志望?
田中 安雄。
現在19歳の彼は引き籠りだ。
そうなった理由はごくありふれた物。大学受験に失敗し、親族の期待に応えられなかったのではないか、また、浪人となったことで周囲から笑われているのではないか。そんな被害妄想に駆られてしまっていたからだ。
そんな彼は、今、一大決心をして動き出そうとしていた。社会に出て脱引き籠りをする。即ち、バイトをするということだ。
そして彼は本日も短大の第5講時の講義を終えて彼の部屋に来ていた宇留鷲 姫子という何かと世話を焼きに来る幼馴染に話を振ることにした。
「ねぇ、姫子ちゃん。ちょっと訊きたいんだけど、色んなところで使えそうな志望動機って何があると思う?ちょっと一緒に考えてくれないかな?」
(姫子ちゃんは短大に面接で受かったんだし、何か面接でやる気をアピールするコツでも知らないかな?)
そんなことを思いつつ言った彼の言葉に姫子は少し戸惑って訊き直す。
「……え?今、何て言った?」
「え?志望動機何がいいかって……」
「はぁ!?死亡動機って、アンタ死ぬつもり!?馬鹿なの!?」
突然の叫び声に安雄は驚きつつ、そして苦笑した。
「馬鹿って……言い過ぎじゃない?まぁ確かに爆死するかもしれないけど……」
(姫子ちゃんはボクがコミュ障なの知ってるし、言いたいことは分かるけど。)
(またぼそぼそ言って、何言ってるのか分からないけど寄りにもよって何で爆死とか言ってるの!?あんたに何があったの!?)
安雄の言葉に思った以上に彼がおかしくなっていると思った姫子はまずは落ち着くように深呼吸した。
「はぁ……いい?確かに今の世の中は国際的にも社会的にも色々な問題を抱えてて厳しい面もあるけど、大丈夫よ。死ぬ気でやってみれば何とかなるはず。だから……」
「うん。応援ありがとう。」
彼女なりに励ましてくれてるんだなと思った安雄は微笑んだ。半年に及ぶ引き籠り生活の中でこれほど素直に笑えたのは久しぶりではないか、少しは心にゆとりが出て来たんだなそう思った安雄の笑みを見て姫子の方は何か別のことを考えていると気付く。
「待ちなさい!あたしがいつ応援したの!?」
「えぇっ!?今したじゃん!?」
「違うわよ!私が応援したのはそう言う意味じゃない!勉強しなさいってこと!」
姫子は何とか自殺ではない道へとエネルギーを使ってほしいという意味を込めてそう言ったが彼は苦笑して答えた。
「はは……多分あんまり変わんないよ。僕じゃもう無理なんだ。だからもう諦めてる。……ん~……でもまぁ……志望校を変えるっていうのもありかな……」
(でも志望校を変えるならどっちにしろ余裕は出て来るし。この半年、迷惑かけてきた分バイトして少しは親孝行しないと。)
(もう無理とか諦めてるとか!……後半ちょっとぼそぼそ言ってて何言ってたか聞こえないけど死亡法を変えるとか言ってたよね!?何で今の話の流れで!?確かに爆死っていうのはちょっと普通じゃ考えられないけど!)
「で、でも何で急にそんなこと考えたの?理由、教えてくれない?」
何とか解決の糸口を探すために姫子がそう言うと彼は少しだけこちらを見て顔を赤くした後にぼそぼそと言った。
「ひ、まぁ、うん……このままじゃ悪いなって思って。」
(これだけ心配して毎日来てくれる姫子ちゃんの目の前でいつまでもこんな格好悪いことしてられないからだよ!とかそんなの言えないしなぁ……バイトして、少しランクを落とした学校でもいいから行ってそれで少しでもみ合う男になってからこういうのは言わないと。)
(こ、このままじゃ悪いって……それにこっちを見て言ってたし……私が毎日来てたから?励ましてたつもりがいつの間にかプレッシャーになってたってこと?どうしよ……と、取り敢えず今は冷静じゃないから……)
「ちょっと、お手洗い貸してもらうわ。」
「あ、うん。」
姫子は一度落ち着くためにも彼の部屋を出た。
「……ふぅ、言えた。これで後には引けなくなったぞ。……さて、姫子ちゃんがトイレから戻って来るまで買って来てもらった本でも読みながら考えるか……」
姫子は一応洗面所へと向かって手を冷たい水で流しながら冷静になって考えを落ち着かせてから部屋に戻ることにした。そして戻ってくる際に廊下で安雄の母親と出くわす。
「あ、おばさん。……ね、あの、安雄君が……」
お茶とお茶請けを持って来ていた安雄の母親は姫子の様子を見て姫子が珍しく動揺している為、安雄が外に出る決心をしたという話をとうとうしたのか、それに鋭く気付いた。
「あら、姫子ちゃん。安雄から話は聞いたみたいね?」
「え、えぇ……はい。」
(何でおばさんはニコニコしてるんだろ。息子の一大事なのに!)
「やっと出て行ってくれるわね。姫子ちゃんのお蔭よ!」
「え、わ、私の所為ですか!?」
「?えぇ。毎日来てあの子にプレッシャー掛けてくれなきゃあの子はいつまでも引き籠りのままだったのは間違いないわ!」
(な、何で喜んでるの!?て言うか、やっぱりプレッシャーになってたんだ……ど、どうしよう。私の所為だ……で、でもとにかく、安雄君が思い止まってくれるようにおばさんの方から説得して……いや、まずはおばさんがどう思ってるか訊かないと!こんなに喜んでるんだし何か考えがあるのかもしれないわ!)
「え、えぇと、おばさんはどう思ってます?」
「そうねぇ……色々言ってたけど……いざ親の手の届かないところに行っちゃうとやっぱり寂しいものもあるわね。でも、大丈夫よ。やっぱり子が親の下を離れるって言うのは喜ばしいものだわ!例え、それがどんな形でも。」
(バイトだけで別に家から出て行くわけじゃないけど……立ち直ってまたやる気出してる姿を見るとね。あの意気なら来年の受験は大丈夫だろうし……そしたらあの子も一人暮らしを始めるだろうから……ま、まぁこんな所で今考えることじゃないわね。うん。)
(お、おばさんがそんな人だったなんて……)
「な、なんてね。今のは内緒よ?あの子に余計なこと考えさせちゃ駄目だし。あ、そうだ。そろそろお父さん帰って来るのよ。姫子ちゃんのお家って今日は二人とも遅いんでしょ?良かったら夕飯一緒にどうかしら?」
「あ、は、はい……ご馳走になります……」
姫子は田中家の裏の一面を見たかのような気分になって安雄の母の持っている物を持って玄関から入ってすぐのところにある階段を上って2階にある安雄の部屋に移動して行った。
そこで彼女が目にしたのは『異世界転生!~要約すると俺Tueee!で都合がいいチョロイン達とチーレムします!~』と大きく見出しのついている本を読んでいる安雄がいた。
「な、何読んでるの!?」
「お、は、流行りの本だよ。結構面白いんだ。」
(転生って……やっぱり、分かってたけど!)
(う、うわぁ……よりによってキナコがコウにラッキースケベされてるほぼ裸の挿絵が入ってるところで!)
「……面白いの、それ?」
「あ、ま、まぁね。読む?何のとりえもないシュジン・コウって言う人が死んで異世界転生してキナコとかアンコとかとラブコメを……」
「……死んだらそこで終わりよ。」
「う、うん。」
気まずい雰囲気の中安雄は本をしまった。そして話題を変えようと努めて自分としては明るい声を出す。
「そ、そうだ。動機は兎も角やっぱり行くところ決めないと、一緒に考えてくれない?僕としては人気のない所が……」
「ダメよ。考え直しなさい。」
「えぇっ?」
(いきなり多くの人たちと接するのはハードル高いんだけど……)
(逝く気満々じゃないの。どうにかして考えを改めさせないと。)
「そ、そうね……近所のコンビニにでも行かない?」
「む、無理だよ!あそこじゃこの辺に住んでる人が来るし、知ってる人が来るかもしれないじゃないか!ハードルが高すぎるよ!無事に死亡とすら言えないよ!立ち直れない位の完全なる爆死になるって!」
「そ、そう……ごめんね。」
(気晴らしに行こうって言ったのに、そこで死ぬ気事を考えてるの……?どれだけ死ぬ気なのよ……それにご近所の皆さんが立ち直れない位の完全な爆死って何なのよ……そりゃ、知ってる人が爆死とかしたらそうなるかもしれないけど……)
(笑い話にすらできないレベルだって!僕には樹海レベルのもっと人が来ないところが……)
「じゅ、樹海?」
「あ、え……今、僕口に出してた?樹、樹海は流石に嘘だよ?もう少しマシな所に行くって。」
「マシな所で逝くって……」
(どうしよ!もう死ぬことしか考えてない!……確かに私のことも知らず知らずの内にプレッシャーにしてたみたいだし、おばさんからも色々言われてたみたいだし追い詰められてるのかもしれない……そ、そうだ。大学の生涯発達心理学の授業で追い詰められた時には逃げ場が必要だって言ってた!)
「……決めたわ。」
「?どうしたの?」
「私が一生養ってあげる。」
「えぇっ!?い、いや、それは、え、何で?」
「だから何かあっても大丈夫。余裕を持って。大丈夫よ。死ぬ必要はないわ。まだやり直せるのよ。」
(あ、何だ……緊張をほぐすために……知らず知らずの内に僕が今から死にに行くみたいに思いつめた顔をしていたのかもしれないなぁ。自分でも気づかないことに気付いてくれるって姫子ちゃんにはかなわないなぁ……こんないい子を身近に持てて、支えてくれる家族がいるなんて僕は本当に幸せなんだな……)
「うん。分かった。ありがとう……僕は本当に幸せ者だね……」
「だから、死にに行くのはやめなさい!」
(いきなり何言ってるのかしら!これ、前に安雄君が言ってた死亡フラグ?ってのに似たのがあった気がする……全っ然分かってないんじゃ……)
「あはは、分かってるって。でも、僕にも男の意地ってものがあるからさ。やっぱり行くよ。大丈夫。心配しないで!上手くやって見せるから!」
「だから止めろって言ってんのよ!」
「ごふぅっ!」
(な、何で僕は今殴られたんだ……?)
(やっぱり全っ然分かってなかった!)
立ち上がって安雄を殴り、椅子から落として見下ろす姫子。何故殴られたのか分からず呆然と姫子を見上げる安雄。二人の間に変な空気が流れていると下の方で扉が開く音がして「ただいま~」という何とも間延びした声が聞こえてきた。
だが、二人は何となく動かない。そんな二人の空気などお構いなしに安雄の父親が安雄の部屋を開けた。
「お……おぉ?どんな状況だ?」
「え、えぇと、ちょっと……」
「うん。まぁ。」
微妙な空気が流れる中、この状況はスルーすることに決めたらしい父親が口を開いた。
「ま、まぁ……取り敢えず、安雄のバイト記念にケーキ買って来たぞ。」
「止めてよ父さん。まだ決まってないし、一々大袈裟だよ。」
この時点で姫子の頭はフリーズした。だが、親子の対話は続く。
「ハッハッハ。何言ってるんだ。バイトなんか適当な志望動機言って適当に話し合わせれば合格間違いナシだ!問題はお前のやる気だけ!あ!……クック。志望動機で間違えて人前は恥ずかしいので死にたくなりますとか死亡動機とか言ったら落ちるぞ?」
「あなた……全っ然、1ミリ単位でも面白くないわよ?それに本っ当にデリカシーがないわね本当に……」
「な、俺は安雄の緊張をほぐそうと思ってだな……」
「止めてよ姫子ちゃんがいる前でそんな面白くないこと言うの……大体、音が同じだけで間違う訳ないじゃないかそんなの。」
安雄の父親が2階に上がって来ているのを見てついて来ていた母親も混じって家族の談笑が広がる中、姫子はようやく稼働した。
「き、」
「「「き?」」」
「きゃぁあぁぁぁぁっ!」
「姫子ちゃん!?」
「お、おい、どうしたんだ?」
「あ、どこ行くの!?」
「人がいないところまでぇぇぇええぇっ!」
姫子は全力で駆けて行った。
「……な、何だったんだ?」
「さぁ……?」
「と、取り敢えず僕追いかけてくる!」
安雄は姫子を追いかけて外に出て行った。それを安雄の両親は見送って何だか青春だな。と頷いていた。
そんな田中家に対して人気のない所へと走り抜けていく姫子はもう何だか死にたい気分でいっぱいだった。彼女を死亡に致らしめる動機を記すとすればそれは間違いなく恥死だろう。