G召喚”を解禁いたしますわ。
まぁ、それはさておき。お父様のご機嫌がちょっと斜めになっちゃいました。
でも私には奥の手がある。
幼い娘が男親のご機嫌を取るには、昔からこの言葉と相場が決まっている。
「わたし、おとうさまのおよめさんになるのー」
「……そ、そうかい?」
ちょ、ちょろいな……。
自分でやっておきながら、逆に不安になってきますよ、お父様。
私がお嫁に行く時、お相手は大変かも知れない……。こんな怖い外見の私を貰ってくれる人がいればだけどね。
娘である私が心配になるほど機嫌が良くなったお父様は、今日はお泊まりしていく事になりました。
***
「帰って……きませんか」
館から暗くなった窓の外を見つめ、アルベティーヌは自分だけに聞こえるような小さな声を漏らした。確認するように。噛みしめるように……。
夫は、一年ほど前から帰ってこない日が多くなった。
表向きの名目は自分の領地の視察。
国の重職に就く夫は、領地を離れて一年の大部分をこの王都で過ごしている。
当然のように妻であるアルベティーヌもこちらに住み、二人の娘もこちらで生まれたので、領地の本邸には数えるほどしか行ってないはずだ。
それ故、アルベティーヌも子供達も、王都の別宅を“自宅”だと認識している。
実際、王都は心地よかった。領地に比べてここは華やかで、流行の最先端や新しい情報が手に入りやすい。
毎晩のようにどこかで夜会が行われ、昼間はお茶会を開き、また招かれる。
見目麗しく、地位も高く、富もあるアルベティーヌを、貴族の婦人達は争うように招き、彼女を褒め称えた。
だが、そんなアルベティーヌにも敵はいる。
実際には敵対してはいないが、彼女の存在など、元から居なかったかのように無視する若い貴族達と、彼女の夫に同情する力を持った古い貴族達だ。
アルベティーヌもそれだけの事をしてきた自覚がある。
彼女はただ“欲しかった”だけだ。名誉も富も賞賛も憧憬も望んだだけ手に入れ、夫である彼をも欲しただけだ。
夫が帰ってこないのも当然と言える。
彼が愛していた女性から引き離して、“夫”を手に入れたのだから。
「奥様」
呼びかけられてアルベティーヌが振り返ると、そこに執事服を着たズマナが怪訝そうな顔で彼女を見つめていた。
どうやら何度か呼びかけていたらしく、近づかれるまで気付けなかった。
「ごめんね。少し惚けていたわ…」
「お疲れですか……? 温かい飲み物でもお持ちしましょうか?」
「それなら…」
果実酒を……と言いかけて思い直す。今夜は珍しく夜会もないので、今日くらいは酒を控えてもいいだろう。
「そうね……お茶をいただける?」
「かしこまりました」
ズマナはすでに用意してあったワゴンから、彼女好みのローズティをいれる。
それを香りと共に一口含んでアルベティーヌは思う。
夫が帰ってこないなどと。……彼女のほうが夜会などでよほど家を空けているのに。と考え、アルベティーヌは自嘲気味の笑みを漏らした。
「失敗しましたか?」
「いいえ、美味しいわ。……子供達はもうお休み?」
「はい」
軽く話題を逸らすとズマナもそれに応じる。
かなり以前、魔術学院の役職に就いた直後、アルベティーヌは平民出でありながら高い資質を持つズマナを見いだし、自分の子飼いとした。
最初は魔法の才能と見た目だけを気に入り引き抜いたが、意外と手先も器用で、執事や個人的な密偵としても重宝している。
ズマナも、実家の商売が傾き、学院の授業料さえ払えず貧窮していた自分を援助してくれたアルベティーヌを、生涯の主と仰ぎ、かしずいている。
その貧窮が、彼女の手によるものだとも知らないズマナに、アルベティーヌの視線がわずかに揺らいだ。
「お嬢様方は夕食後、お二人でご入浴し、その後、」
「いいわ。今まで通りね……」
「はい」
二人の娘は母親とは毎日会話したがるが、父親を恋しがらない。ある程度は懐いているはずだが、それは物をねだる時か、見目の良い父を他に自慢する時だけだった。
当たり前ね。……とアルベティーヌは思う。
家の力で強引に奪い取った彼は、彼女の夫となり子の親になっても、心まで渡しはしなかった。
それでも娘達を可愛がり、妻を愛そうとしていたが、彼の態度は彼女達から一歩引いているように見えたのだ。それに苛立ち夫に冷たく当たり、時には酷い言葉を浴びせたが、彼は寂しそうに微笑むだけで何も言ってはこなかった。
そんな両親を見て育った子供は、父に母親と同じような態度を取る。
夫の心を奪えなかったアルベティーヌは娘達を溺愛し、甘やかし、我が儘で手段を選ばない、アルベティーヌの分身のような娘達に育ててしまった。
そんな娘達は、どれだけ言葉と態度で夫の心を苛んだのだろうか。
だからそんな夫が【愛する女性】と【理想の娘】に傾倒するのは当たり前なのだ。
だからこそ……許せない。
「ズマナ。準備は…… 他の方々は大丈夫?」
「はい、奥様。準備は滞りなく」
「そう……だったら…」
アルベティーヌは席を立ち、ズマナを手招く。
娘達が父を愛さないのも、夫が娘を愛しきれないのも当たり前だ。
娘達の父親は、もしかしたら、この青年なのかも知れないのだから。
***
翌々日、ガキんちょ……えっと、リック?の誕生日パーティーが始まった。
最初どっかの凄い処で行う予定だったらしいけど、突然、そことは別に、郊外に近い貴族の別邸を借りて行う事になったらしい。
お父様に『何で』と聞いたら笑って誤魔化され、ヴィオに聞いたら微妙な笑顔で、
『ユルお嬢様が居られるからですよ』と言われた。どういうこと……?
当日、やたらふわふわした真っ白なドレスを着せられて出陣。
お父様は偉そうな感じの人にお呼ばれして別の館へ。
ヴィオやフェルは待合室で待機なので、私は若い騎士さんにエスコートされて、ひさびさに自分の足で歩いて会場に向かった。
歩けて良かったよ、本当に……。
会場入りした瞬間、楽団員の何人かが“ギゴォー”とか“ギギィ”とか鳴らして退場させられるハプニングはありましたけど、何故か子供達に遠巻きにされる以外は、特に問題もなかった。
そうです。会場入りの問題はそれしかなかった。
パーティが始まってからの問題はまた別の話なのですよ。
「ユールシア様っ!」
「シェリーっ」
心底ホッとした。凄く嬉しい。私にも友達が居るんだっ。
がっつり抱きつかれて転びそうになったけど。
「ユールシア様、またお会いできてとても嬉しいですわっ。会場に入られた瞬間、光り輝くユールシア様に天より祝福があったような衝撃に打たれ、すぐに気づくことができました。まぁ、なんと愛らしいドレスなのでしょう。白いドレスがとてもお似合いで、まるで百合の妖精かと思いましたわ。それともふわふわの白いドレスは、白薔薇を意識されたのかしら? でも私には、天より降りた天使様の羽根のようにも見えましたわ。ああ、なんとお美しい金の髪。天使の輪とはこのように美しいのでしょう。いいえ、その天使でさえユールシア様の愛らしさに嫉妬してしまうに決まっていますわっ。こんな素敵なユールシア様にまたお会い出来るなんて、その美しさに目が眩んで……ああ、なにやら、わたくし目眩が……」
カツ、カツ、カツ、とスポットライトを浴びる舞台女優のように、踵を鳴らしてよろめくように数歩下がる。
でもそれは酸欠です。
これがお貴族様の社交辞令の褒め殺しか……。凄いなシェリー。まだ小さいのに。
「シェ、シェリーも、お姫様みたいだよ」
「まぁっ、ユールシア様にそんなことを言っていただけるなんて……」
ようやく少し落ち着いたみたいね。よかった……。そして、本当に淡い桃色のドレスを着たシェリーは、絵本の“お姫様”みたいに可愛かった。
でもシェリーの奇行のせいか、妙に注目を集めて、誰も近づいてこなくなったよ。
それに……。
「おいっ、ユールシア」
どっかの可愛いご子息とご歓談していたガキんちょに見つかり、彼がこっちにやってくる。
「来ているなら、さっさと、」
「リック様、お誕生日おめでとうございます。お招きくださり、ありがたく存じます」
「……お、おう」
いちゃもん付けられる前に、言葉を遮って出来るだけ綺麗にお辞儀する。
私だって“夢の知識”があるから、これくらいは出来ますのよ。言うこと言ったし、これでいつ帰っても文句は付けられないはず。
「では、私はこれで…」
「リ、リック様っ、今は私がユールシア様とお話ししてますのよ。さぁユールシア様、あちらで果実水でもいただきましょう」
「おい、何言ってんだっ。お前は確か、シェルリンドだったな? 勝手にユールシアを連れ回そうとするなっ」
私の手を片方ずつ握って、私の頭の上で言い合いが始まった。これって喧嘩じゃないよね? まだ言葉に刺がある程度で大声じゃないから。
シェリーも怯えていたように見えたのに、本当はリックが嫌いだったのかな……? 隙を見て帰ろうと思っていたのに帰れなくなっちゃった。
ちょっと二人とも手が痛いよ。とりあえず二人には手を放して貰わないといけない。痛みを訴える? それだとシェリーが気にするかなぁ……。
「けんか、ダメよ…?」
子供の良心に訴えてみましょう。大人が諭すような感じでなく、『お兄ちゃん、お姉ちゃん、どうして喧嘩するの?』という感じで。
「ぬ…」
「そ、そんなことは……っ」
二人が何か言い淀み、私の手を握っている力が緩む。でも放してくれない。
シェリーが私の手を握っているのは、小さい子の“お姉さん”として頑張っているのだと思うけど、リックが手を放さないのは何でだろ? 負けず嫌いなんだな。
けど、それよりも周りの視線が痛い……。パーティーの主賓と可愛い少女に挟まれて身動きの取れない私に、みんなの視線が集中している気がする。
「あらぁ、リックもシェリーも駄目よぉ? 小さな子には優しくしてあげなさぁい」
ひょいっと私を後ろから持ち上げ、抱きかかえたのは、赤い髪の綺麗な女性だった。
一瞬、馬車で見た人かと思ったけど全然違った。あの人が赤いバラだとしたら、この人は煌めく炎のような、奇麗な朱色の髪をしていた。
印象もまるで違う。燃えるような炎のようでいて、陽だまりのように温かい。
「は、母上っ」
リックのお母様だったのか。どうしてこんな素敵な人からリックが……。謎だ。
「お、おうた…」
「はい、そこまで」
吃驚した顔で声を出したシェリーの唇を、リックのお母様は指一本で塞いで止めた。
その見事な手際に見惚れていると、彼女は私にニッコリと微笑む。
「ああ、ようやく会えたぁ。ユールシア……リアの子でしょ?」
「……おかあさま、しってるの?」
「そうよぉ。私はエレア。リアの友達なのぉ」
お母様……お友達いたんですね。と酷いことを思いながら、私はリックとシェリーから解放され、エレア様に捕獲されたのでした。
捕獲……。そうです。捕まったのですよ。
「う~~~~~~~ん、やっぱり女の子はいいわぁ~~っ」
私の抱っこ要員が一名増えました。
エレア様は大きなソファにドカッと背を預け、私をお膝の上に確保しながら、片手で隣に座ったシェリーの髪を弄ぶように撫でていた。……ここはどこの夜のお店?
その逆側では、以前のナンバーワンホストだったリックが不満そうに『ふんっ』って感じで座っている。
えっと……エレア様? 女の子がいいとか、お隣で息子さんがぶーたれてますわよ?
「リックも今は可愛いけど、後十年もしたら、旦那様似のごっつい男になるのよねぇ」
七歳の息子に容赦ないな。
「ふんっ、父上に似るなら、強くなるからいいんだ」
おお、リックちゃん、意外と強いね。
「そっかぁ、リックは強い男になるのかぁ。ねぇユールシアぁ、強い男の子は好き?」
「え…」
「は?」
「なっ」
私だけでなく、リックやシェリーも声を漏らす。本気で良く分からない。
いえ、さすがにエレア様の言葉の意味は分かりますよ? アレですよね? ここで返答を間違えると、その場で違う披露パーティーが始まりそうなアレですよね?
「……わかんない」
「そっかぁ。まだ分からないかぁ。四歳になったらリアに話してみようかなぁ」
やめてください。しかも後二ヶ月ちょいじゃないですか。話題を変えよう。
「エレアさま。女の子、いないの?」
「そうよぉ。男の子ばっかりなのよぉ。旦那様にはそのほうがいいんだけどねぇ」
そっか。貴族はお世継ぎが居ないと拙いんだったね。
エレア様は元々ゆっくりめの話し方だったけど、幼児を相手にしてるからか、余計にのんびりしてる。
「だからユールシア、シェリー。二人とも何かあったら相談してねぇ? “お母様”みたいに思っていいから」
「……うん」
「……はい」
後ろ盾が出来たと思えばいいのか……。言葉の意味は深く考えないことにする。
「そうだ、ユールシアは、リアから何て呼ばれてるぅ?」
「…えっと、ゆる…」
いや、待って。今が、前から気になっていた【ゆるキャラ】みたいな愛称を変更できるチャンスかも?
前は赤ちゃんだったから言えなかった。今なら言える。そうね……。ユールシアなんだから【ルシア】か【シア】でもいいはずっ。
「るし…」
「ユルって言うのね、可愛らしいわぁ。私も“ユル”って呼ばせてねぇ?」
「…………はい」
……訂正が遅かった。
***
とあるご子息の誕生日を行う為に場所を提供して欲しい。
ペロン子爵にそんな話を持ちかけたのは、様々な貴族と付き合いがあると言われているブラス商会の会頭であった。
ペロン子爵が持つこの別邸は、先々代の国王に個人的な褒美として与えられた物で、それは名誉であると同時に持て余し気味の物件だった。
王都にはあるが王城とも中心街とも遠く、閑静ではあるが住むには適さず、土地ばかり広くて税金も馬鹿にならない。
褒美として与えられた物を売る訳にも行かず、ペロン子爵の祖父も父も、他の貴族に一時的に貸すことで税金費用を賄っていた。
だが、普段なら貴族から封書か家令を通じて話が来るのだが、それを怪しんでいた心はブラス商会の提示した金額で押し流された。
急な会場変更であったらしく、前日から大勢の料理人や侍女が、大量の物資と共に到着し、よほどな大物貴族の子息なのか、騎士や警備隊だけでなく、魔法使いらしい服装の者も見かけられた。
そして当日……。
「……腹減ったなぁ」
その若い兵士がぼそりと漏らすと、同僚の兵士はそれを咎めることなく肯定する。
「今頃、坊ちゃん嬢ちゃん達は、美味い物たらふく食ってんだろうなぁ……」
急な配置換えににより掻き集められた兵士達は、慌ただしく朝飯を食べただけで、このパーティーが終わるまで、交代で休むことも出来ない。
だが、遠くから微かに聞こえる音楽を忌々しく思いながらも、兵士達の表情には苦笑するだけの余裕があった。
こうした大きなパーティー警護の場合は、最後に余った食材や料理が兵士達にも振る舞われる。特に子供のパーティーの場合は、料理が余ることが多く、普段あまり食べられない、高級甘味菓子が下賜される可能性が高かったからだ。
「……侍女達、甘い物狙ってるよな?」
「そうだが、今回は大物が関わっているらしいから、菓子の量がとんでもないって裏門の奴らが言ってたぜ」
噂話だが、本来のパーティーは夜に行われ、このパーティーは急遽企画された本当に子供達だけの気軽なものらしい。
「おい、お前ら、あんまり気を散らすなよ」
「「は、はいっ!」」
突然聞こえてきた声に兵士達は慌てて姿勢を正す。
その声の主は、見知らぬ黒髪の青年騎士であった。兵士達が掻き集められたように、騎士達も他の地から呼ばれた者が多く、顔も知らない者が多い。
その騎士は兵士達の様子に苦笑すると、持っていた篭から、皿に盛られた肉と少量の果実酒を取り出す。
「少し貰ってきた。祝い事の振る舞い酒だ。少なくて済まんが……」
「い、いいんですか? ありがとうございますっ」
明るい表情を見せる兵士達に、騎士は人の良い笑顔を見せて軽く手を振る。
その計画は静かに始まっていた。
誰も居ない廊下を黒髪の騎士が一人歩く。その背中に、
「ここで何をしている?」
巡回をしている壮年の騎士が部下の騎士二名と共に声をかけた。その声に黒髪の騎士は優雅な仕草で振り返る。
「この辺りを巡回しておりました」
「貴殿が…? 失礼だが官姓名をお聞かせ願いたい」
「はっ。私は…」
黒髪の騎士は、名乗りながら剣を抜き、一瞬で壮年の騎士の首を刎ねた。
「ズマナと申します。では失礼」
そう言うとズマナは、何が起きたのか分からず唖然とする二人の騎士に向け、握手でも求めるように片方の首筋を切り裂いた。
「…ひぃっ」
二人分の血が吹き上がる中、最後の騎士が怯んだように距離を取りながらも、自分の剣を構えた。
そこに剣を振りながら詠唱を終えたズマナが、剣先を騎士に向け唱える。
「【雷撃槍】」
バチッ……と弾ける音がして、剣先から放たれた雷撃は金属鎧を通り抜け、最後の騎士を物言わぬ骸と変えた。
「さぁ……始めますか」
***
「……うっ」
私は突然こみ上げてきたモノに、口を押さえて顔を伏せた。
「ユル……?」
「ユル様っ!?」
エレア様と、ちゃっかり“ユル”呼びしているシェリーが声を掛けてくれる。
なにこれ…? 胃の中を何かが満たしていくような、全身の細胞が沸き立つような、この感覚は何?
「……気分が悪いのか?」
さすがのリックも心配そうな顔をしているから、相当変な顔をしているんだろう。
そんな中、エレア様が不意に顔を上げてポツリと漏らす。
「……血の臭い……?」
そうだ。これは血の臭いだ。
血の“香り”と共に漂ってくる“苦痛”と“絶望”が私の感情を揺らす。
「……エレアノール様」
いつの間にか現れた執事がエレア様に耳打ちすると、さすがにその声は聞こえなかったけど、エレア様の呟きは微かに聞こえた。
「…兵士達… …毒…?」
バァンッ!
扉が勢いよく開かれ、布で顔を隠した騎士達と、同じく顔を隠した男達十数名が、武器を構えながら大広間に流れ込んできた。
沸き上がる子供達や侍女達の悲鳴。
この流れは、お馬鹿な小市民の私でも分かる。
「静かにしろっ! この屋敷周辺は占拠した。子供達は私達と来ていただこう」
“テロリスト”はそう言った。
そう……これは【テロリズム】だ。何かしらの目的を持った犯罪行為。
営利誘拐かも知れないけど、その黒髪の騎士からは、ある種の“意志”のようなモノが感じられた。
「何を言ってっ」
エレア様がとんでもない早口で魔術を構築する。【火炎球】……見た目の印象通り、火魔術だったけど、エレア様がそれを放つことは出来なかった。
「その魔法では、子供にも当たりますよ?」
そう言った覆面騎士の側に、その仲間が怯えた男の子の腕を掴んで立っていた。
「…くっ」
悔しそうに……でもエレア様は、火炎球を消すことなく身構え続ける。
この流れは良くない。
一見膠着状態に見えるけど、エレア様が動けば、傷つくのはテロリストではなく子供のほうでしょう。
その男の子も、シェリーやリックや他の子供達も、青い顔で硬直してしまっている。
誰かがパニックになって騒ぎ出せば、テロリスト達は容赦なく傷つけ、最悪は何人か見せしめに殺すかも知れない。
その子供達の精神がギリギリを保っていられるのは、エレア様がみんなを守ろうとしている、その姿を見せているからだ。
ここでエレア様が魔法を止めれば、子供達の精神が限界を迎える。
執事さんやメイドさん達も、それが分かっているから動けない。
少し考えてみよう。……テロリスト達の心の余裕が失われる前に。
彼らの目的は分からないから考えても仕方ない。でも今の目標は、子供達の拉致だと彼らは言っている。
今の四歳にもなっていない私では、どうやっても阻止は出来ない。
悪魔の力が存分に使える状態だったとしても、私は正体をバラしたくないし、“悪魔”としてはデメリットしか感じない。……悪いけど。
だから彼らの目的は達成させるけど、それをどれだけ許容できるかが問題になる。
多分、一番の目的はリックでしょう。彼が一番偉そうな人の子で、それ以外で警備の多い、ここを狙う理由が思い当たらない。
一番良い案は、リックを差し出して帰って貰う。うん。それがいい。
でも、ここまで大掛かりなことをしたのだから、彼らにしたら出来るだけ多くの子供達を拉致したいはずだし、エレア様にも申し訳ない。
テロリストの人数にも寄るけど、あまり多い人質は逃げるのに邪魔になる。
多くても五人。少なくても三~四人も居れば目的は達成されるとして、問題は、連れて行かれる側ではなく、残される側でしょう。
彼らにしてみれば、生かしておく意味が全く無い。特に大人の場合は、生かしておくことにデメリットしか存在しない。
行くのも危険で、残るのも賭けになる。めんどくさい。
その他大勢の命は比較的どうでもいい私だけど、エレア様はお母様の友達だし、いい香りがするから死んじゃうのは嫌だなぁ。
最悪でも、可愛いシェリーだけでも助けないと。
そんな悪魔である自分と、人間の心が奇妙に入り交じって、私を突拍子もない行動に移らせようとしている。
仕方がないなぁ……。柄じゃないけど“舞台”に上がりましょう。
「……エレア様、手を下ろして」
エレア様の手に触れて、出来るだけ静かに……はっきりと声に出す。
「ユ、ユル……?」
私はそっとソファから降りて、ゆっくりと……凛とした表情で、出来るだけ偉そうにテロリストのほうへ歩み寄る。
誰もが動かない中で、一人動き出した一番小さな女の子に、テロリスト達も危機感を持てずに不思議そうな視線を向けていた。
「ここの人達を解放してください」
自分の非人間的な外見を最大限利用して、出来るだけ感情を消して静かに視線を巡らすと、何かを言いかけた人達が怯んだように下がってくれた。
ふふん、私の怖い外見に慣れるのには、時間が必要なのですよ。
それでも彼らが混乱から戻る前に、手早く事を済まさないといけない。そもそもこれは無条件で解放してもらう為の【威圧】じゃない。
「その代わり、私を連れて行きなさい」
後ろから誰かの、何か言いかけた声が聞こえたけど、気にしない聞こえない。
テロリスト達の視線が泳ぐ。結論は彼らのリーダーしか出せない。
私は黒髪の覆面騎士に出来るだけ優しく微笑んで、正気に戻る前にそっと前に歩き出した。刺激しないように静かに……ゆっくりと。
誰にも触れられず、彼らの只中を通って扉まで辿り着けば、半分以上私の勝ち。
そのまま廊下に出ることが出来れば、いまさら捕らえるのを躊躇して、私の後を付いてくる……はず。
あれだけ自分の外見を嘆いておきながら、それに頼った賭けをする羽目になるとは、自分でも思ってもいなかったよ。
それに私一人なら、禁忌の必殺G雪崩で何とかなるかも知れない。私に一番ダメージが来そうで嫌だけど。
不思議そうな顔のリーダーの横を、ゆっくりと抜ける。もう少し……もうちょい。
「ユルだけじゃなくて、私も連れて行きなさいっ!」
え……? エレア様?
「私もユル様と一緒に行きますわっ」
シェリーもかっ!
「お、俺も行くぞっ!」
リック……いや、君はどうでもいい。
あ~あ……、もう……何でこうなっちゃったの。
ちなみにルールシアの台詞は実際にはこう聞こえている。
『ここのひとたちを、かいほうちてくだしゃい』
『そのかわり、わたちをちゅれていきなさい』